★花火(安永二年五月・六月)

江戸庶民の楽しみ 29
★花火(安永二年五月・六月)
五月
朔日 繊雨折々七半ころより蕭雨
夏至二日 淫霖森々夜大猛
三日  大陰暁雨鎮昼過より日出雲漸次霽                           四日 雲夜七半頃地震せし由しらす 
五日 雨森漫
六日 陰朝繊雨少
七日 曇夜四半頃よハき地震
八日 陰次第に蒼天出夕にはるゝ
○文より朝鮮石竹貰フ○園の隠元小豆を取る
九日 大晴白雲流暑
○岩崎に鉢殖貰ふ
十日 快晴
○水分石小亭旧偏額の文字を改め蠱上庵と名付、聯字と共に啜龍たのみ崎陽の人東奚に文字書せ
十一日 晴れて雲あり南風颯々月色清明
十二日 暁より南風はけしく雨つよし少しあれ昼より少し風鎮る日折々出夕又雲風颯々
十三日 陰
駒込下館へ引移度願、今朝出す
十四日 快晴大烈暑南風月色殊清
十五日 快晴大烈暑今年の熱気南風月色清明
○園の隠元小豆を取、新堀へ遣す
○梅鉢うへ三ツ明目染井へ遣ハす、蟻の付たる海石榴を殖かへ蟻を殺す
十六日 快晴白雲満極熱烈暑月大清夜大熱不寝
十七日 快晴大烈暑月色大清
十八日 炎烈如火尾月色如昼
十九日 快晴大烈暑夕白雲流晩色紅月如昼
隠元小豆をとる
二十日 炎烈日々劇し大快晴
○玄杏水竹鉢置を貰ふ
廿一日 快晴大暑白雲如水
廿二火 朝鬱雲多次第晴大烈暑。朝四過ハラハラ少夜明前より時雨少
二十三日 一面陰蒸気強四前より小雨頓而雨沛然、無程止折々時雨至東風林樹に渡る
○六半前お隆駒込へ移る、喬松院・幾浦・住・中・筆・石・高・もよ、不残お律もうつる、治衛門・仙順供○啜龍・珠成六前より来○六半駒込へうつる、多田・立三供
○四ツ前より奥より庭へ出、かへりに雨至、蠱上亭にて暫休む
廿四日 南風雲走日は照りなから繊雨折々止、澍声爽々四過時雨大至忽快晴又折々雲出風払澍て如秋
○早朝藤代の根の萌楓を取り○夕かた庭にて松・楓・もみの萌を取る
○昨夜ぼの螢をお隆へ進む
廿五日 晴南風爽々弧雲飛如馳七比少しないふる
○妹背山草を除○鉢殖の草花を畑へ殖、山の百合を石台へ移す○夕花畠へ出
廿六日 快晴雲如流天気改暑強
○七より水分石の樹を作り、妹背山の松を作り暮て帰
廿七日 陰雲多五過ハラハラ少至忽止
○朝庭を廻る
○万年青木を庭へ植る○大谷に千染楓貰ふ○正平・喜太夫・助衛門に庭を見せる
廿八日朝涼し四前よりうす曇蒸暑強七前東より雲帰忽東風大快晴
廿九日 朝うす曇六過きて村雨ふる村雨折々至日出ては又ふる涼雨至四前日色出昼晴大暑酉風漸夜雨少
○朝珠成同道、園中へ出、藤代山にて騒雨至、樹下に休み
卅日  雲多天晴て折々涼雨いたり勿止八前より快晴
○国より来る石燈籠を庭へ立る○六義園絵巻物に仮山水を見合せ、園中を廻る
○石燈籠をとほす

六月
朔日 白雲流れ暑一面曇り九過より小雨食次まて霽又陰夕かた快晴
○昼ませ子高橋亀吉来、庭を見せ路次より呼て見る
二日 陰蒸暑日色出ず八半頃より繊雨折々暮より森々終酔ます
○藤代の草・水分石の芝を刈る○木を作る
三日 暁朝やけつよく大猛雨はこひ一時計五比より小雨又大澍勿雨蕭々昏大猛雨大暑
○海石榴の鉢の台二つ倒れたるを知らす、今夕浅見出し木を植、台を居なをす
四日 快晴雲出次第はるゝ
○今日より五加松をつくる
五日 大陰蒸暑強八過雲霄快晴
○藤代の梺の芝を刈らしむ○同所の松をつくる
六日  大に陰に暁かた霧ふかくをかしき朝朗也蜩声頻に聞ゆ○蒸暑昼より大快晴
○松を作る○妹背山にて蜈蚣を取る○今朝森衛門に女郎花・桔梗貰ふ
七日  快晴暑炎熱
○松をつくる○弥三郎へ□し蘭来○華柘榴を長純に貰ふ
○夜妹背山にて花火をとほし仙宅妻を呼に、たをつかハし、早速来、夫より盤上亭へ行、四比帰、夜仙宅出
○庭へ涼台出す
八日 快晴西風大暑昏少地震妹背山に在りて雉頻になくゆへないふる事をしる
○茶蘭鉢殖をほのに貰ふ○幾浦に柾いさ葉貰ふ○夕松をつくる
○夜いもせ山にて花火をとほす
九日 大烈暑焔熱たえかたし昏前東方雲散し夕照
○上館菊を堀、清八持参、畑へ殖○松を作り雑木を裁る
○酷暑、妹背山花火あくる
十日 晴天淡暑八前雲出没南酉微雷五六勿止八過より巽より東へ幽走如十中六七八半頃止始終日色赫々
○松をつくり雑木をきる○六半過より龍花庵へ詣、夫よりいもせ山にて花火上る
十一日 決晴烈暑
○森衛門に夾竹桃を貰ふ○松をつくり雑木を切る
十二日 一面曇蒸暑微風自卯快晴少し暑薄し
○松を作り雑木をきる
十三日 南風雲はこひ空風はけし雲行駚し秋気色少し涼し昼より西風吹ゆへ大暑なから凌よし月清
○お隆に花火数種貰ふ○松をつくる
十四日 快晴比風出少し凌よし秋の赴有タかた風に力あり樹々声あり清光
○松を作る○五加蔵松を作り蜂にさゝれ巣をやく
○いもせ山にて花火たつる・月色涼、南風しきりにふく
十五日 雲飛事はやく南風爽々晴陰不定暑烈
○松を作り雑木をきる
十六日 あさより雲満九前より風出忽大白雨一分はかり西方幽雷三四聞へ南風巽からあらハれ八前より南黒雲で西東微雷五六声ニて止、雨折々□□折々小雨夜蕭々
十七日 五半大雨沛然四前止雲きれおく蒸暑日色又雲出雨至又晴事三度八より大晴弧雲飛風出離方無雲て而雷四五七前止更而雨
○花火をあくる、庭にて村雨少し至る○松を作る、かこ釣台出来
立秋十八日 暁大猛雨二度至朝日出而繊雨四日樹西南遠雷七八而止日出九過幽雷雨少至八過より晴天雲雨飛南風大蒸
○森衛門に菊花貰ふ○松をつくる
○庭にて少し花火たてる
十九日 一面陰東風繊雨折々幽雷二つ聞ゆ夕こ巽風出涼し夕より南風大猛夜大雨止
○長純に女郎花・桔梗鉢うへ貰ふ○松を作る
廿日 暁大雨風烈次第晴五日雨止風強秋気起如八月候夕風強
○松を作る、庭にてけんとん皆々に喫せしむ、星艸を取、鉢へ殖る○長純梅手入
廿一日已酉 雲有大蒸風少しもなし八比より南風微少涼し夜五過より蕭雨勿止
○松をつくる
廿二日 大快晴烈暑夕幽雷西北にて三ツ聞ゆ夜電
○松をつくる○妹背山にて弁当来、お隆・春峨も来
廿三日 快晴大暑西風涼暮より南東幽雷十計電赤々亥蕭雨至電止夜中大雨時々寅下強地震短快晴大暑
○松を作る、水分石芝原にて弁当、お隆来
廿四日 雲有朝少し涼九半頃より大暑
○松を作り、雑樹を切る
廿五日  曇大に涼し九前より雨蕭々勿止大蒸七過大猛雨半比より小雨
○信普・信為より大南天貰ひ、表庭へ殖○ほのお隆へ蕣鉢うへを進む
廿六日 雲満蒸暑夕大快晴る○子規朝も夕もちかく聞ゆ
○花垣山の松を作り木を切、白犬出、なれて物なと喫しむ、水分石の芝原にて弁当
廿七日 曇ふかし朝五前少地震四過より快晴大烈暑夜快晴
○花垣山の樹をつくり、水分石芝原にて弁当
○夜いもせ山にすゝみ、花火あくる
廿八日  雰ふかく朝すゝし
坐禅石左側の樹を作る、弁当水分石芝原
廿九日 雲有蒸つよし七比より西北幽雷折々暮前雲おくれて大にくもる
○樹をつくる
 
 花火は、庶民の楽しみとして江戸時代の初期から行われ人気があった。しかし、火災発生の原因になると危険視され、再三禁止された。それでも庶民は、一向にやめようとはしなかったし、止めることはできなかった。慶安元年六月の禁止は、川辺以外での花火であり、緩やかなものと思われる。それが寛文三年六月には、江戸で花火の製造・使用を禁止する、とかなり厳しい。でもその2年後の寛文五年六月に、再び町中での花火遊びが禁止された。禁止後の1年は効果があったが、翌年には元のように行われていたということだろう。
 寛文八年七月には、武家屋敷での花火が禁止された。その2年後の寛文十年七月には、武家屋敷での花火を禁止、ただし海岸地では可、とある。と同時に、町中での花火遊び、仕掛花火、流星を禁止すると、庶民の花火も厳しく禁止している。また、禁止事項から、当時の花火の種類がどのようなものであったかも見えてくる。
 寛文十三年(1673年)五月の禁止は、大川筋海の手以外での花火と、午後六時以降の煮売禁止も禁止されている。延宝七年(1679年)六月、大川筋・海手以外の花火が禁止された。このころ、大川(隅田川)での舟遊びが盛んで、そこでの花火は許されたのだろう。しかし、宝永元年(1704年)七月には、大川筋で花火を揚げることが禁止された。そして、翌宝永二年六月には、花火の打ち上げと販売が禁止となる。
 徳川吉宗の時代に入り、享保五年(1720年)七月に花火が禁止された。だが、享保十七年(1732年)には、後の「川開き」行事につながる水神祭を催された。以後の花火の禁止は、元文三年七月に密集地での花火を禁止する。宝暦五年(1755年)六月に、江戸城付近と人家多いところでの花火遊びが禁止された。宝暦十年七月、人家に近いところでの花火遊びが禁止。明和七年(1770年)閏六月、城下の町中や人家の多い所での花火が禁止される。と、密集地で禁止されたものの、花火は盛んであったことが推測できる。
 では、花火をする人は、どのくらい行うかを、信鴻の日記から示す。場所は六義園、江戸の町中からは離れ、住宅密集地ではなく、自由に行っても問題がない。最初に行ったのは、安永二年六月七日(1773年7月26日)で、夏本番。「夜妹背山にて花火をとほし仙宅妻を呼に、たをつかハし、早速来」と午後十時頃まで楽しんでいた。翌八日も、「夜いもせ山にて花火をとほす」。その翌日も「酷暑、妹背山花火あくる」と。花火を何時ころから始めたかは、「六半過より龍花庵へ詣、夫よりいもせ山にて花火上る」と十日に午後七時頃からとわかる。
 その後も、十四日「くいもせ山にて花火たつる・月色涼、南風しきりにふく」。十七日「花火をあくる」。十八日「庭にて少し花火たてる」。飽きたのか、少し日が経って二十七日「夜いもせ山にすゝみ、花火あくる」。七月十二日「妹背山こて花火とほす」、とこれが最後となる。計9回、なんと頻繁に花火をしたか。当時の庶民も、これに負けないくらい熱中したのではなかろうか。