江戸庶民の楽しみ 47
★安永七年八月~十月
★八月
十日○八半(略)浅草参詣(略)不二裏より行、法住寺(略)谷中門内より護国院へ行、此程廻向院より如来来給ひ甚込合て拝もならすと聞し(略)今開帳といふと中の門より人出る事潮の涌如く(略)浅草へ遅く成ゆへ直に出、塗中人叢分難し、日長原(略)屏風坂より下り車坂門(略)柳稲荷三河や(略)田原町(略)参詣、参詣多し(略)御手洗へ鰻放し、境屋(略)帰路前塗に同し(略)谷中門手前にて六の鐘聞へ六半前帰廬
十二日別録○中村座頑要
二十日○九半前より浅草参詣(略)谷中通、上野の中護国院参詣夥し(略)屏風坂より山下の門三河屋(略)田原町二丁目(略)虵目やにて鰻買しむ、直に浅草内陣にて拝す(略)御手洗に鰻放し、奥山廻り芥子の介を立なから見、表門海老屋に休み、聖天町より段左衛門構内を抜、真崎(略)仙石や(略)帰路例の通、白玉や(略)山伏松へ(略)石不動小堂出来、感応寺内より谷中遁、六時帰廬
廿一日○七つより近郊閑歩(略)笠志茶鄽へ行、暫休み御用屋敷前より畔道南折、林中坂を下り、中里円松寺へゆき勢至堂拝し田畝へ出、山王山神主大井駿河宅(略)橡にて旧畑を見晴し烟を弄し、暮前表門より帰る
廿五日○九半より湯島参詣(略)吉祥寺(略)追分茶屋(略)善光寺見送にて塗中群集、聖廟拝し伊せや(略)地蔵開帳済町家に安置せる由、植木を見(略)山茶花を買しめ、中町通、広小路春目野に休む、鄽嫗在、池端通り(略)吉祥閣前へ出、谷中通り世尊院まへより土物店へ出、松悦かた(略)七時帰廬
信鴻の日記から、八月も浅草をはじめ、江戸の盛り場は賑わっていたと思われる。『武江年表』には、「○八月廿五日、龜戸天満宮祭祀、御輿行列古例の如く、又産子町々出し練物等出で賑ひ大方ならず、基後中絶」とある。
★九月
朔日○四半頃より六本木へ(略)白山(略)馬場(略)水遺橋(略)小川町(略)飯田町橋を渡り九段坂(略)御厩谷、平河聖廟(略)赤坂門(略)清巌寺観音(略)龍泉寺同断(略)浄土寺(略)明神前、市兵衛町(略)八少前着(略)八半頃起行(略)飯倉片町、西久保通(略)天徳寺(略)田村小路、中川表門通、河岸(略)大和屋鄽を見、四丁め橋より通りへ出、日本橋(略)今川橋(略)昌平橋通、本郷(略)土物店(略)六過帰廬
三日別録○市村座頑要
六日別録○森田座頑要
七日○九過(略)浅草参詣(略)谷中通、車坂、寺町三河屋に休む、弘徳寺前道具や(略)田原町(略)参詣、御堂廻り御手洗へ鰻を放し、奥山廻り豆蔵を少聞、堺屋に暫休む(略)田原町(略)山下を廻り竹町より三牧橋へ出、中町(略)山藤へゆく(略)湯島(略)六ツ時門へ入る
十三日○九半前より他行(略)土物店より湯鳥へ行、聖願拝し、伊勢や(略)中坂より昌平橋、通町、日本橋を渡り、一町行て左折、平松町へ(略)おか町迄行(略)中町通りを帰る、室町小道具鄽所々ヘ立寄(略)越後屋出鄽へ(略)黒門前藤屋へ(略)筋違橋、朝日山に休み(略)竹町へ(略)山下へ出、車坂より谷中通りを帰る
十四日別録○中村座頑要
十七日○九過より浅草参詣(略)谷中通り山内(略)車坂より行三河屋に休む(略)田原町二町(略)境やに休むお袖在、内陣にて拝し鰻を御手洗へ放し、奥山(略)並木(略)榧寺(略)堀田原へ出、阿部川町通直行、中の橋(略)立花裏より竹町の中へ出、広小路へ(略)湯島山(略)いせ屋本鄽(略)暮前起行、聖廟拝し(略)加賀脇(略)追分(略)土物店より塗好六過帰廬
十九日○亀戸へ菊見(略)四半前(略)土物店より行、本郷六丁目(略)湯島聖廟拝し男坂上伊せ屋(略)中坂より下り昌平橋(略)筋違外(略)小楼船あつらへ(略)柳橋(略)一ツ目橋際(略)四ツ目にて船留め(略)八過頃亀戸橋(略)鳥居西側端の茶屋(略)聖廟左側別当の路次(略)四方氈敷、三方皆竹筒へ大菊生け、見物四五十人有うちに雹松原と銘ある筒咲白菊珍らしき菊に見ゆ、直に聖廟拝し(略)船二乗夕餉(略)亀戸(略)常仙(略)船宿より挑灯つけ妻乞坂(略)五ツ少し前帰廬
廿一日○九半頃(略)菊見(略)和泉境より四郎左衛門・弥三郎市左衛門へ行、彼処に唐樹・唐艸鉢植四五十種在、其内にて変るかう草求む(略)権左衛門菊を見、御家人田辺富五郎菊を見、野通りへ出、大塚本通り大慈寺観音参詣(略)護国寺観音拝し水茶屋に休み、雑司谷著荷や(略)薮そはの脇の菊を見、野通りより猫また橋、西の門より入相頃帰る
廿五日○九時より雨具にて湯島参詣(略)湯島にて直に聖廟拝す(略)男坂伊勢屋に休む、少娘在、茶屋の窓より小菊買ひ直に帰る、本郷(略)爰にて八の鐘聞へ八過帰廬
廿六日○九過より真崎へ(略)塗甚悪し、富士前より行、法住寺水溢れ伊藤に負るる、感応寺(略)根岸通円光寺(略)正燈寺を見る、紅葉半染る(略)大門口白玉や(略)真崎の裏へかかる、仙石屋鄽(略)真崎川筋より浅茅原へ出、団左衛門屋布うち聖天町裏門脇にて鰻屋(略)観音参詣、御手洗前茶屋(略)戸繋伊勢屋(略)太神宮拝し(略)車坂門より入、屏風坂に懸り御門主門前にて六の鐘聞え、法住寺橋(略)六半頃帰る
廿八日○九ツより他行(略)角伊勢や(略)中通り(略)土井下館へつき北行、銀鵞脇の橋(略)小原町(略)御薬園(略)柳町へ出、伝通院うち表門西角水茶屋に休み(略)牛天神(略)男坂を下り直行、隆慶橋(略)早稲田宗源寺(略)東福院也(略)観音寺に御経納め、水稲荷(略)八幡前龍泉寺(略)高田馬場(略)九郎僧西和泉屋(略)護国寺裏門(略)猫また橋(略)原町(略)西門へ入時六の鐘聞ゆ
この月、信鴻は3日の観劇を含め12日も外出している。恒例の菊見は熱心で、紅葉狩りはまだ始まったばかりということか。廿一日「雑司谷著荷やに女中客ひろうとのり物供廻り数多在」、廿八日「御城女中数十人駕十挺はかり」と、武家の女性の行楽が観察されている。江戸庶民の行楽は、そこそこあるものの混雑の記述は少ない。
★十月
三日○九時より浅草参詣(略)富士裏に掛り朔日より神明開扉故参詣(略)参詣二三十人(略)鳥居内飴売数人在、御本坊大師参詣、山中群集、屏風坂に懸り車坂門を出塗中賑なり、三河屋に休み(略)田原町(略)並木より参詣・内陣にて拝し(略)奥山廻(略)海老屋に休み(略)四ツ辻へ出、田原町(略)山下より竹町へ(略)広小路植木を見(略)中町通、女坂より湯嶋、男坂上の伊勢屋に休む(略)聖廟拝し(略)暮時帰廬
五日○九過より雨中北郊へ(略)妙喜坂吟八方へ行菊を見、吟八に菊の芽来春はしき由約し、笠志か茶屋江行しに、在さる(略)無程起行、八時帰廬
六日○九半頃より他行(略)加賀前(略)湯島聖廟参拝、男坂上の伊勢屋(略)袖摺坂より昌平橋、鍛冶町二丁目小道具屋(略)白銀町観音(略)三丁目横町より直行、河岸へ出、江戸橋、萱場町参詣、門内丸屋水茶屋に休み、寺内観音(略)江戸橋よりあらめ橋(略)親爺橋向ふ、福富屋(略)人形町通伝馬町(略)お玉か池通り、湯島中坂へかかる(略)伊せや客在故大坂屋に休み(略)土物店(略)暮時帰る
七日○八前よりお隆同遣雑司谷へ(略)加賀北の辻番(略)駒木根下館前(略)野通り護国寺へ入観音拝し、堂右奥の茶屋に暫休み、裏門外にて非人数多つく、直に鬼子母神内陣にて拝し、堂を廻り千年堂より順に餝物を見る(略)堂上人夥し(略)飾物龍を作り、柊葉にて鱗を作り番椒を背に植し有、或ハ鬼予母神を作り、眼口働く様に糸を付、僧側にて袖裏にて糸を引有、淀城水車に水を湛し有、其余ハ珍らしからぬ作物也、茗荷屋へ(略)護国寺外、大学前、幽霊橋、西門より六半過帰る、
八日○九半過より他行(略)白山より指替町右折、蓮華寺(略)御薬薗わき戸崎町(略)氷川下へ出、幽霊橋を渡り大学前湯坂を上り、組町木戸を通り抜、阿波殿町はつれ光岳寺(略)幡广前より三百坂、伝通院表門前江出る、甲子参詣大群集、門外茶屋に休む客甚多く門前売物賑也、左右挑灯・幟等出、大黒右側水茶屋出す、群集の中を分行、大黒堂(略)水茶屋に休み本堂拝し、卓蔵主前(略)神明前(略)七過帰廬
十日○四半頃より上落合村百観音参詣(略)原町より氷川杜内、大学前にて九の鐘聞ゆ、茗荷谷、胆部坂、かいたい町三町目長寿院観世音(略)九町め橋より目白坂門外養国寺(略)雑司谷へ出、三辻金乗院(略)落合村(略)酒井氏野館前(略)氷川明神(略)土橋を渡り(略)上落合村泰雲寺(略)夫より前路にかかる、酒井氏下館(略)千年堂へ(略)甚賑ながら例年の如く熱閙ならす、茗荷や旅籠数十挺供廻り多ク来り爰を起ツ様子(略)橋の上法華寺にて飾物見、唐橘三株買ひ、護国寺うち、猫また橋、七半過西門より帰る
十三日○九半より珠成同道閑歩(略)西原笠志茶鄽へ行、笠志在、少休み山通りを道灌山へ行、柞黄葉多し(略)延命院(略)瑞倫寺へ行、本堂談儀にて聴衆多し、直に上りたて花を見る三十箇(略)池端通り(略)山下へ出(略)広小路(略)藤屋にて(略)中町通り女坂より湯島へ行、男坂上伊せやに休む、少娘在、聖廟拝し本郷通りを帰る、暮時帰廬
十六日○九より川東遊行(略)土物店通、加賀脇、湯島(略)聖廟拝し大坂屋(略)中坂より筋違橋(略)昌平橋(略)富山町、お玉か池、堀留、人形町(略)一抵万屋へ立ながら立寄、鄽先賑也(略)浜町へ出、崩橋、箱崎、永代橋(略)中町通、八幡参詣、御宮廻り土橋(略)永代橋前木戸わき出雲屋(略)崩橋(略)土井堀大坂町、佳吉町(略)大門通直行、新衛門町(略)松下町より土堤へ出、昌平橋、本郷通、森川、本多辻番(略)六過帰廬
十九日○九時より浅草参詣(略)富士前(略)本郷(略)湯島天沢寺前(略)聖廟拝し男坂上伊勢屋へ(略)竹町より山下へ懸かり弘徳寺へ出、三河屋に休む(略)田原町二町め(略)観音参詣、内陣にて拝し、御堂廻り御手洗へ鰻を放し堂後を廻る・銀杏皆散て黄金を敷(略)伊勢屋に休む(略)前道を帰る、弘徳寺(略)山下より広小銘へ(略)上野中より帰る、覚成院普請最中爰より宮脇下の百姓数十人、年貢納め帰る(略)動坂花や植溜を見、暮少前帰廬
廿一日〇九ツより浅草参詣(略)富士裏より谷中通り(略)車坂より出三河屋に休む(略)今日木下川筋遠御成有、伊藤に鰻買せ直に参詣、御手洗へ鰻放す(略)海老やに休み前路を帰る、七少過帰廬、
廿四日○五半より六本木へ(略)猫股橋より音羽町、橋より関口(略)早稲田神明(略)高田通りへ出、来迎寺観音(略)清源寺(略)宝勝寺(略)月桂寺(略)坂町より合羽坂、塩町(略)四谷通り(略)南寺町(略)鮫橋誓海院(略)信濃町通り(略)千日坂を下り一行院(略)香蓮寺同断、紀侯館つき坂を上り権田原(略)青山氏館(略)六本木、裏門より入(略)九半頃着、八半起行(略)飯倉通り長井町光宝寺墓へ参詣(略)愛宕群集故坂下より田村小路へ出、土橋より河岸通り本町より通り(略)本郷通り追分(略)六過帰廬、富士前にてよみ売いろは狂歌と云物をうるを求む
廿五日○九時より湯島参詣(略)土物店より行、直に聖廟拝し、男坂いせ屋に休む、少娘在母も来る、暫く休み植樹を見(略)女坂より下る、根津へ(略)根津大臣門下床机に休む(略)八の鐘聞ゆ、裏門より世尊院前、松悦(略)八半前帰廬
廿九日○九ツ前(略)堺町へ(略)土物店より湯島参詣、聖廟拝し、男坂伊勢やへ立寄(略)中坂より昌平橋、柳原、宮山町、白銀町観音拝礼、石町通り諸所小道具やを見、人形町より松屋へ(略)餝物稲荷社(略)中村看板を見群集大熟閙、市村同断、万屋へ寄(略)新材木町よりお玉か池通り筋違橋より御幸小路(略)三枚橋(略)中町(略)女坂より山藤(略)七半前起行、本郷通り六時帰廬
十月は、13日も出かけている。浅草をはじめとしてどこも人出が多く、江戸の賑わいを伝えている。特に際立った出来事はなかったのであろう、そのような記述の中で、七日の護国寺「裏門外にて非人数多つく」、鬼子母神の餝物など、信鴻の記述が興味を引く。また、十九日の「百姓数十人、年貢納め」や廿四日の「富士前にてよみ売いろは狂歌と云物をうる」なども彼なりの視点であろう。
★安永七年八月~十月
★八月
十日○八半(略)浅草参詣(略)不二裏より行、法住寺(略)谷中門内より護国院へ行、此程廻向院より如来来給ひ甚込合て拝もならすと聞し(略)今開帳といふと中の門より人出る事潮の涌如く(略)浅草へ遅く成ゆへ直に出、塗中人叢分難し、日長原(略)屏風坂より下り車坂門(略)柳稲荷三河や(略)田原町(略)参詣、参詣多し(略)御手洗へ鰻放し、境屋(略)帰路前塗に同し(略)谷中門手前にて六の鐘聞へ六半前帰廬
十二日別録○中村座頑要
二十日○九半前より浅草参詣(略)谷中通、上野の中護国院参詣夥し(略)屏風坂より山下の門三河屋(略)田原町二丁目(略)虵目やにて鰻買しむ、直に浅草内陣にて拝す(略)御手洗に鰻放し、奥山廻り芥子の介を立なから見、表門海老屋に休み、聖天町より段左衛門構内を抜、真崎(略)仙石や(略)帰路例の通、白玉や(略)山伏松へ(略)石不動小堂出来、感応寺内より谷中遁、六時帰廬
廿一日○七つより近郊閑歩(略)笠志茶鄽へ行、暫休み御用屋敷前より畔道南折、林中坂を下り、中里円松寺へゆき勢至堂拝し田畝へ出、山王山神主大井駿河宅(略)橡にて旧畑を見晴し烟を弄し、暮前表門より帰る
廿五日○九半より湯島参詣(略)吉祥寺(略)追分茶屋(略)善光寺見送にて塗中群集、聖廟拝し伊せや(略)地蔵開帳済町家に安置せる由、植木を見(略)山茶花を買しめ、中町通、広小路春目野に休む、鄽嫗在、池端通り(略)吉祥閣前へ出、谷中通り世尊院まへより土物店へ出、松悦かた(略)七時帰廬
信鴻の日記から、八月も浅草をはじめ、江戸の盛り場は賑わっていたと思われる。『武江年表』には、「○八月廿五日、龜戸天満宮祭祀、御輿行列古例の如く、又産子町々出し練物等出で賑ひ大方ならず、基後中絶」とある。
★九月
朔日○四半頃より六本木へ(略)白山(略)馬場(略)水遺橋(略)小川町(略)飯田町橋を渡り九段坂(略)御厩谷、平河聖廟(略)赤坂門(略)清巌寺観音(略)龍泉寺同断(略)浄土寺(略)明神前、市兵衛町(略)八少前着(略)八半頃起行(略)飯倉片町、西久保通(略)天徳寺(略)田村小路、中川表門通、河岸(略)大和屋鄽を見、四丁め橋より通りへ出、日本橋(略)今川橋(略)昌平橋通、本郷(略)土物店(略)六過帰廬
三日別録○市村座頑要
六日別録○森田座頑要
七日○九過(略)浅草参詣(略)谷中通、車坂、寺町三河屋に休む、弘徳寺前道具や(略)田原町(略)参詣、御堂廻り御手洗へ鰻を放し、奥山廻り豆蔵を少聞、堺屋に暫休む(略)田原町(略)山下を廻り竹町より三牧橋へ出、中町(略)山藤へゆく(略)湯島(略)六ツ時門へ入る
十三日○九半前より他行(略)土物店より湯鳥へ行、聖願拝し、伊勢や(略)中坂より昌平橋、通町、日本橋を渡り、一町行て左折、平松町へ(略)おか町迄行(略)中町通りを帰る、室町小道具鄽所々ヘ立寄(略)越後屋出鄽へ(略)黒門前藤屋へ(略)筋違橋、朝日山に休み(略)竹町へ(略)山下へ出、車坂より谷中通りを帰る
十四日別録○中村座頑要
十七日○九過より浅草参詣(略)谷中通り山内(略)車坂より行三河屋に休む(略)田原町二町(略)境やに休むお袖在、内陣にて拝し鰻を御手洗へ放し、奥山(略)並木(略)榧寺(略)堀田原へ出、阿部川町通直行、中の橋(略)立花裏より竹町の中へ出、広小路へ(略)湯島山(略)いせ屋本鄽(略)暮前起行、聖廟拝し(略)加賀脇(略)追分(略)土物店より塗好六過帰廬
十九日○亀戸へ菊見(略)四半前(略)土物店より行、本郷六丁目(略)湯島聖廟拝し男坂上伊せ屋(略)中坂より下り昌平橋(略)筋違外(略)小楼船あつらへ(略)柳橋(略)一ツ目橋際(略)四ツ目にて船留め(略)八過頃亀戸橋(略)鳥居西側端の茶屋(略)聖廟左側別当の路次(略)四方氈敷、三方皆竹筒へ大菊生け、見物四五十人有うちに雹松原と銘ある筒咲白菊珍らしき菊に見ゆ、直に聖廟拝し(略)船二乗夕餉(略)亀戸(略)常仙(略)船宿より挑灯つけ妻乞坂(略)五ツ少し前帰廬
廿一日○九半頃(略)菊見(略)和泉境より四郎左衛門・弥三郎市左衛門へ行、彼処に唐樹・唐艸鉢植四五十種在、其内にて変るかう草求む(略)権左衛門菊を見、御家人田辺富五郎菊を見、野通りへ出、大塚本通り大慈寺観音参詣(略)護国寺観音拝し水茶屋に休み、雑司谷著荷や(略)薮そはの脇の菊を見、野通りより猫また橋、西の門より入相頃帰る
廿五日○九時より雨具にて湯島参詣(略)湯島にて直に聖廟拝す(略)男坂伊勢屋に休む、少娘在、茶屋の窓より小菊買ひ直に帰る、本郷(略)爰にて八の鐘聞へ八過帰廬
廿六日○九過より真崎へ(略)塗甚悪し、富士前より行、法住寺水溢れ伊藤に負るる、感応寺(略)根岸通円光寺(略)正燈寺を見る、紅葉半染る(略)大門口白玉や(略)真崎の裏へかかる、仙石屋鄽(略)真崎川筋より浅茅原へ出、団左衛門屋布うち聖天町裏門脇にて鰻屋(略)観音参詣、御手洗前茶屋(略)戸繋伊勢屋(略)太神宮拝し(略)車坂門より入、屏風坂に懸り御門主門前にて六の鐘聞え、法住寺橋(略)六半頃帰る
廿八日○九ツより他行(略)角伊勢や(略)中通り(略)土井下館へつき北行、銀鵞脇の橋(略)小原町(略)御薬園(略)柳町へ出、伝通院うち表門西角水茶屋に休み(略)牛天神(略)男坂を下り直行、隆慶橋(略)早稲田宗源寺(略)東福院也(略)観音寺に御経納め、水稲荷(略)八幡前龍泉寺(略)高田馬場(略)九郎僧西和泉屋(略)護国寺裏門(略)猫また橋(略)原町(略)西門へ入時六の鐘聞ゆ
この月、信鴻は3日の観劇を含め12日も外出している。恒例の菊見は熱心で、紅葉狩りはまだ始まったばかりということか。廿一日「雑司谷著荷やに女中客ひろうとのり物供廻り数多在」、廿八日「御城女中数十人駕十挺はかり」と、武家の女性の行楽が観察されている。江戸庶民の行楽は、そこそこあるものの混雑の記述は少ない。
★十月
三日○九時より浅草参詣(略)富士裏に掛り朔日より神明開扉故参詣(略)参詣二三十人(略)鳥居内飴売数人在、御本坊大師参詣、山中群集、屏風坂に懸り車坂門を出塗中賑なり、三河屋に休み(略)田原町(略)並木より参詣・内陣にて拝し(略)奥山廻(略)海老屋に休み(略)四ツ辻へ出、田原町(略)山下より竹町へ(略)広小路植木を見(略)中町通、女坂より湯嶋、男坂上の伊勢屋に休む(略)聖廟拝し(略)暮時帰廬
五日○九過より雨中北郊へ(略)妙喜坂吟八方へ行菊を見、吟八に菊の芽来春はしき由約し、笠志か茶屋江行しに、在さる(略)無程起行、八時帰廬
六日○九半頃より他行(略)加賀前(略)湯島聖廟参拝、男坂上の伊勢屋(略)袖摺坂より昌平橋、鍛冶町二丁目小道具屋(略)白銀町観音(略)三丁目横町より直行、河岸へ出、江戸橋、萱場町参詣、門内丸屋水茶屋に休み、寺内観音(略)江戸橋よりあらめ橋(略)親爺橋向ふ、福富屋(略)人形町通伝馬町(略)お玉か池通り、湯島中坂へかかる(略)伊せや客在故大坂屋に休み(略)土物店(略)暮時帰る
七日○八前よりお隆同遣雑司谷へ(略)加賀北の辻番(略)駒木根下館前(略)野通り護国寺へ入観音拝し、堂右奥の茶屋に暫休み、裏門外にて非人数多つく、直に鬼子母神内陣にて拝し、堂を廻り千年堂より順に餝物を見る(略)堂上人夥し(略)飾物龍を作り、柊葉にて鱗を作り番椒を背に植し有、或ハ鬼予母神を作り、眼口働く様に糸を付、僧側にて袖裏にて糸を引有、淀城水車に水を湛し有、其余ハ珍らしからぬ作物也、茗荷屋へ(略)護国寺外、大学前、幽霊橋、西門より六半過帰る、
八日○九半過より他行(略)白山より指替町右折、蓮華寺(略)御薬薗わき戸崎町(略)氷川下へ出、幽霊橋を渡り大学前湯坂を上り、組町木戸を通り抜、阿波殿町はつれ光岳寺(略)幡广前より三百坂、伝通院表門前江出る、甲子参詣大群集、門外茶屋に休む客甚多く門前売物賑也、左右挑灯・幟等出、大黒右側水茶屋出す、群集の中を分行、大黒堂(略)水茶屋に休み本堂拝し、卓蔵主前(略)神明前(略)七過帰廬
十日○四半頃より上落合村百観音参詣(略)原町より氷川杜内、大学前にて九の鐘聞ゆ、茗荷谷、胆部坂、かいたい町三町目長寿院観世音(略)九町め橋より目白坂門外養国寺(略)雑司谷へ出、三辻金乗院(略)落合村(略)酒井氏野館前(略)氷川明神(略)土橋を渡り(略)上落合村泰雲寺(略)夫より前路にかかる、酒井氏下館(略)千年堂へ(略)甚賑ながら例年の如く熱閙ならす、茗荷や旅籠数十挺供廻り多ク来り爰を起ツ様子(略)橋の上法華寺にて飾物見、唐橘三株買ひ、護国寺うち、猫また橋、七半過西門より帰る
十三日○九半より珠成同道閑歩(略)西原笠志茶鄽へ行、笠志在、少休み山通りを道灌山へ行、柞黄葉多し(略)延命院(略)瑞倫寺へ行、本堂談儀にて聴衆多し、直に上りたて花を見る三十箇(略)池端通り(略)山下へ出(略)広小路(略)藤屋にて(略)中町通り女坂より湯島へ行、男坂上伊せやに休む、少娘在、聖廟拝し本郷通りを帰る、暮時帰廬
十六日○九より川東遊行(略)土物店通、加賀脇、湯島(略)聖廟拝し大坂屋(略)中坂より筋違橋(略)昌平橋(略)富山町、お玉か池、堀留、人形町(略)一抵万屋へ立ながら立寄、鄽先賑也(略)浜町へ出、崩橋、箱崎、永代橋(略)中町通、八幡参詣、御宮廻り土橋(略)永代橋前木戸わき出雲屋(略)崩橋(略)土井堀大坂町、佳吉町(略)大門通直行、新衛門町(略)松下町より土堤へ出、昌平橋、本郷通、森川、本多辻番(略)六過帰廬
十九日○九時より浅草参詣(略)富士前(略)本郷(略)湯島天沢寺前(略)聖廟拝し男坂上伊勢屋へ(略)竹町より山下へ懸かり弘徳寺へ出、三河屋に休む(略)田原町二町め(略)観音参詣、内陣にて拝し、御堂廻り御手洗へ鰻を放し堂後を廻る・銀杏皆散て黄金を敷(略)伊勢屋に休む(略)前道を帰る、弘徳寺(略)山下より広小銘へ(略)上野中より帰る、覚成院普請最中爰より宮脇下の百姓数十人、年貢納め帰る(略)動坂花や植溜を見、暮少前帰廬
廿一日〇九ツより浅草参詣(略)富士裏より谷中通り(略)車坂より出三河屋に休む(略)今日木下川筋遠御成有、伊藤に鰻買せ直に参詣、御手洗へ鰻放す(略)海老やに休み前路を帰る、七少過帰廬、
廿四日○五半より六本木へ(略)猫股橋より音羽町、橋より関口(略)早稲田神明(略)高田通りへ出、来迎寺観音(略)清源寺(略)宝勝寺(略)月桂寺(略)坂町より合羽坂、塩町(略)四谷通り(略)南寺町(略)鮫橋誓海院(略)信濃町通り(略)千日坂を下り一行院(略)香蓮寺同断、紀侯館つき坂を上り権田原(略)青山氏館(略)六本木、裏門より入(略)九半頃着、八半起行(略)飯倉通り長井町光宝寺墓へ参詣(略)愛宕群集故坂下より田村小路へ出、土橋より河岸通り本町より通り(略)本郷通り追分(略)六過帰廬、富士前にてよみ売いろは狂歌と云物をうるを求む
廿五日○九時より湯島参詣(略)土物店より行、直に聖廟拝し、男坂いせ屋に休む、少娘在母も来る、暫く休み植樹を見(略)女坂より下る、根津へ(略)根津大臣門下床机に休む(略)八の鐘聞ゆ、裏門より世尊院前、松悦(略)八半前帰廬
廿九日○九ツ前(略)堺町へ(略)土物店より湯島参詣、聖廟拝し、男坂伊勢やへ立寄(略)中坂より昌平橋、柳原、宮山町、白銀町観音拝礼、石町通り諸所小道具やを見、人形町より松屋へ(略)餝物稲荷社(略)中村看板を見群集大熟閙、市村同断、万屋へ寄(略)新材木町よりお玉か池通り筋違橋より御幸小路(略)三枚橋(略)中町(略)女坂より山藤(略)七半前起行、本郷通り六時帰廬
十月は、13日も出かけている。浅草をはじめとしてどこも人出が多く、江戸の賑わいを伝えている。特に際立った出来事はなかったのであろう、そのような記述の中で、七日の護国寺「裏門外にて非人数多つく」、鬼子母神の餝物など、信鴻の記述が興味を引く。また、十九日の「百姓数十人、年貢納め」や廿四日の「富士前にてよみ売いろは狂歌と云物をうる」なども彼なりの視点であろう。