2023-01-01から1年間の記事一覧

レジャーが少なくなる昭和十九年九月十月

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)261レジャーが少なくなる昭和十九年九月十月 レジャーに関する記事だけでなく、市民生活の状況も少なくなる中で、当時の状況を探るには古川ロッパの日記を頼らざるを得ない。九月二日、「馬鹿な役人が、マイクロフォン使…

遊ぶ意欲が衰退する昭和十九年七月八月

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)260遊ぶ意欲が衰退する昭和十九年七月八月 東條内閣は、独裁的な権限で戦争を遂行してきたが、七月に総辞職。国民は、辞職の本当の理由を知ることはもちろん、新たな内閣を選ぶこともできなかった。大局的に見れば、戦争…

それでもレジャーを求める市民・昭和十九年五月六月

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)259それでもレジャーを求める市民・昭和十九年五月六月 市民への制約や禁止などが続々と続いていても、楽しむところがあちこちに残っており、東京は魅力ある街であった。特にレジャーは、制約が厳しくなればなったで、市…

花見どころではない昭和十九年三月四月の市民

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)258花見どころではない昭和十九年三月四月の市民 砂糖の配給が無くなる。甘いものを食べる楽しみは、映画や演劇などの娯楽より強烈に欲するものである。その楽しみさえ、ままならない状態になった。酒については、配給が…

買い出しレジャーの昭和十九年一月二月

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)257買い出しレジャーの昭和十九年一月二月 大東亜戦争が始まって三年目の正月を迎えたが、まだ戦争は続く。勝ち目のないことは政府も軍部もわかっていなかったのであろうか。日常生活は、破綻をきたしているが、国民は政…

買い出しもレジャーの昭和十八年秋

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)256買い出しもレジャーの昭和十八年秋 十二月には、太平洋戦争を始めて三年目に入る。アメリカとの戦争前、中国での戦争では、日本本土での戦火はなく、東京市民はまるで他人事のようであった。しかし、ここに至って、我…

まだ残っている東京の楽しみ  昭和十八年夏

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)255まだ残っている東京の楽しみ 昭和十八年夏 国民の耐久生活は、限界を超えていた。東京にはいろいろの物資が集まっていたが、配給制での食料だけでは生きていけない。九月には、小学生が配給に並ぶどころか、買出しに出…

規制を掻い潜り遊ぶ  昭和十八年春

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)254規制を掻い潜り遊ぶ 昭和十八年春 四月の連合艦隊司令官山本五十六戦死は、戦局の悪化を示したものだ。米軍の攻勢によって海上の制空権を奪われ、物資輸送船舶は沈没させられ、原料の輸入が滞りしはじめた。そのため、…

レジャーの制約が進む  昭和十八年冬

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)253レジャーの制約が進む 昭和十八年冬 元日の新聞Aは、東條首相の決意「益々攻勢を持続」が一面を飾った。二日Aは「交わす合言葉も逞し“米英を撃滅しよう”戦ふ新年・虚礼を捨て必勝へ進発」との見出しで、「“勝つて、…

欲しがりません勝つまでは、レジャー自粛の昭和十七年秋

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)252欲しがりません勝つまでは、レジャー自粛の昭和十七年秋 十一月には、銭湯の開店が午後三時となる。乗車指定券を持たぬ人の「週末、祭日の旅行禁止」。年末、一等、食堂は停止、特急座席指定も取りやめ。そして、十一…

戦況を知らぬ市民のレジャー・昭和十七年夏

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)251戦況を知らぬ市民のレジャー・昭和十七年夏 とうとう、全国中等学校野球大会が中止となる。前年の太平洋戦争突入から敵国映画の放映禁止、野球はユニホームにローマ字を使えないなど、国粋的な風潮を進めてきた。さて…

戦況を知らぬ市民のレジャー・昭和十七年春

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)250戦況を知らぬ市民のレジャー・昭和十七年春 太平洋戦争に突入して四ヶ月、四月十八日土曜日、「ドゥーリトル空襲」と呼ばれるアメリカ軍の攻撃を受けた。政府・軍部は、連戦連勝を国民に伝えていたのに、首都である東…

戦勝報告に酔う市民、昭和十七年冬

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)249戦勝報告に酔う市民、昭和十七年冬 戦況は、一月マニラ占領、二月シンガポール占領、三月ジャワ島上陸、東京市民は戦勝ムードに煽られ、市内は動員された人々によって賑わいが出来ていった。官製イベントに乗じて遊ぶ…

太平洋戦争突入も変わらぬレジャーの昭和十六年秋

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)248太平洋戦争突入も変わらぬレジャーの昭和十六年秋 十月に東條内閣となる。戦時色が強まる中、現状を打開できるのではという期待は亡くなってしまったのではなかろうか。古川ロッパは、十月十八日「天皇靖国神社親拝の…

行楽の人出が減少している昭和十六年夏

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)247行楽の人出が減少している昭和十六年夏 第二次近衛内閣も結局は軍部の傀儡内閣化し、七月に三次内閣が成立。軍内部の対立はもちろん、外交交渉も解決できず。 夏のレジャーを押さえ込もうと鉄道の乗車券制限まで始めた…

変わらぬ行楽の人出、昭和十六年春

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)246変わらぬ行楽の人出、昭和十六年春 欧州での戦争はドイツの勢いを増し拡大の一途、一方日本の中国戦では行き詰まっており、打開策がないままであった。このような世界の情勢を客観的に把握できない軍部、目先の戦いし…

太平洋戦争に向かう昭和十六年冬

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)245太平洋戦争に向かう昭和十六年冬 中国での戦争が行き詰まり、正月から暗いムードが漂っていた。国民の生活は日に日に追って劣化しているが、改善しようとする動きはなく、どこまで低下させることができるかを探ってい…

紀元二千六百年祝賀に躍らされる十五年秋

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)244紀元二千六百年祝賀に躍らされる十五年秋 紀元二千六百年の祝賀を盛り上げようと、様々な画策が展開されていた。その多くは官製によるもので、行事で市民が多数動員され、特に学生・生徒は頻繁に借り出された。もちろ…

厳しい制約に順応し、出歩く市民 十五年夏

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)243厳しい制約に順応し、出歩く市民 十五年夏 七月に再び近衛内閣と変わる。国民は再登場の近衛に政治革新を期待した。が、九月の日独伊三国同盟調印、東南アジアへの進出によって対英米戦争へと向かう筋道を作ってしまう…

東亜競技大会と関係なく盛り上がる十五年春

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)242東亜競技大会と関係なく盛り上がる十五年春 紀元二千六百年奉祝東亜競技東京大会開催(正式には「東亜競技大会」であるが、会場が東京と大阪で開催ということで、新聞には東亜競技東京大会とある)を書き立てているが、…

インフレで異常に盛り上がる昭和十五年冬

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)241インフレで異常に盛り上がる昭和十五年冬 この年は紀元二千六百年、奉祝行事の予定され、正月から明るい祝賀ムードが漂っていたようだ。正月の人出は史上最高らしく、市内はもとより箱根の温泉地まで、それも三が日以…

戦時体制でも減らぬ人出の昭和十四年秋

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)240戦時体制でも減らぬ人出の昭和十四年秋 防空訓練は「焼夷弾や毒ガスの猛訓練」と、まるで戦時体制だ。しかし、まだアメリカとの戦争は始まっていないし、中国から日本本土への攻撃もないにもかかわらずである。この時…

レジャー自粛は進むが人出は減らない十四年夏

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)239レジャー自粛は進むが人出は減らない十四年夏 軍需景気で「温泉、花街、百貨店 千客万来の盛況」y7/⑥、前年より三割も増加している。生活物資が不足しているにもかかわらず、異常な景気である。さらに、「何事ぞ?…

レジャー引締めが続く昭和十四年春

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)238レジャー引締めが続く昭和十四年春 どのような風の吹き回しか、欧米のレジャー事情が新聞5/31Aに紹介されている。 見出しは、「元気でさあすすまう! 国民娯楽日も必要だ」である。アメリカ、フランス、イギリスは、…

軍事色イベントに盛り上がる昭和十四年冬

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)237軍事色イベントに盛り上がる昭和十四年冬 一月、近衛内閣は特別な失政もないのに総辞職。この頃の政治は民意がほとんど反映されなくなった。二月に、第十二回オリンピックに「戦勝国の日本がなぜ選手を派遣せぬ 敗戦支…

レジャー自粛で盛り上がりを欠く昭和十三年秋

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)236レジャー自粛で盛り上がりを欠く昭和十三年秋 十月には武漢三鎮攻略が伝えられ、政府軍部は戦勝祝いを誘発し、国民を酔わせている。日本軍は連戦連勝と、景気の良い報告、国民の誰もが信じているのだろう。そして、戦…

レジャー自粛でも盛り上がる昭和十三年の夏

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)235レジャー自粛でも盛り上がる昭和十三年の夏 オリンピックが始まれば、日本国中で盛り上がることは確かであろうが、昭和十三年(1938年)7月15日の閣議で、オリンピック辞退を正式に決定した。東京でオリンピックを開催…

レジャー自粛で盛り上がりを欠く十三年の春

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)234レジャー自粛で盛り上がりを欠く十三年の春 国家総動員法が公布された。「国の全力を最も有効に発揮せしむる様人的及物的資源を統制運用する」とある、政府や軍部が必要と判断すれば、何でも国民に要求できると言うこ…

自粛でも人出の変わらぬ十三年の冬

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)233自粛でも人出の変わらぬ十三年の冬 中国での戦線はさらに拡大し、四月の台児荘では大きな痛手を受け、戦争に行き詰まりを見せた。戦費は膨大に増加し、軍需優先の産業体制は貿易収支の悪化と民需産業の衰退を招いた。…

続く戦捷祝いに託つけて遊ぶ十二年の秋

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)232続く戦捷祝いに託つけて遊ぶ十二年の秋 「敵抗日首都・南京陥落」と、戦いに勝ったという知らせだけである。市民は、首都を占領すれば、これで戦いは終わるものと思ったのではないか。当時の新聞からは、南京でどのよ…