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好景気に釣られる十二年の冬市民レジャー

…日a 浅草電気館等「牡丹くぐるる時」他満員御礼 13日a 帝国劇場等「女だけの都」他連日満員 19日a 帝国劇場等「ターザンの逆襲」他満員御礼 22日Y 多摩川園「つゝじ人形」「押出した二万人」 29日A 「チラホラの桜便り」郊外電車のそろばんに現れた人出は「ザッと百五十万」 26日a 日比谷映画劇場「目撃者」他満員御礼 インフレ景気で市民のレジャー気運が煽られているためか、警視庁は花見の「仮装は法度」と取締り強化。盛況なのは映画だけで、市内の人出は、婦人報国祭の「二万の行進…

軍国主義に向かいレジャー盛況の十年春

…蒲園・小高園、上遠家牡丹園、多摩川園、向ヶ丘遊園地、浦安海楽園、豊島園、あら川遊園、兎月園、大宮八幡公園などが掲載されている。 ───────────────────────────────────────────────昭和十年(1935年)六月、上野動物園にタイからゾウの花子が贈られる⑤、有楽座開場⑦、警視庁ダンスホールの一斉取締り⑧、梅雨に入ってもスポーツ・映画に盛んな人出───────────────────────────────────────────────6月…

涼を求める行楽が増えた五年夏

…A 東京劇場「怪異談牡丹燈籠」大好評連日満員御礼 12日A 八重洲口から日本橋までの素人夜店、大持てで「夢ならさめるな」 21日A 「絶好の秋空 水陸に勇む若人」全学生水上競技、六大学リーグ戦、競漕大会 21日A 「来たり行楽の秋 近郊と一泊地案内」 29日y 早立二回戦喪、観衆殺到し、入場券忽ち売切三万余 この年は関東大震災からの復興祭が催され、一日に被服厰跡で震災記念堂落成式もあって、追悼に訪れる人は「朝来の参拝者幾十万」と市民の関心は高かった。 品川から大森の海岸へかけ…

大正時代の三大レジャー

…入り10月 三友館「牡丹のお蝶」初日満員 葵館「復活」他連日満員御礼11月 明治座「傀儡船」二日目満員 富士館「柳生十兵衛」他連日満員 歌舞伎座「鎌倉図鑑」他満員続き 彌生座「忠臣蔵」初日以来満員大正九年(1920年) 1月 三友館「梅咲く宿」大入り満員2月 明治座「生命の冠」他満員御礼 新富座の曽我廼家五郎初日以来満員 上野みやこ座「若き血潮」他大好評3月 明治座「国光」他好評満員 御国座「伽羅千代萩」他連日満員御礼 本郷座「白鳥の歌」他初日満員御礼 新富座で当彌生興行好評…

大正十年中期 不景気の中の庶民娯楽

…居二の替を見る 26日 歌舞伎座、曽我廼家五郎劇大入日延べ 31読 先帝祭明治神宮を始め市内、近郊海水浴場・月島海岸も賑わう 8月1読 川開きにも不景気の風 7日 歌舞伎座「雷鳴」他満員 11読 本所四つ目牡丹園で朝顔品評会 11朝 水泳場大賑わい 13永 西ノ久保八幡宮祭礼にて近巷賑かなり 14森 鴎外、上総鷗荘に妻子と同宿 16読 月島から羽田まで競泳の少女選手 17読 大好評の国技館納涼園、大人40銭 19読 溺死者激増、月島が一番多い 23森 類、観象 25日再び観象

大正八年後期、庶民の遊びは続いている

…万 20読 三友館「牡丹のお蝶」初日満員 24万 葵館「復活」他連日満員御礼11月5永 荷風、帝国劇場に立ち寄る。是夜初酉なり 7読 明治座「傀儡船」二日目満員 8万 富士館「柳生十兵衛」他連日満員 16万 歌舞伎座「鎌倉図鑑」他満員続き 16読 翌月1日より活動写真の甲種乙種制度撤廃 19読 菊花拝観者範囲広まる 20万 彌生座「忠臣蔵」初日以来満員 21万 帝展の入場者数、十九日迄で22万7千人12月2読 生活改善展覧会に入場者1万人 11万 歌舞伎座の竹本越路太夫大入御…

大正八年中期の庶民、まだ自由な感覚がある

…1読 両国の川開き、観覧船4千艘 28永 荷風、再び有楽座で浄瑠璃人形を聴く8月1永 荷風、帝国劇場で牡丹燈籠を看る 7読 避暑列車(夜行列車)土曜毎に日光へ 7読 帝国館「曲馬団の囮」大受け 9読 玉川の大花火、数千発の打上げ花火 10読 百花園の虫放会、文人ら5百余名 10読 王子名主の滝、日々千人余行くが大部分は幼児の水遊び 12読 労働慰安の園遊会、精養軒の催し従業員ら1,500人 15読 月島の伊藤水泳場で水上大運動会 17読 百花園の江戸趣味納涼会、九月十五日まで

大正六年後半も浮かれる庶民

…。演劇は、公園劇場「牡丹灯籠・伊勢音頭」、観音劇場「実説佐倉義民伝」など。涼を求める人々で憩う「尾久の大滝」は、日光華厳の滝を模した高さ六丈(約11m)もある。さらに3銭払えばラジウム水浴及び温浴休憩所などが自由に使え人気を集めた。四谷津の「守むちの滝」も、庭園がきれいになり、電気で滝を落とすから“涼味”が増したとのこと。目黒植物園では、数千鉢のアサガオを陳列し即売。 川開きは、二十一日午後二時には早くも警備の警戒態勢が敷かれ、四時半ごろには浴衣掛けの客が集まってきている。浜…

戦争景気に踊らされる大正五年後半

…衛門の三役早変わり「牡丹灯籠」他。市村座は「国定忠治」。明治座は「横櫛お富」。映画は電気館の「百万弗の秘密」、これはチャップリン主演で大好評。続編が次々につくられ十七日封切りが続十三・十四編、二十七日から続十五・十六・十七編と上映された。 十五日は藪入り、休みをもらってた小僧さんたちは、絵看板が立ち並び、人寄せの音楽と呼び声が入り交じる中、氷サイダー、豆のアイスクリーム、パイナップルの切り売りなど流行りの食べ物に舌鼓を打ちながら三館共通の切符を買い、電気館や大勝館などに姿を消…

イベントに盛り上がる大正五年前半

…ツ木園・本所四ツ目の牡丹・蒲田の菖蒲・鶴見の花月園・目黒植物園 6朝 スミスの飛行、満都の人、天を仰いで歓呼す 9読 有楽館の連鎖又新派、好評 6朝 スミスの飛行、満都の人、天を仰いで歓呼す 15読 日枝神社、官幣大社昇格で夏祭り賑やか 18読 有楽座無名会の「マクベス」上演 19読 四谷の天王祭、各種見世物や神楽 19読 帝国劇場「夜討曾我」他連日大盛況 19読 新富座の山長連鎖劇大当たり 20森 鴎外、類と本郷を歩す 21読 有楽館の新派悲劇「うき雲」好評 26森 鴎外、…

大正二年は不景気、でも娯楽はそれなりに

…大久保躑躅園・四つ目牡丹・亀戸藤╶──────────────────────────────────────────────╴ 5月1読 靖国神社例祭、雑踏を極めたる九段、遊就館に未曽有の大入り 1読 有楽座でイプセンの「鴨」上演 3朝 歌舞伎座、雲右衛門の浪花節大入り 5読 晴れた日曜日、各所の行楽今や酣(タケナワ) 12読 太刀山鳳主催の力士運動会 15読 小石川植物園に猩々(オランウータン)来る 16朝 宮松亭の落語研究会、相変わらずの一杯 16朝 全比対明大野球第一…

盛んに遊ぶ四十三年

…雑したのは、四つ目の牡丹園らしく、4千人も訪れた日もあり、この牡丹園のシーズン中の入園者数は4万人以上(最大集中率を10%以下と想定)あったと推測できる。また、九月の水天宮も、信者にとって一代に二度と逢い難き戌年戌の日ということで、開門の十二時には黒山をなす人だかりであった。あまりにも多くの人々が押し寄せたため、大混乱となり重傷者9名もでるほどであった。・浅草にルナパーク開園 九月、浅草公園にルナパークが開園した。二十年近く続いた日本パノラマ館は、活動写真が始まると、見渡すだ…

二十五年頃から庶民演劇に変化が

…七月に初演された怪談牡丹灯籠も三遊亭円朝の作で、これまでとは違う流れが認められる。この年注目を集めた興行としてアームストンの大曲馬があったが、これを取り込んだ『八雲烟技芸晴能』が春木座で上演されている。また、寄席でも前年プロになったばかりの快楽亭ブラックなどの外国人が高座に上がった。話題といえば娘義太夫の竹本綾之助が、熱狂的な人気を得て当時の新聞紙上を賑わした。 ─────────────────────────────────────────────╴ 明治二十五年(189…

遊びに明治の色彩が強くなる明治十六年

…Y王子道上駒込の百色牡丹見ごろ6月 東京大学予備門、陸上運動会開催6月T戸山学校競馬場で天覧競馬開催6月Y薬師如来の縁日に痴漢出没、6人ケガ6月Y日枝神社の大祭、山鉾花山車手踊り等十数両以上の盛大、見物人山をなす7月Y馬喰町の子供相撲、八日間で2千人を超える観客7月Y川開きに吉原の芸者、大茶船で影芝居催す7月Q深川八幡宮の祭礼、久しぶりに復興/東京横浜毎日8月Y辻相撲が流行、芝や浅草まで広がり若者熱中、近所の住民は迷惑顔8月Y夕涼み客で近年にない人出8月Y今年の祭礼はどこも大…

江戸の終焉・明治七年

…賑わい、近傍の茶亭に牡丹園5月H千住駅の稲荷社祭礼にて、山車等ありて近郷までも賑わえり5月H芝栄町金地院で本尊正観世音并に駿河大岩村臨済寺の摩利支天の開帳5月E沢村座、桟敷代金を初めて円単位で表示、上等一円85銭6月H回向院開帳、貝細工・桃太郎人形・熊芸・猿軽業・力曲持・怪談人形等、70日間の賽銭6657円6月H浅草須賀神社祭礼、参詣者群集する6月H浅草寺地内及び北東中町等で9月中旬まで、夕刻から麦湯店を出す7月H回向院で嵯峨清涼寺釈迦開帳、瀬戸物細工・曲馬・活人形等、賽銭…

幕末庶民の食糧事情

…に病気が流行するが、牡丹餅を晦日までに食べればうつらないという噂が流れ、牡丹餅が大量に売れた。夏には、庭に池が作られるなどいささか趣のある蕎麦屋「松下亭」が入谷にできた。また、浅草梅園院境内に栗ぜんざいの「梅園」ができている。そして、中ノ郷業平橋の手前に、庭内に湯滝のある料理茶屋「在五庵」が開店している。 ・安政二年三月、牛込に居酒屋が始めて開店する。十月の安政大地震が起きたが、「近頃、あらづきのくろ米の菓子を紅梅焼と名付けて売る家が多いが、これは香餅と言うところを誤ったので…

ペリー来航と庶民

…り大入り客留 7月 牡丹餅を食べれば、流行病にかからぬとの噂で牡丹餅が大量に売れる 閏7 芝金杉正伝寺開帳 閏7 延びた山王権現祭礼、23日に執行 8月 牛込赤城明神境内で、百日芝居興行 8月 外神田御成道大久保熊次郎屋敷の鎮守・儀明稲荷・寶珠稲荷・子安稲荷社へ願掛け成就すると、日毎に参詣者増える 8月 八代目市川団十郎が大坂で自殺し死絵が多数つくられる 9月 芝明神社で曲馬見世物でる 10月 千駄木の邊、菊細工を見せる植木屋が六軒程出る 11月 三座芝居顔見世狂言、大火事で…

四季の行楽

…を求め、木下川薬師の牡丹(ボタン)、三囲稲荷の杜菖花(カキツバタ)、亀戸天満宮の藤(フジ)などへと訪れる人は、この時期少なくない。また、杜鵑帰(ホトトギス)は、初音の里・小石川白山の辺(文京区)など九箇所も紹介されている。が、出かけた人は、春の「鶯」と同様に風流人に限られた。 五月晴れは、梅雨のあいまに見られる貴重な晴れ間。蒸し暑い季節には、納涼、船遊山、螢狩りなどがある。船遊山は、両国より浅草川が第一で、多くの船宿があった。納涼の舟遊び、川遊びとして川開きの期間(五月二十八…

庶民の元気を示す見世物

…もの、また、玉蜀黍、牡丹の花、闘鶏、狆、荒神、周倉と關羽などは江戸向けの新作である。中でも、關羽は絢爛たる錦の戦袍をまとった、身の丈が実に二丈二尺(約6.6m)もある堂々たる作品であった。見世物場には、細工物が敷地いっぱいに配置され、見物客は場内をぐるぐる回りながら見るようになっていた。 六月末には、大体できあがったので、七月十日を初日とする挿絵入りのビラが、湯屋や髪結所に配られた。もっとも宣伝をする必要がないくらいに、巷での前評判は高まっていた。作っている最中から、人々は江…

江戸庶民の楽しみ 78

…『助六縁(ユカリノ)牡丹』大当たり(助六ナドノ衣装ニオ咎メ) 6月 吹上御所で上覧相撲 6月 回向院で下総山桑村持明院開帳 6月 堺町河岸に駝鳥(ダチョウ)の見世物が出る 8月 麻布本村氷川明神祭礼、山車練物出す 9月 市村座で『好色懺悔色葉襠』半四郎が大当たり 9月 神田明神祭礼、当年より御座独楽回し始まる 11月 河原崎座で『御影講法の鉢木』大当たり 12月 神田社の歳の市始まる ☆この年のその他の事象 1月 混浴禁止令 3月 山東京伝の洒落本が出版取締令に触れて手鎖…

★天明四年夏・三月~五月

…閑歩(略)妙喜坂より牡丹屋へ行(略)笠志方に暫休む、如貢田楽御出し賑也、平塚前迄行、無量寺裏門明たる故内に入庭より出、如来拝し門外に老嫗五はかりの児を負ひ物を請ふ故、銭を遣す、洞津侯門前に在、むすめ失せ孫を養ふ由、飴をもやる(略)西側の庄屋の橡を貸り帯を仕直す、主婆戸を明け休へき由云、此辺にて摘草、娠菜殊に多し、三葉・芹もつみ(略)前路を暮時帰る 十七日別録○同座頑要 十八日別録○同座頑要 廿三日○九時よりお隆同道浅草参詣(略)千駄木(略)日長原に倒者道者らしきうつ伏有、柳稲…

★天明四年春・一月~二月

…へ笠志を呼に遣ハし、牡丹屋前より道々草を摘行(略)光明院前つみ草多く暫爰にて休み日暮里へ行、青雲寺門前にてお隆摘草するゆへ二三人にて先へ行、此程大幟か建し翁反故塚を見る、銘ハ東江か書也(略)佐倉屋にて如例弁当、入相前起行、後の坂より道高山を行(略)余楽寺坂道を下り草を摘みく田畑より日暮帰る 十五日○九過よりお隆同道神田明神へ(略)春木町(略)聖廟参詣、松か根二階へ(略)森田屋へ(略)本郷五丁メ(略)竹町(略)浄心寺坂を下り円乗寺お七か墓を見る(略)正観音・稲荷拝し白山権現参詣…

★天明三年夏・四月~六月

…日○七過よりお隆同道牡丹花屋へ(略)妙喜坂手前に稲付大黒や平八引越在、今日一六の日ゆへうけに来る者不絶、牡丹屋半ハ散落見物あり、庭の山を廻る、笠志新宅にて休み晩鐘にて起行、暮前帰る 八日○七過より仏生会に参詣(略)表門より出る(略)富士脇材木屋河内やみせをかり襲着、吉祥寺へ行、中門にて来る人に問ヘハ灌仏済し由ゆへ引返す、常徳寺地蔵灌仏会江参詣、養源寺も同し、僧衆休息すへき由いふ、帰掛松悦方へ穴沢立より尋しに不残留守のよし由ゆへ円通寺脇植木屋へ寄植樹を見、橡側にて烟を弄し帰る …

★天明三年春・一月~三月

…(略)暮前起行(略)牡丹舖前毎度立寄し民家脇にて草をつむ、向反畝に病犬らしき物在、昨日も飛脚を噛したと聞たる故早々たち山王山より帰る この年の正月は、「如例年礼」を受け、お隆達と羽子板をするなど、いつもの年と同じように十五日に「万歳来る」となっている。また、あまり寒くなかったと見えて、悪路にめげず浅草や雑司ヶ谷などへ出かけている。そして、出かけた先で摘み草をし、その翌日には本格的に摘み草に出かけている。江戸の盛り場は、そこそこの人出があったものと推測される。 ★二月 四日○八…

★天明二年夏・四月~六月

…甚少し、吉原旭如来・牡丹餅地蔵尊等在、聖廟込合故下にて拝し、男坂右見晴しの茶屋に暫休み同朋町より三絃講(略)西福寺南の橋より西福寺南門より入り、宝池院墓を外より拝し(略)焰魔堂に(略)第六天内より両国へ出、廻向院へ行、開帳陸奥金花山弁財天・不動尊等あまた霊宝在、参詣少く四五十人はかり、本堂拝し戸繋四間めに休み(略)一つめ弁天・金毘羅参詣、裏門より入表門へ出、丸屋へ舟云つげ、丸屋向柏や貸坐敷(略)川上遊船多し(略)柳橋川口に舟を掛、楠屋蕎麦を金兵衛に与へ皆々酒を呑(略)内川通過…

★天明二年春・一月~三月

…略)坂下にて娵菜摘、牡丹屋東の民家此ほと行し家へ行、三葉芹・蒲公取(略)無量寺前後畔道にて摘草、伊勢参宮人二人甚労れし容子にて名主の宿を問ふ故、所似を尋れハ、二人乍ら鹿島辺の者にて伊勢より中橋の人中里村の十二三の長吉と云者四人連にて下向、作夜中橋に三人乍らとまりしに、今暁中里の者御秡を持逐電ゆへ中里村へ来り尋しに、吉衛門子長吉と云老ハ此辺になき由云故、西原返を尋れ共知さる由、所の者来り交語数回、上中里の方へ行、笠志方にて弁当つかひ、暮過挑灯、にて帰る 十五日○四半頃より(略)…

天明一年春・一月~三月

…植を見、動坂花屋にて牡丹・桃求させ、樹大次る故後剋堀に遣へき由穴沢約し、八半前帰盧 十日○九半頃よりお隆同道摘草に(略)和泉前通り少し先へ行、辻番より同道、御用舘より滝野川道、行々娵菜・芹を摘、未延す、滝川寺(略)弁天杜(略)谷へ下り又崖道を登り、崖上にて腰掛茶屋に休み、弁当不残つかひ酒を飲、寺を出又摘草、滝不動前東南行(略)西原源五衛門庭を見(略)酒機嫌にて(略)笠志鄽上へ(略)幕過門より帰る、帰廬暮過 十二日○四過より六本木へ(略)土物たなより白山前(略)伝通院(略)牛込…

信鴻のガーデニング天明元年1

…ジ科)とする。 「冬牡丹」は、カンボタン(ボタン科)とする。 「土筆」は、スギナ(トクサ科)とする。 「つはき」は、ツバキ(ツバキ科)とする。 「福寿草」は、フクジュソウ(キンポウゲ科)とする。 ○二月 二月の日記には22日間に植物名の記載がある。また、ガーデニング作業と思われる記述は、19日ある。収穫の記載は18日ある。それら日記に記された植物名は28、11種である。この年の新たな植物の種類は3種である。以下順に示す。なお、信鴻が六義園に移って初めて記す種はない。また、植物…

信鴻のガーデニング安永九年1

…ヤメ科)とする。 「牡丹」は、ボタン(ボタン科)とする。 「薯豫」は、ヤマノイモ(ヤマノイモ科)とする。 ○五月 五月の日記には24日間に植物名の記載がある。また、ガーデニング作業と思われる記述は、26日ある。収穫の記載は5日ある。それら日記に記された植物名は48、18種である。この年の新たな植物の種類は8種である。以下順に示す。信鴻が六義園に移って初めて記す種は、グミとムギ総称名の2種である。また、植物を遣り取りした記録は、4日である。 植物名を決めるのに迷った記述として、…

★安永九年夏・四月~六月

…お隆同道近郊へ(略)牡丹見に當行し由、直に牡丹花屋へ行(略)牡丹真盛也、障子に穴してのそく様予ゆへこなたはかり牡丹を見、引返し帰る時玄関へ数人駆出見る者多し、今日無寺如来供養結願故参詣、如来・観音拝し(略)表門へ出、笠志茶鄽(略)蒲公を摘(略)坐舗にて弁当遣ひ休む(略)暮少前傘・合羽にて起行(略)暮少過帰廬 八日○七過よりお隆・お浅同道日暮里へ(略)表門より(略)町裏反畝より富士裏御鷹へ屋後ろ田畑村へ入、石仁王前より日暮青雲寺門へ入、舟繋松(略)佐倉屋茶屋へ行、法華寺にて踊有…