自然保護のむずかしさ

自然保護のガーデニング

自然保護のむずかしさ
 尾瀬は日本の自然保護問題を象徴する場所である。戦前戦後にかけてのダム開発、その後の自動車道路観光開発、そして現在進みつつある過剰利用など、それぞれの時代の社会的な背景を如実に反映している。ここで、尾瀬の問題を、大きく四つに分けて見ていくことにする。
 一つは、尾瀬をどのような方針をもって管理するかという基本的な問題である。
 次に、尾瀬の自然環境を、適正な方向で維持管理できるか。
 三番目は、過剰利用にいかに対応すべきか。
 四番目は、社会・経済、特に経済的な問題をいかに解決するか。
 まずは、尾瀬の自然をどのような方向で維持するか、利用者をどのように管理するかという基本的な方針が決まっていない。尾瀬は、大きく分ければ、沼と湿原と山によって構成されている。そのうち、沼は長い年月の間にだんだん浅くなり湿原になる。湿原にはやがて樹木が生育し、森林に遷移していくだろう。もちろん、遷移は、10年や20年という短いスパンではないが、少しづつ着実に遷移していることは間違いはない。ということは、遷移している尾瀬をどのように管理していくか、これは非常に難しい問題である。
  同じ日光国立公園にある戦場が原は、私の子どもの頃には湿地であった場所が、完全に乾燥化し、湿原に樹木の侵入が目立っている。それに対し、上高地大正池は、土砂の流入を人間が制限しているから池の形態が維持されている。自然に任せていれば消滅しているはずである。では、尾瀬は、沼や湿原などの遷移を止めるのか進めるのか、どちらの方向で管理すべきか。
 これは、自然だけの問題ではなく、公園としての利用との兼ね合いが絡んでいる。美しい尾瀬の景観をより多くの人々に見せることに重点を置くか、それとも学術上の貴重な場所として保存することにウエートを置くのかという選択である。
 次の問題は、尾瀬の植生破壊にどのように対応していくかである。現在、植生が破壊された部分は、復元作業が行われている。たとえば、アヤメ平は、復元が極めて困難になっているところがあるが、それでも、何らかの方法で復元させようとしている。
 ただし、植生復元といっても、尾瀬の植生を必ずしも元どおりに再現できるというわけではない。それは、コカナダモという帰化植物が、尾瀬沼に侵入し、在来の水草を駆逐するように拡大しているからである。今後、繁殖力の強い帰化植物が、尾瀬の生態系を攪乱する可能性を否定できない。これまでは、外来種を撤去できたからよかったが、コカナダモがこれだけ広がってくると、もう完全な撤去は極めて困難であると推測されている。このように、かつての尾瀬の自然とは異なる植物生態が成立しており、これをどのように考えるかという問題も出現する。
 三番目に、過剰利用は、植生破壊や外来種の侵入とともに、湿原や湖沼の水質悪化をもたらした。特別保護区内にある16軒もの山小屋からの、汚水の排出が一時問題となったが、合併処理浄化槽を整備し、汚水を湿原の下流に放流する方法で改善される見通しがたった。また、山小屋での入浴禁止など汚水を最小限にする努力もなされており、今後排水処理や道路整備等の物理的な問題は、かなり改善できるだろう。しかし、過密利用という問題はそのまま残る。湿原の木道をハイカーが数珠つなぎになって、時々つっかえて歩くような状況が、果して自然公園本来の利用形態といえるだろうか。この問題を解決するには、尾瀬の楽しみ方についてのコンセンサスと、過密利用を導く日本の休日制度についても考える必要がある。
 そして、最後の問題は、社会・経済問題である。尾瀬には年間50万人程度の来訪者がある。これだけの人々が訪れていながら、来訪のために支払ったお金が、尾瀬の管理・保護に回っていない。それどころか、周辺地域にも還元されていないという不満がある。現在の尾瀬利用は、多数の人々がただ殺到しているだけで、地域への経済効果や公園の管理費用にあまり恩恵をもたらしていない。
 以上四つの問題を解決していくには、どうしたらよいか。自然保護とは言うものの、自然、生物学で対応できるのは、生態系の攪乱だけである。また、排水処理や道路整備等の技術的に解決可能なものもあるが、解決の糸口が見いだせない問題が多く残っている。
 問題の大半は、社会的な問題で、いろいろな方法は提案できるものの、最終決定を誰が行うのかという点でいつも行き詰まる。たとえば、尾瀬にロープウェー等の遊覧施設を導入するという提案がある。ロープウェーは、建設時の自然破壊の問題と景観面から異論はあるものの、尾瀬に直接立ち入らせることなく、来訪者に尾瀬を見せることができる。これによって、帰化植物の侵入は著しく少なくなることが期待できる。さらに、これまで尾瀬沼を見たくても見れなかった人々にも尾瀬を直接見せることができる。また、ロープウェーによる収益によって尾瀬の管理費は大部分まかなえるものと考えられる。
   もう一つの方法は、入園料を徴収する方法だろう。とはいっても、現在の国立公園では、入園料という形でお金をとることはできない。そこで、駐車場の利用料金や駐車場から登山道までの間に輸送機関を設置し、その料金に上乗せする形で料金を受けとる方法がある。これは、既存のルートを閉鎖することになるという難しい問題はあるが、できないことではないだろう。それによって公園の適正利用を導くとともに、管理費用をまかなうことも可能となる。
 自然保護の問題解決が難しいのは、アイディアや提案などはいくつもあるものの必ず成功するとの確信がとれないことである。コカナダモについても星一彰教諭(福島東高校)の再三の提案に二の足を踏んでいる。トライアンドエラーによって解決の糸口を探っていくしかないにもかかわらず、環境省の役人たちは、成功の確信が持てないため、及び腰である。
 国民のコンセンサスがとれれば解決するだろうという、無責任な考え方が一番困る。尾瀬の自然は、国民のコンセンサスで守られてきたのではない。尾瀬の自然を守ることができ、守らなければならなかった人々によって、現在の尾瀬がある。もし、国家的な要請や国民の意見にまかせていたら、ダム建設などによって、尾瀬はとっくに消えていただろう。尾瀬の自然は、責任の取れると自負する人々によって守られてきた。ところが、現在では、いろいろな人々が尾瀬に対して、自分の関与する権利があるのだというように主張しはじめている。
 コンセンサスを得るとすれば、誰が一体尾瀬の自然に責任を取ることができるかを国民に問うべきである。尾瀬の自然は誰のものか、保護することができるのは誰か、逆に保護に失敗したとき一番被害を受けるのは誰か。昔のように「山小屋の人達」と簡単に言えないところに、問題の難しさがある。

(以上の文章は、『自然保護のガーデニング』(中公新書ラクレ)に掲載したものである。刊行してから10年以上も経っており、また、尾瀬の利用者は年間30万人程度に減少している。そのためか、尾瀬の注目度は、当時と比べて変わっているような気がする。現在どのようになっているか、調査した方がおりましたら、お教えいただければありがたい。)