信鴻のガーデニング安永九年2

信鴻のガーデニング安永九年2
○七月
 七月の日記には9日間に植物名の記載がある。また、ガーデニング作業と思われる記述は、7日ある。収穫の記載は6日ある。それら日記に記された植物名は17、13種である。この年の新たな植物の種類は3種である。以下順に示す。
 「雷神草」に似た名前として、「鬼神草」がある。ユキノシタユキノシタ科)であるが、確信はない。その他として、「雷神草」は、アガベリュウゼツラン(キジカクシ科)を指すとされている。可能性としては、ユキノシタと思われるが確証はない。
 「芋」は、どのような芋なのか不明なので、総称名イモ(いくつかの科がある)とする。
 「矢竹」は、ヤダケ(イネ科)とする。
 信鴻が六義園に移って初めて記す種は、確証がないので無とする。また、植物を遣り取りした記録は、3日である。
○八月
 八月の日記には22日間に植物名の記載がある。また、ガーデニング作業と思われる記述は、18日ある。収穫の記載は22日ある。それら日記に記された植物名は32、13種である。この年の新たな植物の種類は7種である。以下順に示す。
 「椎」は、総称名シイ(ブナ科)とする。スダジイと思われるが確証はない。
 「何首烏」は、ドクダミドクダミ科)と推測する。
 「はしばみ」は、ハシバミ(カバノキ科)とする。
 「初茸」は、ハツタケ(ベニタケ科)とする。
 「藤」は、フジ(マメ科)とする。
 「葡萄」は、ブドウ(ブドウ科)とする。
 「木犀」は、総称名モクセイ(モクセイ科)とする。
 信鴻が六義園に移って初めて記す種は、ハシバミ1種である。また、植物を遣り取りした記録は、2日である。
○九月
 九月の日記には27日間に植物名の記載がある。また、ガーデニング作業と思われる記述は、5日ある。収穫の記載は26日ある。それら日記に記された植物名は51、12種である。この年の新たな植物の種類は6種である。以下順に示す。
 「万年青草」は、オモト(ユリ科)とする。
  「唐橘」はカラタチバナヤブコウジ科)とする。
 「竹」は、総称名タケ(イネ科)とする。
 「番椒」は、トウガラシ(ナス科)とする。
 「水菜」は、ミズナ(アブラナ科)とする。
 「もみ茸」は、モミタケマツタケ科)とする。
 信鴻が六義園に移って初めて記す種はない。また、植物を遣り取りした記録は、1日である。
○十月
 十月の日記には19日間に植物名の記載がある。また、ガーデニング作業と思われる記述は、5日ある。収穫の記載は14日ある。それら日記に記された植物名は29、10種である。この年の新たな植物の種類は3種である。以下順に示す。
 「琉球芋」は、サツマイモ(ヒルガオ科)とする。
 「松露」は、ショウロ(ショウロ科)とする。
 「柚」は、ユズ(ミカン科)とする。
 信鴻が六義園に移って初めて記す種は、サツマイモ、ユズの2種である。また、植物を遣り取りした記録は、5日である。
○十一月
 十一月の日記には8日間に植物名の記載がある。また、ガーデニング作業と思われる記述は、17日ある。収穫の記載は2日ある。それら日記に記された植物名は9、7種である。この年の新たな植物の種類は以下の1種である。
 「りんこ」は、リンゴ(バラ科)とする。
 信鴻が六義園に移って初めて記す種はない。また、植物を遣り取りした記録は、3日である。
○十二月
 十二月の日記には7日間に植物名の記載がある。また、ガーデニング作業と思われる記述は、14日ある。収穫の記載はない。それら日記に記された植物名は12、5種である。この年の新たな植物の種類は1種である。
信鴻が六義園に移って初めて記す種はない。また、植物を遣り取りした記録は、3日である。
 「鳳凰竹」は、ホウオウチク(イネ科)とする。
 信鴻が六義園に移って初めて記す種は、ホウオウチク1種である。また、植物を遣り取りした記録は、6日である。

○信鴻のガーデニングを安永八年およびそれ以前との違いを見る。
 安永九年は、ガーデニング作業と思われる記述は159日程ある。植物名を記した日は207日程ある。収穫した日は134日程ある。植物を遣り取りした日は63回程、植木屋へは15日程訪れている。それらの中から、記された植物名は395程あり、植物種は112種ある。新たに登場した植物の種類は14種である。
★信鴻がガーデニング作業をした割合は、45%と前年より少し低い。これは、これまでの中では、比較的高い値である。植物名を記した日数は最も多く207日を超え、前年より27日も多い。収穫した日数は、割合も最も高く39%である。植物を遣り取りした回数も最も多い。登場した植物の種類数は、90種と前年より少ないものの、それ以前の中では高い方である。新たに登場した植物の種類数は、14種とこれまでで最も少ない。
 安永九年の信鴻は、ガーデニング作業と採取・収穫の回数が293回となる。これは、同じ日に両方行っているからであり、前年より多く、これまでで最も多い。
 一月は寒かったためか、作業数が6日で、これまでで最も少ない。作業は園内の枯草焼きで、収穫は5日で、土筆摘みである。
 二月は、主に土筆などの春草摘みが20日、枯草焼や植栽などが13日行っている。
 三月は、蒲公・蕨等の春草摘みを23日、草木の実生堀り、植栽などを17日行っている。
 四月は、草の根堀りを主に19日、蒲公や春草摘みを8日行っている。
 五月は、草の根堀りやサツキの芽挿しなどを26日行っている。梅の実などの収穫は5日となる。
 六月は、草刈りや手入れなどの作業が12日、採取は3日行っている。
 七月は、作業が7日、収穫が6日と少なく、園中草払いとムカゴの収穫が主である。
 八月は、収穫する日数が多く22日に増え、月初めはムカゴ、後半は栗拾いとなる。作業は18日で、草払いが大半である。
 九月も収穫が26日と多く、この年は栗が豊作で椎も収穫している。月の後半には「初茸」が増え、「もみ茸」も加わる。収穫に忙しく作業は5日しか行っていない。
 十月は、土筆摘みを種に17日、サツマイモも作っていたようで収穫している。作業は5日で、柚の移植、草払い、芝焼など少ない。
 十一月は、芝焼が大半を占め、17日あるものの、収穫は2日である。
 十二月は、大半が芝焼で14日、収穫物はない。
 信鴻の安永九年のガーデニングを見ると、春先の土筆などの春草摘みが前年より多い。収穫物で気になったのは、一月に「庭の松脂を取製す」とあること。何か目的があってのことだろうが、わからない。また、「赤根」をフダンソウとしたが、アカネ(アカネ科)の可能性もある。信鴻が「茜」を知らないわけがないと判断したわけだが、「赤根」は二回しか記されていないため確証はない。夏に入ると「草根を掘」「草刈り」「芽を差す」が多くなり、収穫は減少する。秋には、栗拾い、茸狩りなどの収穫が前年より多くなり、これまでで最も多かったと思われる。冬には収穫が少なくなり、作業は芝焼が大半となる。
植物名を日記に記す日数は、月平均で17.3日とこれまでで最も多い。植物名の記載も、前年より少し多い。植物種類は90種と前年より少ないが、安永四年と同じで多い。植物名の記載が最も頻度の高いのは、安永三年より連続してスギナ(表記は土筆)で49である。次いでウメが27、クリが23、キクが19、マツが18、タンポポとハツタケが17の順になっている。
 新たに登場した植物の種類は18種で、それ以前の植物種を合わせて241種となる。
 以上のガーデニング作業を総合的に見ると、安永九年は、植物名を日記に記す日数、収穫日が最高である。晩秋の管理作業が少ないこともあったが、信鴻のガーデニングは、この年、安永九年がピークだったと思われる。