★天明四年秋・六月~九月

江戸庶民の楽しみ 71
天明四年秋・六月~九月
★六月
四日○八半前よりお隆同道浅草(略)谷中通、車坂下(略)浅草中町(略)伊勢屋へ(略)薩埵拝し鰻を放し、榧八幡参詣、甚三郎・萩原と芥子助見に行、芸をせさる由にて帰る、因果地蔵拝し、又伊勢屋へ寄、並木を下り駒形より西折(略)山下(略)池端(略)此程立寄し酒屋にて水を貰ひ足を濯ひ(略)法住寺前(略)首ふり(略)六半頃奥口より帰る
十一日○七少過よりお隆同道日暮里へ(略)大黒師(略)笠志方へ立寄休み(略)暮少前日暮里さくらやへ行、床机にて納涼(略)浜田屋けんとん取寄、五頃起行(略)谷中道(略)笠森前にて茄豆売来り皆買せ喫、片道つく(略)首振坂団子屋を戸を明させ休み(略)御鷹部屋(略)神明へかかる(略)門へ人て四の鐘聞へ、奥口より帰り
十九日○七過よりお隆同道浅草参詣(略)動坂角酒屋戸を建、売居の札出る(略)夫婦一女皆疫にて失せし故売家に(略)千駄樹(略)谷中門(略)法住寺橋前此程新に造作せし家に雛を干有ゆ(略)山内に入、日長原(略)屏風坂を下り車坂門へ出、戸繋伊勢屋に休む(略)御堂晩故戸鎖外より拝す(略)御手洗へ(略)伊勢屋にて皆弁当(略)並木を下り夜鄽を見る、甚群集、駒形を過て西折御堂前江出(略)山下より黒門(略)中町(略)天神西門外いせ屋の門を叩(略)お隆着替、茶を飲暫休息(略)追分(略)松悦玄関へ上り茶を(略)四半過奥口より帰る
廿三日○七過よりお隆同道日暮里へ(略)富士裡より御鷹部屋後通り、石二王脇より道灌山稲秀、田面夕雰たち山北景色如画、相撲場にて若者三人角力とるを暫見、裏より佐倉屋へ(略)山の城控辺迄出る、寺の山上にて少涼み、鴫焼・田楽等やかせ酒をのみ(略)寺の門より出、田畑螢群飛風涼、螢をとり五過奥口より帰る
廿七日○七時より加隆同道浅草参詣(略)瑠璃殿(略)車坂(略)田原町(略)伊勢屋に休み薩埵拝し、御手洗へ鰻放し、又伊勢屋に休む(略)りき・石夜鄽見たかる故並木通を行、夜鄽甚賑し(略)駒形手前にて西折、山下にかかり(略)小鮮に行うち少橋辺にて涼み、中町通り板倉前(略)切通しお清宿へ(略)森田屋へ(略)肴店(略)不動前(略)奥口より帰る
 六月半ばには梅雨も明けたようで、夜店の賑わいを十九日と廿七日に記している。その間も、夜店は賑わっていたものと推測する。ただ、浅草などの盛り場はまだ賑わいがないようだ。なおこの月のイベントとして、山王権現祭が催されている。
★七月
三日○七過よりお隆同道日暮里へ涼に(略)富士裏(略)御鷹部屋の裏田畑村へ入、余楽寺の坂より道灌山日暮里佐倉屋へ行(略)庭の山へ行、佐くら屋にて田楽等云付、酒をのみ、六半前起行、笠森前、谷中通(略)千駄樹にて五の鐘聞え、半前奥口より帰る
十日○七時よりお隆同道浅草参詣(略)谷中門(略)車坂より下り、門外より甚賑なり、一月寺庭にて(略)太神宮内より熱閙市の如し、伊勢屋に休み(略)余群集故裏口より行、薩埵拝し(略)又裏口より伊勢屋へ行、お隆小松屋へ小解に(略)弁当つかひ浅草餅取寄(略)田原町(略)寺町にて小燈龍二買ひ、広小路中の腰掛三岡屋に休(略)西瓜なと取寄喫(略)池端にて後ろより大成葬礼来る、よけて先へ通す(略)切通(略)酒井門(略)四少過奥口より帰る
十八日○七過よりお隆同道浅草参詣(略)裏門前(略)御堂内(略)田原町にて家々挑灯とほす、御寺甚群集、直に参詣(略)榧八幡拝し御手洗へ鰻放し、因果地蔵拝し伊勢屋谷へ(略)お隆小松屋へ小鮮に(略)寺町三河屋辺(略)広小路藤屋(略)広小路中腰掛春日野に休み(略)池端通りより四半過帰家
廿二日○七過よりお隆同道日暮里納涼(略)富士うらより御鷹部屋後ろ(略)田畑通り、坐光寺を見晴し茶屋(略)法華寺庭へ(略)今日和哥の会なから人集少き様子(略)佐久良屋床机へ来る、甚涼し、田楽・鴫焼等云附、六半頃まて遊ぶ、帰路例の道、富士反畝(略)五過帰家
 七月の浅草周辺は、賑わっていたようだ。
★八月
三日○八半過よりお隆同道浅草参詣(略)富士(略)不動坂(略)谷中開運大黒前(略)中堂前(略)車坂下(略)上野大師参、賑なり(略)浅草戸繋伊勢屋へ休む、薩埵拝し、御手洗へ鰻放し(略)涅槃堂の念仏を暫聞、榧八幡拝し、因果地蔵参詣、又伊勢屋に休み(略)お隆小松屋へ小鮮に行、直に裏より吉原より来りし鄽の夜色をみんと裏道へ出れハ、番太郎門〆切し由罵る故又いせや内より前路を帰る、山下(略)伊勢屋みき宿へ(略)立寄暫休む(略)木郷通り肴店(略)四前帰る
九日○お隆同道無量寺参詣、七過より(略)無量寺参詣、少し庭より裏門へ出、笠志邸に暫休み、御用屋敷前より行、争椙より田畑村へ下り余楽寺参詣、不動坂より六頃帰る
十二日別録○同座頑要
十八日○九過よりお隆同道浅草参詣(略)不二裏(略)山内太師参、甚賑し、屏風坂より出、光岩寺参詣付与力町へかかる(略)孔雀屋前(略)浅草太神宮の内にて天一方せり売の札を取る、参詣甚群集、伊勢屋に休み(略)薩埵拝し(略)風神門(略)車坂門より入、瑠璃殿(略)護国院太師参詣、甚熱閙、太師門内(略)谷中門(略)奥口より七半頃帰る
廿二日○九過よりお隆同道雑司谷参詣(略)西門より出る、猫また橋(略)護国寺観音拝し(略)鬼子母神参詣茗荷屋に旗本客らしく男女十余人二階に在(略)和泉屋にて吸物・さかな等云つけ、夕餉八頃来り八半頃起行、鄽主に茄栗貰ふ、秋色大に晴尽(略)御嵩前(略)野通り七半過西門より帰る
廿七日別録○中村座頑要
 八月は6日出ているもの、2日は芝居である。浅草は、特別なイベントがないものの変わらずに賑わっていた。
★九月
朔日○九頃よりお隆同道浅草参詣(略)谷中通、車坂を下り(略)戸繋伊勢屋に休む(略)観音参詣、鰻放し榧八幡拝し、又い勢屋に休む(略)馬道の京屋の千里芳屋へ来る、帰路広小路(略)三河屋辻より行、貞操院へ(略)彼処にて夕餉(略)池端へ下る頃より十二許の小僧(略)蔵前寺へ使に行帰ると云、いろはの下辻迄召連(略)池端より灯を点し六半過帰廬
二日別録○森田座頑要
五日○九半時よりお隆同道月桂寺参詣(略)西門より出、猫また橋向の阜の老蛯か茶屋に休み、音羽町より行、榎町(略)直に諸墳墓巡拝(略)直に出、尾公御舘裏通りより市谷八幡裏門を人則拝し(略)茶木稲荷拝し堀側通りを行(略)とんと橋より諏訪町、牛天神後の坂より天神参詣(略)女坂上の茶屋に休み(略)水戸侯脇寺の前にて菩提子を拾ひ上餌差町より柳町、桜観音前(略)円通寺前(略)六過帰る
十一日○八半頃より日暮里へお隆同道(略)田中より笠志郭上に休む(略)御用舘前より道濯山通り(略)五十許奥老女らしき者一人次勤らしき者一人下女めきたる者と秋花を摘居たり見晴へ行、法華寺庭より入る旗下らしき老人寡婦同道婦人二三人法華の亭坊同道にて見晴しへ(略)佐倉やにて菜飯・田楽等云付る(略)佐竹下舘を過て挑燈つけ、暮過奥口より帰る
十三日○八頃よりお隆同道、上野・湯島参詣(略)谷中通り瑠璃殿へ参詣(略)常行堂向の松原内より清水参詣、山王へ行、広小路へ出、中町にて手遊十挺を甚三郎へ買遣し、小さき鉢うへを買、女坂より湯島お清鄽に休む(略)聖廟参詣(略)西門より出、みき宿幾世餅やに成(略)本郷通より帰る、土物店にて柚子求め、奥口より暮時帰廬
十四日○八半前よりお隆同道雑司谷へ(略)西門より(略)猫また向の老嫗か腰掛に休み、護国寺観音参詣(略)和泉やより表坐敷明たれハ(略)行、吸物・田楽・硯ふた鉢物等出す、離坐舗より客二三人覗く故障子立る、小僕崖下より様子をかけ、郁李を取籠に入貰ふ(略)藪そは前の道より帰る(略)前路をとり大学館出外にて(略)後ろより浪人五六人唄声色つかい来り、小原町にて分れ、六半前にし門より帰る
十七日○九過よりお隆同道浅草参詣(略)富士(略)谷中門(略)中堂前(略)車坂より出、浅草参詣群集、伊せ屋に休む、厠小鮮所新に建、薩埵拝し東磴より下り、榧八幡参詣、牢人夫婦の河東節を暫く聞、例の念仏をも立寄て聞、仁王門下にて手遊びを見、又伊勢屋に休み、弁当・浅草糕を喫、前路を帰る(略)門跡前にて七の鐘聞ゆ、又車坂より入、暮前奥口より帰る
十八日○九頃よりお隆同道、千住慈眼寺野島地蔵尊開扉へ(略)富士裏より御鷹部屋後通、下田畑より道灌山(王子参詣多)塁跡の坂より下り反畝道より三河島本道へ出、長盛薬師堂拝し、千住天王手前(略)問屋後ろ慈眼寺開扉拝す、道左二十間計入軽業みせ物在、御影求め裏門橋より出、宿内の浄土宗源長寺の坐敷を仮り弁当(略)本堂甚大なり、本尊弥陀を拝す(略)堂前に村の小女小き毬をつくを見、金杉通り牛頭天王拝し、山伏松にかかり、芋坂より感応寺裏門を入る、唯今富落しとて堂前熱閙、笠森拝しいろは不動(略)暮過奥口より帰
廿一日○七頃よりお隆同道近郊閑歩(略)表門より出、庄八宅を通り抜、大沢前より山王山(略)坂下にて珠数玉の草を取(略)上田畑民家へ立寄、柚子の生たるを見、老介坂四辻酒屋の菊を見、伊藤を笠志へ案内に遣し、留守の由直に休む、如貢在、瀧川へ蕎麦振廻に行し由、帰掛植樹やへ立寄菊壇を見、植菊を買ふ(略)暮頃表門より帰る
廿七日○七過よりお隆同道近隣の菊を見に行(略)西門より北行、加賀北脇四郎左衛門・弥三郎菊を見、又五郎辻より市左衛門菊、稲荷小路へ出左太郎菊を見、暮時西門より帰る
廿八日○九過よりお隆同道王子祭見物(略)笠志鄽にて小休(略)塗中賑し、権現の橋より内群集熱閙、権現拝し(略)笠志拝殿(略)見物一杯、右側は旗本衆らしき供十人計、医者らしき者二人、惣髪の男一人、子息らしき十二計と八計なる同道(略)拝殿の橡側広前大群集、待事甚久し(略)具足着たる者割竹を持人叢を分来る、次に麻上下の者杖を持三人素抱着、四人金輪寺左右に頭に花飾し児二人赤傘ささせ白丁三人長老拝殿正面毛氈上に坐し児左右に侍立傘持七度半の使に寺門迄往返済て烏帽子如く色とりたる駒返といふ物色俗を注連の如く付たるをかふり純子狩衣に鼓携たる二人具足に長刀を持大太刀を右へ三左へ四つ佩たる二人角なる物に是も注連の如き物をさけ上に花を餝りひんささら持たる二人太鼓持たる二人是も狩衣同断舞台下にて一人つつ舞踏三拝舞台にて古風成舞在、神職めきたる者太鼓・笙を合奏す、舞人の所作古風にて書取かたし、下山参詣するゆへ此方へ呼、高崎侯取次の由、隻瞽の武士隣の囲の中へ入り供の者咎め出す(略)社右の小社の橡にて五十許の女絶気の様子にて頭へ針なとたつる様子漸々気の付たると見ゆ、七頃済て見物舞台へ上り頭の花を取事喧嘩の如く騒し(略)人半散うち社右広前に休みもまれながら出(略)暮前帰る
廿九日○七つ時起六過より加隆同道防天寺目黒参詣(略)挑燈にて出る、白山前(略)六角坂(略)牛天神坂(略)泰平観音参詣、堂宇の小庵を仮り火にあたり茶を出す(略)善光寺前金王参詣、裏門より出(略)下渋谷原(略)別所より砧天寺(略)観音拝し砧天・首海墳墓へ詣、坐敷かり弁当つかひ御成の間を見、裏門より野通り目黒山の門より入女坂(略)本堂拝し御堂廻り本道へ出、参詣熱閙宿外初紅葉、水茶屋に休む(略)正月屋粟餻坐舗に休(略)高野寺参詣、本堂へ安楽院案内、成慶院も出られ内陣にて拝し坐敷へ(略)二汁七菜料理饗膳、庭山へ登り遠望、菊壇を見(略)泉岳寺義士の墓江参詣(略)高輪(略)浜松町(略)将監橋わたり日暮神明参詣、内陣迄拝見、箔門建、爰より挑灯、宇田川町小西水茶屋に休み(略)神田井筒やに休む(略)伊豆蔵前(略)五半過帰家
 この月10日も出かけ、道中での出来事を詳細に記述している。「奥老女らしき者・・・秋花を摘居たり」「浪人五六人唄声色つかい来り」「牢人夫婦の河東節」「村の小女小き毬をつく」「五十許の女絶気の様子」など、信鴻ならではの視点である。なかでも二十八日の笠志拝殿橡側広前で繰り広げられた儀式は、関心の高かったとみえ、その場を彷彿させように記している。
 『武江年表』によれば「○九月十五日より十月十四日迄、千佳慈眼寺にて、野島浄山寺地蔵尊開扉」とある。信鴻も十八日に出かけ、「二十間計入軽業みせ物在」などの様子を記している。