庶民を巻き込んだ園芸のバブル

江戸庶民の楽しみ 80
庶民を巻き込んだ園芸のバブル
 一八〇四年(文化元)頃に、堀切村(現葛飾区)の百姓小高伊右衛門が安積沼から菖蒲の苗を移植し菖蒲園作りに着手した。また、佐原鞠塢が寺島村に花屋敷(新梅屋敷、現在の向島百花園)を開いている。
一八〇七(文化四)年、大田南畝巣鴨の菊を鑑賞しに出かけたように、植木屋が一種の行楽地として注目されるようになった。そうなると、植木屋の方でも、菊の花で人物や鳥獣を形作って見世物にするなど、次々とアイディアを競うようになる。一八一二年(文化九)には、巣鴨、染井の植木屋が五十余カ所で菊細工(菊人形など)を披露している。
 そしてこれら行楽地が目指すものは、明らかにビジネスであり、現代の遊園地経営と何ら変わりがなかった。それ以前の行楽地は、「功徳をいただく」とか「厄払いをする」といった宗教的な目的をもって訪れる場所であった。また、吉宗が命じた遊覧地は、基本的には「お上」が作ったもので、来訪者の嗜好を十分に汲みあげてはいなかった。が、一方の百花園(花屋敷)や植木屋が始めた行楽地には民営遊園地としての柔軟な経営方針が見られ、訪れる人々も信仰心よりは、心ゆくまで楽しみたいという気持ちが勝っていたに違いない。
 柔軟な経営方針というのは、たとえば、植木屋の菊の造り物を見てもわかる。初手は白い菊で富士山(富士講の流行)を作り、次は黄色い菊で虎(まだその当時、江戸の庶民は本物の虎を知らなかった)を作る。さらに鳥や船など作っていくうちに、人気は高いが、庶民には手の届かない歌舞伎の名場面を再現するというアイデアに行きついた。いわゆる「菊人形」に発展させたわけだが、植木屋たちは、時々の流行や話題を取り入れることにすこぶる敏感であった。
 また、百花園の運営の仕方もユニークで、頻繁に訪れる文人たちの提案や経営者とは違った自由な発想を取り入れながら行われた。いずれも、民間経営なので、当然、来訪者から何にがしの金を得なければならない。
 ただし、観覧料などというありきたりの方法ではなく、植木屋では客が菊人形見物のついでに、草花や盆栽などを買って帰ることを期待した。また、百花園では、入園料をとる代わりに、お茶や梅干、来訪記念の焼き物や出版物などを販売して収入を得るなど、ここでも一捻り効かせている。
 ここで注目したいのは、焼き物が隅田川の土で作られ、猪の子の形をした「蚊いぶし」や「都鳥」の箸置きなど百花園でしか売っていないご当地グッズ。しかも、庶民が気軽に買える価格であった。また、出版物は、庭園のガイドブックともいうべき、『春野七草考』『秋野七草考』『都鳥考』『墨水遊覧誌』などであった。特に『秋野七草考』は花屋敷ならではの売り物として人気を呼んだ。
「百花園」の人気は、式亭三馬の『浮世風呂』にも取り上げられているくらいだ。それ以降に作られた民営行楽地、たとえば蒲田梅屋敷、入谷朝顔園、小高園(花菖蒲園)なども、百花園に続けとばかり、飲食や土産物を主な収入源とする経営方法を採用した。
 ところで当時の江戸の行楽地が菊や朝顔など、今で言う、自然を求める場として成立しえたのは、すでに江戸で園芸ブーム、現代のガーデニングブームが江戸に起こっていたからである。たとえば『江戸繁盛記』(寺門静軒)には、「箸ぐらいの大きさの上部半分が白いオモトを、十両で買った人がいた。その人は数日のうちにそのオモトを七十両で転売した。それを聞いた人が百五十両で買おう名乗り出たが、その人は申し出を断り、とある大名に献上したら三百両の褒美を得た」(大平の万年青)というびっくりするような話が出ている。
 江戸のバブル経済は十八世紀後半から始まり、盆栽や石灯籠などガーデニング用品に異常な高値が付く(一八四二年に十両以上の手水鉢等の販売禁止の触が出されており、当時の沸騰がうかがえる)という現象も起きていた。こうした園芸のバブルは、一七九七年(寛政九)に植木屋が高値売買の容疑で吟味を受けたり、翌年(一七九八年)に珍品盆栽の高値売買が禁止となっていた頃には、すでにかなり加熱していた。
 一方大坂では、二三〇〇両(約一億円)もの値がついた橘(ヤブコウジ科のカラタチバナ)が出現した。うまくすると一鉢が百両・二百両にもなるとなれば、上は大名から下は長屋住まいの庶民まで巻きこんだ園芸ブームが起きるのも不思議ではない。(一八一二年石菖蒲、一八一五年変化朝顔、一八一六年紫万年青の流行、以後一八五二年小万年青の高額売買が禁止される頃まで)。縁日や開帳などで、必ずといっていいほど植木や草花が並ぶようになったのは、ちょうどこの頃(江戸後期)からである。

★文化4年1807年
2月  品川宿に6尺7寸の大女の飯盛女「つた」が大人気
3月 中村座で『さるわか栄曽我』十人切り大当たり
春頃 回向院での幸手不動院開帳(大護摩ニ人ガ集マリケガ人)を含め開帳5
4月 湯島天神での大塚大慈寺開帳を含め開帳4
4月 中村座で『五節句の所作事』大当たり(矢根五郎ト七夕大評判)
夏頃 両国橋辺大川夕涼み少なし
6月 浅草刑場に見物人が繰り出し、飴や菓子類が売り切れ
7月 結城座で『女郎花縁助太刀』初演
秋頃 浅草観音開帳を含め開帳4
8月 深川八幡祭礼の参詣人多く、永代橋落ち死者1500人
9月 神田明神祭礼、子供相撲出す
9月 青山熊野権現祭礼、山車練物出す
11月 中村座で『会稽雪木下』大当たり
11月 回向院で勧進相撲
☆この年のその他の事象
秋頃 太田南畝が巣鴨へ菊を観賞に出かける
滝沢馬琴『珍説弓張月』前編刊行
○寄場(寄席)の支配が乞胸の支配から公許となる

★文化5年1808年 
2月 中村座で『伊勢音頭恋寝剣』十人切り大当たり
春頃 市ヶ谷柳町光徳院開帳を含め開帳2
3月 回向院で勧進相撲
3月 中村座で『頃盛花韓譜(コロモヤヨイハナゴノケイヅ)』評判よく大入り
5月 中村座で見物が言いがかりをつけ舞台に上がり歌右衛門を打擲(チョウチャク)
4月 両国尾上町柏屋で喜久亭寿暁が咄の会を催す
5月 中村座で『千本桜』歌右衛門人気で大入り
夏頃 回向院での葛西半田稲荷開帳を含め開帳3
8月 ねんごろ風邪大流行
閏6 回向院で尾上松助が施餓鬼を催し人々群集する
閏6 市村座で『彩入御伽艸(イロイリオトギグサ)』早変わり大当たり
秋頃 麻布狸穴に初めての作り菊
秋頃 回向院での那須郡黒羽篠原稲荷開帳を含め開帳2
10月 芝金杉円珠寺開帳
10月 回向院で勧進相撲
冬頃 湯島天神で大女の力持興行
○両国に「水豹」の見世物出る
○渋谷長国寺の開帳に女の足芸興行が好評
☆この年のその他の事象
1月 大雪
4月 大地震
9月 女浄瑠璃の取締
10月 米価高騰

★文化6年1809年
1月 元日大火事で市村座中村座焼失、そのため仲役者等が市ヶ谷八幡境内芝居に出勤し、宮地の役者と混じり興行し大入り
1月 浅草柳稲荷向う仲茶屋に力持女太夫淀瀧が出演し評判
2月 茅場町薬師で勧進相撲
3月 堺町中村座、葺屋町市村座再建
春頃 増上寺中宝珠院開帳を含め開帳4
3月 駒込円乗寺で八百屋お七の百二十七回忌法事に参詣者群集
3月 繰座で『うとう物語』大仕掛けで大当たり
4月 市村座で『霊験曽我蘺』大入り大当たり
4月 江ノ島岩屋弁財天開帳、江戸より参詣人多数
4月 江戸でも所々で弁財天開帳、行徳徳願寺開帳
5月 中村座で『仮名手本忠臣蔵』大当たり大評判
秋頃 回向院での常陸真壁郡船玉村龍蔵院開帳を含め開帳4
6月 森田座で『阿國御前化粧鏡(ケショウノスガタミ)』大入り
8月 朝寝坊夢楽、両国柳橋大のし富八楼で咄語の会を催す
10月 回向院で勧進相撲
11月 市村座で『貞操花鳥羽恋塚(ミサオノハナトバノコイヅカ)』大当たり
☆この年のその他の事象
1月 式亭三馬浮世風呂』初篇刊行
2月 三橋会所、永代橋・新大橋の普請を引受け、一人2文の橋銭を廃止
12月 幕府が『徳川実記』の編纂開始
池之端の寄席・吹抜亭で音曲咄売り出す

★文化7年1810年
1月 烏亭焉馬、咄初めの会催す
1月 中村座で『江戸春御贔屓曽我』大当たり
2月 茅場町薬師で勧進相撲
2月 新宿三光院稲荷祭礼で曳き屋台が揺れて子供大勢が転落、一人が死亡
春頃 中橋の茶屋小川で八人芸連日大入り
春頃 回向院での越後国乙宝寺開帳を含め開帳7
5月 森田座で『中臣講釈』大当たり大評判
夏頃 回向院で嵯峨清冷寺開帳(例年ヨリ参詣人多数)を含め開帳5
6月 東両国の観場に「人面狗」、木戸銭12銭で群集する
8月 護国寺で信州座光寺開帳
9月 市村座で『当秋八幡祭』狂言一番目より好評で大入り
10月 回向院で勧進相撲
11月 森田座で『物見車雪高楼(ドノ)』女盗賊の富三郎大当たり
☆この年のその他の事象
3月 大火で江戸の大半が消失
○38文均一という安売り店が出現

★文化8年1811年
1月 文楽の芝居、ばくろ町稲荷境内で興行を始める
1月 中村座で『東都名物錦絵始(アヅマノメイブツニシキエノハジマリ)』大当り
2月 森田座で『台賀栄曽我(シンブタイサカエソガ)』大当たり
2月 茅場町薬師で勧進相撲
春頃 根津権現開帳を含め開帳6
春頃 両国柳橋大のし富八楼で三遊亭可楽咄の会開催
4月 深川仲町の男が天鵞絨(ビロード)元結で鳥獣草木を作り見世物
4月 永代寺で芝居の仮屋がこわれ見物人2人死亡ケガ人多数でる
5月 谷中感応寺での影富を禁止、富札を売った者、買った者を処罰
5月 中村座で『花菖蒲佐野八橋』大入りなりしが差留め
夏頃 回向院開帳を含め開帳5
6月 繰座でからくり・子供芝居始まる
7月 中村座で『菅原伝授手習鑑』好評、後で単独上演
7月 橋場神明宮内天満宮開帳
10月 東本願寺御堂普請成就、詣人夥し
11月 回向院で勧進相撲
11月 中村座森田座の顔見世興行互角の大入り
12月 富突禁令再度出る
☆この年のその他の事象
○下層の者が彫物をすることを禁止

★文化9年1812年
1月 中村座で『仰高富士根曽我(アオゲバタカシフジガネソガ)』大当たり
1月 大薩摩吉右衛門座で子供芝居
春頃 渋谷長谷寺で京清水寺開帳(参詣人多数デ商イ仮小屋並ブ)を含め開帳5
2月 浅草観音花相撲の打上げで酔った力士が抜刀、侍に斬りかかり討たれる
3月 市村座で『姿花江戸(アズマ)伊達染』初演評判で入りあり
3月 両国柳橋大のし富八楼で朝寝坊夢楽が咄の会開催
3月 中村座で無銭見物の鳶の喧嘩があり、芝居出方2人が死罪、芝居は大入り
4月 中村座で『亀山染読切講釈』市蔵大当たり
4月 深川元町神明宮で勧進相撲 
5月 上総武射郡本須賀村蔵音寺開帳
7月 中村座で『増補読切忠君講釈』大当たり
秋頃 浅草新寺町玉泉寺開帳を含め開帳2
秋頃 音羽音羽の滝ができ、評判となる
9月 中村座で『平仮名』『寿三番叟』早朝より大入り
9月 巣鴨染井の植木屋が菊の花で人物や鳥獣の形を作り見せる
11月 回向院で勧進相撲
11月 市村座で『御攝恵雨乞』大入り
11月 森田座で『雪(ユキモ)吉野恵木(キゴトノ)顔鏡』大当たり
○目黒滝泉村湯島天神に富突き興行許可(谷中感応寺ト合ワセテ「江戸ノ三富」)
○浅草田圃鷲神社、虎の門京極邸の金比羅宮、芝赤羽有馬邸の水天宮などに参詣者多く集まる
☆この年のその他の事象
春頃 葛西木下川浄光寺裏門通りに桜が多く植えられる
11月 浅草龍泉寺村から出火、遊郭全焼