梅 の検索結果:

戦況を知らぬ市民のレジャー・昭和十七年夏

…参拝 2日y 大劇、梅島昇の「兒故の春」他満員御礼 14日a 乃木将軍三十年祭 16日a 日比谷公園で満州建国十周年式典 18日Y 二子玉川読売落下傘塔に一万名の女学生 『スラバヤの太鼓』『男の花道』を上演している有楽座、二日初日からよく入っている。二十二日は、天候が「荒れ模様なのに大満員、二十二日は魚河岸の休み、花柳界の休み」、ということもあって大満員。二十七日は、「夜は満員・・・何うも嫌な芝居だった」が「千秋楽らしい気分」を味わったとロッパは書いている。 二十六日から東宝…

レジャー自粛で盛り上がりを欠く十三年の春

…報の途切れる時は大学野球などのスポーツを掲載している。梅雨ということもあるが、市民のレジャー気運は湿りがちであった。 そんな市民の気持ちを晴らせてくれたのは、エノケン。浅草を基盤にして活躍していたエノケンが松竹から東宝へと移籍によって、初めての日本劇場公演が実現した。その人気は、劇場の周囲を観客が五重に取り巻くような大入りの記録を作った。なお前年、松竹から東宝へ移籍した林長二郎(長谷川一夫)が顔をカミソリで切られたことから、エノケンは転社の完了するまで慶応病院に入院していた。

好景気に釣られる十二年の冬市民レジャー

…員御礼 6日A 蒲田梅屋敷身売り、さびしい“安売り”の立て札 6日a もみくちゃ水天宮、朝の人出「十万」を超え、正午までに御守り1万5千枚、腹帯2千本 9日A 西新井大師、七草迄に「ざっと百五十万」の参詣者 10日a 浅草帝国館等「花嫁かるた」他満員御礼 15日a 出初式、消防署員一千三百人・消防組員六千一百人参加、日本橋では前日に管内出初式 16日a 浅草電気館等「美人国のぞ記」満員御礼 16日a 大相撲初日、朝六時に入場券売切り 17日A 「ブタ汁を乗せて」初のスキー列車…

オリンピックで沸き上がる十一年夏の市民

…の黒豹脱出(25)、梅雨空が続き、一部の興行を除いて市民レジャーは低調───────────────────────────────────────────────7月2日y 早大球場で職業野球選手権大会、大隅候の始球式、すし詰め一万のスタンド 5日a 浅草電気館等「破れ合羽」他満員御礼 16日a 浅草電気館等「大地の愛」他満員御礼 16日a 麻布松竹等「入婿合戦」他満員御礼 16日a 帝国劇場館等「極楽浪人天国」他満員御礼 16日y 藪入り「水と山の遠出が流行」谷津海水浴場…

大事件とは無縁の十一年冬の市民レジャー

…京 8日a あすから梅見列車 12日ro 日劇へ着いてみると、もう大半満員「凸凹放送局」「ガラマサどん」「さらば青春」 20日ro 日劇十日間昼夜二回、完全に満員 23日A 「春うらら 郊外に押出した市民 ざっと四十万」 27日a 大勝館等「ヂャングルの王」圧倒的大満員 27日y 社交ダンス、ホール以外法度、家庭パーティも弾圧 30日a 満都、ファンの陶酔、熱戦、春風とともに「運動デー」野球やラクビー まだ、二・二六事件が解決していないのに、浅草にはすごい人出。六日、チャップ…

天候不順でレジャー熱が冷えた十年夏

…へ行った“夏”まるで梅雨型の変態気圧」とある。日米対抗水上競技大会「水の世界王者争覇戦」と大々的に取り上げ、満員の神宮プールの写真が掲示されている。初日(十七日)の気温は24℃、一般市民が大挙して観戦しているようには見えない。こんな処にも、新聞は、日米の対抗意識させる書き方で、「千五百に日本全勝 堂々七点リード」と優越感を誘っている。 八月の末からは、台風で江東方面は1万6千戸が浸水。さらに九月は、雨(0㎜以上)が23日と八月より悪化した。二十四日には、市内で5万余戸も水浸す…

軍国主義に向かいレジャー盛況の十年春

…ールの一斉取締り⑧、梅雨に入ってもスポーツ・映画に盛んな人出───────────────────────────────────────────────6月1日a 多摩川の闇にかがり火、押し出した約3千 2日a 浅草電気館等「自活する女」他満員御礼 3日A 月島の埋立地で空の曲芸、観衆二万、無料 9日y 早慶一回戦「名物応援」一切お断りでも球場沸く 10日y 浅草帝国館・麻布松竹・新宿松竹「お琴と佐助」他満員御礼 10日a 早慶第二回戦、内野席15円外野席5円のプレミア付く…

レジャーは活発に見えるが先が不安な九年夏

…が先が不安な九年夏 梅雨明けが遅れ、天候が不純なため、市民の行楽活動は低調。それでも、市内で遊ぶ人が多かったらしく、劇場や映画館の入場者は増加し、この年の年間入場者数は400万人にも及んだ。 地域の夏のイベントは少ないようで、市民の八月四日の夜から五日の暁にかけて非常時青年の意気を示す、江戸川区青訓練生の連合野外攻防演習の記事が掲載されている。徐々にこのようなイベントが目立ちはじめ、市民を動員する人数も多くなってきた。また、市民に灯火管制(夜間の空襲に備えて、照明の使用を制限…

人出だけが盛り上がる九年の春

…、堵列した人々の後の行動について触れていないが、銀座や浅草などに流れて行くことは想像にかたくない。ロツパの日記に、「市内の大劇場は皆休みであるが、浅草はアクどい・・・やっぱり此ういう日は浅草の書入れになる」とある。 市民レジャーは、鮎解禁にはじまり、花菖蒲の見ごろなど恒例の行楽がある。ロッパが『にんじん』を十一日に見て、評判だけあって中々いいと日記に書いているように、劇場や映画館なども梅雨に入った割には活発だ。ただ、新聞には、やたらと自殺の記事が多く、暗いムードが漂っていた。

レジャー気運が一転して落ち込む九年冬

…公園で名木、名花の「梅の展覧会」 12日a 建国祭「街には十万の奉祝行進」 16日A 築地東京劇場「仇討心中噺」他満員御礼 池上本門寺など著名な寺社では歌舞伎役者や女優を呼び、恒例の豆まきは年々派手になっている。また、成田山の追儺式は、「十五万人」で不夜城の盛況と賑わいを増した。建国祭には大勢の人が動員され市内は賑わったがたが、十二日の金龍館は「流石に入り悪し。然しエノケンの方よりいいとか」とロツパの日記にある。また、荷風は「浅草公園は内外ともに人影稀にてむかしの吉原の大引過…

前年より活発な市民レジャー八年春

…歌劇団ストライキ⑮、梅雨でレジャーが停滞するなかレビューガールのストが話題となる───────────────────────────────────────────────6月11日ka 日曜日なれば銀座通の雑遝最甚し 12日A 日由比ヶ浜早くも賑わう 13日Y 日仏拳闘第二回戦、国技館開設以来の大観衆二万の観衆を魅了する 17日Y 浅草松竹座、レビューガールのストに対し突如興行を中止、浪曲大会に変更 18日y 東京劇場「お夏清十郎」初日以来連日満員 六月に入り、芝居の入り…

オリンピックと満州国に沸く七年夏

…く七年夏 七年の夏は梅雨空が続いた、湿ったムードはレジャーにも及び、七月の人出は少なく、特に浅草は寄席をはじめ沈滞したままであった。市内は、これといったイベントもなく、あるのは国技館の満州博覧会と川開きの花火くらいである。満州博覧会、所詮官製の宣伝イベント、この時点での入りはあまり多くはなかった。雨が降り、藪入りに行く場所のない人が博覧会に蘆を運んだ。 川開きは、数字の上では百万人の人出。しかし、「事故調べ」などの数値からは、そのまま信じられないような気がする。そして、「呼物…

新聞のレジャーへの対応が変り始める六年春

…堂を一般興行場に⑰、梅雨空を吹き払うような熱気の早慶戦人気───────────────────────────────────────────────6月2日A 玉川電車初電に一千人乗車「太公望連繰出して ほくほくものの郊外電車」 14日A 第一回早慶戦に観衆五万人、売れたのは応援歌の扇子と弁当に冷しコーヒー 19日T 「減俸の暗い影」遊覧客の激減の私鉄 21日A 「笑いの中に涙 落語家も減俸 木戸銭引下げから」 22日Y 上野美術館で「女性美展」 24日A 日比谷公会堂で…

不景気に萎縮するレジャーの六年冬

…あてに成らぬ あすの梅日和 スキー列車もでない」 節分は、細雨が降るという中、「豆まき列車繁昌」t⑤と、川崎大師に「十三万人」も出かけた。東京劇場の「改訂金色夜叉」が「初日以来連日満員御礼」、歌舞伎座も「義経千本桜」が「連日満員御礼」の広告が出されているが、市民レジャーが盛況なのはその頃まで。 十一日の建国祭、「壮観!七万の長列 雪を蹴って大行進」とあるが、その多くは動員されたもの。年々盛んになるとあるが、実態は盛んにしているのであって、イベントの少ない時期にすることで関心を…

不景気浸透に遊びにも暗い陰の五年冬

…16日a 「きょうは梅日和」盛り場は藪入りの前景気で賑わう 昭和五年の正月は、申し分ない天候に恵まれて市内の盛り場はものすごい人出。特に、浅草興行街の三箇日は、「レコードを破った活動の入」と前年の三割以上も入りが多い。上野動物園も、3万4千人を超え前年より1万人以上も増加。もっとも、交通機関は、不景気を反映して遠出が減少したことで減収。七草まで天気だったので、市内の人出は続いた。 九日の大相撲春場所初日は、恒例の「民衆デー」で早朝四時開場、十時には満員という盛況。二日目は恒例…

不景気で市民の遊びも萎縮する四年の夏

…式 5日A 明治座「梅雨小袖昔八丈」果然大好評 15日A 「カフェーに昨夜から禁札」 15日ka 氷川明神祭礼なり・牛込築土明神の祭なり 16日A 久しぶりの秋晴れ、日曜と十五日が重なったことから市内はすごい人出 22日A 「タケ狩り 栗拾い 二日続きの遊び場案内」 一日は関東大震災の追悼式、被服厰跡には「夜をかけて六十万人」が参拝した。東京府市主催の盛大な追悼式が被服厰跡で、その他、東西本願寺、回向院、浅草寺などでは法会が催された。本所公会堂、日本青年館、日比谷音楽堂等では…

徐々に減少する市民が遊ぶ記事、四年の春

…は市民のほんの一部。梅雨にかけてのこの時期は、行楽などの人出は減少するが、前年に比べてさらに低調なように感じる。 メーデーの参加者については、昭和二年が5月2日A メーデー、芝の有馬ケ原に26団体62組合労働者約二万人、「平穏に」検束144人。 昭和三年が5月2日a 「強風、空に鳴って メーデーの意気」と芝公園に「一万五千余の大衆」が集会。 昭和四年が5月2日a 赤旗黒旗林立して、意気上がるメーデー 一万の大衆示威行列。 この3年の参加者数は、実際はともかくとして新聞の数字は…

遊ぶことに熱中する三年夏

…ダムで開催(28)、梅雨空の川開きに「人出五十万」など避暑の人出が多くなる───────────────────────────────────────────────7月4日A 歌舞伎座「極彩色娘扇」他、連日満員御礼 6日a 東京の水泳場39ヶ所、第三お台場十二日から開放、両国から往復船賃50銭 9日A 向島の流燈会、「とうろう流し」 9日ka 荷風、浅草観音四万六千日の夜市を看る 16日y 藪入りの日曜、婦人子供博と耶馬渓博などが賑わい、炎熱の都を抜けた人「廿四万」 16…

きな臭さを隠すような紙面、三年冬

…曜「押出す廿万人」観梅に又郊外散策に各駅を埋める春の人 9日A 久宮薨去当日、市内の主な興行物は休業と開演が相半、陸軍記念日も延びる 18日Y 帝国劇場新国劇「浪人の群」他大入続き 19日A 彼岸入り「冬着を捨てて、日曜の人出」 19日Y 陸軍記念日の軍楽行進、日比谷公園で常陸丸勇士追悼会 23日Y 観音劇場「忠臣蔵」大満員続き日延べ上映 24日a 御大礼記念博覧会に「早くも殺到のお上り客」 26日Y 御大礼記念博覧会、上野に雪崩れる日曜の人、「押寄せた十万の人波」 30日c…

昭和のレジャースタイル始まる・二年夏

… 6日A 歌舞伎座「梅こよみ」連日満員 12日ka 是夜銀座通草市にて雑遝す 16日A 「浅草の悲哀 やぶ入りにスポーツ流行」 17日A 「海と山とへ 一日百四十万 晴天続きの暑いお盆で」 21日A 二十三日の川開きに、大警戒の陣立て 警察官二千九百名配置 24日a のさばる暑熱「海も山も 避暑地は大賑わい」 24日Y 両国の川開きの人出三十万人 31日Y 明治神宮で「無慮二十万」神苑の虫を聞く 七月に入り、レジャーは暑さとともに活気を増す。二日に大磯町海水浴場の開場広告、余…

諒闇でも盛んな市民のレジャー熱

…(1927年)六月、梅雨に入ってもなかなか盛んな市民レジャー・・立憲民政党結成大会①───────────────────────────────────────────────╴6月2日朝朝 「多摩川べりへ六千人の太公望」郊外電車満員 6日朝朝 歌舞伎座「水野十郎左衛門」他、初日以来悉く売切御礼 6日朝朝 本郷座「柴田勝家」他連日満員御礼 11日読朝 新橋演舞場「妹背山」他満員御礼 13日朝朝 上野の明治大正名作展「参観実に一万三千名人気高潮」 13日読朝 「泳ぎ場」の許可…

楽しみは大正を引き継いで

…る処なく彩旗掲げ燈松梅など賑かに見ゆ」。また、二日には、街中では凧揚げを見かけなくなったが、護国寺裏の空き地では子供達が盛んに「紙鳶」を飛ばしていたの見ている。 三日、岡本綺堂は歌舞伎座に出かけると、満員で補助席を出すほどの盛況ぶりだった。正月休みの賑わいは、震災後の最高であったらしく、成田詣など市外に足をのばす人も大勢いた。ちなみに、成田駅の乗降客は約2万8千人、賽銭は土間料を合わせると2万8千円、札の売行8万であった。 レジャーは正月が明けても引き続き盛ん。藪入りに合わせ…

大正時代の三大レジャー

…劇「トスカ」の初日、梅幸と幸四郎で一杯の入り 大勝館「銚子の五郎蔵」他大入御礼 真砂座「弘法大治郎」大入日延べ 帝劇「シーザー」初日から大入り7月 富士館「新馬鹿大将ボビー」他大入り日延べ8月 電気館「何が故」連日満員9月 有楽座「内部」芸術座の初日満員 電気館「宇良表」大好評 帝劇「マクベス」空前の盛観10月 常盤座の曽我廼家五九郎一座の喜劇が盛況 キリン館、天然色活動写真、連日満員 みくに座、小奈良、大入満員11月 帝劇「千本桜」他森律子で初日大入り 宮戸座「鎌倉山桜御所…

…票、三位うた沢の山田梅吉26万票、四位長唄の岡安喜三郎25万票、五位義太夫の竹本越喜美16万票と続く。また、部門別では、長唄、うた沢、義太夫、琵琶、浪花節、小唄、常磐津、清元の順。なお、二十三年前、都新聞が行った演芸投票で一位であった浪花節の鼈甲斎虎丸は約7万票と順位をだいぶ落とした。 この年まで、藪入りといえば浅草であったが、それが異変が招じた。浅草の人出は前年の半分、芝居はもちろん、映画も満員客止めが一つもなかった。小僧さんたちがどこへ行ったかというと、十五・十六日、暑さ…

大正十五年前期 娯楽の多様化が進む

…12読 本郷座「松竹梅湯島掛額」他連日売切れ御 礼 13読 本郷座、大入り祝いをかね十五・十六日に賑やかな稲荷祭り 13読 いま東京に長唄・生花・清元・琴などの女 師匠2千2百人 25読 東京に撞球場(ビリヤード)705軒、従業員1,400人 27読 人気を呼んでいる温泉遊園地、多摩川園 3月6朝 大東京「修羅八荒」満員御礼 8読 市村座「大山と家光」他満員御礼 9読 花見の取締り今年は厳重 10朝 春心地もなく寂れた浅草、正月以来客は減る一方 12永 荷風、帝国劇場で「アイ…

大正十三年後期 復興を感じさせるのは娯楽

…気 3読 帝国劇場で梅蘭芳こんども大入り 5朝 四大選手国際競技会が明治神宮競技場で開催、観衆3万人 6永 荷風、道玄坂・・帰途百軒店と称する新開 地を歩む。博覧会場内の売店を見るが如し 7朝 千代田館「ユイタバ・ラ」他連日連夜満員 10読 帝国劇場「伽羅先代萩」他連日満員 23朝 鶴見飛行場で自動車大競走会 24読 目黒競馬、最終日も賑やか 25朝 国技館大菊花園満員御礼真珠デー 27朝 三の酉、夥しい人出12月13朝 演技座大阪文楽座引越興行、連日満員 14読 本郷座「忠…

大正十三年前期 復興に追われ市内の娯楽は停滞

…したままであった。観梅列車の運行など春の行楽を誘う記事もあるにはあるが、震災前の生活を取りもどそうと必死の市民には遊びに出かける余裕などなかった。震災の恐怖やストレスは薄れても、大半の市民は、仕事に全力投球するのが精一杯という状況。それでも、二十二日に関東実業野球大会が早大球場で開催、上野の山に1万人程度の人が出かけた。また三十一日付の新聞(讀賣)には、市民の行楽を誘うかのように上野動物園で憩う人々の写真が掲載された。・四月「団体の少ない今年の花見」十五日付讀賣 サクラの開…

大正十二年前期 庶民は花見に盛り上がるが停滞

…日は「ぽかつく日曜に梅の名所大賑い」、この春久しぶりに郊外へ人が繰り出し、どこの停車場も記録破りとなったが、同紙面に芝公園の失業防止大会の記事がある。「失業防止の叫び」と題された写真には、行楽どころではない切羽詰まった市民が芝公園銅像前広場を埋めつくした。 三十一日付(東朝)「飛鳥山は露店禁止・・・飲料の定価も指定す」、伝染病防止や不良品販売防止と共に、暴利を取り締まるため「正宗四合九十五銭、同二合五十銭、ビール四十五銭、三矢、金線は二十五銭、並のサイダー二十銭以上は取っては…

大正十一年前期 不景気で不安な庶民娯楽

…日付東朝、 「暖かな梅日和」十三日付東朝 二月に入って、一月三十一日付(讀賣)「穴守の豆撒き」について予告はあったが、人出については特別多くはなかったとみえて記事にはならなかった。六日付「我に選挙権を 与えよの熱叫 盛んなりし普選デー 会衆数万に上る」と、芝公園で開かれた集会に紙面が割かれている。普選デー閉会後、民衆の大部分は会場にとどまっていた、するとアルコールの入った労働者が壇上に上がり、野次を飛ばし『これから高橋首相を訪問するが誰も従いてはならぬ』と言い捨て電車通りにで…

大正十年中期 不景気の中の庶民娯楽

…永井荷風は「天気再び梅雨の如し。」と日記(八月三日)に書いている。そのため、二十三日の両国川開きは中止。三十日午後には小雨であったが暑くないためか、「先帝祭 明治神宮賑う」と、浅草公園・両国・上野・新橋等も賑わい、近郊の海水浴場も月島海岸も水泳客で賑わった。降雨と出水で再々度の延期があった花火は、「今日の川開き お座敷ガラガラ」(三十一日付夕刊東朝)と書かれたくらいで、「川開きの鼻息 少し位の雨なら今夜決行」であったが、翌日の紙面(東朝)には川開きの賑わいや人出に関する記事を…