『花道古書集成』第三巻の花材

『花道古書集成』第三巻の花材

『抛入岸之波』『生花正意四季之友』
 『華道古書集成  第三巻』の最初に、『抛入岸之波』がある。『抛入岸之波』は元文五年(1740)に「初春筆を雪窓の下に揮」とあり、寛延三年(1750)刊行とされている。この書は、『華道古書集成  第二巻』の『攅花雑録』よりも先に刊行されているが、後の第三巻に掲載されている。文と図から45程の花材が記され、40種を現代名にした。大半はこれまで記された花材であるが、新しい植物として1種、ソラマメがある。
 続いて、『生花正意四季之友』も文と図に花材名が記されているが、『抛入岸之波』よりもさらに少なく、花材としての検討は省く。

『源氏活花記』
 『源氏活花記』は、千葉龍卜によって書かれ、明和二年(1765)に刊行されている。この書は、文と図に花材名が60程記されているが、大半は図に記されており、58種の現代名は図を参考にして判断した。花材の種類という点から見ると、対象となるものが少なく、全体として検討する意味はあまりないようだ。ただ、新しく登場する植物名として、「紫羅蘭花アラセイトウ、「岩石蘭」ウチョウラン、「朝鮮蕣」チョウセンアサガオ、「春龍胆」ハルリンドウが記されている。

『当世垣のぞき』
  『源氏活花記』に続く『当世垣のぞき』は、石浜可然が明和三年(1766)に著したものである。序文に、当時の江戸の生花流行について書いている、とあることなどからもわかるように、「のぞき」というタイトルどおり、これまでの花書とは一味違うタイプの書である。花材については、数が少ないので、本来なら省くべきであろうが、その他の点で興味ある記述がいくつかあるので示す。
  「鶏頭を・・・」という項には、「鶏頭花は毒草也とて生させぬ一家あり是全く吟味の届かざるなり鶏頭花に四種あり。掃箒鶏冠。扇面鶏冠。紫白同蒂名二色各毒なし・・・」とある。ケイトウは、一種類ではなく、複数存在することが記されている。
  「金盞花金錢花不吟味の事」では、「金せん花又金盞花両名二物る事を知らず・・・」とある。キンセンカは、2種類あると記されている。ここに登場するキンセンカは、現在知られているヨーロッパ産の植物とは別物である。と言って、どのような植物であるかはよくわからないが、花の色は金色で、盃の形をした花で、冬季にも咲く植物であろう。宝永七年(1709)に刊行された『大和本草』(貝原益軒)の四巻草之三花草類には「金盞花」「キンセン花」と記されている。したがって、現代名のキンセンカとは異なるものの、花材名のキンセンカとして使用することにする。

『抛入華之園』
  『当世垣のぞき』に続いて、『抛入華之園』という書が登場する。泉州堺津隠士幽閑齋の孫  禿帚子の著で、明和三年、須原屋市兵衛によって刊行されている。花材は図に示されている他、茶席の挿花の図もあり、「金線花」「唐ぎり」「擬法珠」図などがあるものの、35種程度しか記されていない。種類が少ないので検討はしないが、「金線花」の図は、花は小さく、正確に描かれていないので判断しにくいが、現在のキンセンカとは異なる植物のようだ。また、「擬法珠」は、葉と花の大きさの関係から見ても、オオバギボウシかタマノカンザシか判断しにくい。いずれの植物も、絵がどの程度、信頼できるかによって決まるもので、この図だけからは、判断できない。

『活花百瓶圖』
  『抛入華之園』に続いて、明和四年(1767)に刊行された『活花百瓶圖』がある。タイトルどおり、花材は文章より図に記されているが、判読しにくいことから50種程度しか現代名には変換できなかった。またこれまでの花材と同じような種が多く、その種数も限られているので検討は見送る。

『挿花千筋の麓』
  前後2巻から成る『挿花千筋の麓』は、入江玉蟾の著作で、明和五年(1768)に刊行されている。花材のリストと共に後巻に図が示され、花材名も記されている。この書は、「挿花」とあるように茶席の花を考慮しているので、検討することにした。記されている花材を数えると110ほどあり、現代名で示せたのはそのうち100種である。
  花材名についての解説で、「金せん花同名両種心得ちがいの事」という項目に、「金銭花  本名川蜀葵午時に花發き子に落故に午子花と云・・・」、「金盞花  一名長春菊・・・」とある。この解説が正しければ、金銭花はゴジカ、金盞花がキンセンカということになる。これまで、「金銭花・金盞花」をキンセンカとして区別していなかったが、どうやら分ける必要がありそうだ。ただ、気になるのは、当時、誰もが正確に使い分けていたという点だが、その辺についてはもう少し検討しなければなるまい。
 『挿花千筋の麓』の花材を十八世紀後半の茶会記に記された茶花と対照させると、含まれるものは35%と半数には満たない。それでも使用頻度11位(10位2種あり、以下同)まで中では10種あり、23種(16位8種あり、以下同)まででは17種ある。上位23種から見る限り、十八世紀後半の茶花をある程度反映していると言えそうだ。

『抛入花薄』
  『抛入花薄』は、千葉一龍によって明和四年(1767)に刊行された。書は上下2巻に分かれ、85程の花材が記されている。そのうち、75種を現代名に対照させた。花材の種類としては、特別新しい種はあまりないものの、解説があり参考になりそうなので記すことにする。
  この中に現代名が定まらない花材、「高麗菊」についての解説がある。「しんきくに花黄白二色あり花葉を見込生るなり又花白く葉人参に似て香あり生てよろし」とある。「茶花の種類その19」で「高麗菊」をシュウメイギクではと記したが、「高麗菊」の花色は黄白であるから、赤紫色の花のシュウメイギクではない。葉が人参に似ていて、葉に香りがあるらしいとあるが、その条件に該当するキクの現代名は見つからなかった。
  「続断」(あざみ)について、「あざみは野辺に多く生る物也俗にこれを鬼あざみと云・・・」とある。アザミの種類は数多い。その中でオニアザミだけ種がわかったと判断していたが、「鬼あざみ」と記されてはいても、実は野生のアザミ類を指していたようだ。そこで、「鬼あざみ」などと記されていても、それはアザミ類の一種であると考えられるため、以後の植物名は総称してアザミとする。
 新しい花材としては、「桜草」の解説の中に「りう金花」の名が出てくる。これは、リュウキンカであると判断した。
 『抛入花薄』の花材を十八世紀後半の茶会記に記された茶花と対照させると、含まれるものは33%と半数には満たない。また使用頻度11位まで中では9種、23位まででは15種ある。使用頻度11位までは、十八世紀後半の茶花をある程度反映しているが、『挿花千筋の麓』に比べると、全体についても、23位までもいずれの数値も低い。

『抛入狂花園』
  『抛入花薄』に続いて『抛入狂花園』がある。この書は、蓬萊山人によって作成され、明和六年頃(五~七年らしい)刊行された。これまでの華道書とは異質で、一種のパロディー本というべきもの。滑稽本の一つとしても取り扱われている。花材には、独楽や盃など植物以外のものが使用されている。したがって、茶花と対照させることはもちろん、花材の花としても検討する意味がないと判断した。

『生花百競』
  続いて『生花百競』がある。『生花百競』は、入江玉蟾の息子入江惟忠によって明和五年(1768)に編纂され、翌年刊行された。これは図集で、春・夏・秋・冬に分けて描かれている。見にくい図もあるが、判読できる花材名を示すと100程あり、そのうち88種の現代名を確定させた。玉蟾は、山野の草花を茶室に活けることに熱心で、千家新流を考案したとされている。そのため、『生花百競』の花材の特徴は、以下に示すように新しい花材が数多く記されていることである。
  アツモリソウ(敦盛草)、アマナ(山慈姑)、インゲンマメ(白萹豆)、ウイキョウ茴香)、オケラ(白木、ケラ艸、図を含めて判断)、カタクリ(旱藕)、カンアオイ(馬蹄莘)、カンチク(寒竹)、キブシ(黄藤)、キンモクセイ(九里香)、センニチコウ(千日紅)、ソバナ(齋苨)、チョウジソウ(丁子草)、デンジソウ(田字草)、トベラ(海桐花)、ナンバンギセル(土歯、竹六穴、図を含めて判断)、ハコネウツギ(海仙花)、ハボタン(葉牡丹)、ハマボウ(金木蘭)、ホタルソウ(樟芽菜)、マタタビ(木天蓼)、マツムシソウ(玉毬花)、ミズヒキ(海根)、ミスミソウ(三角草)、ミヤマレンゲ(玉蘭花)、ロウバイ(臘梅)などの新しい花材が記されている。これだけ多くの種を揃えた花伝書は、十八世紀に入ってからはなく、特異な存在である。
  では、『生花百競』の花材は、十八世紀後半の茶会記に記された茶花をどの程度反映しているかを見ると、33%と半数にも満たない。使用頻度10位までには8種入っているものの、20位までを見ると13種と、決して多いとは言えない。『生花百競』は茶花を中心に図示しているようだが、入江玉蟾の好む山野草と十八世紀後半の茶花とは異なる種の方が多い。

『瓶花群載』
 『生花百競』に続く『瓶花群載』は、百花園主人が偏し、明和七年(1770)に刊行された。群載とあるように、図の中には源氏流や古流を初め、諸流の瓶花が連ねられている。図は27あるが、花材名は一部にしか記されておらず、花材を検討するほど種類がないと判断した。

『独稽古』
  『独稽古』は、「古田流いけ花」と記され、後編が記されている。序から明和七年(1770)に記されたものと思われる。茶花を中心に記しているが、花材数は40程度と少なく、特別変わった植物もないので検討を省く。
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