『花道古書集成』第四巻の花材

『花道古書集成』第四巻の花材
『瓶史述要』
 『華道古書集  第一期第四巻』の最初の花伝書は、明和七年(1770)に刊行された『瓶史述要』である。『瓶史述要』は、新たな花材がなく、花材数が少ないので検討(現代名の確定、茶花との考察などは、花材数が50程より少ない場合は原則として)を省く。

『生花枝折抄』
  『生花枝折抄』は、 安永二年(1773)、千葉竜卜の著によってが刊行された。この書では、書院並びに茶席の花材についても触れており、「活花に用いる草木名寄」として一覧が紹介されている。
  『生花枝折抄』には280ほどの花材が記されており、そのうち229の現代名を確定した。それまでの華道古書の中では最も多くの花材が記されており、それまでの花材の大半を網羅しているかに思えたが、実際は4割程度しかカバーしてない。しかし、新たな花材の種類は48種も記され、その中には現代では殆ど使用されないような植物もある。新たに記された花材を以下に示す。なお、表示名を漢字で示すことのできない字は○(振り仮名から現代名を想定する植物もある。)に置き換えている。
 「耆婆草」は「るりださう」と仮名が付されている。これについてはアカザ科の外来植物、アリタソウとした。なお、シソ科ケイガイの別名にアリタソウという名の植物もある。
  「燈心草」はイグサ科のイであるが、通称のイグサとした。
  「吉利子」は、「うくひす」と仮名が付され、スイカズラ科のウグイスカグラ(ウグイスノキ)とした。
  「五加」は、「むこぎ」と仮名が付され、ウコギ科ウコギとした。
  「金雀花」は「ゑにした」と仮名が付され、マメ科エニシダとした。
 「紫茱荊」は「おしろい」と仮名が付され、オシロイバナ科のオシロイバナとした。
 「敗醤」は「をとこえし」と仮名が付され、オミナエシ科のオトコエシとした。
  「躍草」は「をどりさう」と仮名が付され、シソ科のオドリコソウとした。
  「樺」はカバノキ科のシラカンバ(カンバ、カバノキ)と思われるが、カンバ類を総称した呼び名かもしれないので、カバノキとした。
  「柰」は「からしな」と仮名が付され、アブラナ科カラシナとした。
  「萎蕤」は「からすゆり」と仮名が付され、ウリ科のカラスウリとした。
  「菅」は「すげ」と仮名が付され、カヤツリグサ科のカンスゲ(ミノスゲ)とした。
  「雉子竄」は「きじかくし」と仮名が付され、ユリ科のキジカクシとした。
  「夏雪艸」は「なつゆきそう」と仮名が付され、バラ科キョウガノコとした。
 「梜竹桃」は「けうちくとう」と仮名が付され、キョウチクトウ科キョウチクトウとした。
  「映山紅」は「きりしま」と仮名が付され、ツツジ科のキリシマツツジとした。
  「威霊草」は「くかいそう」と仮名が付され、ゴマノハグサ科クガイソウ(クカイソウ)とした。
  「箕竹」は「くれたけ」と仮名が付され、イネ科のクレタケ(ハチク、カラタケ)とした。
  「黄芩」は「わうごん」と仮名が付され、シソ科のコガネバナ(コガネヤナギ)とした。
  「玄參」は「ごまくさ」と仮名が付され、ゴマノハグサ科のゴマノハグサとした。
  「山茱莄」は「さんしゆゆ」と仮名が付され、ミズキ科のサンシュユとした。
  「使君子」は「からくちなし」と仮名が付され、シクンシ科のシクンシとした。
  「麦門冬」は「ぜうがひげ」と仮名が付され、ユリ科のジャノヒゲとした。
  「秋牡丹」は「しうめいきく」と仮名が付され、キンポウゲ科シュウメイギクとした。
  「睡蓮」は「ひつじくさ」と仮名が付され、スイレン科のスイレンとした。
  「山蘭」は「さんらん」と仮名が付され、別名「鈴蘭」からユリ科のスズランとした。
  「蘇鉄」は、ソテツ科のソテツとした。
  「大黄」は、タデ科のダイオウ(ルバーブ)とした。
  「茅針」は「つはな」と仮名が付され、イネ科のチガヤとした。
  「孩兒菊」は「ちやらん」と仮名が付され、センリョウ科のチャランとした。
  「沙参」は「つりかねくさ」と仮名が付され、キキョウ科のツリガネニンジとした。
 「絡石」は「ていかかつら」と仮名が付され、キョウチクトウ科テイカカズラとした。
  「続断」は、マツムシソウ科のナベナとした。
  「酸棗」は「なわしろぐみ」と仮名が付され、グミ科のナワシログミとした。
  「地楡」は「のこぎりくさ」と仮名が付され、キク科のノコギリソウとした。
  「貝母」は、ユリ科のバイモ(アミガサユリ)とした。
  「巴且杏」は「あめんどう」と仮名が付され、バラ科のハタンキョウとした。
  「薄荷」は、シソ科のハッカとした。
  「蓍」は「めどはぎ」と仮名が付され、マメ科のメドハギとした。
  「天麻」は「めはしき」と仮名が付され、シソ科のメハジキとした。
  「木香」は、キク科のモッコウとした。
  「烏蘞苺」は「つた」と仮名が付され、漢名からブドウ科ヤブガラシとした。
  「杜若」は「やぶしやうが」と仮名が付されている。「杜若」はカキツバタではなく、異なる植物であるとしている。また、仮名の「ヤブショウガ」という植物を探したが、そのような名の植物は存在せず、それに近い植物として、ツユクサ科のヤブミョウガがあったので、それであろうと判断した。
  「金絲梅」は「くさやまぶき」と仮名が付され、キンポウゲ科ヤマブキソウとした。
  「薺蒿」は「よめがはぎ」と仮名が付され、キク科のヨメナとした。
 「白芷」は「よろいぐさ」と仮名が付され、セリ科のヨロイグサとした。  
  「羅生門草」は、シソ科のラショウモンカズラとした。
  「壺盧子」は「なりひさご」と仮名が付され、「瓠爪」ともあり、ウリ科のヒョウタンとした。
  「瑠璃草」は、ムラサキ科のルリソウとした。
  以上の植物について、初見や渡来時期を『資料別・草木名初見リスト』(磯野直秀)、『明治前園芸植物渡来年表』(磯野直秀)などから検討し、資料との矛盾はなかった。
  次に、『生花枝折抄』の花材について。十八世紀後半の茶会記に記された茶花をどの程度反映しているかを見ると、65%と高い値である。使用頻度11位までの茶花を全て含んでいて、23位まで広げても21種含まれている。『生花枝折抄』は、十八世紀後半の茶花の使用動向を反映しており、当時の花材を列挙した資料として信頼できる。ただ、ここで気になるのは花材名である。千葉竜卜は、どのようにして花材名を定めたのだろうか、どうも本草学関連の書からだけではないように思われる。

『養花挿瓶法』
  『養花挿瓶法』は、花材について記されていないので省く。

『百瓶圖解』
  『百瓶圖解』も、花材についての記載がないので省く。

『甲陽活花百瓶圖』
  『甲陽活花百瓶圖』は安永三年(1774)、如雪庵尺五により刊行されたもので、図集である。花材は図の中に80ほど記されており、そのうち69種を現代名にした。『甲陽活花百瓶圖』には新しい花材はなく、十八世紀後半の茶会記に記された茶花と比べると、使用頻度11位までの茶花を9種、23位まででは18種と比較的多く含んでいる。花材数が少ない割には、当時の茶花の使用動向を多少は反映していると言えそうだ。

『砂鉢生花伝』
 『砂鉢生花伝』は、岡部景忠によってまとめられ、安永四年(1775)に刊行された図を主とした花伝書である。花材は、図と文章に記されており、100ほどの花材名が記されており、そのうち84種を現代名にした。なお、『砂鉢生花伝』の花材は、絵のある植物名を確定しやすいが、文章中の花材名だけの記載には多少不安がある。
  新しい花材として、次の7種の植物がある。
  「岩かがみ」は、イワウメ科のイワカガミとした。
 「鳳尾草」は「うらじろ」と仮名が付され、イノモトソウ科のイノモトソウとした。
 「さつまきく」は、キク科のエゾギクとした。
  「豌豆」は、マメ科のエンドウとした。
  「慈姑」は、オモダカ科のクワイとした。
 「石斛」は、ラン科のセッコクとした。
 「蕨」は、ウラボシ科のワラビとした。
  『砂鉢生花伝』に記された花材は、タイトルから砂鉢で使用する植物だけかと思ったが、必ずしも砂鉢で使用する植物にこだわってない。特にイワカガミやエンドウなどの新しい花材は、砂鉢ならではの花材とは思えない。
  次に、『砂鉢生花伝』の花材を十八世紀後半の茶会記に記された茶花と対照させると、含まれる種は83種中28種と3分の1割程度含まれている。使用頻度11位までの茶花は9種、23位まででは17種と比較的含んでいる。使用頻度の高い茶花は含んでいるものの、使用頻度の低い茶花は少ない。

『稽古百首』
  『砂鉢生花伝』の次の『稽古百首』は、安永四年(1775)に刊行されたもので、上中下に分かれている。花材は、中の図に主に記されており、その数は50に満たないため検討を省く。

『瓶花百々枝折』
  『瓶花百々枝折』は、前後2冊からなるが、前偏は『瓶花群載』と同じで、後編が記されている。花材は、図に記されているが、45図と少ないため、検討を省く。

『古流生花四季百瓶図』
 『瓶花百々枝折』に続く『古流生花四季百瓶図』は、是心軒一露により作成され、安永七年(1778)に刊行された。花材は図の中に示され、75ほどの花材名が記されており、そのうち70種を現代名にした。なおこの書は、図が正確に描かれていないため、描かれた植物に付けられた名称をそのまま信じてよいか迷う。たとえば「山茱茰」と読める植物、図はサンシュユのよな気がするが、確信は持てない。他にも、「那義」はナギに似た葉が描かれているが、花は少々違うようである。「はしはみ」は見ようとすればハシバミと見ることはできるが、図が正確でないため、他の植物の可能性がある。このように、判断しにくい花材がいくつもある。
  『古流生花四季百瓶図』は、花材の資料として全面的に信じるには問題があるものの、これまで登場しない新しい花材がいくつかある。そこで、かなり不安はあるが示すことにした。以下のようになる。
  「しら雲木」は、エゴノキ科のハクウンボクとした。
  「ふたり志つか」は、センリョウ科のフタリシズカとした。
  「仏桑花」は、アオイ科のブッソウゲ(ハイビスカス)とした。
  「たまの緒」は、ベンケイソウ科のミセバヤとした。
 「雪餅草」は、サトイモ科のユキモチソウとした。
  これらの他に、「伊勢椿」イセツバキがある。「伊勢椿」は、『花彙』『四季賞花集』『本草綱目啓蒙』『本草図譜』『草木図説』などの書に記されている。ツバキは園芸品種が多く、その中でもイセツバキは、江戸時代での取り扱いは別格であったが、現代ではあまり取り上げられない品種である。また、『牧野新日本植物図鑑』にも記されていない。さらに、茶花としてもあまり使用されなかったことから、総称的に分類しているツバキの中に含め、新しい花材とはしない。
  次に、『古流生花四季百瓶図』の花材を十八世紀後半の茶会記に記された茶花と対照させると、含まれるものは34%と半数には満たない。使用頻度11位までの茶花は8種、23位まででは14種と半数程度である。上位23種から見ても、十八世紀後半の茶花を反映しているとは言えない。

『挿花故実化』
 『挿花故実化』は、『古流生花四季百瓶図』と同じ年、安永七年(1778)に刊行された。『挿花故実化(ソウカコジツカ)』は「こじつけ」と茶化しているように、「自叙」の中で、「予曰我貧亦賤」のために、花も花器も買うことなく活けたとある。したがって、身の回りにある雑多の器に出来合いの植物を活けたため、通常では使用されないような、それまでにない新たな花材がいくつも出現する。
  この書の花材は、図の中に百ほどの花材が記されており、そのうち76種を現代名にした。この書の図は、葉の付き方や鋸歯などの描き方が雑で、また、名称も独自に付けたのではと思われる花材がいくつかある。たとえば、花名として「黄金花」と記された図は、「金銭花」ではないかと思われる植物が描かれている。「黄金花」を「おうごんか」「こがねばな」と読むとすれば、そのような植物は『新日本植物図鑑』などに記されていない。さらに、「金銭花」らしいと推測したが、その「金銭花」もこれまで見てきたあまり正確ではない華道書の図を参考にしている。そもそも、当時「金銭花」と呼ばれている植物は、現代のキンセンカとは異なる植物である。そこでここでは、「黄金花」をキンセンカとするものの、違う可能性があることを断っておきたい。
  以上のような疑問はあるものの、新しい花材を示すと以下のようになる。
  「かぼちやの花」は、ウリ科のカボチャとした。
 「砂参」は、図から判断するとツリガネニンジンではない。丈の低いヒメシャジンなどのキキョウ科の植物である。詳細な種名は判断できないので、総称名としてシャジンとした。
 「志そのミ」は、シソ科のシソとした。
  「しようが」は、ショウガ科のショウガとした。
  「そばの実」は、タデ科のソバとした。
  「なすひ」は、ナス科のナスとした。
  「天人菊」は、キク科のテンニンギクとした。
  「つりふね草」は、ツリフネソウ科のツリフネソウとした。
 「鳳凰竹」は、イネ科のホウオウチクとした。
 「薮そてつ」は、オニソテツ科のヤブソテツとした。
  「羅漢まき」は、マキ科のラカンマキとした。
  次に、『挿花故実化』の花材を十八世紀後半の茶会記に記された茶花と対照させると、含まれるものは23%しかなく極めて少ない。使用頻度11位までの茶花はたった4種、23位まで広げても8種しか含まれていない。したがって、上位23種から見ても、十八世紀後半の茶花を反映しているとは言えない。

『美笑流活花四季百瓶圖』
  『美笑流活花四季百瓶圖』は、安永九年(1780)に藤原正甫によって作成された。四季百瓶圖とあるように、百の図が描かれているものの、同じ花材が多く、種類は50に満たず少ない。新しい花材もないため検討を省く。

『生花草木出生傅』
 『生花草木出生傅』は、是心軒一露によって天明五年(1785)に刊行された。内容は理論書、花材は図に55程記され、50を現代名にした。新しい花材として次の2種がある。
  「三角菅藺」は、イネ科のサンカクイとした。
  「金雀萩」は、後述の『古流挿花湖月抄』にも記されており、マメ科のムレスズメとした。なお、『生花枝折抄』に登場する「金雀花」はエニシダとしており、「金雀萩」と「金雀花」の違いの判断は再度検討する必要がある。

『碑銘抄』
 『碑銘抄』は、天明六年(1786)に刊行された。図に花材は描かれているものの、種類は少なく、新しい花材もないので検討を省く。

『古流挿花湖月抄』
 『古流挿花湖月抄』は、注として「本書は、寛政二年に「生花出生伝」として刊行され、後明治になって表題「古流挿花湖月抄」内題「生花独稽古」として刊行されたものと思われる」とある。花材については、「四季草木出生之事」として、花材の解説があり、その中に別名も示されている。そのため、参考になりそうなので検討することにした。
  この書に登場する花材の大半は『生花枝折抄』に記された名称を参考にしているようだが、一部には異なる表示もある。たとえば「黄精」との表記、『生花枝折抄』では「ささゆり」と仮名がふられているが、この書では「なるこゆり」とある。『新日本植物図鑑』によれば、漢名の「黄精」は、同属の別種で支那特産と記されている。では、この書の「黄精」は何を指しているかを考察すると、「黄精」の前に、「蔃(草冠に瞿)」を記し「さらゆり」と附している。この「蔃(草冠に瞿)」は『抛入花傳書』にも記されており、ササユリである。したがって、同じ植物が続くことはないだろうから、この書の「黄精」は、ナルコユリを指していると考えてよいだろう。
 次に、「慈茹」と「澤潟」。「慈茹」には「をもだか」と仮名があるが、「澤潟」には仮名がなく、「人慈茹に混ず」とある。「慈茹」と「澤潟」は異なることはわかったが、『新日本植物図鑑』によれば、漢名の「慈茹」はクワイである。『抛入花傳書』『生花枝折抄』では、「慈茹」はオモダカである。そのため、「慈茹」はオモダカと思われるが、『甲陽生花百瓶図』では「澤潟」がオモダカである。どうやら双方が混乱しているらしく、現代では「慈茹」がクワイ、「澤潟」がオモダカである。しかし、この書では反対となっていることから、ここでは表示に従い「慈茹」をオモダカとした。
  同様に混乱していると思われる表記に、「合歓」と「夜合」がある。「合歓」は「ねむのき」と仮名がある。「夜合」には「べにすかし」と振られている。「夜合」は記述の流れから、ユリの仲間と思われるが、一応検討する。「夜合樹」は漢名でネムノキである。『花譜』には、ネムを「夜合と云」とあり、『百瓶華序』では「夜合花」がネムノキである。そのため、「夜合」がネムノキである可能性は完全に否定できないが、この書では「合歓」をネムノキとする。それでは、「夜合」は何であるか、振り仮名から、スカシユリと思われるものの、確証はない。
  また、アヤメとハナショウブなどの記述について示す。『古流挿花湖月抄』には、「一ハあやめはな菖蒲鳶尾」との記述がある。「一ハ」はイチハツ、「あやめ」はアヤメ、「はな菖蒲」はハナショウブであろう。したがって、「鳶尾」は「一ハ」とは異なる植物と考えられるが、「鳶尾」に対応する植物の現代名(イチハツの他に)は見つからない。さらに、「燕子花一ハ菖花紫蘭他偸草花菖蒲射干鳶尾」との記述もある。「燕子花」はカキツバタ、「一ハ」はイチハツ、「菖花」はアヤメ、「花菖蒲」はハナショウブであろう。「射干」はシャガで、続いて再び「鳶尾」が記されている。以上の他にも、迷う花材がいくつかあるなかで140程の中から131種を現代名にした。その中で新しい花材として、以下の5種がある。
 「山礬」は、ツツジ科のアクシバとした。
 「紫羅欄」は、アブラナ科アラセイトウとした。
 「變豆菜」は、イチヤクソウ科のウメガサソウとした。
 「金糸梅」は、オトギリソウ科のキンシバイとした。
  次に、『古流挿花湖月抄』の花材を十八世紀後半の茶会記に記された茶花と対照させると、含まれるものは51%と半数ある。使用頻度11位までの茶花は10種、23位まででも19種含まれている。上位23種から見ても、十八世紀後半の茶花をよく反映していると言える。

『小篠二葉傅』
 『小篠二葉傅』は、『華道古書集  第一期第四巻』の最後の書で、五大坊卜友によって天明七年(1787)に作成され、寛政元年(1789)に刊行されている。花材は、春夏秋冬に分けた百図の中に60程記され、55種を現代名にした。
  現代名の確定に迷った花材を示す。これまで「連翹」はレンギョウ、「連珠(鷹爪)」は『生花百競』ではレダマとした。『小篠二葉傅』には、「連翹」と「連珠」が描かれているが、図の「連珠」はマメ科レダマとは異なって見える。この書の「連珠」はレンギョウと同じような植物に見える。描いた本人は、「連翹」と「連珠」を違う植物と分けているつもりかもしれないが、私にはその違いを判別することは困難である。
 「菅中」と図に書かれた植物を見ると、萱草類であることがわかる。夏の花であること、花の形から、ユリ科ノカンゾウとしたが、多少不安がある。
 その他の新しい花材として、以下がある。
 「志ゆろ竹」は、イネ科のシュロチクとした。
  「なつ藤」は、マメ科のナツフジとした。
イメージ 1