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★凧揚げ(安永二年閏三月・四月)

…○采女原へ交如遣し、楓鉢二箇求む(青葉・八しほ・名月) 五日 快晴白雲流○更馭○丑過より大風大起 ○朝後房にて音字風巾をあけ、町へ取て遣る ○前町、万字風巾・松狐風巾・磐若風巾・今朝の音字風巾、総四箇を取り、万字ハ破れ、余二つ家中児輩へ遣し、赤豆糕与ふ 六日 繊雨蕭々タ晴 ○八ツ前霞関芸州侯向ふやしき火事、火気よく見ゆる、皆出る、寐所より出て町へやへ行、火事を見る、無程消火 七日 くもりのち子より雨 ○風巾あくる、前町、万字の凧を取る 八日 雨森々 ○栄蔵、親紡の花持参、花筒…

★盛り上がる江戸の祭り

…月、市村座で、富士田楓江が長唄を始める。 ○孔雀の見世物が出る ○白陰が深川臨川寺で講説し、良賤群集する ○両国で碁盤娘の見世物興行が催される。 ○亀戸妙義山開帳を含め開帳4(開帳期間不明) 庶民の遊びがいかに楽しいものだったかということは、江戸の祭りを見ればよくわかる。当時、江戸を代表する祭りといえば何といっても、天下祭り(1615年に始まった山王権現祭礼、1688年に始まった神田明神祭礼、そして、吉宗に止められたために1714年の一回きりに終わった根津権現祭礼の三つを指す…

★御開帳

…石神井川に千数百本の楓を植栽する。 ○全国的な飢饉、米価が高騰する。 ○目白不動院開帳(開帳期間不明)を催す。 ○江戸砂子初輯成る。 ○上野寛永寺・大久保七面社の桜に遊覧者多し。 ○下谷正灯寺・鮫洲海晏寺などで紅葉の見物人が増える。 花見と並んで、春の行楽として人気の高かったものに「開帳」がある。ただ、最近では「開帳」という言葉を聞いても、なんのことだかわからない人が多くなっている。開帳とは、寺社で、普段参拝が許されていない秘仏を、一定期間帳 を開いて信者に見せ、結縁の機会を…

『花壇地錦抄』6草木植作様伊呂波分7

…れらは「白もくれん、楓、かうるひ、柿のるひ、椿、梨子、梅のるひ、梅嫌、栗、藤、さんせう、さつき、桃るひ、モクレン、もくせい」の15ある。示された植物は、美しい花や葉、果実を短期間で得ようとするために接木をするのであろう。これらの中で、「梅嫌、さんせう」などは現代では需要が少ないこともあり、あまり行われていないと思われる。それより、ブドウやサクラ類の方が行われており、当時は少なかったのだろうか、それとも著者が実際に接木をしなかったのだろうか。特に、現在では常識化しているシャクヤ…

『花壇地錦抄』6草木植作様伊呂波分2

…するものだろう。 「楓」はカエデ、本文中の「楓」と同じ表記である。 「かうるひ」はミカン総称名、本文中の「柑」に対応するものだろう。 「かいたう」は海棠総称名、本文中の「海棠るひ」に対応するものだろう。なお、本文中の「海棠」はハナカイドウを指している。 「かきのるひ」はカキ、本文中の「柿」と同じ表記である。 「からたちはな」はカラタチバナ、本文中の「唐たちはな」に対応するものだろう。 「寒あふひ」はカンアオイ、本文中の「寒葵」に対応するものだろう。 「かりや」は、初めて登場す…

『花壇地錦抄』3夏木

…壇地錦抄』3夏木 ○楓のるひ・・・23品 「楓のるひ」は23品あり、すべてに説明がある。「江戸版」「京都版」とも同数でほぼ同じである。「楓のるひ」は、「高雄・八しほ・野村・せいがいは・しやうじやう・楊貴妃・たつた・獨搖楓・大しだり・うすかき・いともみぢ・二面・南京・青葉・十二ひとへ・板家・九重・なりひら・鳳凰・朝日・通天・かよひ・日光楓」の品名がある。以上23品の中で、『牧野新日本植物図鑑』で確認できたのは、「高雄・板家」の2品である。 「高雄」は、タカオモミジ(カエデ科)。…

十六世紀の植物名について

…下学集1444年 ・楓 カエデ(カエデ科)・・・総称名・・・カエデの初見→万葉集785年前 ・柹 カキ(カキノキ科)・・・種名・・・カキの初見→正倉院文書757年 ・杜若 カキツバタ(アヤメ科)・・・種名・・・カキツバタの初見→万葉集785年前 ・樫 カシ(ブナ科)・・・総称名・・・カシの初見→古事記712年 ★梶 カジノキ(クワ科)・・・種名 ★葛 カズラ・・・総称名 ・槳草 カタバミ(カタバミ科)・・・種名・・・カタバミの初見→本草和名918年頃 ・桂 カツラ(カツラ科)…

『続華道古書集成』全五巻の花材1

…新しい花材は、「板屋楓」「田村草」「土佐水木」「ムヘ」「野田藤」「胡貝母」の6種である。 「板屋楓」は、カエデ科落葉高木イタヤカエデとした。 「田村草」は、キク科多年草タムラソウとした。 「土佐水木」は、ミズキ科落葉低木トサミズキとした。 「ムヘ」は、アケビ科常緑つる性木本ムベとした。 「野田藤」は、マメ科落葉つる性木本ノダフジとした。 「胡貝母」は、ユリ科多年草コバイモとした。 ★『唯可順生花物語』に記された新しい花材は、「まるめろ」1種である。 「まるめろ」は、バラ科落葉…

『明治四十五年・大正一年日記』

…夏は庭前の銀杏、松、楓、椎、榧、梧桐、合歓木などの梢に登り枝葉を払って涼風の座敷に通うようにし、冬は霜除けのかこいをつくったりした。」と、この日はいつもの植木屋が訪れた。鷗外は、子どもたちと花畑で庭作業をしながら、竹垣ができるのを見守っていた。 「二十八日(木)。晴。道濕りたり。寒からず。櫻所々に開けり。・・・」 「二十九日(金)。陰。櫻盛んに開く。・・・」 「三十日(土)。薄曇。悪路。花卉の芽多く出で。貝母の花開く。」 「三十一日(土)。晴。妻、茉莉、杏奴上野へ花見にゆく。…

「観潮樓」の庭づくり・その2

…うな庭を、 「庭木は楓が一番多く、表玄関の屋根の際にあった一本は、天狗の団扇のような形で、へりにぎざぎざのある、大きな葉の、珍しい楓だった。楓には秋に紅葉するのも、しないのも、あった。青桐、杉、檜、沙羅の木、なぞがあったが、これも母の言葉によると、木々の位置の工合に工夫があって、そんなに広くない庭が、こっちから見ると奥深く、大げさに言えば深山のように見せてあるのだそうだ。」と、『残雪』に茉莉が書いている。 また、次女の杏奴は、 「太い大きな公孫樹の木があり、紅葉や、木蓮、椿そ…

『花道古書集成』の花材の呼称名1

…する。 カエデは、「楓、紅葉、栬(かえで)、鶏冠木、紅楓、若楓、もみじ」とある。「楓」「もみじ」「かえで」などは、本当は種名で名称を記すべきであるが、わからないので総称名として属名のカエデとする。なお、「もみじ」「紅葉」などは、色づいた葉の植物を指しており、カエデ属ではない植物を指していることもある。 カシは、「枳殼、櫧木、樫木」とある。「樫木」は、植物名をカシとしたが、堅い木、カシ類を総称している可能性がある。 カンゾウは、「くはんさう、くわんざう、くはんそう、萱草、宜男、…

『花道古書集成』第一巻の花材その1

…てイチゴした。 「楓」「もみじ」「かえで」は、本当は種名で名称を記すべきであるが、わからないので総称名として属名のカエデとする。なお、「もみじ」などはカエデ属ではない場合があり、慎重に判断しなければならない。 「くはんそう」は、ノカンゾウかヤブカンゾウなどのカンゾウ類ということであろう。名前からは、判別できないので総称名としてカンゾウとする。 「柘榴」については、『攅花雑録』によれば「ざくろは花ざくろの事也」とある。ザクロとハナザクロは異なると思えるが、この解説によると、当時…

続華道古書集成の植物 第一巻

…がある。 「板屋楓」イタヤカエデの初見は、『花壇地錦抄』(1695年)とされている。 「田村草」タムラソウの初見は、『花壇地錦抄』(1695年)とされている。 「土佐水木」トサミズキの初見は、『和漢三才図会』(1713年?)とされている。 「ムヘ」ムベの初見は、『本草和名』(912年頃)とされている。 これらの初見の時期から、寛保年間(1741~1743年)に写されたことに矛盾はない。 また、「野田藤」の記載も初めてであるが、ノダフジはフジの別名である。フジには、ノフジ(ヤマ…

茶花と花材の植物名その4

…→万葉集785年前 楓=カエデ=もみぢ=カエデ・・・『仙傳抄』1445年(文安二年)に記される。 栬=カエデ・・・『替花傳秘書』1661年(寛文元年)に記される。 紅葉=カエデ・・・『立花正道集』1684年(天和四年)に記される。 鶏冠木=カエデ・・・『立花秘傳抄』1688年(貞享五年)に記される。 若楓=カエデ・・・『立花訓蒙図彙』1695年(元禄八年)に記される。 カキ(カキノキ科)・・・種名・・・カキの初見→正倉院文書757年 柿=カキ・・・『山科家礼記』1491年(延…

江戸の盆栽 8 鉢植の用途

…殖を貰ふ」、廿七日「楓接分鉢殖二つを給ふ」と、4回ももらっている。(4回) 四月には、十一日「楓鉢うへ四ツ貰ふ(浦苫や・初楓・唐棧錦・猩々)」、廿五日「楓接分鉢うへ貰ふ(青したれ・手向山)」に加えて、「釣り荵」「鎧通桃・糸薄鉢うへを貰ふ」とある。鉢植を貰ったのは、二日間であるが、その他に七日「夏菊花を貰ふ」、廿二日「花菖蒲十七品来」、廿四日「石竹夏気白長春貰ふ」と「夏菊貰ふ」がある。これらは切り花と思われるが、鉢植や根のついているものもあったかもしれない。(3~4回) 五月に…

江戸の盆栽 7

…ない。 「真の唐楓樹」は、カエデ科の「トウカエデ」。 「相思子」は、『本草図譜』に「とうあずき 相思子 とうあづき なんばんあつき てんじくささけ」とある。マメ科の「トウアズキ」「ナンバンアズキ」か。 「濱斑入りヲモト」は、濱斑入りのユリ科「オモト」。 「コタンリン(嶋らんなり)」は、蘭の一種であろうがわからない。 「唐ツガ」は、中国産のツガであろうか、よくわからない。なお、マツ科「バラモミ」の別名(『樹木大図説』による)とも考えられる。 ★十兩、200万円となる。 「数年持…

江戸時代の並木

…は、街路樹となった唐楓(トウカエデ)を、世間に広めよと申し渡した八代将軍吉宗の意向が反映されてのことかもしれない。 また、並木を傷つける人は江戸時代にもやはり存在したと見え、取締りの高札が建てられている。植えつけたばかりの苗の側を踏みつけたり、枝を折ったり、さらには焚き火をしたりと被害は多かった。幕府は、道幅や並木敷きの問い合わせに対し、文政七年(1824)、道幅は二間以上、並木敷きは九尺以上と答えている。もっとも、この幅は最低限の数値を示すもので、日光道では並木敷きだけで片…

江戸の植木屋 その1

…。元禄年間には『歌僊楓集』カエデ三六点の葉を原寸で彩色し、絵には源氏名を付け、その名の由来を示す古歌や特性を添えた稿本(印刷された本に対して、筆写されている本を指す)を残している。続いて宝永年間には、同じようにカエデ三六点を写した『新歌僊楓集』、そして享保年間末には、カエデ二八点を同様にまとめた『追加楓集』を編さんした。これら歌僊楓三部作のカエデは合計で100品(百色カエデ)となった。『追加楓集』の巻頭には吉宗から拝領したカエデの図を描かせ、頌布を許された感激を添書きしている…

ガーデニングバブル

…っと主流を通してきた楓であり、橘をはじめとする「金生樹」であったりと、不思議なことに一様に地味な植物であった。 こうしてみると鑑賞対象は、花というよりむしろ葉や実、樹形、盆栽の仕立て方というようなところにあったようだ。特に橘は斑入り、葉変わりに面白いものが出やすいという特徴があり、これは当時、大変重要視される要因であった。橘は当初、大阪の好事家たちが百両金と呼んでもてはやしていたのがまたたく間に江戸にも伝わった。そして寛政九年(1797)、わずか一年の間に『橘品』『橘品類考前…

武士のガーデニング

…いる。さらに法師は柳楓の若葉、橘、桂なども称賛している。 ついでに言えば、法師はいわゆる日本的なシンプルなものがお好みだったようで、「世に稀なるもの、唐めきたる名の聞きにくく、花も見慣れぬなど、いとなつかしからず、大方、何も珍しくありがたき物は、よからぬ人のもて興ずる物なり。さようのもの、なくてありなん」(世間で珍しいものや中国風のわかりにくい名前で、花も見慣れないものなどはあまり親しみは感じられない。大体、何にしても珍奇でめったにないような物というのは、身分や教養の低い人が…

武士好みの楓

武士好みの楓 ・元禄に始まったカエデの流行 深まりゆく秋を感じさせる紅葉は、花とはまた違う美しさがあって、いつの時代も日本人の心を深くとらえる。古来から親しまれてきたモミジ・カエデは、“紅葉狩り”というような行楽活動だけでなく、園芸としても広く楽しまれてきた。特に、江戸時代には、一大ブームがおこり園芸界の中心的な位置を占め、百以上の品種が作られるなど隆盛を極めたこともあるほどだ。また、カエデの流行は明治の末にもあったと言われ、その時には、欧米にもかなり輸出したという記録が残っ…