『花暦』2

森鷗外ガーデニング  10
『花暦』2

 では、『花暦』に記された花を紹介しよう。
・一頁
二月十五日 
 『花暦』に登場するの最初の花は、ウメである。バラ科の落葉樹、紅梅であろう。
 この年は、寒かったようで、開花が遅い。明治三十一年の日記によると、二月四日に咲いている。ウメの花は、積算気温によって咲く。暖かい年では一月に咲いたという記録もあるが、年によって差が大きい。
 ウメの木は、敷地の北側や東側などに、何本かあったよう だ。その中でも、「三畳のすぐ脇にある紅梅には一時ひどく 虫がついて父を心配させ、人を呼んで葉に薬をかけてやった事もある。」(娘・杏奴『晩年の父』より)というように、鷗外はウメがことの他気がかりだったようだ。
 日記にも、「もろこしを綻びさせて梅の花」(明治二十八年元日、大連灣柳樹屯で)とか、「二十三日。日曜日。廣壽山に遊ぶ。・・・茶店に小憩し、近村の梅花を看て還る。」(明治三十五年二月、荒木志げと再婚し、小倉へ夫婦で赴任して間もない日に)など、しばしば記録されている。
二月十五日 沈丁花 
 同じ日に、ジンチョウゲが咲く。「沈丁花」は、ジンチョウゲ科の常緑低  木。紫色の花で、香りが強く、春の到来を印象づける花である。中国から渡来した植物で、漢名は「端香」。ちなみに、ジンチョウゲをチンチョウゲと間違えて呼ぶ人が多いが、これは誤り。       
三月十日 馬酔木
 鷗外は、花の名前を漢字で書くことが多い。容易に読めないような植物もよく登場する。「馬酔木」は、「あしび」もしくは「あせび」と読む。現代の植物名は、ツツジ科の落葉低木「アセビ」である。「あしび」は古名で、「あせぼ」などとも言う。
 「馬酔木」は、漢字で書くものの漢名ではない。アセビは、日本原産の植物で中国には自生しないからだ。「馬酔木」の字源は、万葉集に遡る馬がアセビの葉を食べると、中毒することから「馬酔木」になったと言 われている。また、アセビには毒性があるので、アセビの語源は、アシシビレが詰まったものとか、アシ(悪)ミ(実)からきた、などと言う説もある。 
三月二十日 椿
 鷗外の庭には、「姫椿」「玉椿」などの椿が植えられていたようだ。ただ、これらの名は、正式な植物名ではない。森家では、オトメツバキのことを「姫椿」とも呼んでいたようだ。オトメツバキは、ツバキ科のユキツバキの園芸品種で、江戸時代の終わり頃に出現したとされている。「玉椿」がどのようなツバキであったかは、不明おそらく、花びらが完全に開かず、球形をしたものだろう。
 鷗外が書いた「椿」は、国字であって、漢名ではない。万葉以前は、ツバキには「海柘榴」や「山茶」という字が当てられていた。万葉時代になって「椿」が登場する。「椿」は、日本の春に咲く花で、最も美しく、春を象徴するということから「木」ヘンに「春」を充てたのであろう。
イメージ 1三月二十日 木瓜 
 「木瓜」は、バラ科落葉低木のボケ。中国原産、漢名は貼梗海棠。「木瓜」をなぜ「ボケ」と読むようになったか。当初は「もくくわ」と読み、それが「もくか」となり、さらに「もけ」、そして最終的に「ぼけ」となったようだ。


イメージ 2三月二十日 ミヅキ 
 ここに登場する「ミヅキ」は、大木になるミズキ科のミズキではない。それであれば開花は五月のはず。三月には咲かない。したがって鷗外の記した「ミズキ」とは、マンサク 科の落葉低木であるトサミズキか、ヒュウガミズキであろう。トサミズキもヒュウガミズキも国産の花だが、花の美しさから言えばヒュウガミズキの方が上だ。だから、鷗外の庭に咲いていたのは、ヒュウガミズキではないだろうか。
三月二十五日 連翹  
 「連翹」はモクセイ科の落葉小低木・レンギョウレンギョウウツギ)。鷗外の庭に植えられていたレンギョウは、たぶん、江戸時代以前に中国から渡来したレンギョウであろう。現在よく見かけるレンギョウは、多くはチョウセンレンギョウである。なお、レンギョウには国産のヤマトレンギョウもある。
四月一日   
 この日、鷗外の庭に咲いた「桃」は、甘く大きな実がなるモモはない。子供達の記録によると、モモの実を食べたということはないが、種子はあったという。おそらく、中国から渡来したバラ科の落葉樹のモモか、江戸時代に改良された園芸品種であろう。
イメージ 3四月一日 木蘭 
 「木蘭」は、開花時期から見て、ハクモクレンだろう。ハクモクレンは、紫色のモクレン(シモクレン)より咲く時期が早い。漢名は玉蘭で、古く中国から渡来している。




四月一日 蕓薹イメージ 4
 「蕓薹」は、字を見ただけでは、何のことかまったくわからない。四月の初めに咲く花ということで調べるうちに、アブラナの一種にウンタイアブラナという花のあることがわかった。ウンタイアブラナ
アブラナ科の一年生草本。つまり咲いていたのは「菜の花」であった。当時、一般に栽培されていたのは、アブラナよりウンタナイアブラナが多かったので、鷗外が見たのもこの花の可能性が高い。しかし、アブラナは漢名で蕓薹を当てることから、アブラナの可能性も考えられる。
四月三日 ヒイラギナルテン 
 「ヒイラギナルテン」は、メギ科の常緑低木・ヒイラギナンテン(柊南天)。別名トウナンテンとも言うように、江戸時代に中国から渡来したものである。
四月三日 ヒュアシント   
 「ヒュアシント」は、ユリ科の多年生草本ヒヤシンス(Hyacinthus)。一名をニシキユリ。明治時代には、ヒアシント、ヒヤシントともいったようだ。
  鷗外は、『サフラン』の中で「硝子戸の外には、霜雪を凌いで福壽草の黄いろい花が咲いた。ヒヤシントや母貝も花壇の土を裂いて葉を出しはじめた。書斎の内にはサフランの鉢が相変わらず青々としてゐる。」と、書いている。これは、自庭の様子であろう。
四月三日 キチジ草 
 「キチジ草」とは、フッキソウ(富貴草)のことであろう。
  なお、「吉祥草」と書かれる植物には、キチジソウとキチジョウソウがある。和名の吉祥草は、フッキソウの別名でキチジソウ。ツゲ科の常緑低木である。漢名の吉祥草はキチジョウソウでユリ科の多年生草本、秋に開花する。開花時期から考えて、「キチジ草」はフッキソウであろう。
イメージ 5四月四日 貝母
 「貝母」は、ユリ科の多年生草本バイモ。原産は中国で、貝母は漢名。和名はアミガサユリ(編笠百合)という。バイモは、早春に他の植物に先立って芽をだすことから、鷗外が注目した植物である。小説『サフラン』の他、鷗外の日記にも度々登場している。