昭和二十年八月三十一日マッカーサー元帥到着

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)521

マッカーサー元帥到着

 八月三十一日の朝日新聞は「直接民意御聴取」。毎日新聞は「首相宮、民意暢達 に御配慮」と、国民の声を参考にしたいという。また、「内外、平静に復員中 進駐兵に雅量を持て 陸相重ねて放送」して呼びかけたとある。

 二面に「あすから 都電、終電を延長」すると。

 読売新聞も朝日と同様な記事。二面には加えて「再建文教の進むべき道」「基盤は一貫不動」「座学を主に・心身練磨の勤労も」「師弟一如・形式教育の刷新」とあるが、戦時中と根本はどう異なるか 疎開学寮の今後「主食補給を万全 正常教育へ揃ふ好条件」、他に「いまぞ展け海への食糧攻勢 栄養源はたつぷり」と、希望的観測で収めようとする。

 また、「礼儀も正しい米士官」、「案外静穏な東京」や「驚異の眼瞠る連合国四記者」も、リップサービスの域をでないもので、人々に安心感を誘っている。

昭和二十年八月三十日首相宮率直に御吐露

 江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)520

首相宮率直に御吐露

八月三十日の朝日新聞は「五箇条御誓文を体し 全世界と共存共栄 首相宮殿下の御経綸」を掲載。「條約実践即ち国体護持」が示される。社説に「一億総懺悔」を掲載。まだこのような発想がまかり通る。これまでは、大本営によって発せられていた。それを新聞が踏襲し、国民を導こうとするものであろうか。

二面に「帝都の中等、国民校 九月一日から授業 男子は科学 女子には躾」

 読売新聞も「五箇条御誓文」等は同じあるが、「戦後建設への大經論」では、首相宮は「わが国の戦敗の原因は戦力の急速なる潰滅」、「国民道義低下といふことも敗因の一つ」言論暢達に憲兵政治全廃などを「率直に御吐露」と。これらについて、高見は「我々の今までいわんと欲していい得ざりしところをズバズバといってのけておられて胸のすく思いであった。気持がまことに明るい。嗚呼かかる政治が、今日の敗戦の前に何故与えられなかったのだろう。敗戦という悲しい代償をもってせねぱかかる明るさが与えられなかったとは」と。

 二面に総懺悔・踏出せ再建の第一歩」として「議会人は反省する」に「脱皮して出直せ」。「食生活の安定」に「粉食すれば無尽蔵 米偏重の観念を去れ」。「健全明朗の生活」に「第二放送も復活 ラジオ米英物もどしどし採用」。他に「日用品の供出など 戦災者に隣保相扶」「帰還軍人 就職は積極援助」なとの提言が掲載されている。

昭和二十年八月二十九日「米先遣隊、厚木着陸」

 

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)519

米先遣隊、厚木着陸

八月二十日の朝日新聞は「戦災復興の資材に 木材百万石下賜」との記事。「米先遣隊、厚木着陸」と進駐が始まる。「結社は届出主義 言論等臨時取締法近く廃止」なる予定。実際の廃止は、十月十三日である。

二面に「天壤無窮を祈り 若き志士ら自刃」の記事。「特殊慰安施設協会・職員事務員募集」広告

それについて高見は、「接客婦千名を募ったところ四千名の応募者があって係員を憤慨させたと」話を聞いている。

読売新聞も「木材百万石下賜」など朝日と同じで、掲載内容は戦時中と変わらぬスタンスである。異なるのは、社説に「真相を公表せよ」があるくらい。といっても、大本営をそのまま報道してきたことへの反省。戦果の矛盾を明らかにせず、戦艦大和に何も触れなかったことなど、何も軍を直接非難しなくても、何も対応としなかった新聞の良心を欠く態勢は変わらないようだ。

二面も朝日とほぼ同じようだ、次の五輪に参加できないことに関連して、「再建日本と国民体育の新使命」に「心の赤錆落す油 生活と結び乗切れ苦難」とある。他に、東京都の「水道の完全給水」「もう暫らくのご辛抱」の記事がある。

昭和二十年八月二十八日もう浅草六区は戦前同様の賑わい

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)518

もう浅草六区戦前同様の賑わい

八月二十八日の朝日新聞は「上陸米軍は五十万 完了までに五箇月」と「行政機構の改編 官吏、峻厳な反省 官僚的な払拭せよ」報じている。

二面に「けふ連合軍進駐 学徒、清掃に大童 灰塵の横浜、悩み多き設営」が始まると。

読売新聞には「厳の如き冷静もて けふの進駐に処せ」とある。他に「全国民今ぞ猛省」、「敗因は道義の頽廃」の記事がある。敗戦の責任を一般の国民に転嫁するとは、こんな軍人がいるのだ。口先だけで、自分の責任を逃れていることに気づいていない。

高見は、「六区が戦前同様の賑わいであること。警視庁から占領軍相手のキャバレーを準備するようにと命令が出たこと。淫売集めもしなくてはならないのです 、いやどうも』『集らなくて大変でしょう』『それがどうもなかなか希望者が多いのです』『

外へ出るとまだ明るい。劇場の前に女工さん風の若い女がかたまっている。芝居はもうとうに終っている。役者 が出てくるのを待っているのだ。戦前、女歌劇の楽屋の前にはこうして贔屓のスタが出てくるのを待っている女のファンの群が(もっと驚くべき数だった)見受けられた。しかしこの六区の剣戟芝居の方にはそういう群は見られなかった。路地には不良などが横行して怖かったからもあろう。 それにしても、男の役者の出てくるのを ( それも有名な人気役者というのならまだしも、つまらぬ役者を) 待っている若い女の群というのは、珍しいと思われた。東京がすっかり田舎になった!」と。

昭和二十年八月二十七日「安んぜよ婦女子」

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)517

安んぜよ婦女子

朝日新聞は「連合軍第一次進駐の日程変わる 調印も九月二日に順延」とある。

二面に「帝都再建の途を聴く」七十五坪に一戸宛て 周囲は自給農園 人口三百万、緑の健康都市が描かれている。現代では夢のようなである。

話題は、まだ進駐していない米兵についてである。政府にできることは、何も無いのに。記されているのは、「態度、容儀は正しく」など「婦女子の心構へ」である。それ以外にあるのは、読売新聞二面では「壕舎の雨漏りに傷心」「邪魔な壕は取壊してもよい」などがある。娯楽に「罹災館を復活 新設も許可」あるものの、「麻雀やレビューは考えもの」との注意が着いている。

高見は、「民家は使用せず 安んぜよ婦女子 米軍進駐・横鎮の注意」との毎日新聞記事を記している。「横須賀発〕聯合軍の横須賀地区進駐の宿所につき・・・婦女子の問題について・・・発表した・・・米軍の進駐に関連し巷間婦女子に対する危惧の念強く、・・・これは全くの杞憂にして不用・・・米軍当局としてもこの種の事故に対しては深き関心と十分の対策等を講じ・・・但し・・・人情、風俗、言語を異にする外人に対しては何事に限らず先方の誤解により思わぬ結果を招来すること あり勝ちだから・・・女子は態度、容儀を正し皇国臣民たるの矜持を忘れず、荀くも外人をして誤解せしめる如きことなきを要す、万一事件が発生せる場合には警察等を通じ直ちに横須賀連絡委員会に申出でられたい(毎日)を記している。

昭和二十年八月二十六日見苦しい所蔵物資分配

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)516

見苦しい所蔵物資分配

八月二十日の読売新聞は「干戈收め兵を解く」「畏し 重ねて陸海軍人に勅諭」として「復員に有終の美を済し 戦後復興に戮御垂示」「『胸を刺す』と多年の忠誠御嘉尚」と。「一日南九州へ」「鹿屋地区に第一次進駐」が示され。「けふの進駐に対する注意」は「紛議は官憲に任せよ」と。これらは、連合軍の進駐への対応で、万全の受け入れ態勢を考慮している。

朝日新聞は「退職金、生活資金の 融通円滑に実施」を掲載。

二面に「新生日本の教育」について示す。「米国の監視下にも 泰然たれ全学徒 科学の生活化本腰」をとの記事。また「都民各位に告ぐ 秩序の維持・・・服装の粛清」がある。

高見は読売新聞「視野」から所蔵物資分配、「軍需関係会社の有様はあまりにも見苦しい。上は重役から下は工員まで所蔵物資の分取り、分配に命がけで狂奔している。米、砂糖をはじめ食料油、菓子の類まで風呂敷包み、リヤカーでセッセと運搬している。なかにはとり過ぎて田舎へ貯蔵している者すらあるという。

 田園調布に住む私の知人の近所に大詔発の十五日からきょうまでトラック一台で昼夜兼行で物資を運搬し夜は夜とて家人が運搬作業の人達と食えや飲めやの大騒ぎを夜中の三時ごろまで続け近所迷惑も甚だしいとの事、情けない日本人である。

 そんなに物資があるならなぜ無一物の戦災者や炎天下に働く農村人に優先配給しないのか。放任している監督当局はなにをしているのか。(「祖野」)」と記している。

昭和二十年八月二十五日社会の混乱を防ごうと

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)515

社会の混乱を防ごうと

八月二十五日の朝日新聞は、米国はわが国の対応について、「降伏に十分の誠意 日本は指導者を温存」していると評価している。

二面に「帝都の人口 残留二百四十万」焼跡に一割居住、戸数は微減と報告。

読売新聞二面に「敗者の禮儀」として「憂国の私憤、盲動こそ 国家の苦難を加重 踏み誤るな新日本再建の大道」と、不穏な気配は残っている。それを防ごうと「復員輸送を温かく 特別窓口や湯茶接待」に「治安確保に万全」のため「警視庁から都民へ強力を要望」している。また「食糧配給・絶対に不安なし」と、「主食は半月分先渡し 配給止まるなど全然杞憂」とまで記しているが、不安を解消させようとするもの。写真入りで「このドングリ粉近くご家庭へ」と、供給されるのであろう。他に「出版界の今後」として「再発足はまづ雑誌から」と「一般書籍も復活へ明るい見通し」の記事もある。

高見は、「・・・夜、久米家で相談会。スキ焼の会食。久しぶりのスキ焼、栄養がほんとうに骨身にしみ込でいく感じだった。・・・戦前、もののあった頃、口は贅沢した。そうして無理した。早くスキ焼、ビフテキ、蒲焼といったものを自由に食いたい。そうして思う存分身体を酷使して、頑張りたい。・・・牛肉を一貫目分けて貰った。四百円、――100匁四十円。(ついこの間まで二十五円だった)」と、まだ食糧事情の最悪化にはなっていないようだ。