戦争が終り一ヶ月たっても、変わらぬ戦中の生活

江戸東京市民の楽しみ(昭和時代)330

戦争が終り一ヶ月たっても、変わらぬ戦中の生活

 敗戦後ひと月近くなって、やっと、大本営が廃止された。朝日新聞には、「民主主義、結構だが 一足飛びは無理」とある。また、敗れたりとはいへ 誇りは捨てるな」浅ましい姿(タバコやチョコレート拾い)は慎もうとの記事を掲載。マッカーサーは「日本は第四等国に下落した」毎日新聞の記事と。

 九月の第二週に入っても、惨憺たる東京の焼跡はそのまま。「水道」は「年末までご辛抱」と。「生必品は配給制で」と、戦中と変わりない。そして、渋谷駅のホームから観ると道玄坂の焼跡は平地になり草が生えているとの状況は変わらない。まだ都民は、戦中と同じような生活が続いている。

 しかし娯楽は、ラジオが歌謡曲や軽音楽の放送を再開し、相撲、野球、庭球など明朗体育も復興の兆しがある。人々への娯楽への制限が少しずつ緩められ、久しぶりに米国映画を見ることができるようになると。

 

九月七日、朝日新聞は「民需生産は全力再興 沖縄、小笠原基地」など、米軍当局が広汎な計画を言明している。

 二面に「米人記者のみた広島」に「生存者の憎悪の眼」「夏の太陽の下・廃墟に漂ふ死臭」の記事。

 他に「誤解招く娘の笑顔粋な素足も挑発的」との注意喚起もある。 

 

九月八日、朝日新聞は「民間の自主活動を促進 重点は民生の確保 統制も果敢に改廃刷新」と、中島商相の所信。ただ、商相は「生必品は配給制で」と、戦中の制度を踏襲したまま進めようとしていることが記されている。

 他に、東京 神奈川「憲兵の解散完了」との記事もある。

 二面に「けふ連合軍 帝都へ進駐」と、とうとう東京に米軍が進駐することを伝えている。

 「戦災都市の復興」は「本建築など問題外 差当たり簡易住宅」、「近く許す 要残留者家族呼寄せ」と。まだ殆ど手がついていない状況である。「戦災都市住宅は 区画を定め建築」とあり、戦時中に許された土地利用の使用権をそのまま放置することは出来ず、「紛争防止に近く新法令」を確立するとなったと。現実には、人々は生活をしており、様々な問題があり不可欠な「水道」は「年末までご辛抱」、「引込み栓修理もやつと六割」という状況であった。東京の惨憺たる焼跡は、そのままであったようである。

 

九月九日、朝日新聞は「極めて平穏の裡に 連合軍、帝都進駐」したとしている。

 二面に「伝統を誇る米騎兵師団 代々木原に幕営」と。また「『もしもし』にご注意 外国向郵便物を米軍が検閲」が行われると。 

 他に、ラジオが歌謡曲や軽音楽の放送を再開する。「相撲、野球、庭球など明朗体育を復興」と、少しずつ娯楽への制限がゆるめられた。「東宝名人会 九月十三日 日比谷公会堂」の広告。

 高見は「米兵の婦女拉致の噂を街で聞くが、新聞にも出ている」として、毎日新聞から「当局の厳重な抗議と聯合軍司令部の命令が次第に徹底し、最近の不祥事発生件数は漸次低下しつつあるが、なかには憲兵監視網を巧みにくぐって婦女拉致事件が他に比べて目立って来た、・・・被害者の大半は泣き寝入りで被害届をせぬので、表面化しているのは少いが、目撃者の届出は相当ある…当局では他への注意のためにも被害を受けた場合は恥を忍んで最寄の交番か警察署まで速に届出るように要望している なお被害者のなかには恥かしいと無名の手紙や投書をする者があるが、投書等では何の役にも立たず直接申出ることが肝要である」と。「この新聞記事は読む者にとってなんともいえないなさけない気がする」と。

 

九月十日、朝日新聞は「陸軍将兵の復員五百八十九万」との見出し、「完了迄に三箇年」かかると。

 二面には、「一夜に“天幕村“出現。代々木に進駐軍」が入営したことを報告。「別れも愉し」上映広告

 読売新聞の「新聞、ラジオ検閲打ち合わせ」のなかで、「米国映画の日本輸入に反しても諒解成立し、日本国民は久しぶりに米国映画に接することができることになった」と、高見は記している。

 

九月十一日、朝日新聞は「マ元帥、管理方針を発表」。それは自由主義を助長奨励 不当な干渉行わず」とある。

 二面に「敗れたりとはいへ 誇りは捨てるな」浅ましい姿(タバコやチョコレート拾い)は慎もうと。また、この二日間に帝都の進駐事故(強奪)廿九件、婦女子への暴行は皆無と。

 

九月十二日、朝日新聞は「大本営を廃止 十三日午後十二時限り」と。

 二面に「”心遣い”が過ぎてか 入城早々の缶詰 面目ない一部の非行」。「拳銃で脅迫、現金強奪」と、街や劇場に米兵の非行がある。他に、東京逓信局で「小包便の引受け再開」十六日からと、まだ戦後復興への足どりが始まったという状況である。

 高見は渋谷駅の「ホームから道玄坂の焼跡が見えたが平地になってしまった焼跡に草が生えていて、昔の賑やかな道玄坂をそこに思い描くことは難しかった。もとからそんな軀さの生えた、家のポツンポツンとしかない丘陵地だったような気がするのだった」と、景色を記している。

 

九月十三日、朝日新聞は「緊急勅令で選挙法特例 『住居の期間』撤廃」すると。

 また「根本的改革は必至」として、悪性インフレ防止のために「国民貯蓄は一層増強」することを勧めている。

 二面に「民主主義、結構だが 一足飛びは無理」との見解もある。「アメリカ映画 まづ年内に劇物廿本」の見出し。「アメリカ映画会社から寄付された劇映画二十本が年内に輸入上映される見込みでいづれも日本語字幕入りである」と。日本ニュース「米軍進駐」など近日公開広告。他に、米兵が「都電を襲い身体検査」と称し、乗客から時計、万年筆を強奪したとある。

 高見は、「・・・自動車の運転手から聞いた話だそうだが、アメリカの兵隊にとめられて女のいるところへどうしても連れて行けといわれた。ただし金はない。自動車賃に煙草〇個出す。女の方も、煙草で話をつけてくれ、そういわれて運転手は困ったが、いやだというとピストルでポンとやられるかも知れないので、向島へとにかく車をやった。すると――『そこには派手な振袖を着た一少女歌劇の衣裳だかを、借りて来たという話ですが、とにかく派手なキモノを着た女がいて、もう慣れたもんで、ハローなんていって、いきなりアメリカ兵の頸ッ玉に抱きつく。いやはや、どうも…… 』と話し手はいった。運転手は待合にかけあって煙草〇個で (数を聞いたのだが忘れた ) 百円貰い、運賃を取って残りを渡した。アメリカ兵は喜んで家に上った。地理がわからないから、待っていてくれと、いったそうだが、運転手はアメリカ兵の姿が見えなくなると、すぐさま逃げ出した」と。

 

九月十四日、朝日新聞は「日本側による国内の定期航空を許可」され、差し当たり終戦事務に使用とのことで。

 また「失業人口千三百万」緊急に対策樹立とある。他に、杉山元帥の最期、婦人も後を追ひ自刃の記事。

 二面に、連合国記者団団長ブライアン氏の「滞京二週間の印象」がある。それは「敗因は真珠湾攻撃、今後について「大転換が必要だ」と、また「全国民の冷静さに一驚」などを示した。そして、「一九四〇年解散されたはずの黒龍会が四三年には再び頭をもたげてゐる」ことなどに触れ、「米国民は日本の今後の出方を注意深く見守っている」と結んでいる。他に、「職場を挙げて 復員軍人を歓迎 輔導会に求人十一万」。「神社等に米軍憲兵」、「中央郵便局荒らし 不法行為漸増(米兵の)」などがある。

 高見は、日本の軍人について「・・・『日本軍の将校は少くとも精神においては米軍に勝れていると自信を持っていたが、いま目の前に見るアメリカ将校の態度は全くわれ/\日本の将校よりも上である、自分等が井戸の中の蛙で独りよがりになっているうちに彼等に追越されていた』としみじみ感じた、精神的な面において然り、事務的な面におけるきびきびしたところ熱心な点は全く足もとにも及ぱぬ、会談は夜の八時から十一時半にまで及んだにも拘わらず臨席の将校誰一人あくび一つしない、大佐位の者が自らペンをとって自分のいうことを一言洩らさず丹念に書きとめている熱心さに感心した」と。また、高見は、マッカーサー元帥のいう「日本は第四等国に下落した」毎日新聞より、を記している。 

終戦のひと月前、戦勝記事は消え、敵機の来襲を伝える

江戸東京市民の楽しみ(昭和時代)329

終戦のひと月前、戦勝記事は消え、敵機の来襲を伝える

 

七月二十二日、朝日新聞「厳戒要す敵企図 交通網攻撃を開始」と。交通機関への攻撃の激化を予想。

 二面に「焦土を潤す文化の涼風 麹町に壕舎の本屋さん店開き」とある。また、「怖しい悪性インフレ」と闇市場では急激なインフレが進んでいる。「“お金が紙屑”では敗戦」と闇の自粛を訴えているが、逆効果にならないか。

 市民の不安は、「プー。又すぐ解除。と又プー。今度は、中々解除されず・・・ドドーンと遠くで地響きのやうな音がする。さては、艦砲射撃が始まったか。ラヂオは、それ迄、B29一機のことばかり言ってゐたが、急に『房総南端及相模湾に砲声あるも、陸岸には特異なる事象を認めず』と言った。又続いて『房総南端及相模湾の砲声は、我軍の敵艦船に対する彼我の砲声にして陸岸には依然特異なる事象を認めず』と来た」と、ロッパは、敵の上陸を意識してのことであろうと。

 

七月二十一日、朝日新聞は「インフレ防止・焦眉の急」「通貨の軽視観念抑制」経済秩序維持のためと。

 二面に「米生産、民需へ綱渡り」「家鴨や豚を飼って」、外食券の不正、「配給の砂糖を廿四貫横領」と、諸般の問題点に触れている。

 高見は、「雨。煙草に野鶴の葉をまぜて飲む。配給がすくないのでそうして飲みのばそうというのだ。かぼちゃの葉を食う。初めての試食だが、まずくはない」とある。

 

七月二十日、朝日新聞は「房総南端に敵小艦艇」「白浜付近を砲撃」と、米軍の攻撃を報告。それに「十八日百卅五機を屠るとあるが、全てを撃墜したようではないようだ。

 ロッパは、新橋駅前で街頭演奏「今にも降り出しそうな空の下、約一万人位╶─╴ぢゃなかろうか、人の海」。盛況であったのだろう、ロッパは「歌ってゝも気持よく、何だか馬鹿に愉快だった」と。

 またロッパは、「北海道は中止のこと、むろん満州行も止めにして、在京のことゝ定める」と、記している。戦況の悪化を鑑みてのことであろうと、心のどこかに敗戦があることを示すものでもあろう。

 

七月十九日、朝日新聞「敵機動部隊執拗に蠢動」と、「狙いは航空兵力減殺と人心攪乱」との記事。「茨城沿岸へ艦砲射撃 関東に敵艦上機跳梁」と米軍の攻撃を伝える。

 ロッパは、「すべてが狂ってしまった。お盆も藪入りもなく、その代り金もちっとも要らず。水戸の艦砲射撃は、やっぱり夢ではなく、新聞を見ると、『日立・水戸方面に艦砲射撃』と出てゐる。もはや、敵の上陸も近いといふ気がする。何たる日本。・・・ラヂオ、ブザー鳴り、敵機京浜に近しと言ふ。十一時半、広場の仮設舞台、野天である。工員数百。しまひの『強く明るく』にかゝると、大空に爆音、工員たちも空を見上げる、B29が頭上通過、高射砲ドヾンドヾンと撃ち出す。それでも歌ふ、面白いって気がしてた。『あせらずに元気でいつも明るく強く進まう!」と歌ひ乍ら、僕も空を見る。工員たち、空を半分、こっちを半分、拍手する。終って、事務所へ歩く時、空からヒラヒラ、謀略ビラが落ちて来る。拾って貰ふと、『マリアナ時報』。事務所の人たち、『いやア実に印象的で反ってよかった』と言ってる」と、気分を良くしている。

 

七月十八日、朝日新聞は、「関東海面に再び 機動部隊来襲」と、平塚・沼津、桑名市付近など、各地の攻撃を記している。

 ロッパは、「夜半、夢うつゝで、ラヂオきいてたら、水戸が今、艦砲射撃を受けてゐると、言ってゐた。水戸と言へば、すぐ近くではないか、冗談ぢやない・・・十二時七分前、ブーウー。『敵は伊豆北部より小田原へ』、B29一機B24一機の由。・・・今度は鹿島灘方面から小型艦載機編隊が、又続々と入って来る。やがて空K出づ。ドヾーンドヾーン高射砲の音、『既に百八十機』尚続々と後続目標があると言ってゐる。然し、近隣何の騒ぎもなし。子供の嬉々として戯れる声がするし、家の中も、平常通りである。東京都民は落着いたもんだな、一寸考へると呆れることである。一時十五分、まだ後続編隊云々とやっている」と、平穏であった。

 

七月十七日、朝日新聞は、米軍が「我作戦に企図挫折」と、「全国各航空部隊へ 侍従武官を御差遺 航空総軍司令官・聖慮に感泣」。「神機を待ち隠忍 空母陣増強に驕る 敵機動部隊撃滅へ」と記している。

 高見は、今日の来襲記事 (毎日新聞)から「我作戦に企図挫折 避退か洋上補給か、敵機動部隊再襲厳戒・・・」を写しているが、記事を信じたのであろうか。

 ロッパは、「今日も街頭慰問やる筈だったが、雨だし、延期・・・三時に放送局へ・・・放送局では、電信局慰問のオケ合せ。スタヂオ内で、歌一と通り合せる。それを入口に立って見てた のが、何う疑心暗鬼名も敵の捕虜らしく、気になってゐたが、通訳の人が来て、『あの中の一人は英人で、もと役者、今、貴方の歌ってるのきいてゝ、実にあれはフランスの歌ひ方だ、と感心してる』と言ふから、行くと、「へイ・ マイク!」と呼び捕虜マイク・マクノートンといふのと、通訳付きで話す。彼の父も役者で、ガス・マクノートンと いひ、 チャプリンと、パントマイムの一座 にゐたことがあるとか。『戦争済んだら一緒に芝居しようぜ』と、握手する。ギューツと力入れて握った。可哀さうな、捕虜」と、同情している。

 

七月十六日、朝日新聞は「機動部隊 継続近接」「室蘭市を砲撃」と。二面には、「藷畑へひと皮剥いだ競馬場」、「活かそう、この食資源」に「つゆくさ、いぬたで、ゐのこづち、いたどり」が続く。また、「予約の前景気も上々 勝札いよいよきょうから発売」、富籤が発売されている。

 ロッパは市電で渋谷へ、駅前の空き地で「盛った舞台の前に、もう何千人か人が集てゐる。「戦力増強芸能隊」と旗をかゝげ、五時すぎから始まる。・・・何しろ駅前のことだ、電車の音、自動車の音、しまひには飛行機も通る」と、敗戦一月前の渋谷での街頭慰問の状況を示している。都民は、戦争とは無縁の世界に居るようだ。

 

七月十五、朝日新聞は「東北 北海道南部に敵機動部隊」「本州に初の艦砲射撃」と、米軍が「釜石付近を艦砲射撃」と。二面に、「出直す学童集団疎開」、東京の再疎開を例に、もっと安全地帯への検討が記されている。

 高見は、「新聞(毎日新聞)に昨日の艦砲射撃の発表あり。

 敵本州に初の艦砲射撃

(大本営発表)

一、本七月十四日早朝より数次に亘り敵艦上機東北地方及北海誓部地区の我航空基地及港湾等 に来襲せり

二、右来襲に呼応し同日正午頃より敵艦艇の一部は釜石附近に対し艦砲射撃を実施せり

飛行場、港湾狙う数百機、不逞近接の敵艦艇・・・」と記す。

 

七月十四日、朝日新聞は「進め国民義勇戦闘隊」の見出し。二面に、「敵機の新戦法に備えよ」として「驚くな醜翼の傘」、禁物なのは「油断大敵」などがある。さらに、「噂話で浮足立つな」「授業は断然続ける」と、これまでの威勢よい叱咤激励調が変わり始めた。

 「新聞を見ると、宇都宮がやられた。──B29 百四十機来襲。宇都宮に約七十機、郡山に廿機、鶴見方面に約五十機。十二日夜の低空の爆音は、これだったのだ。昨十三日は北陸へ行っている。百機。敦賀を攻撃、若狭湾に機雷投下。十二日夜は堺、宇和島をも攻撃」と、高見は記している。

 

七月十三日、朝日新聞は、敵機は「随時随所に来襲可能」であると、「敵機動部隊の動き厳戒」せよとある。我が軍は、敵の動きを全く予測ができないのであろう、予断を許さないと。

 二面に、今後予想される「中都市暴爆の戦訓」の掲載を始め、爆撃は防げず、被害を少なくするしかない。

昭和二十年九月初旬にわかる終戦当時の壊滅的な戦力

江戸東京市民の楽しみ(昭和時代)328

昭和二十年九月初旬にわかる終戦当時の壊滅的な戦力

 昭和二十年(1945年)九月は、戦時中から戦後が動き出す。それを象徴するのが八日の連合軍の日本の首都東京への進駐である。それも、東京のど真ん中、一月前まで、新聞などは「駆逐米英」などと敵意を露にしていた。敵対意識が本当に浸透していたら、竹槍で、米軍の行進に突撃する都民いても不思議ではない。勿論、都民が米軍と戦う組織や態勢が本当にあったのか、疑問であるが。

 九月六日の朝日新聞二面、終戦当時における物的戦力」を見た国民は、これが日本軍の事実と信じられたであろうか。全く戦うことの出来ない状況、本土決戦など出来るはずのないことは明白である。政府と軍は、いかに国民を欺いていたか、勝ち目のないことは前年にわかっていたはずだ。

 

九月一日、朝日新聞は「臨時議会けふ召集」がトップの見出し。社説で「新農村建設と土地問題」を取り上げ、「戦後日本の中心課題」としている。また、「在郷軍人会解散 きのふ歴史的幕を閉づ」と掲載する。

 二面に元戦時農業団会長小平は「日本民族の生きる道」に、「都会に憧れるより 新しい村造り」を提言している。また、東京都長官からより都民各位に告ぐとして「一、秩序の保持 二、食糧の増産 三、手持金の貯蓄 四、街の清浄化 五、服装の粛正」とある。「大詔を奉じ挙国一家、あくまでも国体の護持と民族の名誉を保全せんがため・・・」とのこと。朝日新聞が取り上げる記事は、まだ旧勢力の発想が残っており、読者もまだ批判するまでにいたっていないようだ。

 「本日初日 市川猿之助 一、黒塚二、東海道膝栗毛」東京劇場」、「日本ニュース発表会 日比谷公会堂 日本映画社」の広告。また、「復活する第二放送」とラジオ番組欄が増えた。

 高見は、「在郷軍人会が解散になった。虎の威をかりて『暴力』を振るっていたあの分会……」。と、まだ言い足りない思いが伝わる。

 山田風太郎飯田駅で、「剣なき兵、窓口に顔出し、『兵隊だがねえ、切符一枚売ってくれい』と、今まで通りやり、駅員にさんざんどなりつけらる。『兵隊?兵隊かなんか知らんが、まさかもう公用じやあるまい。公用じゃなけれよ一般といっしよにならんでもらいたい』

 見ているのに、たんに兵を侮るにあらず。駅員も運命に対して腹立ちを抑えかねるといった顔なり。兵隊赤くなり青くなり、はては泣きそうな顔になり、それでも切符を投げ出してもらい、 ニヤニヤ恥ずかしげに笑いて去る」を見た。

 

九月二日、朝日新聞は「けふ降伏調印式」、日本はポツダム宣言を受諾し、降伏文書に調印、そして米国軍の進駐、様々な対応が始まる。

 高見順は読売新聞の「この降伏文書の調印によりポツダム宣言は正式に日本政府並に国民に対し聯合軍の日本占領期間中憲法にも等しい法的に拘束力を有することになるわけであり、また停戦及び聯合国側の要求する軍事条項の履行について法的の確認を与えるものである、日本国民は今や敗北という冷厳な事実をよく認識して耐え難きを耐え、忍び難きを忍び一大決心を以て再建への第一歩を踏み出さねばならぬ歴史的な日を迎えたのである」を日記に写している。

 二面に「嬉しいな、学校へ通える」夏休みが終わり、新学期が始まる。次に、戦時中からの土地問題を「どうなる戦災地土地問題 借地権は休眠状態 新立法まで御辛抱」との記事。

 「外国記者のみた厚木進駐」として、「敵対より好奇心」と周辺住民の関心を記している。

 

九月三日、朝日新聞「降伏文書に調印す」「敵対行為直に終止」と、着々と米国の統治が始まる。

 二面に「文相語る”新宗教道”基督教「温かな行いを」、仏教「真の”心の隣組”として」と、宗教対立を際立たせないようにとのことであろう。次に、「物珍しさに出入りするな 進駐軍との間違い避けよ」との注意。なお、「一部米兵の暴行」があったことも記事となっている。

榎本健一・快男児」興行広告

 高見は「上野公園に、戦災で親を失った孤児たちが集って、浮浪児の群をなしているという。心の痛む話だ。金と場所があったら引き取ってやりたい」と書いている。

 

九月四日、朝日新聞は「自主的に建設せん 新しき政治体制 産業再編へ深き検討」について記している。

 二面に「協力して当たれ隣組」「進駐兵に絶対隙を見せるな」との記事。

 日比谷公園で六日から「明朗音楽会」、純正音楽の大衆化と軽音楽の向上をねらって催される。また、「駐軍に映画館を開放」したことを伝えている。

 三島由紀夫は、東京劇場で『黑塚・東海道膝栗毛』(東京劇場再開広告)を観た。

 高見は、「横浜ではアメリカ兵が相当傍若無人の振舞に出ているらしい。暴行の話、時計を取られた話、無法侵入の話等々が頻々と伝ってくる」と、記している。

 

九月五日、朝日新聞「平和国家を確立」「興国自彊、国本を培養」を記している。

 二面に「工場を離れた者は、食糧も一般並み 将来は家庭配給一本建」にするとの記事。他に、「神奈川県の女子生徒は休校」を伝える。

 「清水金一・新橋第一劇場」興行広告

 高見は「新橋の外食券食堂の前で、外食券をこっそり売っている。一枚五円。五十銭のメ シである。外食券で食っている者は一回食事を抜かして券を闇で売ると、一月百五十円になる。文字通り寝ていて、百五十円儲かる。

新橋のその食堂の附近には、汚い闇屋がうろついている。米を売ったり、小さな梨を売ったり。 読売の『点晴』欄・・・にこの梨などの闇値が『堂々』と出ている。闇値が新聞に出たのはこれ が初めてだ。米、酒等の闇値はさすがにまだ出ない。『点晴』の記事はこうだ。

 戦争の終結で空襲の心配がなくなると、近ごろ、急に露店商人の数が増えて来た。大した商品も並べてないが、群集が取り巻いていずれも大変な賑いである・・・どう見ても裏でこっそり取引されている闇値の何倍か高い。これが白昼堂々と公開の街頭で売られているのだから経済警察は何をしているかといいたくなる。・・・統制経済の欠陥を補うために露店商人も行商人もどし/\増えてよろしい。またこれらの商人に対して或る程度の寛大は許されてもよい。しかし目にあまるようなひどいのは適当に取締らぬと、その余弊は深刻且つ重大である」と、記している。

 

九月六日、朝日新聞「新生へ精進努力 銘せよ我民族の底力」と、戦時中の論調の見出しを出している。そして、国民の生活安定に全力を、と続けている。しかし、東久邇宮首相の施政方針演説に「万邦共栄文化日本を再建設」とあるが、国民の大半は抽象的なかけ声にそれどころではない、というのが実態であろう。

 二面は終戦当時における物的戦力との見出しで、大東亜戦の人員損耗(戦、病死五十万余)、軍需生産、戦闘可能の戦艦なし、航空機・陸海合せ一万六千機(相当数は実戦に適さず)、等が記された。そして「敗因とその責任究明」で、「・・・国民はこれにより何が故に破れたかを判断をし得るであらう」としている。さらに、「責任究明」については全く触れていない。なぜ、責任について書かなかったのであろうか。また、この実情を国民に示すことなく、戦争を続けたのであろうか。

 他に、「追い越すな進駐軍の車」との注意がある。

戦争末期の七月後期、行き詰まりと混乱を呈する新聞記事

江戸東京市民の楽しみ(昭和時代)327

戦争末期の七月後期、行き詰まりと混乱を呈する新聞記事

 昭和二十年の七月後期には、信じられないような新聞記事が出てくる。それは、危険な空襲の予告が出されるも、「恐れるな」という指示である。さらに、「家を燒かれようと何しようと、損ということはない」との記事。

 深刻な食料難に、国民はドングリを食べるようにとの記事。古川ロッパは「東京都民は草を食ってゐる者多し」と日記に記している。国民はどこまで困窮に堪えるか、試しているような日々が続いている。

 戦争の行き詰まりから生じるのであろう、街中の闇市場は急激なインフレに対し、「“お金が紙屑”では敗戦」と闇の自粛を訴える記事。闇市がインフレを招いているわけではない。それなのに国民に責任を転嫁しており、それでは何の解決にならない。

 以上のような記事で気が滅入る中、あれだけ娯楽を制約していたのに、劇場や映画館などが復活したり、復旧中の記事が増えている。

 

七月三十一日、朝日新聞一面は「敵機動部隊三たび関東へ」と、空襲が続いていることを告げている。

 二面に「国民皆農の尖兵たれ」とある。また「どんぐり五百万石を採取」家庭で加工しませう。「私有山の出入もお構ひなし」と、食糧事情が改善してないのであろう。国民はドングリを食べて凌ぎ、国家はそれでも戦争を続けようとしている。

 

七月三十日、朝日新聞は「砲爆撃下敢然戦ひ抜かん 最善の作戦を遂行 相互信頼で必勝」とある。空々しい見出し、最善の作戦がどのようなものか具体性がない掛け声だけである。

 二面に「心の糧としての読書 古本濫読をどう導く 日本出版会の対策を聴く」との記事。

 読売新聞は浅草六区は健在と、市内の劇場や映画館等の興行状況を紹介している。浅草は、六月に高見の示した劇場や映画館に加えて、富士館・松竹劇場・電気館・千代田館・大勝館・松竹新劇場がある。新宿は、第一劇場・武蔵野館。新宿松竹館がベンチ掛けの演芸館として復旧中とのこと。渋谷や銀座なども復活したり、復旧中のところが増えている。

 なお、情報局は「演劇も音楽も映画もすべて移動公演へ組織的に」と、いまだに考えている。しかし、「映画を川崎の工場でやっても見ようともしないでわざわざ公休日を待って新宿や浅草へと見に往く工員が多い」ように、市民の要望とは大きな隔たりがあった。食事が満足に取れないなら、娯楽ぐらい国民の自由にしなければ。

 

七月二十九日、朝日新聞は「敵の艦上千八十機 中部・四国・東海へ」。空襲の予告を出すだけで、「恐れるな」という叱咤激励が続く

 二面に「灰燼の中に”銅山”ありと。また、「一億、敵の矢面に “群る蠅”だ恐るな敵機との記事がある。

 読売新聞社説「国民のエネルギーを政治へ」

「・・・祖国の運命は今や懸って政治の運営にあるということができる。だが・・・国民のエネルギーの何分の一が政治に向けられているか。国民の注意の如何なる部分が政治の上に注がれているか。顧みて吾々は暗然たらざるを得ないのである。・・・

日本人が今日のこの危機に当って何故に政治に対する言いようのない無関心を示すに至ったのか。・・・今は食糧の問題自身が何よりも政治的な視角から取上げらるべき時である。だが一体誰がこういう広汎な視野を持っているのであろう。

恐らく国民をこうした政治的無感覚へ追い込んだ主因は、出来上った框の中で黙々と働く人間のみを作ろうとした・・・教育に求められる。・・・黙々と働くのは、国民として大切な徳であることも明らかである。

ただ黙々と働いても必ずしも成果がこれに伴わぬこと、・・・誰よりも当の国民が知っている。而もその衝にある官僚その他はこの弊を見抜く眼とこれを正す力とにおいて大いに欠けるところがあるのである。

政治は国民の考えてはならぬ問題ではないし、考えても無駄なほど遠くにあることでもない。敵の攻勢といい・・・凡ては根本において政治の問題である。

現代の戦争が或は総力戦と呼ばれ、・・・国民の凡てを挙げて政治を談ずる権利を、否、実に義務を吾が祖国に負うているのである。政治こそ足下の問題と高遠の問題とを離れ難く結びつける一筋の道である・・・食糧の事情が所謂精神で解決されるなどとは思わぬ。だが国民のエネルギーの大半が政治に向って注がれることを、食糧の問題にしても、この迂路を通して接近すべきことを、創意も工夫も先ず政治の部面に発揮されることを、今 この時に当って切望せざるを得ないのである。」

 

七月二十八日、朝日新聞は「数郡の敵機動部隊 依然南方洋上に 警戒を要す戦意攪乱の企図」と。

 二面に「購入通帳を一本に 隣組単位で配給 お米通帳は従来通り」とある。

 高見は、「米英蒋の対日降伏条件の放送について、読売も毎日も『笑止』という形容詞を付けている」と、だけで批評はない。

 

七月二十七日、朝日新聞は「ブケツト島へ 上陸企つ敵撃退」を報告。 

 二面に「戦災地に伸びゆく工場と農園 農園化の殊勲甲は蒲田

敵の空襲で、損害だ損害だというが、頭の考え方をちよつと変えて見ると、燒跡から何万貫という銅が出てくる。銅山で必死の增産をやっても、おつつかない多量の銅が家の燒けた跡から出てくる。そうなると空襲はむしろありがたい。損害どころかすこぶるありがたい話なのだ──栗原部長は昨日こう言った。家を燒かれた国民はまことに気の毒だが……そういう一言が今出るか今出るかと待つていたが、絶対言わなかった。土臺そんな気持は毛ほどもないのだ。

上村氏が尻馬に乘って『家を燒かれようと何しようと、損ということはない。私たちは、何も損はしない。損などということはありえない』と例によって卓を叩いて気違いじみた高声で言った。民あっての国ではなかろうか。国が滅びても俺が生き残ればいい、そう私は考えているものではない。国あっての民ということも考えるが、民あっての国ということを考えるのである」と、高見は思った。

 

七月二十六日、朝日新聞は「陛下の御近況について 日夜政務に御清勵」を掲載している。

 古川ロッパは、「一寝入りした頃、ブーウと鳴ってゐる、なあに又大したことではあるまいと思ってると、空襲警報。ラヂオは、B29の数目標と言ってゐる、起きる気にならず、床の中にゐると、ズシーン!ドドーン、爆弾の音だ。ビリビリッと硝子にひヾける。しようがない、起きる。・・・僕も庭へ。月明、今宵満月か、昼をあざむく明るさ。月の下を、B29幾つも飛ぶ、川崎方面!とラヂオ言ふ。その辺りに、爆弾の音、盛。アッ、火の玉だ。B29一機、火を吹いて落ちる。思はず、ワーツと叫ぶ。・・・一しきり、川崎辺がうるさかったが、友軍機、頻りに飛び出し、静かになる。・・・解除は、一時近くでもあったらうか。再び床に就く。いやもう大変な東京なるかな」と、先行きが分からないまま、慣れだけが定着している。

 永井荷風は、「銀座へ出た。六時ちょっとすぎ。人通りはもうほとんどない」と観察している。

 高見は、銀座「モナミ」で「乞食が入って來た。めっかちで、その黑いカサカサに乾きしなびた皮膚は餓死の一歩手前の人のように見えた。乞食のようなぼろを蔽っているが乞食ではないらしく、十円札を何枚か持っている。否、乞食でもこの頃はそのくらいの金は持っているのかもしれないが、一人で券を五枚買った。どうするのかと、それとなく見ていると、五杯をガブガブと一気に飲んだ。めし代りなのだ。華やかだったレストランも今はこういうざまである。警報が出た。情報がさっぱりわからない。しかしみんな平気な顔なのでこっちも平気な顔をした。

四丁目に出た。電車を待っていると、高射砲の音。敵機が東の高い空を飛んでいる。

警視庁前で電車を降りて内務省へ歩いた。五階というのは最上階だった。もちろんエレベーターはなく足で昇るのである」と、苦慮している。

 

七月二十五日、朝日新聞は「二千機西日本へ大挙来襲 我航空基地を狙う 交通機関も攻撃」と。

 二面に「敵の交通破壊は始まっている」と、

 読売新聞に「銅屑集めに国民酒場『特飲予約券』活用」(二十五日)の記事。銅屑集めの話には笑うに笑えないものがある。国民酒場は一本のビールを飲むために二時間以上も行列する。その無駄な労力を解消するため、銅屑一貫目を持参すれば『特飲予約券』がもらえることになった。当初一日二千貫程度集まればと踏んでいたところ、三日目には二万貫も集まり、さらに五日目には不渡りの特約券を六万枚も出すことになった。やむなく、不足分に対しては『葡萄酒を取り寄せて解決するからといっているから先ず安心と見て差支えあるまい』」とある。銅屑は交換を打ち切っても運び込まれ続けた。なお、その銅屑は、敵の空襲で投下されたもので、市民の犠牲の代償であった。このようなことをやっていて、戦争に勝てると軍や政府は本気で信じでいたのか。

 

七月二十四日、朝日新聞は「機動部隊執拗に行動」「我艦艇、房総南端沖で 八駆逐艦と交戦」と、その砲戦は二十分と。

 二面に「空爆下の初等教育」や「再疎開は完了した もう心配はない 残留学童は減らす方針を示している。

 ロッパは、「母上は馬鈴薯では、何うにも辛く、飯一杯でやめて、馬鈴薯をつきあふ。ムニ/\と噛むその味、思はず溜息フーツと出る。もはや、東京都民は草を食ってゐる者多しと。食糧攻めは、何より応へる」と、ぼやいている。

 

七月二十三日、朝日新聞は「けふ初の編成下令 鉄道義勇戦闘隊」と、決戦に対応するためにと。

 二面に「悪天と農民の血戦 麦作概ね八分作 多産県はさすが良好」を記している。

 ロッパは、邦楽座の『姿三四郎』を覗き、「舞台も飾り、衣装も先づ昔のまゝやっている、不思議な感じ」と、演劇の復活が始まるのを期待している。

 高見は毎日新聞投書欄から「大豆の御飯 ◇大豆がお米の代替配給になってから、お腹をこわして困るという話をよく聞きます。日頃から胃腸の丈夫でない人の中には、大豆めしを食べておなかをこわした方が多いでしょう」と、記している。

 

 

国民の大半は混乱し、社会が停滞する八月の月末

江戸東京市民の楽しみ(昭和時代)326

国民の大半は混乱し、社会が停滞する八月の月末

 まだ国民は、終戦後の新しい社会については勿論、敗戦自体についても、漠然としていてその日その日の生活をするだけ。新聞やラジオ放送の情報をどのように受け入れるか、混乱と言うより迷っているようだ。

 朝日新聞は、国民の関心を軍人の復員に向けようとしている。だが、人々の関心は連合軍、進駐軍で、戦中の十五日までは怒りを助長させ、憎しみを植えつけようとしていた。その米国軍に対し、手のひらを返すような方向へと導こうとしている。

 あまりにも極端な転換に追いつけないことを示すのが、八月三十日の「夫を追ひ自決」の記事。「尊撰同士会員」の三婦人、何れも二十代、愛宕山に集まりピストル自殺したと。空襲で家族や住いを失った人の中には、進駐軍に石を投げつけたい人も少なからずいたであろう。そして、横暴な軍人に対しても、まだ恐れを感じる人がいたようだ。

 朝日新聞二面で気になるのは、二十七日では「世界の動き 米英ソの動向」「依然、暗黙の駈引き」。二十八日は「政府なき伯林の昨今」「瓦礫除去に十六年」。三十一日が「欧州から見る」「暗い悲しみ捨てゝ 自戒すべきは自戒」そして「日本を語る入京の米紙記者」もある。これらの記事は何れも紙面を大きく占めているが、当時の国民が知りたいと思えるニュースとは感じえない。報道も混乱していたためなのであろうか。

 三十日『朝日新聞』は、社説に「一億総懺悔」を掲載、国民を誘導しようとするものであろう。懺悔すべきは、政府・軍に指示されて従った大半を占める国民の側なのであろうか。国民は、まだ戦中のマインドコントロールのまま、そこにつけ込むように「一億総懺悔」を出した。また国民も混乱し、上からの指示を待っていたところにである。

 

八月二十七日

 朝日新聞は「連合軍第一次進駐の日程変わる 調印も九月二日に順延」とある。

 二面に東京都計画局長に「帝都再建の途を聴く」と、「七十五坪に一戸宛て 周囲は自給農園 人口三百万、緑の健康都」を描いている。実現性の裏付けはないものの、当時の希望を表す東京都を示すものであろう。

 「整然と終った将兵復員輸送」を受けてか、「東京を中心に 乗車制限解除」の記事がある。また、「勤労女性も頑張る横須賀」に「徒な不安は無用 だが隙を見せるな」「進駐区域の婦女子に警告」との記事もある。

 明朗時代劇「花婿太閤記大映映画、三十日公開の広告。

 高見は、「民家は使用せず 安んぜよ婦女子 米軍進駐・横鎮の注意」との毎日新聞記事から「〔横須賀発〕聯合軍の横須賀地区進駐の宿所につき・・略・・婦女子の問題について・・略・・発表した。・・略・・米軍の進駐に関連し巷間婦女子に対する危惧の念強く、・・略・・これは全くの杞憂にして不用・・略・・米軍当局としてもこの種の事故に対しては深き関心と十分の対策等を講じ・・略・・但し・・略・・人情、風俗、言語を異にする外人に対しては何事に限らず先方の誤解により思わぬ結果を招来すること あり勝ちだから・・略・・女子は態度、容儀を正し皇国臣民たるの矜持を忘れず、荀くも外人をして誤解せしめる如きことなきを要す、万一事件が発生せる場合には警察等を通じ直ちに横須賀連絡委員会に申出でられたい」との記事を紹介している。

 

八月二十八日

 朝日新聞は「上陸米軍は五十万 完了までに五箇月」と「行政機構の改編 官吏、峻厳な反省“官僚的”な払拭せよ」と報じている。しかし、前日には「皇国臣民」との言葉が示すように、戦中の基本姿勢を崩していない。

 二面の最初は「復員兵の手記」に「二日三晩、己と戦ひ」「悟った民族の道」「頑な心解く銃後の姿」と、綴られている。次に「けふ連合軍進駐 学徒、清掃に大童 灰塵の横浜、悩み多き設営」が始まるとの記事。そして、「さあ、新しい元気で いゝ体、知恵を磨きましょう」と「少国民へ、前田文部大臣が放送」した内容を掲載している。

 高見は、浅草「六区が戦前同様の賑わいであること。警視庁から占領軍相手のキャバレーを準備するようにと命令が出たこと。『淫売集めもしなくてはならないのです、いやどうも』『集らなくて大変でしょう』『それがどうもなかなか希望者が多いのです』『へーえ』

 外へ出るとまだ明るい。劇場の前に女工さん風の若い女がかたまっている。芝居はもうとうに終っている。役者が出てくるのを待っているのだ。戦前、女歌劇の楽屋口の前にはこうして贔屓のスターが出てくるのを待っている女のファンの群が(もっと驚くべき数だったが)見受けられた。しかしこの六区の剣戟芝居の方にはそういう群は見られなかった。路地には不良などが横行して怖かったからもあろう。 それにしても、男の役者の出てくるのを(それも有名な人気役者というのならまだしも、つまらぬ役者を)待っている若い女の群というのは、珍しいと思われた。東京がすっかり田舎になった!」と、新たな動向を紹介している。

 

八月二十九日

 朝日新聞は「戦災復興の資材に 木材百万石下賜」との記事。「米先遣隊、厚木着陸」と進駐が始まる。「結社は届出主義 言論等臨時取締法近く廃止」なる予定。実際の廃止は、十月十三日である。

二面に「医学も揺らぐ原子爆弾の惨」との見出しで、「肉塊に喰込照射」「救助の処置なし」「擦傷の女優遂に死す」と手の施しようがないとの記事。

 「国民学校も大学も」「九月半から授業」そして「戦災校は差当たり勤労」とある。しかし、戦前と同じ授業を行うことは出来ないので、充分に注意し、適宜省略することを伝えている。

 まだ敗戦を受け入れできない人々がいる中で、「宮城前に、神宮外苑に」「天壤無窮を祈り 若き志士ら自刃」(「十四烈士の碑」参照)の記事がある。

 そして、特殊慰安施設協会・職員事務員募集」広告が掲載されている。

 高見は、「東京新聞にこんな広告が出ている。占領軍相手の『特殊慰安施設』なのだろう。今君の話では、接客婦千名を募ったところ四千名の応募者があって係員を『憤慨』させたという。今に路上で『ヘイ』とか『コム・オン』とかいう日本男女が出て来るだろう」と記している。

 

八月三十日

 朝日新聞は「五箇条御誓文を体し 全世界と共存共栄 首相宮殿下の御経綸」を掲載。「條約実践即ち国体護持」が示される。社説に「一億総懺悔」を掲載。まだこのような発想がまかり通る。これまでは、大本営によって発せられていた。それを新聞が踏襲し、国民を導こうとするものであろうか。

 二面に「帝都の中等、国民校 九月一日から授業 男子は科学 女子には躾」とある。「疎開やもめ…まだいけない家族の呼戻し」があり、まだ「現状のまゝ」という都民がいて、早く復帰させて欲しいとの記事。

 進駐軍の慰安施設」として、バー・カフェー・キャバレー・慰安所を決定したとの記事。

 その下の記事に、「援護事業を強化」の見出し、「傷痍、帰還軍人、戦災者など 厚相、一般人の協力要望」するとある。

 

八月三十一日マッカーサー元帥到着

 朝日新聞「直接民意御聴取」毎日新聞「首相宮、民意暢達 に御配慮」と、国民の声を参考にしたいという。また、「内外、平静に復員中 進駐兵に雅量を持て 陸相重ねて放送」して、呼びかけたとある。

 二面には、「学窓へ戻った乙女 三人掛で…燃える向学の瞳」と「楽しいな祭りの太鼓 もうひと辛抱…盛岡の疎開学童」と2枚の写真が掲載されている。その他、「あすから 都電、終電を延長」すると。また特殊慰安施設協会の「職員事務員募集」広告が掲載されている。映画広告は、「伊豆の娘たち」と「花婿太閤記」がある。

 

終戦二週間前に叫ばれた勝利とは

江戸東京市民の楽しみ(昭和時代)325

終戦二週間前に叫ばれた勝利とは

 新聞には、戦況が国内外ともに行き詰まっているためか、記事に勢いが感じられない。本土決戦が頻繁に出てくるが、国民のどれだけの人が本当に戦えると考えていたのであろう。中小都市の空襲が頻繁になり、焼け出された人々は自分たちの生活再建に目一杯である。戦う気力はなく、戦っても勝ち目のないことはわかっていたと思われる。

 朝日新聞は、空襲を「敢闘あるところ必ず勝利がある」や「疎開をやっていたので実害は僅少」、さらには「対策を完全にしておいたところに勝利があり」などと書いているが、誰が本気で信じたであろうか。本土決戦を強行すれば、沖縄の再来であることは自明であろう。軍や政府は、本土決戦で勝つことを信じていたのであろうか。

 

八月五日

 朝日新聞は「牛島中将・大将に」「沖縄血戦に善謀・・・」と讃えている。前日二面の末端の人であるならば、その行動を讃えざるを得ないが、最高位の指揮官が多数の兵士や住民を死傷に追いやったのに「善謀」としている。

【映画『豹変と沈黙 日記でたどる沖縄戦への道』】一部参照
https://news.yahoo.co.jp/articles/4fa4385a5e05432962578c692b358d94e7aecd9a?page=2

 

 二面に「実現近い〝戦時住区〟」との東京都の構想が語られた。「すべて戦闘体制」のためで、「狙ひは防衛と自活、生産」という、住区の構想が示される。都内に食糧や工場など自活できる復興町会を「盛上がる力で隣組町会」で創ろうというもの。

 他に、「たばこ 一日三本」、「一日に六、七千足 靴修理班の店開き」が写真と共に取り上げられている。本土決戦を控え、戦意高潮化しようと「国民の軍歌」の募集記事(締切八月十五日)もある。映画広告に「完成迫る!伊豆の娘たち」と「愛と誓ひ」がある。

 

八月四日

 朝日新聞「大鳥島を艦砲射撃 敵戦艦に直撃弾 わが陸上部隊猛然反撃」と、戦争続行を記している。

 二面に、一職員が「最後の連絡果して 局舎と運命共に 死してなほ手にバケツ」と、国民に戦意の持続を訴える。他に米国の爆撃予告ビラを念頭にしてか「敵謀略の正体」に「心理戦争にはこの構へ」と、解説するが心構えが国民に伝わったであろうか。

 また、新戦力として、「羽ばたくぞ”木の翼”」「入魂独特、モスキート(木製爆撃機実戦には使用されず)」を凌ぐ、との記事がある。実戦に対応できる代物か否かは、素人でもわかりそうなものだ。

 「敵謀略の正体」と題して、「心理戦争にはこの構へ」で騙されるなと。「喰えぬビスケット」と『こんな事実…』これが危ない」との例をあげている」。そして「嘘を真に…敵の宣伝第一課」との注意喚起を訴えている。

「興行広告」に金龍館の森川一座・初日がある。

 高見は、「読売、強がり記事を掲ぐ」として、「沖縄と本土決戦 接岸、上陸何れでも 我に攻むる強味 今ぞ敵の足場摧かん

 本土決戦は沖縄決戦の延長戦である、従って沖縄決戰以来今日まで決戦は連続行われている、敵が本土上陸を敢行する時が決戦ではない、重ねていうが本土決戦はすでに開始されている」と、強がり記事を紹介する。

 そして「読売、毎日両紙とも、爆撃予告の敵のビラに驚くなという記事を出している。当局からの指示によるのであろう」と結んでいる

 

八月三日

 朝日新聞には「見えぬ縦深陣地で 敵接岸に手具脛」を引いての戦いを載せている。

 毎日新聞には「B29中小都市襲撃を激化」が記されている。

 朝日新聞二面に「嘗てない長時間爆撃 目標が去っても油断ならぬ」と、一度爆撃されたところに再度の攻撃があるとの警告。

「備へあれば憂ひなし 焼けぬ滅敵の魂 事前の疎開にあがる凱歌」とある。「急げ井戸の改修」防火用水の確保の要請。被害を最小限にしたとして、八王子や長岡、水戸での事例を記している。八王子では「火のつきかかったカーテンをむしり取り、職員を激励叱咤、遂に死守したのである、敢闘あるところ必ず勝利がある」が記されている。長岡では「市民の予めこれに備へて家財等の疎開をやっていたので実害は僅少に止まった」と。水戸は「焼土に毅然たり 各地の戦訓を活かした民防空」として、「要するに水戸市の場合は各地の戦訓を十分活かして事前の対策を完全にしておいたところに勝利があり、まさに『戦訓の凱歌』である」としている。さらに、「沈着、部署を死守 展晴れ国鉄義勇戦闘隊」との記事もある。

 新聞は「凱歌」「勝利がある」と誇らしげに書かれているが、都市襲撃よる被害は少なからずある。それなのに勝利とする、このような人々を迷わせるような記事を掲載し続ける新聞、そして記者、末期的と言わざるを得ない。

 東京都は「総額三千六百万円 戦時農場費三百五十万円 都の戦災復興予算決まる」を発表した。この計画、精選後を踏まえているかどうか、気になる。また、「戦災青森目覚しい復興」「統制ある指揮が災禍を超克」があるも、復興の具体的な記述はない。

「伊豆の娘たち」「北の三人」映画広告

 

八月二日

 朝日新聞「制空部隊、潜艦協力 来襲の敵を痛撃す」「わが陸海の戦備着々強化」「撃墜破千二十機 七月中の来襲敵機二万」とある。

 二面に「我等けふより一兵 聖域に誓ふ忠節 堂々、鉄道戦闘隊の出陣」に参謀総長の訓示。

中小都市への空襲が激化する中、「〝敵襲下よくやった〟官民協力もうあと一歩」とある。加えて、「軍管区情報の国境」に関して「神経を細かく聞く 隣接地区の人はかうして」との指示。さらに、青森の事例に「防空態勢末だし 思切つた建物疎開が急務」との記事もある。

 その他に、「太った疎開学童 鳴子温泉の小石川組」と、子供を持つ都民を安心させる記事もある。

 高見は、「毎日が『軍に毅然 、大方針あり』と提灯記事を書いている。咋日は読売が同種 の記事を掲げていたが。ところが、毎日は提灯記事の隣りに社説を提げている『民意を伸張せ しめよ』『知る者は騒がぬ』控え目ながら軍に注文を出している。

 国民はもはや、提灯記事、気休め記事は読まぬのである」と断じている。

 

八月一日

 朝日新聞の見出しは、「敵空母十数隻 丗日の来襲二千機」「敵艦三膄撃沈破」「地雷で吹飛ぶ敵兵」などと、まだ戦果を記し、戦争の継続を促している。

 読売新聞は「敵が狙ふ我精神 崩すな国内団結

 それに対し、毎日新聞には、「焦土に爆笑続く」日比谷公園で野外劇、吉右衛門真実の一幕と、街中の娯楽も記している。

 朝日新聞二面には、「愛と誓ひ」東宝映画、「最後の帰郷」大映映画の広告がある。

 また同紙二面には、「われら鉄道戦闘隊」「『戦』の一字誇らかに」と写真入りで。

「航空灯をつけた敵機 爆音で味方機と識別しよう」と、「新手の偽騙行動」に注意喚起している。

疎開学寮中心に」「学童集団疎開を恒久化」それに伴い「残留好調も地方へ」。「都内への再入校認めず」として「疎開学童の食糧は十分」との記事。食糧事情は改善していないのであろう「乾燥野菜の作り方―コツは手まめにやること」などが掲載されている。

 

 

歴史的な連合軍進駐と復員が始まる

江戸東京市民の楽しみ(昭和時代)324

歴史的な連合軍進駐と復員が始まる

 とうとう連合軍の進駐が始まった。連合軍と言っても、アメリカ軍である。かつては、「駆逐米英」と言って、敵対する悪の根源のようなことを、徹底的に国民に植えつけていた。そのアメリカ軍の進駐に、「動揺無用」との記事を掲載する。同じ二面に、アメリカが投下した広島・長崎の原爆被害について記載されるも、生々しい写真は掲載されなかった。二十五日にも、長崎の惨状写真2枚載せ、広島の状況を示し解説している。

 国民には、本格化する復員将兵に「温かい心で」「優しい思遺で迎へよう」などとの対応を盛んに促している。特に、交通機関の優先利用が進められた。

 

八月二十三日

 朝日新聞「武器返納、一部は復員 撤退部隊に温い心で」と促している。「行政機構の再編 概ね戦前復帰 軍需 大東亜省は改廃」を提示。そして、進駐軍に対し「市民の家侵さず 見直された米国兵」と安心感を伝えている。

 二面に「外国兵近づくとも 毅然、冷静に扱へ」と、その心構えを警保局から全国へ、「動揺無用を通達」する記事。進駐前と進駐後に分け心構えを記している。これは、国民に対してなのか、進駐軍に忖度しての指示であろうか。

 東京都は「殖やせ貯蓄、食糧」と、街も身なりも清く粛然と、「戦後の都民かくあれ」と喚起している。その詳細は、「秩序の保持」「食糧の増産」「手持ち金の貯蓄化」「町の清浄化」「服装の厳正」とある。また、都教育局からは「動員学徒(中等)引上げ」「男は援農、女は家庭へ」「夜間校は当分開かぬ」などに触れている。国民生活再建にあたり、教育の必要性を揚げるものの、男は食糧生産、女は治安維持の見地からとしている。

 天気予報・ラジオ番組が掲載される。これで、国民はラジオからの娯楽放送が聞けるようになる。

 この時点になって、「原子爆弾被害地の惨を見る」との見出しで、広島、長崎の被害が掲載された。広島は「全戸数の九割は倒壊」「蚊一匹残さぬ殺戮ぶり」「死者五万二千」などについて、長崎は「横穴壕も蒸し焼き」「死者、行方不明二万三千」など悲惨な状況が記されている。

 高見は、聞いた話として「予備学生上りの若い将校に喧嘩を売ろうとしていて、若い将校などはすり抜けるようにして去って行ったという。水兵上りの年輩の下士官は予備学生上りによほど反感を持ったものらしいこういう機会に爆発するのだ」と、書いている。

 

八月二十四日

 朝日新聞は「終戦処理会議」を設置し「最高戦争指導者会議廃止」を伝える。聯合軍進駐迄の注意事項として、明朝から監視飛行あるとして、人々に「監視飛行に怯えるな」と喚起している。

 二面は、「兵の心は一億の心 他人事ではない」と復員した将兵に対する応対について伝えている。「あんまり粗末にしてくれるなよ、俺だって五年間一生懸命ご奉公してきたんだ」という言葉や、「帰還兵に温かい手をのべよ」との言葉を載せて記している。

 他に、連合軍の内地進駐となった神奈川県民の対応について、「全く静に復す」とある。ただ川崎市の北部では、「川崎に徹夜自警団」が結成されたとの記事もある。

 高見は読売新聞から「負けぶとり」について、「お役所では近頃後始末に忙しい。とりわけ これ等役所に奉職している人々は、倉庫に山と積まれた物資の処分に大童である。今まで欠勤勝だった人までこゝの所急に精励恪勤となられた。近所の娘さんはお役所からのお土産を自分一人で持帰ることが出来ないので、お姉さんやお母さんの応援まで受け目下汗だくである。

 負けて急に物持ちになったこれ等の人々を羨んで、隣の奥さんがおっしゃった『あの人達ほんとに負けぶとりだわね』と。こんな心がけでよいでしょうか。立つ鳥は後を濁さず。火事泥根性はよして下さい。そんなに有り余る品物があったら戦死傷者の遺家族とか戦災者に贈って上げたらどんなに喜ばれるでしょう。これから益々増産に励んで戴かねばならぬ農村の人々に贈ったらお百姓さんはどんなに嬉しいでしょう。みんなこれから苦しまねばなりません。みんな仲良く乏しい物を分け合って一致団結、新日本建設に邁進したいと希うのは私一人ではありますまい。(誠生) ( 読売報知)」を紹介している。

 

八月二十五日

 朝日新聞は、米国はわが国の対応について、「降伏に”十分の誠意” 日本は指導者を温存」していると評価しているとの記事。津島新蔵相は「明年度予算編成の基調 民生安定に重点 財政の緊縮方針を確立」との方針を示す。

 二面に「復員輸送は真心で」と、復員する兵や学徒などのため、優先的に切符の販売、湯茶接待などが呼びかけられた。そのため、一般客の切符発売停止、通勤も遠慮、乗車制限が東鉄から発表される。

 「帝都の人口 残留二百四十万」、戦前は六百五十万人であった。焼跡に一割居住、戸数は微減と報告。

 「治安維持の支柱」として、「自治体を強化活用」「強固な結束へ隣保相扶」の見出しで説明している。治安維持をたもつため自治体の役割として適切な指導をすることと、朝日新聞は、戦中の説教と同じスタンスで、国民に要請している。

 「原子爆弾攻撃による長崎市の惨状」との写真2枚が掲載された。また「広島に取り憑いた〝悪霊〟」との見出しで「一週間後には死亡者倍増」と、被害が拡がる状況や人体に与える影響などを示した。当時の米国放送では、広島は七十五年間、人畜のせいぞんを許さぬ土地となった・・・」と繰り返し宣伝と伝えていたことも掲載している。

 

八月二十六日

 朝日新聞「陸海軍人優渥なる勅諭」として「整斉迅速なる復員 皇軍有終の美を」「民業に就き戦後復興へ」を掲載。大蔵省は「産業資金 融資方針を決定」「退職金、生活資金の 融通円滑に実施」すると。

 二面に「新生日本の教育」について示す。「米国の監視下にも 泰然たれ全学徒 科学の生活化本腰」をとの見出しに、「文化施設に乗り出す」図書館・博物館など、「筋金入りの計画を」社会教育・勤労者教育など、「一掃せよ〝記憶万能〟」その例として羽仁氏の自由学園なども、記載されている。

 大映映画「花婿太閤記」と松竹映画「伊豆の娘たち」の広告。

 高見は読売新聞「視野」から「所蔵物資分配」を、「△軍需関係会社の有様はあまりにも見苦しい。上は重役から下は一工員まで所蔵物資の分取り、分配に命がけで狂奔している。米、砂糖をはじめ食料油、菓子の類まで風呂敷包み、リヤカーでセッセと運搬している。なかにはとり過ぎて田舎へ貯蔵している者すらあるという。

△田園調布に住む私の知人の近所に大詔渙発の十五日からきょうまでトラック一台で昼夜兼行で物資を運搬し夜は夜とて家人が運搬作業の人達と食えや飲めやの大騒ぎを夜中の三時ごろまで続け近所迷惑も甚だしいとの事、情けない日本人である。

△そんなに物資があるならなぜ無一物の戦災者や炎天下に働く農村人に優先配給しないのか。放任している監督当局はなにをしているのか。(読売報知 「祖野」)」と記している。

 以上が全国的な事実であるか、現代になっては検証できないかもしれないが、たぶんそのようなことが公然と行われていたのであろう。このような様は、皇軍有終の美を」とは無関係なのであろうか。敗戦間もないため、混乱が生じるのは当然と、政府や旧軍は無関心で無視しているようだ。無為無策に置かれた国民、人々は自らの生活を確保するため、活動せざるを得ない。なぜ、掠奪や暴動が起きなかったのか、その理由や検証は未だに解明されていない。