花譜の植物名4

花譜の植物名4
3 中国の資料を見ていない植物2
・「蝦根」・・・目録に「エビネ」、本文に「えびね」と仮名が振られている。「蝦根」はエビネ(ラン科)であろう。
 エビネの初見は、『資料別・草木名初見リスト』(磯野直秀)によれば、『山科家礼記』(1491年)とある。
 花材としての初見は『山科家礼記』で、茶花としての初見は、『松屋会記』1630年(寛永七年)で「エヒネ」と記される。

・「荒世伊登宇」・・・目録に「アラセイトウ」、本文に「あらせいとう」と仮名が振られている。「荒世伊登宇」はアラセイトウアブラナ科)と思われる。
 アラセイトウの初見は、『資料別・草木名初見リスト』(磯野直秀)によれば、『草木写生』(1660年)とある。
 花材としての初見は、『源氏活花記』1765年(明和二年)で「紫羅蘭花」と記される。

・「仙臺萩」・・・目録に仮名が振られ「・・ハギ」、本文には仮名はない。「仙臺萩」はセンダイハギ(マメ科)とする。
 センダイハギの初見は、『資料別・草木名初見リスト』(磯野直秀)によれば、『毛吹草』(1645年)とある。
 花材としての初見は、『立花大全』1683年(天和三年)で「仙臺萩」と記される。

・「草牡丹」・・・目録および本文にも仮名はない。「草牡丹」はクサボタン(キンポウゲ科)とする。
 クサボタンの初見は、『資料別・草木名初見リスト』(磯野直秀)に記されていない。
 花材としての初見は、『華道全書』1717年享保二年)で「草牡丹」と記される。

・「鉄線花」・・・目録に「テツセン」、本文に「てつせん」と仮名が振られている。「鉄線花」はテッセン(キンポウゲ科)とする。
 テッセンの初見は、『資料別・草木名初見リスト』(磯野直秀)によれば、『文明本節用集』(1500年頃)とある。
 花材としての初見は、『替花伝秘書』1661年(寛文元年)で「鐵線花」と記される。
 茶花としての初見は、『松屋会記』1631年(寛永八年)で「テツセン花」と記される。

・「白丁花」・・・目録に仮名はなく、本文に「はくちやうけ」と仮名が振られている。「白丁花」はハクチョウゲ(アカネ科)とする。
 ハクチョウゲの初見は、『資料別・草木名初見リスト』(磯野直秀)によれば、『山科家礼記』(1491年)とある。『山科家礼記』(延徳三年)に『ハクチヤウケ」と記される。
 「白丁花」と記されたのは、『池坊専応口伝』1542年(天文十一年)である。

・「小藤」・・・目録に仮名が振られ「コフジ」、本文には仮名はない。「コフジ」の植物名を捜すが、『牧野新日本植物図鑑』にはない。『樹木大図説』のニワフジマメ科)の記載の中に、「花譜にはコフヂとあり・・・」とある。そこで、『牧野新日本植物図鑑』を見ると、ニワフジは別名イワフジとある。「小藤」はニワフジマメ科)らしいと推測するが、確証はない。
 花材としての初見は、『砂鉢生花傳』1774年(安永三年)で「岩藤」と記される。その他にも「岩藤」は、『華嚴秘傳之大事』『生芲傳』『花の巻』などに記される。

・「下毛」・・・目録に「シモツケ」、本文に「しもつけ」と仮名が振られている。「下毛」はシモツケバラ科)とする。
 『資料別・草木名初見リスト』には記載がなく、花材としての初見は、『替花伝秘書』1661年(寛文元年)で「下野」と記される。「下毛」と記されたのは、『抛入花薄精微』1796年(寛政七年)である。
 茶花としての初見は、『松屋会記』1586年(天正十四年)で「シモツケ」と記される。

・「卯花」・・・目録および本文にも仮名はない。「卯花」はウツギ(ユキノシタ科)とする。
 ウツギの初見は、『資料別・草木名初見リスト』(磯野直秀)によれば、『新撰字鏡』(900年頃)とある。
 花材としての初見は、『仙伝抄』1445年(文安二年)で「うつ木」と記される。「卯花」と記されたのは、『池坊専応口伝』1542年(天文十一年)である。
 茶花としての初見は、『天王寺屋会記・他会記』1580年(天正八年)で「卯の花」と記される。

・「壇特花」・・・目録に「ダントククハナ」、本文に「だんとくはな」と仮名が振られている。「壇特花」はダンドク(カンナ科)とする。
 ダンドクの初見は、『資料別・草木名初見リスト』(磯野直秀)によれば、『花壇綱目』(1664年)とある。
 花材としての初見は、『立花秘傳抄』1688年(貞享五年)で「だんどく花」と記される。
 茶花としての初見は、『隔蓂記』1647年(正保四年)で「壇特花」と記される。

・「東浦塞牽牛花」・・・目録に「カンボチヤアサカホ」、本文に「かぼちやあさかほ」と仮名が振られている。「東浦塞牽牛花」は、十七世紀末頃に「カンボチヤアサカホ」と呼ばれていた植物であろうが、『牧野新日本植物図鑑』には記載されていない。アサガオの一種であろうが、正確な名前は不明である。花材や茶花としての使用は認められない。

・「茶蘭」・・・目録および本文にも仮名はない。「茶蘭」はチャラン(センリョウ科)とする。
 チャランの初見は、『資料別・草木名初見リスト』(磯野直秀)によれば、『草花魚貝虫類』(1680年)とある。
 花材としての初見は、『生花枝折抄』1773年(安永二年)で「孩兒菊」と記される。

・「白粉花・・・目録に「ヲシロイ」、本文に「をしろいはな」と仮名が振られている。「白粉花」はオシロイバナオシロイバナ科)とする。
 オシロイバナの初見は、『資料別・草木名初見リスト』(磯野直秀)によれば、『花譜』(1698年)とある。
 花材としての初見は、『生花枝折抄』1773年(安永二年)で「紫茱荊」と記される。

・「鹿鳴草」・・・目録に「ハギ」、本文に「はぎ」と仮名が振られている。「鹿鳴草」はヤマハギマメ科)と推測されるが、総称名のハギとする。
 ハギの初見は、『資料別・草木名初見リスト』(磯野直秀)によれば、『万葉集』(785年前)とある。
 花材としての初見は、『仙伝抄』1445年(文安二年)で「はぎ」と記される。「鹿鳴草」と記されたのは、『抛入花薄精微』1796年(寛政七年)である。
 茶花としての初見は、『天王寺屋会記・自会記』1559年(永禄二年)で「萩」と記される。

・「女郎花」・・・目録に「ヲミナヘシ」、本文に「をみなへし」と仮名が振られている。「女郎花」はオミナエシオミナエシ科)とする。
 オミナエシの初見は、『資料別・草木名初見リスト』(磯野直秀)によれば、『万葉集』(785年前)とある。
 花材としての初見は、『仙伝抄』1445年(文安二年)で「女郎花」と記される。
 茶花としての初見は、『三菩提院御記茶会記』1686年(貞享三年)で「女郎花」と記される。

・「千日紅」・・・目録および本文にも仮名はない。「千日紅」はセンニチコウヒユ科)と思われる。
 センニチコウの初見は、『資料別・草木名初見リスト』(磯野直秀)によれば、『花壇綱目』(1664年)とある。
 花材としての初見は、『伊達綱村茶会記』1701年(元禄十四年)で「千日草」と記される。「千日紅」と記されたのは、『生花百競』1768年(明和五年)である。
 茶花としての初見は、『伊達綱村茶会記』1701年(元禄十四年)で「千日草」と記される。