★安永六年十月~十二月

江戸庶民の楽しみ 44
★安永六年十月~十二月
★十月
三日○九半頃(略)森川宿にて駄馬多く塗悪き故与力町へかかり、加賀わきより油島へ行、塗中行人多し、(略)昌平橋より本通り丸角屋へ行(略)日本橋(略)本材木町へ出、海賊橋より霊岸橋(略)一の橋より長崎町つはや市兵衛方へ押付(略)七半前頃起行(略)湊橋を渡りとうかん堀より行徳河岸、浜町角に子供軽業芝居あり、葺や町(略)人形町よりお玉か池上土手下(略)六半少過帰廬
七日○四半時より上邸へ(略)本郷通(略)今川橋村田や(略)京橋宮城野(略)西折弓町(略)山下門新道路次より入、山寺迎に出直に奥へ行(略)幸橘より有馬前(略)鳥森前(略)采女か原にかかり紀伊国橋より通町(略)昌平橋(略)湯島へかかり伊勢屋に(略)暮六前帰廬
八日○九頃(略)尾沢前導円松寺(略)阿部勢州内称の里の菊を見る、花壇三間計(略)与楽寺前より日暮し青雲寺(略)感応寺中より谷中門江入り車坂(略)寺町称念寺にて此比下野天拝の弥陀開帳の由参詣(略)三河屋に休む(略)塗中甚賑か也、直に浅草参詣(略)花川戸より並木本道(略)駒形堂観音を拝し(略)七過起行田摩町横町(略)山下(略)広小路(略)清水へ参詣(略)弁天(略)谷中門(略)六過帰廬
十二日○今日芭蕉忌(略)四半比より両国芭蕉翁開帳(略)谷中通り(略)池端にて九の鐘聞ゆ、弁天参詣(略)竹町へ出御徒士町、三絃講、萱町木戸際(略)廻向院参詣、直に翁の肖像拝す、世話やき四五人有て参詣一人もなし・・・両国も瀬田のタヘや翁の忌・・・大六天内より並木通り(略)浅艸へ入伊勢屋(略)本堂へ参詣(略)泉龍院観音へ詣(略)地蔵堂(略)又浅草内をぬけ広小路(略)松源禅寺(略)寺町通り屏風坂(略)谷中門(略)法住寺観音堂へ御経納め首捻さかにて菊二種求め門へ入る時六の鐘
十五日○四過より珠成同道西原龍志方へはい諧に(略)妙喜坂銀八菊を見直に行(略)平塚前茶屋にて俳諧(略)平塚明神参詣(略)本宅にて俳諸(略)帰時目録遣し五過起行、月昼の如し、無程帰廬
十六日○九過より雑司谷へ(略)和泉境より四郎左衛門菊を見(略)野通りを行観光山内(略)護国寺前へ出、往来甚多し寺内賑也、本堂(略)塗中群集分かたし、坂上の寺の飾物を見る(略)茶や茶や皆幕或ハ翠簾を掛男女夥し(略)寺々の飾物を見る(略)茶やみた塞るゆへ休ます人にもまれ行、菊つくりたる茶や有(略)目白道にかかる、彼処人行うすきかたにて婦人往来は多し、目白にて菅公二男道武卿作の天満宮開帳へ行、参詣多し(略)護国寺南角茶や二階へ寄る(略)猫また橋通りより帰る、西門より入る、晩鐘聞ゆ
十九日○九半前より浅草参詣(略)土物店長専寺観音へ(略)四軒寺町清林寺・光源寺(略)菊つくり有て庭へ入見る(略)首振坂字平次菊を見、上野中より屏風坂を下り三河屋(略)観蔵院へ行仲車墓へ参、樒菊花の備たるを少取らせ、横町より新堀わきへ出、堀田屋敷わき松応寺(略)三嶋の杜の前(略)駒形の南へ出、参詣賑し(略)朝比奈の面覗きからくり求め(略)弘徳寺前左隣永昌寺(略)感応寺を通り抜(略)浜田や隣観音寺(略)淺崎通りを帰る、酒井館手前にて六の鐘聞く挑燈つけ、六過帰廬
廿三日○九過(略)内海屋布へ(略)町家之由、其下の路次に菊有既移ふ、片町大運寺観音へ(略)新道称念寺桜観音同断(略)加賀わきより湯島(略)昌平橋、今川橋(略)秋色前挿花会にて四五人集花立るを見る、伝馬町(略)堀江町(略)両坐紋看板を見る、群集分かたし、万屋へ寄竹田縫殿之助手妻へ(略)大入にて中々入へからさる由いふ、顔見桟敷の事極め萱町へかかり、人形町淡雪へ寄(略)お玉か池(略)昌平橋にかかり湯島木食寺・円満寺観音へ参詣(略)帰廬の時六の鐘聞ゆ
廿四日○五半過(略)土物店より昌平橋通筋、今川橋村田屋(略)銀坐宮城野(略)弥左衛門町友庵方へ立寄(略)河岸へ出山下門より新道通り(略)幸橋より木挽町へ(略)田村辻より愛宕下出、群集分かたし、桜川正観音、同所子安観音、同所考寿院(略)長井町金地院へ寄御経納め、楓樹を見、飯くら上杉侯前花や茶店(略)六本木へ行裏門より入(略)七過起行、前路を帰り長井町(略)愛宕の下長久寺観音(略)宇津辻より日蔭町(略)京橋松本(略)今川橋にて挑燈つけ六半過帰廬
廿七日○九過(略)真崎へ行(略)庄八辻より大沢館通山王山(略)上田畑仲台寺観音へ御経納め光明院同断、下田畑普門院観音同断(略)日暮裏より楓橋へ出門光寺を見、金杉安楽院へ入本堂を見る、寺中甚乾浄、寮左右棒松・楓樹並列、金杉戸川館北隅了源院(略)正燈寺楓を見る(略)土堤外白玉やに休む(略)団左衛門構を通り抜聖天横町より馬道へ出、裏門より観音参詣いせやに休む、鄽娘在、帰路弘徳寺を過て挑燈つけ車坂にて六の拍子木聞へ六半比帰廬
廿九日○四半比(略)劇場絵看板見に(略)富士前より根津へ掛り、山上の観音(略)湯島下(略)昌平橋より入柳原木戸水茶屋に休み、お玉か池通り楽屋新道より松屋(略)中村前大群集分かたし、南側軒下より行看板を見る、市村も同断、万屋前人立有て入へからす(略)爺橘へ掛り江戸橋(略)紀伊国橋(略)猿やへ行、絵看板未懸らす基寂寥人行稀也(略)鼡木戸内に絵看板あり(略)四町目の橋(略)日本橋(略)本郷二丁目にて挑燈つげ六半頃帰廬
 十月の信鴻は、11日も出かけている。恒例の観菊に加えて、芭蕉翁開帳、正燈寺楓、劇場絵看板見など晩秋の遊歩・閑歩であろう。出かけ先はどこも、大勢の人が押し寄せていて江戸庶民も同じような行動をしていたものと思われる。『武江年表』には「○目白不動尊内にて、武州多摩郡谷保天神開帳、別当安樂寺」が記されている。また、深川八幡で勧進相撲が催されている。
★十一月
三日○(略)羅漢寺へ行んと思ふ、九ツ聞ゆへ今日ハ遅からん先上野迄行んと富士前へ(略)谷中門内林光院此頃普請成就二而大師参人叢分難し、大師参詣、塗中群集吉祥閣へかかり広小路へ出(略)弘徳寺前へ出、三河や(略)浅草参詣、奥山(略)今戸橋北霊亀山慶養寺(略)総泉寺裏より金杉堤(略)通新町(略)三河島に入郊原を過、日暮舟繋松下へ出右折道灌山(略)動坂より暮時帰る
八日○八ツ時(略)雑司谷参詣(略)番脇より火番町、永川内大学館前坂霜解にて大滑二十間計下駄をはく、護国寺うちより雑司谷参詣、茗荷屋(略)猫また橋より原町西門より帰る
十四日○九ツ(略)谷中より山内解画坂を下り弘徳寺前へかかる、柳稲荷手前(略)三河屋に休み、新堀橋(略)寵宝寺(略)無量寺寺中真如院(略)鳥越、御蔵前、浅草御門、蔦喰町(略)豊嶋町(略)市橋前へ出、富山町筋違御門(略)御成小路通り(略)山内より帰る、いろはを過東の道(略)桟崎通りより暮時帰る
廿三日○九半前(略)浅草参詣(略)土物店より加賀前、油島茶屋皆不出(略)女坂より広小路三枚橋(略)山下弘徳寺前へ出る、御講ゆへ塗中市の如し甚群集(略)浅草参詣(略)御堂裏寺町中の小路へかかり宗安寺観音(略)板くら館前より本道へ出爰にも準西国の石碑有(略)弘徳寺前より車坂へかかかり暮少前帰る
廿五日○九半頃より閑歩(略)不二前より動坂を下り青襲寺門前七面わき坂を上り、感応寺内、谷中門、黒門へ出、中町(略)油島いせやに休み、穴沢に棒松、鞍岡に接分梅鉢植買ハせ裏門より出、伊豆蔵わき本妙寺前菊坂台町(略)本郷六町め木戸際へ出七半比かへる、鰻堤樹やにて植溜を見る
廿八日○九比より堺町へと(略)土物店(略)油島(略)中小路、昌平橋(略)須田町の木戸よりお玉か池へ出、新材木町、楽や新道より松屋へ行(略)大入にて松屋も甚乱擾(略)とうかむ堀より箱崎(略)相生僑前より川にそひ千鳥橋、豊嶋橋、(略)両国橋より新橋川中町へ入り、油島(略)六半過帰廬
 十一月も信鴻は6日も出かけている。出かけた途中、上野・弘徳寺周辺では人出の多かっと記している。十一月ということもあって、町中の賑わいは先月より少なくなっているように感じる。
★十二月
朔日○九過(略)浅草参詣(略)富士裏(略)谷中通車坂三河屋に休み、田原町北の横町より並木へ出直に参詣、伊勢や(略)又並木を下り駒形前(略)弘徳寺手前(略)講棚の観音を拝し(略)立花うらより竹町へ入、藤屋へ行蕎麦を喫し七半前起行(略)池端通り動坂花やへ寄植樹を見(略)暮少前帰廬
四日○九過より両児同道他行(略)今日大世子川筋御成(略)富士前(略)屏風坂三河屋(略)風神門内行人甚少く鄽皆仕廻(略)参詣いせ屋に休む、夫より並木を下り(略)萱町(略)佐久聞町(略)筋違橋(略)昌平橋(略)はや七ツ過に成空腹ゆへ神田上の道より大根畑裏にかかり、天神前鳥居角山藤茶屋へ行(略)向ふ菓子屋鷲屋にて饅頭求め六時起行、挑燈付る、本郷通り帰廬六半前
九日○此程肖甫申橋樽屋三郎兵衛料理東都第一の由語る故(略)四半過(略)土物店より小石川へ懸り円乗寺聖観音(略)八百屋お七墓有由云ゆへ墓所(略)菊坂山下御家人町(略)水道橋より猿楽町護持院原、神田橋外呉服町(略)中橋(略)又呉服町(略)石町一丁目(略)佐へき町代地の橋を渡り(略)須田丁一丁目(略)筋違内朝日山(略)昌平橋外水茶屋(略)七半少前頃起行明神前(略)油島大坂屋(略)竹町にて新みせ粟焼餻求め(略)不動前(略)暮時帰廬
十二日○九過(略)富士前より谷中通上野(略)御成小路、筋違橋(略)東鍋丁通、さへき木町橘、銀町観音を拝し、三町目より通りへ出、丸角屋へ行(略)鍋町より左折田町よりさへき町へ行山藤へ(略)昌平橋を出、湯島崖上(略)伊勢や(略)男坂下の弁財天勧籍引二千余番のうち卅番迄景物出(略)富札五十帋求め(略)暮前起行(略)本郷より帰る、土物店(略)森川宿(略)成鱣堤より挑燈つげ六過帰廬
十五日○九ツより湯島福曳見に(略)吉祥寺(略)大番町(略)追分(略)本郷六丁目(略)加賀表門に旗本衆客有(略)湯島(略)富今済し由鄽婆弁天の勝付を取に行無程取来、一番ハ近所町の妻取し由(略)十三番土瓶を伊藤取る(略)女坂(略)中町泉屋(略)広小路春日野に休む(略)山下へ行露市芝居を問ヘハ此頃仕廻し由(略)車坂より入谷中通塗折々好大半悪し、富士裏廻り七半頃帰る
十七日○四半過(略)市へ(略)富士裏(略)谷中通(略)屏風坂迄行人稀也、弘徳寺(略)御堂橋より余程群集なから去年の如く分難き程の事なし、須田丁(略)風神門内大に込合へ共去年の如くにハ非す、本堂拝し(略)薬師前水茶屋(略)奥山を廻る(略)並木を下る駒形堂四辻(略)広小路藤屋へ(略)御堂前(略)三河屋前にて上野武八見掛る、弘徳寺前にて破魔弓買(略)爰より人又余程少く中町より湯鳥女坂にて張子鷹求め(略)本郷通りを帰る、加賀前より行人稀なり平日の如し、暮頃帰家
廿一日○急に六本木へ(略)土物店(略)白山前(略)伝通院(略)隆慶橋より牛込門・御留守居町・御厩谷・平河天神水茶や(略)赤坂門河岸(略)氷川谷町へ出、卅日の火事の迹半ハ仮立左右大半焼尽(略)六軒町水茶や(略)六本木東の門(略)長坂より飯倉へ出(略)切通し田村脇(略)新銭坐へ出猿屋(略)中橋より上槙町へかかり、本大工町より河岸へ出今川橋の辻より右折、松田町(略)淀侯辻(略)挑灯とほし本郷通り六半過帰廬
廿四日○九少過より浅草参詣(略)富士裏(略)大師門前に供廻り多く(略)大師参詣、車坂より下り、三河屋(略)浅草参詣(略)伊勢屋(略)とぶ棚観音院へ(略)弘徳寺西へ出山下より浜田屋(略)広小路より池の端護国院前より善光寺坂、根津へ出、世尊院前、片町西側樹やへ立寄福寿草求め、柳屋にて樒柑・枝柿買ふ(略)暮時帰る
廿八日○八ツより湯島へ(略)暖和如春、兼而神明前長源寺に紫子の墓有由聞たる故、ゆきて卵塔中を求れ共知れす(略)町々松を建賑し、加賀脇材木屋にて卯木求め(略)湯島いせやに休む(略)女坂より下り中町松屋にて煙管求め広小路にて鉢うへを見、春日野に休み弁天参詣、南門より登り清水へ参詣、東の大路より準后御門前(略)感応寺内(略)谷中通御鷹部屋にて挑燈つけ、神明うちより原へ出六過帰廬
 十二月の信鴻は、9日も出かけている。年の瀬だけに町は人出があるものの、市の賑わいは前年より少ないと記している。中でも四日は、鷹狩で浅草周辺は店は閉まり、参詣者が少なかった。それでも信鴻は、前年より暖かったので出かけたのであろう。江戸は、十二月も平穏であったと思われるが、氷川谷町(現在の氷川神社付近か)で大規模ではないが火事があった。そのため、信鴻は六本木に出かけたのだろう。
 興味あるのは、湯島の富である。信鴻達も購入して、結果を確認に出かけている。「一番ハ近所町の妻取し」と庶民であろう、そんな富くじに元大名が手を出しているのが面白い。また、町々の情景として、「町々松を建賑し」と門松が飾られていることを信鴻は見逃していない。