江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)357
惨憺たる空襲被災三月十日
十日の朝日新聞は「軍を中核、官民結集 杉山陸相、全軍に布告」の見出し。
二面は、「未だに幅利かす「闇」に蠢く“閉店開業“」を記事にしている。
ロッパは、「・・・内務省の三階、防空総本部といふのへ行く、課長小幡氏、昨夜の災害を極力小さいやうに発表したいらしく、罹災者罹災者と言ふのを全国にひろめることが困るやうな様子、・・・此の災害をもみ消す(消せると思ってる愚かしさよ)ことが目的で、罹災者といふ言葉を使われるのが恐いといふのが本音らしい。・・・田町の方へかけて、まだ火がめらめらと燃えてゐる。さう言えば、今日きいたところでは、江東劇場は焼けてしまったさうだし、浅草六区も全滅の由、九段坂上も皆灰燼の由」と。軍の報道は、空襲の事実をひた隠しにしていたことについて述べている。被災地は惨憺たる状況であった。
風太郎の日記は「十日(土) 晴 午前零時ごろより三時ごろにかけ、B 29 約百五十機、夜間爆撃。男の空血の如く燃え、凄惨言語に絶す。
爆撃は下町なるに、目黒にて新聞の読めるほどなり。
・・・牛込山伏町あたりにまでやって来ると・・・ときどき罹災民の群に逢う。リヤカーに泥まみれの蒲団や、赤く焼けただれた鍋などをごたごた積んで、額に繃帯した老人や、幽霊のように髪の乱れた女などが、あえぎあえぎ通り過ぎてゆく。・・・店々のガラスは壊れ、看板は傾き、壁はげ落ちている。・・・飯田橋まで来ると、もうぷうんと物の焦げる匂いが漂って来た。駅前の書店の前に、炊出し隊が罹災民の群に握り飯をくばっていた。自転車に積んだ握り飯は玉蜀黍がまじってちょうど小さなあかん坊のこぶしのようで、しかもその数はもうそう多く残っていないのに、罹災民の群は延々と続いている。
みんな、泥と煤がこびりついて、・・・眼の周囲だけがどす赤い。そしていい合わせたように、手拭いを顔にあてている。・・・自分たちは・・・熔鉱炉のような炎を見た。・・・眼が蛇のように充血して、瞼が赤くむくんで、涙ばかり流れていてもまだ開いているのは運のいい方だそうであった。多くの人は眼が完全につぶれてしまった。さらに多くの人は窒息して死んだ。
おびただしい電車が、路上に並んで座っていた。・・・おそらく今朝早く罹災者の群を運んだものであろう。・・・或る国民学校の校庭には、罹災者が充満していた。校門には下手な字で、『罹災者の方は御遠慮なく御休み下さい』と書いた紙が貼られて・・・眼の見えない老人や老婆が、続々と両腕を支えられて入って来る。この人々にお茶しか与えられない状態であった。・・・罹災者が入ってくると、みな立ち上って、傷ましそうな優しい声で、『どうぞ』と叫びながら駆け寄ってゆく・・・
水道橋から本郷に上ってゆく坂の下に、帝大の貨物自動車が四台捨てられていた。焼け焦げの肩の肉の見えるどてらを着た老人が、杖をひきながら餓鬼のように乾パンをむさぼりつづけていた。扉の壊れた食堂の前に、欠けたコップや埃のしみこんだ茶碗を盛った石炭箱が置いてあって、その前に、『罹災者の方へ、御遠慮なくお持ち下さい。失礼ですが』と書いた紙が風に吹かれて、髪を乱した老婆が、盗人みたいにそれを前掛けにつかみ入れていた。・・・
・・・電柱はなお赤い炎となり、樹々は黒い杭となり、崩れ落ちた黒い柱のあいだからガス管がポツポツと青い火を飛ばし、水道は水を吹きあげ・・・その中を幻影のようにのろのろと歩き、佇み、座り、茫然としている罹災民の影が見える。・・・この本郷の惨禍はまだまだ小さい方なのだという。日比谷はまだひどい。浅草はさらにひどい。本所深川は何とも形容を絶しているという。浅草の観音さまも焼けてしまった。国際劇場も焼けてしまった。上野の松坂屋も焼けてしまった。・・・風はまだ冷たい季節のはずなのに、むうっとするような熱風が吹いて来る。黄色い硫黄のような毒煙のたちゆらめく空に碧い深い空に、ひょうひようと風がうなって、まだ火のついた布や紙片がひらひらと飛んでいる。・・・
電車の中では三人の中年の男が、火傷にただれた頰をひきゆがめて、昨夜の体験を叫ぶように話していた。ときどき脅えたように周囲を見回して、『しかし、みなさん、こういうことは参考としてきいておかれたがよろしかろう。だから私はいうんですが……』と合いの手のように断わりながら、またしゃべりつづけた。彼らは警官や憲兵を怖れているのである。哀れな国民よ! ・・・
『―― つまり、何でも、運ですなあ。……』
と、一人がいった。みな肯いて、何ともいえないさびしい微笑を浮かべた。
運、この漠然とした言葉が、今ほど民衆にとって、深い、凄い、恐ろしい、虚無的な! そして変な明るさをさえ持って浮かび上った時代はないであろう。東京に住む人間たちの生死は、ただ『運』という柱をめぐって動いているのだ。・・・」と。