花譜の植物名5

花譜の植物名5
・「三波丁子」・・・目録および本文にも仮名はない。
 「三波丁子」では『牧野新日本植物図鑑』に手がかりがなく、花伝書を見ることにした。
 『華道全書』1695年元禄八年に、「三波丁子」がセンジュギク(キク科)であることがわかった。再度『牧野新日本植物図鑑』から「三波丁子」がセンジュギク=アフリカンマリーゴールドであると推測する。なお、『資料別・草木名初見リスト』にセンジュギクの記載がない。

・「螺厴草」・・・目録に「マメヅル」、本文に「まめづる」と仮名が振られている。
 『牧野新日本植物図鑑』に類似する名としてマメヅタ(ウラボシ科)を見る。その中に「螺厴草」を確認し、「螺厴草」はマメヅタであると推測する。なお、『資料別・草木名初見リスト』および花伝書にも記載はない。

・「知風草」・・・目録に「カゼクサ」、本文に「かぜくさ」と仮名が振られている。「知風草」はカゼクサ(イネ科)と思われる。『牧野新日本植物図鑑』のカゼクサ(イネ科)の記述に「知風草」が記されている。
 カゼクサの初見は、『資料別・草木名初見リスト』(磯野直秀)によれば、『本草名物附録』(1672年?)とある。花伝書に花材としての記載はない。

・「賢木」・・・目録に「サカキ」、本文に「さかき」と仮名が振られている。「賢木」はサカキ(ツバキ科)とする。
 サカキの初見は、『資料別・草木名初見リスト』(磯野直秀)によれば、『古事記』(712年)とある。
 花材としての初見は、『山科家礼記』1492年(明応元年)で「サカキ」と記される。

・「榧」・・・目録に「カヤ」、本文に「かや」と仮名が振られている。「榧」はカヤ(イチイ科)とする。
 『資料別・草木名初見リスト』にカヤの記載はない。
 花材としての初見は、『仙伝抄』1445年(文安二年)で「かや」と記される。

・「杉」・・・目録に仮名が振られ「スギ」、本文には仮名はない。「杉」はスギ(スギ科)とする。 スギの初見は、『資料別・草木名初見リスト』(磯野直秀)によれば、『古事記』(712年)とある。
 花材としての初見は、『仙伝抄』1445年(文安二年)で「杉」と記される。

・「梅茂登岐」・・・目録に「ムメモトキ」、本文に「むめもどき」と仮名が振られている。「梅茂登岐」はウメモドキ(モチノキ科)とする。 
 ウメモドキの初見は、『資料別・草木名初見リスト』(磯野直秀)によれば、『お湯殿の上の日記』(1572年)とある。
 花材としての初見は、『替花伝秘書』1661年(寛文元年)で「梅嫌」と記される。

・「椿」・・・目録に「チン」、本文に「ちん」と仮名が振られている。「椿」はチャンチン(センダン科)とする。
 チャンチンの初見は、『資料別・草木名初見リスト』(磯野直秀)によれば、『尺素往来』(1481年前)とある。花伝書に花材としての記載はない。

・「金橘」・・・目録に「キンカン」、本文に「きんかん」と仮名が振られている。「金橘」はキンカン(ミカン科)とする。
 キンカンの初見は、『資料別・草木名初見リスト』(磯野直秀)によれば、『下学集』(1444年)とある。花伝書に花材としての記載はない。

・「拘杞」・・・目録に「クコ」、本文に「くこ」と仮名が振られている。「拘杞」はクコ(ナス科)とする。
 クコの初見は、『資料別・草木名初見リスト』(磯野直秀)によれば、『新撰字鏡』(900年頃)とある。花伝書に花材としての記載はない。

4『花譜』の不明な植物名
 『花譜』の197の植物名は、すべてを現代名にすることができなかった。益軒の周りには200種以上の植物が生育し、『花譜』に記した植物は実際に栽培していたと思われる。それらの植物名は、筑紫の方言があったり、当時通俗的に呼ばれていたものが大半を占めていたであろう。しかし、作成当時とは三百年以上経過した現代では、呼び方が変わっているのは当然であり、不明な植物名が出てくる。そこで、『牧野新日本植物図鑑』などに記されていない植物名を以下に示す。
・「海紅花」
 「海紅花」には、目録に「クレナイノサザンカ」、本文に「くれないのさざんか」と仮名が振られている。「海紅花」の前の項に「茶梅花」と、サザンカ(ツバキ科)が記されている。あえて種類が異なるとして記したのだろう。だが、「海紅花」「クレナイノサザンカ」に該当する植物名は、『牧野新日本植物図鑑』には記載がない。仮名から推測して、紅色のサザンカ(ツバキ科)ではなかろうか。また、『樹木大図説』に記されたサザンカの品種表にも記載がない。
 現代では、ツバキと同様に良く知られた植物である。ツバキの初見は、『資料別・草木名初見リスト』(磯野直秀)によれば『古事記』(712年)とかなり古い。しかし、サザンカの初見は、日葡辞書(1603~4年)とかなり新しい。同じ国産の植物であるのに、サザンカの名前が認識されなかったか不思議である。サザンカが知られるようになったのは確かに遅く、茶会記でのサザンカの初見は1605年、「山茶花」と『古田織部茶書』(慶長十年十月十日付)に記されている。花材としては1694年で、『當流茶之湯流傳集』に「茶山花」と記されている。サザンカは益軒にとって珍しく、紅色の花が特に気に入っていたために記したのではなかろうか。

・「東浦塞牽牛花」
 この植物には、目録に「カンボチヤアサカホ」、本文に「かぼちやあさかほ」と仮名が振られている。『牧野新日本植物図鑑』には記載されていない。インターネットで「カンボジアアサガオ」を検索すると、濃い藍色の花のアサガオがある。蔓は垂れ下がり、通年咲いているらしい。「東浦塞牽牛花」は、益軒の庭に生育していたと思われ、たぶん写真のようなアサガオであろうと推測した。
 さらに、インターネットからマルバアサガオ(Ipomoea purpurea)であることが記されている。http://mg.biology.kyushu-u.ac.jp/strain-sibling.php
「日本へは江戸初期に長崎に導入され、東浦塞牽牛花(かんぼちゃあさがお)、福岡では八つ房と呼ばれていたという。」とある。
 なお、『大和本草』には、「七八月開細紅形」とある。この記述を受けてか、『中村学園貝原益軒アーカイブ』では、「カホチャアサカホ、るかうさう」と記している。益軒が見たのは、ルコウソウヒルガオ科)てあったのかもしれない。

・「夏菊」「寒菊」
 「夏菊」「寒菊」には、序文および本文にも仮名は振られていない。『牧野新日本植物図鑑』にはナツギクの記載はない。「夏菊」の説明で「其品種四十種ほどあり」とあるように、夏期に咲くキクを総称しているものだろう。したがって、キクとして総称名とする。
 「寒菊」は、『牧野新日本植物図鑑』によれば「アブラギクから園芸化してできたもの」とある。益軒の記した「寒菊」が園芸品種であるとの確証はなく、「夏菊」と同様、冬期に咲いている菊を指しているものと推測する。

・「彿甲草」  
 「彿甲草」は、目録に「イハレンゲ」、本文に「いはれんけ」と仮名が振られている。「彿甲草」の説明に、「三種あり』と記されている。『牧野新日本植物図鑑』を見ると、イワレンゲ(ベンケイソウ科)らしき植物に、メノマンネングサ891(仏甲草)とイワレンゲ911(岩蓮華)などがある。類似した植物の総称として「彿甲草」としたのであろうか。種名は確定できない。

・「木國」
 「木國」は、序文および本文にも仮名は振られていない。常緑で庭に良く植えられている樹木らしい。これだけの情報ではよく分からない。そこで、「木國」を「キコク」と読めば、カラタチ(バラ科)ではないかと推測できる。そこで、『大和本草』に「木國」を捜すが、見つけることができなかった。なお、薬木類に「枳実枳殻」、カラタチが記されているが、「木國」との関係を類推する記述はない。「木國」は、カラタチを指しているとような感じがするものの、裏付けができないことから種名は確定できない。