江戸庶民の楽しみ 58
★天明一年夏・四月~六月
★四月
三日○九少過より浅草参詣(略)谷中通上野中賑也、屏風坂より下り下寺真覚院大師参詣、甚群集(略)戸繋伊塾屋に休む(略)観音参詣、御手洗へ鰻放し榧八幡拝し、又伊勢屋隣小松屋(略)田原町二丁目(略)山下より竹町広小路へ出植樹を見る、人叢熱閙、ゑにした求(略)道朋町より数奇屋町へ出、男坂より湯島地蔵拝しお清鄽に休む(略)聖廟拝する(略)森川宿(略)大番町入口(略)帰廬七ツ時
八日別録○中村座頑要
十三日○九過より他行(略)木郷通、湯島聖廟参詣、お清鄽に休む(略)男坂より広小路植樹を見、六呵弥陀前より竹町へ出、立花前(略)新橋にて(略)爰より柳原通り昌平橋、本郷三丁め(略)松悦方にて暫く休み、帰廬七ツ時
廿九日○四過より珠成同道浅草参詣(略)谷中通、谷中観智院不動参詣(略)屏風坂より光厳寺地蔵参詣、三河屋に休む(略)三河屋向ひに四間半二階床附造立最中、鄽娘に問ヘハ植樹屋にて借坐敷の由、直に観音参詣、日中の勤最中、御手洗へ鰻放し伊勢屋に休む(略)車坂より入、世尊院前より片町へ出、円通寺文殊参詣(略)辻番前(略)八前帰廬
四月は、開帳の季節であり『武江年表』によれば、「○四月八日より、回向院にて、山城嵯峨二尊院彌陀釈迦圓光大師開帳、○浅草本法寺にて、下總國平賀本土寺祖師開帳、○茅場町薬師内にて、和州大峯天の河辨財天開帳、○古川薬師如来脇土彌陀釈迦、開帳、○鮫が橋崇源寺にて、甲斐國郡内小明見村西方寺十一面観世音開帳、○目白不動尊境内にて、武臓惣社住吉和歌三神開帳、勝呂大宮司」とある。 信鴻は、これらの開帳のどれにも出かけず、また外出自体が4回と少なかった。お隆の体調が良くなかったことが影響していたのだろう。
★五月
三日九半過より雑司谷参詣(略)和泉堺(略)竪原町、猫また橋、大学館裏坂上にて烟を弄し少休む(略)護国寺内観音参詣、出、外の茶屋に休み、薮そは(略)坂下(略)和泉屋(略)直に参詣(略)百度参(略)にて参り、又内陣にて拝し、和泉屋江行(略)護国寺にて又出、外の茶屋に休み、原町より新屋敷裏角伊勢屋より裏門、奥口より六少前帰廬
十七日(略)七少前より浅草参詣(略)谷中通、富士前の石橋(略)いろは中通の入口小道具や(略)車坂より出、御堂橋手前(略)蕣の苗を少サき塵取に植たるを穴沢に求させ、直に観音参詣、夕かたながら賑也、御手洗へ鰻放し構八幡拝し、伊勢屋に休む(略)誓願寺前(略)桟崎境の橋にて挑燈つげ、千駄樹(略)六過奥口より帰る
廿三日○七時より湯島参詣(略)吉祥寺(略)本郷通聖廟拝し、お藤鄽に休む(略)来七月朔日より北野聖廟開帳の札建る、女坂より下り池端町やき物や二軒へ寄(略)忍次の妙音島へ参詣(略)颯々甚涼し、谷中へ出、桟崎三峡稲荷朱瑞籬出来、六つ時奥口より帰る
五月の外出は、3回である。浅草は賑わっていたと、「塵取」に植えてあるアサガオの苗を購入している。この「塵取」、単なるちり取りであろうか、茶道具の塵取を連想するが確信はない。
閏五月
廿二日○四半頃より浅草参詣(略)富士裏の畑に又生樹垣結ひ人家出来、桟崎開連大黒参詣、いろはの焼亡の家既出来、車坂より出(略)戸繋伊勢屋に休む(略)観音参詣、御手洗へ鰻放し榧八幡拝し、風神門外にて金魚を見(略)前路を帰り、山下御徒士町より右折、光厳寺参詣、屏風坂より入、御本坊前(略)世専院前へかかり、富士前(略)八過帰る
廿五日○明七半頃、起日光へ発駕見に(略)富士前より行、御鷹部屋前にて落合ふ(略)池端通り三枚橋側石焼豆腐二階へ(略)弁当つかひ(略)五半頃中町通湯嶋参詣、草花求め加賀脇森田屋へ行(略)二階にて休む(略)急に思ひ立芝居江行、事は別録(略)今日六過帰る
閏五月の外出も少なく、2回である。お隆の健康状況が影響しているのだろうか。『武江年表』の記述もなく、情報が少ないためか、町中の賑わいはあまり感じられない。
気になる日記に、二十日の「白山相撲取」が訪れ庭を見物した記述がある。
★六月
十八日○明七過起、七半より浅草参詣(略)谷中通り大慈院両太師参詣、門の左右挑燈かかけ群集、屏風坂(略)光厳寺参詣、朝のつとめにて堂上僧衆多き故階下にて拝す(略)孔雀屋へ(略)戸繋伊勢屋に休む(略)直に薩埵拝す、堂上群集如常、御手洗へ鰻放し前路を帰る、田原町一丁め角(略)山下へ掛り広小路にて女郎花きり花買ハせ、中町通諾所金具屋鄽(略)湯嶋女坂より上る、お清鄽(略)徳治石町二丁口に鮓鄽出せし口状書を中芝居番附に作りたるを貰ひ、地蔵拝す、来二士二日北野聖廟御着坐につき御仮屋例の如く建つ、天沢寺前にて花火買ひ(略)加賀辻番前(略)五半比帰廬
六月も一回しか外出していない。それも浅草と湯島である。日記から、朔日に富士講の記述があるものの、他には注目するようなイベントはなかったのであろう。『武江年表』には、「○六月五日、浅草第六天祭禮神輿、出し練物出る、○六月十八日、四谷天王稲荷祭禮、神輿を渡し出し練物出る、○秋、関東洪水、江戸橋々損ず」と記されている。