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大恐慌もまだ市民の遊びには影響少の四年の秋

…せるなど、荷風よりもガーデニングに熱を入れた。愛好者が多いのだろう、釣りや園芸はしばしば新聞に紹介されている。 三日の明治節は日曜と重なり、秋晴れ、市内から日光、筑波、箱根、房総、奥多摩、湘南方面に数万の人々が出かけた。市内は、明治神宮参拝者が「三十数万」や「体育競技最終日の外苑に十万近い観覧者」A④などの人出で賑わった。そのため、新宿駅は夕方に乗降客が集中し、前代未聞の改札口を三回も閉鎖。新宿駅の乗降客は24万人に上り、代々木駅は5万人、原宿駅は14万人、「こんな人出は一昨…

変わりゆく大正時代の娯楽・レジャー

…住宅が増えるに従ってガーデニングも盛んになった。森鴎外のガーデニングについては以前触れたが、永井荷風は鴎外よりもさらに熱心で、毎年のようにチューリップやサフランなどの植え替えを行っている。ガーデニングは大正時代にも盛んだったらしく、新聞には毎週のように園芸記事が載せられている。また、行楽シーズンにはあちこちの花の名所が紹介され、大勢の市民が訪れて、苗や球根を購入していた。大正時代に人気のあった花は、江戸時代からあるボタンや野草に加えて、欧米から入ったダリアやチューリップなどで…

大正二年は不景気、でも娯楽はそれなりに

…いう日もあり、鴎外のガーデニングはなかなか気合が入っていたと思われる。・六月「国技館の花菖蒲」二日付讀賣 六月三日付の新聞(東朝)に「蒲田の菖蒲」の写真。花菖蒲の見ごろを迎え、あちこちの菖蒲園がオープン、なかでも両国国技館の花菖蒲は10万本と壮観で、おまけに菖蒲人形も展示されている。入場料は、大人が15銭、小人が10銭でちょっと高め。玉川の菖蒲も真っ盛り、こちらは無料。 芝居は、帝国劇場に注目が集まった。「トスカ」「シーザー」と話題を提供。 前月からの続き物としてスケート巡り…

庶民を巻き込んだ園芸のバブル

…で園芸ブーム、現代のガーデニングブームが江戸に起こっていたからである。たとえば『江戸繁盛記』(寺門静軒)には、「箸ぐらいの大きさの上部半分が白いオモトを、十両で買った人がいた。その人は数日のうちにそのオモトを七十両で転売した。それを聞いた人が百五十両で買おう名乗り出たが、その人は申し出を断り、とある大名に献上したら三百両の褒美を得た」(大平の万年青)というびっくりするような話が出ている。 江戸のバブル経済は十八世紀後半から始まり、盆栽や石灯籠などガーデニング用品に異常な高値が…

信鴻のガーデニング天明四年

信鴻のガーデニング天明四年 天明四年の日記にどのような植物が記されているか、また、どのようなガーデニングしていたかを示す。なお、植物名にはガーデニングとは直接関係がないものがあり、判別に迷うが前後の関係や前年までの記述から判断した。 ○一月 一月の日記には10日間に植物名の記載がある。また、ガーデニング作業と思われる記述は、10日ある。収穫の記載は3日ある。それら日記に記された植物名は13、5種である。この年の新たな植物の種類は5種である。信鴻が六義園に移って初めて記す種はな…

信鴻のガーデニング天明三年

信鴻のガーデニング天明三年 天明三年の日記にどのような植物が記されているか、また、どのようなガーデニングしていたかを示す。なお、植物名にはガーデニングとは直接関係がないものがあり、判別に迷うが前後の関係や前年までの記述から判断した。 ○一月 一月の日記には5日間に植物名の記載がある。また、ガーデニング作業と思われる記述は、5日ある。収穫の記載は2日ある。それら日記に記された植物名は7、5種である。この年の新たな植物の種類は5種である。信鴻が六義園に移って初めて記す種はない。ま…

信鴻のガーデニング天明二年

信鴻のガーデニング天明二年 天明二年の日記にどのような植物が記されているか、また、どのようなガーデニングしていたかを示す。なお、植物名にはガーデニングとは直接関係がないものがあり、判別に迷うが前後の関係や前年までの記述から判断した。 ○一月 一月の日記には16日間に植物名の記載がある。また、ガーデニング作業と思われる記述は、3日ある。収穫の記載は3日ある。それらの中から、記された植物名は19あり、これらの種名は6種である。以下順に示す。なお、信鴻が六義園に移って初めて記す種は…

信鴻のガーデニング天明元年2

信鴻のガーデニング天明元年2 ○閏五月 閏五月の日記には13日間に植物名の記載がある。また、ガーデニング作業と思われる記述は、22日ある。収穫の記載は2日ある。それら日記に記された植物名は24、13種である。この年の新たな植物の種類は5種である。以下順に示す。なお、信鴻が六義園に移って初めて記す種は、チョウセンアサガオの1種である。また、植物を遣り取りした記録は、5日である。 「隠元さゝげ」は、インゲン(マメ科)とする。 「秋海裳」は、シュウカイドウ(シュウカイドウ科)とする…

信鴻のガーデニング天明元年1

信鴻のガーデニング天明元年1 天明元年の日記にどのような植物が記されているか、また、どのようなガーデニングしていたかを示す。なお、植物名にはガーデニングとは直接関係がないものがあり、判別に迷うが前後の関係や前年までの記述から判断した。 ○一月 一月の日記には9日間に植物名の記載がある。また、ガーデニング作業と思われる記述は、7日ある。収穫の記載は3日ある。それらの中から、記された植物名は12あり、これらの種名は6種である。以下順に示す。なお、信鴻が六義園に移って初めて記す種は…

信鴻のガーデニング安永九年2

信鴻のガーデニング安永九年2 ○七月 七月の日記には9日間に植物名の記載がある。また、ガーデニング作業と思われる記述は、7日ある。収穫の記載は6日ある。それら日記に記された植物名は17、13種である。この年の新たな植物の種類は3種である。以下順に示す。 「雷神草」に似た名前として、「鬼神草」がある。ユキノシタ(ユキノシタ科)であるが、確信はない。その他として、「雷神草」は、アガベ・リュウゼツラン(キジカクシ科)を指すとされている。可能性としては、ユキノシタと思われるが確証はな…

信鴻のガーデニング安永九年1

信鴻のガーデニング安永九年1 安永九年の日記にどのような植物が記されているか、また、どのようなガーデニングしていたかを示す。なお、植物名にはガーデニングとは直接関係がないものがあり、判別に迷うが前後の関係や前年までの記述から判断した。 ○一月 一月の日記には18日間に植物名の記載がある。また、ガーデニング作業と思われる記述は、6日ある。収穫の記載は5日ある。それらの中から、記された植物名は22あり、これらの種名は7種である。以下順に示す。また、信鴻が六義園に移って初めて記す種…

★安永九年夏・四月~六月

…しかない。六義園でのガーデニングに忙しかったのか、穴沢らが王子辺に螢狩りに出かけているが、同行していない。 ★六月 朔日○七半前より富士へ行、角伊勢屋(略)富士甚群集、裏門より入女坂より行、表門より出本道より神明原へ出、塗中大熱閙、清兵衛出、茶屋に(略)神明拝し御鷹剖屋前野通り、大観音参詣、土物店へ出、松悦方へ立寄茶烟を弄し帰る、塗中賑也、信濃屋鄽此程建直し乾浄に見ゆ(略)六比帰廬 五日○七過よりお千重・お隆同道王子へ(略)少し先へ甚三郎を連さいかち原(略)妙喜坂(略)笠志鄽…

★安永八年秋・七月~九月

…たものと思われる。 ガーデニング好きとして気になったのは、十八日に見た池端蓬莱屋で催された「庸軒流蘭山門弟挿花会」である。「挿花百種計有、見物込合ふ」と信鴻も日記に記すほど堪能したものと思われる。「庸軒流」と言えば、藤村庸軒の庸軒流茶道(https://blogs.yahoo.co.jp/koichiro1945/25235825.html)が思い浮かぶ。生花にも流派があっても不思議ではないが、詳細は不明である。なお、十月にも「挿花」に触れている。 九月の出来事として、『武江…

信鴻のガーデニング安永八年2

信鴻のガーデニング安永八年2 ○五月 五月の日記には18日間に植物名の記載がある。ガーデニング作業と思われる記述は、19日間ある。また、収穫の記載は4日ある。それらの中から、記された植物名は32で20種あり、この年の新たな植物の種類は8種である。なお、植物名か否か判断できない名称に「芳野葛」がある。蔦の類と思われるが、植物名は確認できない。また、信鴻が六義園に移って初めて記す種は、イネ、テッポウユリ、マツモトセンノウの3種である。 「苗」は、イネ(イネ科)とする。 「愛宕苔」…

信鴻のガーデニング安永八年1

信鴻のガーデニング安永八年1 安永八年の日記にどのような植物が記されているか、また、どのようなガーデニングしていたかを示す。なお、植物名にはガーデニングとは直接関係がないものがあり、判別に迷うが前後の関係や前年までの記述から判断した。 ○一月 一月の日記には14日間に植物名の記載がある。また、ガーデニング作業と思われる記述は、10日間ある。収穫の記載は8日ある。それらの中から、記された植物名は23あり、これらの種名は15種である。以下順に示す。また、信鴻が六義園に移って初めて…

信鴻のガーデニング安永七年2

信鴻のガーデニング安永七年2 ○七月 七月の日記には8日間に植物名の記載がある。ガーデニング作業と思われる記述は、8日間ある。また、収穫の記載は3日ある。それらの中から、記された植物名は10で8種あり、この年の新たな植物の種類は6種である。以下に示す。また、信鴻が六義園に移って初めて記す種は、総称名としてウリがある。 「瓜」は、総称名ウリ(ウリ科)とする。 「さゝけ」は、ササゲ(マメ科)とする。 「石菖」は、セキショウ(ショウブ科)とする。 「蓮」は、ハス(スイレン科)とする…

信鴻のガーデニング安永七年1

信鴻のガーデニング安永七年1 安永七年の日記にどのような植物が記されているか、また、どのようなガーデニングしていたかを示す。なお、植物名にはガーデニングとは直接関係がないものがあり、判別に迷うが前後の関係や前年までの記述から判断した。 ○一月 一月の日記には7日間に植物名の記載がある。また、ガーデニング作業と思われる記述は、10日間ある。収穫の記載は1日ある。それらの中から、記された植物名は9あるものの、この年初めて記された植物の種類は5種である。以下順に示す。また、信鴻が六…

信鴻のガーデニング安永六年2

信鴻のガーデニング安永六年2 ○六月 の植物名を記載している日数は7日ある。六月は、ガーデニング作業と思われる「草を刈」が大半をしめ、記述が17日ある。収穫の記載は庭のナスの1日だけ。植物の遣り取りは5日である。記された植物名は12、12種である。新たな植物の種類は以下の10種であり、以下に示す。また、信鴻が六義園に移って初めて記す種は、オモダカ、ガマ、コウホネ、コムギ、フトイの5種である。 「蕣」は、アサガオ(ヒルガオ科)とする。 「紫陽花」は、アジサイ(ユキノシタ科)とす…

信鴻のガーデニング安永六年1

信鴻のガーデニング安永六年1 安永六年の日記にどのような植物が記されているか、また、どのようなガーデニングしていたかを示す。なお、植物名にはガーデニングとは直接関係がないものがあり、判別に迷うが前後の関係や前年までの記述から判断した。 ○一月 一月の日記には12日間に植物名の記載がある。また、ガーデニング作業と思われる記述は、9日間ある。収穫の記載は11日ある。それらの中から、記された植物名は18あるものの、この年初めて記された植物の種類は10種である。以下順に示す。また、信…

信鴻のガーデニング安永五年2

信鴻のガーデニング安永五年2 ○七月 七月は、ガーデニング作業と思われる記述が22日あり、植物名を記載した日は6日である。それらの中から、記された植物名は7、7種である。新たな植物の種類は3種である。以下、日付順に示す。 なお、信鴻が六義園に移って初めて記す種はない。 「唐橘」は、カラタチバナ(ヤブコウジ科)とする。 「千日紅」は、センニチコウ(キク科)とする。 「栗」は、クリ(ブナ科)とする。 ○八月 八月は、収穫物が増え、収穫した日は11日ある。植物名を記載した日は14日…

信鴻のガーデニング安永五年1

信鴻のガーデニング安永五年1 安永五年の日記にどのような植物が記されているか、また、どのようなガーデニングしていたかを示す。なお、植物名にはガーデニングとは直接関係がないものがあり、判別に迷うが前後の関係や前年までの記述から判断した。 ○一月 一月の日記には12日間に植物名の記載がある。また、ガーデニング作業と思われる記述は、18日間ある。それらの中から、記された植物名は18あるものの、この年初めて記された植物の種類は9種である。以下、日付順に示す。また、信鴻が六義園に移って…

信鴻のガーデニング安永四年2

信鴻のガーデニング安永四年2 ○五月 五月も植物名を18日記載している。摘みの記載は、「いちこ・笋・梅子」などと変わり、4日に減っている。ガーデニング作業と思われる記述も10日となる。それらの中から、記された植物名は31ある。新たな植物の種類は11種である。以下、日付順に示す。 「いちこ」は、キイチゴ(バラ科)と思われるが、確証はない。 「笋」は、マダケ(イネ科)とする。 「茗荷」は、ミョウガ(ショウガ科)とする。 「高野榧」は、コウヤマキ(スギ科)とする。 「紫陽花」は、ア…

信鴻のガーデニング安永四年1

信鴻のガーデニング安永四年1 安永四年の日記にどのような植物が記されているか、また、どのようなガーデニングしていたかを示す。なお、植物名にはガーデニングとは直接関係がないものがあり、判別に迷うが前後の関係や前年までの記述から判断した。 ○一月 一月の日記には9日間に植物名の記載がある。また、ガーデニング作業と思われる記述は、11日間ある。それらの中から、記された植物名は21あるものの、植物の種類は13種である。以下、日付順に示す。 「福寿草」は、フクジュソウ(キンポウゲ科)。…

平穏な安永四年一月~五月

…、信鴻の日記からは、ガーデニングに忙しかったと見えて、外出が少ない。出かけた場所で気になる記述は、「伊兵衛庭」である。かつては江戸随一との評判の植木屋であったが「庭中木葉埋み去々年より又々零落」とある。通称、「霧島屋」、伊藤伊兵衛が経営する植木屋だろう。 ★三月 一日○八過より(略)谷中通天気暖和春光熈々無一拳雲影、上野へ入、広小路梅本やに休み、御幸小路より柳原の河岸通り、両国水茶屋に休む(略)帰り並木通り榧寺へ参詣、駒形より西折、御堂前通り(略)弘徳寺にて晩鐘聞ゆ(略)広小…

信鴻のガーデニング安永三年2

信鴻のガーデニング安永三年2 ○四月は、ガーデニングに適した時期であることもあって17日作業をしている。ただ、「鉢殖の草を水分石岩狭に殖」「木枯山の草を刈」など、植物名の記されない日があって、植物名が記載されたのは10日である。新たな植物は、以下の通りである。 「黄山蘭」は、キンラン(ラン科)とした。それは、翌日の「白山蘭」が記されたことで、キンランとギンランであろうと判断したからである。 「白山蘭」は、ギンラン(ラン科)とする。ただし、ギンランに似た花としてササバギンラン(…

信鴻のガーデニング安永三年1

信鴻のガーデニング安永三年1 柳沢信鴻は、安永三年の日記の半数以上に、ガーデニングに関連する記述を記している。その中で注目したのは、植物名である。当時の植物を知ることに加えて、信鴻がどのようなガーデニングしていたかを探る手がかりとなる。なお、日記には色々な種類の植物名が記されており、食べ物などガーデニングとは直接関係がないものが数多くあり、判別に迷うものが少なくない。たとえば、「蕎麦を喫す」「真瓜を貰ふ」のように、植物名であってもガーデニング作業を伴わないものは除く。しかし、…

花壇綱目 序

…るだろう。それでも、ガーデニングを楽しむ気力と体力はあった。逆に、ガーデニングをすることによって生きる力を養っていたと言えそうだ。いつの時代になっても、日本人のガーデニング好きは変わることがないことを示している。 さて、序文のなかで、、最後まで迷った文字の解釈は、「支」か「友」のどちらかということである。意味としては、どちらでも通じるもので、大意は違わないと思われる。しかし、活字とする段になると決めなければならない。当初は、「友」としていたが、良く見ると「友」の右上に点が記さ…

花壇綱目

…の自然特性を生かしたガーデニングについて記したのが『花壇綱目』である。 『花壇綱目』は、庭の意匠を記した『作庭記』(平安後期頃とされる)と並んで、植栽技術を総合的に解説した世界最初のガーデニング書と言っていいだろう。と言うのは、イギリスをはじめとして西欧は緯度が高いので生育する植物数が少なく、美しい花を数多く栽培していなかった。総合的な技術書が記されたのは、十八世紀に入ってプラントハンターが世界中の植物を集めてからである。 また、中国では、本草書や菊や牡丹などの専門書は『花壇…

柳沢信鴻のガーデニング1773年の植物

安永二年 柳沢信鴻のガーデニング1773年の植物 信鴻の日記の特徴は、毎日のように植物名が出てくることである。六義園に安永二年五月二十三日に引っ越した以降は、六月には29日、七月は29日、八月も29日、九月は28日である。十月は少し減少して26日である。十一月は冬に入り、寒さのため庭作業をしなくなったこともあって12日。十二月は19日である。この二カ月、植物名は記されていないものの庭を見せたり、植木屋に訪れたり、植物と接することは頻繁に行われていた。 日記の名称は『宴遊日記』…

★栗拾いと茸狩り(安永二年七月・八月)

…だろう。なお、大名のガーデニング好きいるもので、10年前(宝歴十三年1763年)になくなった岩城守山領主・松平頼寛は、キクの栽培を自ら行っていた。また、14年後(天明7年1787年)に老中になった松平定信も、ガーデニング好きで築庭していたが、自ら植木屋まがいの作業までは行わなかった。 六義園は、信鴻が移り住んだ時点ではかなり荒れていたものと推測され、自力で再整備に挑んだ。その意気込みは、六月の作業記録を見ると明らかで、雨の降らない日を除く25日間も庭へ出て作業をしている。七月…