2019-01-01から1年間の記事一覧

明治十七年・江戸の遊びが変わり始める

江戸・東京庶民の楽しみ 114明治十七年・江戸の遊びが変わり始める七月華族令公布/十月秩父事件/十二月朝鮮で甲申事変・浅草が大きく変わる この年以降、東京のレジャーが大きく変わっていく。まず、浅草で公園としての整備が本格的に始まり、「明治の浅草…

遊びに明治の色彩が強くなる明治十六年

江戸・東京庶民の楽しみ 113遊びに明治の色彩が強くなる明治十六年四月新聞紙条例改正/七月教科書採択の認可制度実施/十一月鹿鳴館会館会館 ・鹿鳴館で連夜の舞踏会 一月、明治会堂では初の西洋風舞踏会が開催された。七月、麹町内山下町に鹿鳴館が落成、…

江戸時代の遊びが続く明治前期

江戸・東京庶民の楽しみ 112江戸時代の遊びが続く明治前期 市民レジャーから明治時代を見ると、おおよそ三期に分けられる。第一期は明治前期、東京に近代的な産業が成立する以前の明治十四年(1881年)頃まで。まだ、江戸時代の余韻も十分残っていて、そ…

コレラが及ぼす十五年の庶民の楽しみ

江戸・東京庶民の楽しみ 111コレラが及ぼす十五年の庶民の楽しみ 一月軍人勅諭発布/三月立憲改進党結成/四月板垣退助岐阜で遭難 ・動物園は大人が訪れた 一月、東京の景気は底を打ったのだろうか、改善した形跡がないにもかかわらず、庶民の娯楽、特に下層…

明治らしくなる十四年の庶民の楽しみ

江戸・東京庶民の楽しみ 110明治らしくなる十四年の庶民の楽しみ七月開拓使官有物払下げ事件/十月明治十四年の政変、自由党結成・うさ晴らしか、ステテコ踊りが大受け 亀戸天神の初卯は、日曜日で天気もよく参詣人が多く、往来は人力車で埋まった。藪入りも…

不景気で変わる明治十三年庶民の楽しみ

江戸・東京庶民の楽しみ 109不景気で変わる明治十三年庶民の楽しみ 四月集会条例/十一月天長節に「君が代」演奏 ・庶民生活にしのび寄る不景気 この年、正月の芝居の入りは数年来の最高値を記録した。藪入りも晴天であったために、閻魔堂などどこも賑わった…

新旧娯楽を楽しむ明治十二年の庶民

江戸・東京庶民の楽しみ 108新旧娯楽を楽しむ明治十二年の庶民四月沖縄県設置/八月前米大統領グラント来日/九月教育令・相撲界は混乱が続く 当時の新聞から娯楽に関する記事を捜すと、正月に、「紛糾し、力士が大勢脱走す」という見出しがある。前年から両…

現代より遊んでいる明治十一年の庶民

江戸・東京庶民の楽しみ 107現代より遊んでいる明治十一年の庶民五月大久保利通暗殺/七月都区町村編成法公布/八月竹橋事件 ・庶民の遊びはさらに盛ん 正月の三箇日は雨にたたられた。年始回り、初荷、鳥追い、お宝売りもみな雨に濡れて難渋したと新聞に書…

明治十年さらに強まる遊びの制約 

江戸・東京庶民の楽しみ 106明治十年さらに強まる遊びの制約 二月西南戦争勃発/六月万国郵便連合条約加盟/九月西郷隆盛自刃・独楽や凧揚げまで禁止に 明治十年(1877)になると、庶民の娯楽を制約したり、禁止したりする動きがさらに強くなった。二月…

新たな遊びが増える中、江戸の遊びが制約される

江戸・東京庶民の楽しみ 105新たな遊びが増える中、江戸の遊びが制約される二月日朝修好条約調印/三月廃刀令/十月神風連の乱・萩の乱・両陛下を迎え上野公園開園 一月、横浜にアイススケート場が開設。滑った人数は不明だが、外国人を対象とした遊び場であ…

不景気が始まる明治八年

江戸・東京庶民の楽しみ 104不景気が始まる明治八年四月漸次立憲政体樹立の詔/五月樺太千島交換条約/九月江華島事件・不景気をよそに花見はさかん 明治になって中止されていた出初式が警視庁練兵場で復活。いかにも正月らしい行事ではあるが、宣伝不足のた…

江戸の終焉・明治七年

江戸・東京庶民の楽しみ 103江戸の終焉・明治七年・『武江年表』が終わる 『武江年表』には、明治二年、三年と月日がたつにつれて、祭と開帳の記載が増加した。江戸が東京になっても、別に町並みが変わった訳ではなく、生活形態もほとんど昔のままであった。…

太陽暦が始まる明治六年

江戸・東京庶民の楽しみ 102太陽暦が始まる明治六年一月徴兵令/十月征韓論で西郷隆盛ら下野/十一月内務省設置・改暦がもたらした大混乱 明治五年十二月三日が突然、明治六年正月元日となったため、庶民は大混乱に陥ったものと推測される。改暦が布告され、…

江戸・東京庶民の楽しみ 101明治五年は江戸・明治の転換点二月『学問のすすめ』刊行/九月新橋・横浜間鉄道開通/十二月太陽暦実施・芝居も久々の大入り 正月、神田の薩摩座は、七日から芝居興行をはじめたが、翌八日に火事で焼失。対する市村座は、二十四日…

明治四年の東京庶民

江戸・東京庶民の楽しみ 100明治四年の東京庶民四月戸籍法発布/七月廃藩置県/十一月岩倉使節団、欧米に出発・江戸時代を凌ぐ「開帳」の人気 明治四年の正月早々、上野山下では柳川一蝶斎の手妻の芝居が興行。二月に入ると、牛島牛御前の王子権現、どぶ店長…

まだ江戸時代のような明治三年

江戸・東京庶民の楽しみ 99まだ江戸時代のような明治三年一月大教宣布の詔書/二月長州の騎兵隊脱退騒動鎮圧される・大盛況だった上野の花見 景気そのものは改善されないまでも、庶民は日々の楽しみに没頭し、春になればなったで花見に浮かれることで生活の…

徐々に始まる明治の東京

江戸・東京庶民の楽しみ 98徐々に始まる明治の東京・江戸と変わらぬ庶民の遊び 明治二年は、前年から火事もなくのどかな正月を迎えている。街中のムードは江戸時代とはほとんど変わらないが、元旦に武士が江戸城へ列をなして向かう登城風景は、当然ながら姿…

東京庶民が始まる

江戸・東京庶民の楽しみ 97 東京庶民が始まる ・江戸が東京となる 慶應4年7月、江戸が東京となる。明治1年9月年号が変わる。この違いの経緯、江戸庶民には理解しがたいというか、考えもしなかったであろう。 明治になって、それまで幕府によって制約を受…

江戸から東京へ

江戸・東京庶民の楽しみ 96 江戸から東京へ ・まだ江戸時代 1868年の正月は、正確に言えば明治元年とは言えない。改元が九月八日だから、この年の正月は、江戸時代最後の正月となった。 正月三日に始まった戊辰戦争で幕府軍は大敗し、将軍慶喜は江戸に逃…

改元前年の庶民

江戸庶民の楽しみ 95 改元前年の庶民 ・来年は明治時代 慶應3年の江戸庶民には、来年が明治時代になるなんて思いもつかない。元号が変わっても、庶民の生活が何ら変わらないことは、平成から令和になった時でも同様である。当時の情況といえば、孝明天皇が…

江戸の打ちこわし

江戸庶民の楽しみ 94 江戸の打ちこわし ・打ちこわしと一揆 慶応の打ちこわしを詳しく見てみよう。まず、打ちこわしの発生する前の江戸および周辺の状況をいくつか具体的に示す。 慶応二年、江戸市中には、米の高騰や売り惜しみをする者の処刑を宣告する張札…

お蔭参りとええじゃないか騒動

江戸庶民の楽しみ 93 お蔭参りとええじゃないか騒動 ・伊勢参りからお蔭参りへ 江戸時代、「お蔭参り」と呼ばれる伊勢神宮への集団的な巡礼行動が周期的に繰り返された。もともと伊勢神宮への信仰は、江戸時代以前から民衆に広がっており、参詣も年を追うご…

幕末庶民の食糧事情

江戸庶民の楽しみ 91 幕末庶民の食糧事情 ・庶民の生活 幕末の江戸庶民の食糧事情は必ずしもよかったとはいえない。が、危急の折の救済システムは比較的うまく機能していたようだ。安政二年十月二日の大地震の後は、諸物価が高騰した。が、この時、町会所は…

外国人と幕末の庶民

江戸庶民の楽しみ 90 外国人と幕末の庶民 ・物見高い江戸の人々 公式に江戸を訪れた外国人の筆頭は、安政四年十月のハリス一行だろう。ハリスは、アメリカの国旗を掲げ、馬に乗って颯爽とした江戸入りを望んだようだが、結局、日本の風習にならって駕籠で行…

世相を映す幕末の見世物

江戸庶民の楽しみ 89 世相を映す幕末の見世物 安政年間(1854~59年)の見世物と言えば、まず第一に張子細工の活人形であろう。活人形の呼び名はその人形が「まるで生きているようだ」ということから付けられた。もっともそれ以前にも、たとえば文政期の「七…

ペリー来航と庶民

江戸庶民の楽しみ 88 ペリー来航と庶民 嘉永六年(1853)六月三日、ペリーは四隻の戦艦を率いて江戸湾に入った。幕府は予期してはいたものの、ペリーが最初から戦闘も辞さない高圧的態度であったため、狼狽した。幕府は、旗本、御家人にただちに非常出陣の用…

祭は庶民のものに

江戸庶民の楽しみ 87 祭は庶民のものになる 江戸の祭は、慶長十八年(1613)神田明神から神輿が渡ったことからはじまる天王祭と、元和元年(1615)に山王権現から山車練物がはじめて江戸城内に入った山王祭が特に有名である。神田明神と山王権現は、将軍家の…

開帳より見世物が目当て

江戸庶民の楽しみ 86 開帳より見世物が目当て 江戸時代に見世物を、どのくらいの人々が見ていたかは、わからないと諦めていた。ところが、明治初期の1877年(明治十)から数年にわたって、月別の観客数が東京府の統計に記録されていた。 このデータは、税金…

信心に託つけた 遊びを見直す

江戸庶民の楽しみ 85 信心に託つけた 遊びを見直す 現代に比べると江戸時代は、閉塞した社会だと思いがちだが、遊びに関しては意外に自由で発展性があった。江戸っ子は、時間を持てあますこともなく、遊びをより豊かなものにしていった。彼らが日常、追い求…

四季の行楽

江戸庶民の楽しみ 84 四季の行楽 1841(天保十二)年、水野忠邦を中心に、奢侈を禁じ、風俗を取り締まる天保の改革が始まった。早速、不忍池新土手の茶屋は風紀を乱すという理由で残らず撤去。神田権現祭礼の付祭は減少、江戸三座の浅草移転、女義太夫三六人…