敗戦も視野に入る昭和二十年七月

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)269敗戦も視野に入る昭和二十年七月───────────────────────────────────────────────昭和二十年(1945年)・七月、食料配給基準量一割削減⑪、対日ポツダム宣言発表(26)、空襲で投下された銅屑集めて国民酒場で酒を飲む。…

娯楽再建も始まる昭和二十年六月

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)268娯楽再建も始まる昭和二十年六月 六月は、沖縄が日本軍10万人、一般人15万人もの犠牲を出し占領された。それでも戦争を続けようとしたのは、地方都市が残っていたからではなかろうか。東京は壊滅的な状況であった…

市民の動揺を抑える昭和二十年五月

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)267市民の動揺を抑える昭和二十年五月 七日にドイツが無条件降伏。これまでレジャーを押さえ込んできた新聞が、これまでの方針を変更した報道。戦災や疎開で人々が浮足立っているため、閉鎖した大劇場で低料金の大衆興行…

空襲に麻痺し始める昭和二十年四月

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)266空襲に麻痺し始める昭和二十年四月 四月の東京は連日のように敵機襲来、空襲があり、米軍が沖縄本島に上陸するニュースが市民にも伝わる。人々は、もっと危機感を持って良いと思うのだが。ドイツの敗戦状況も入ってい…

アチャラカ結構となる昭和二十年三月

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)265アチャラカ結構となる昭和二十年三月 三月九日の夜、東京へは334機のB29による大空襲で、死者約10万人、焼失家屋23万戸にのぼった。罹災した市民は、田舎へ帰ろうと上野駅を目指し、また焼跡の後片付けなどに…

空襲の恐怖でも娯楽を求める昭和二十年二月

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)264空襲の恐怖でも娯楽を求める昭和二十年二月 この年の冬は室内の水が凍るという寒さ、食料だけでなく燃料も不足、清沢洌は八日、「三十年の東京生活で知らない。炭はなく、本年の寒さは誰にもこたえる。本年の冬を通じ…

娯楽禁止が緩む昭和二十年一月

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)263娯楽禁止が緩む昭和二十年一月 昭和20年(1945年)に入ると、戦局の悪化は米軍に対してだけでなく、中国でも始まっていた。しかし、軍部はまだ「本土決戦」に望みを抱いていた。国民のすべてが死ぬまで戦うとい…

空襲下のレジャー昭和十九年十一月十二月

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)262空襲下のレジャー昭和十九年十一月十二月 十一月に入っても、新聞の記事は政府や軍部の都合の良いものだけ、当時の状況を古川ロッパの日記から紹介したい。 十一月六日、「今朝の新聞で昨日の東京空襲は、B29一機襲来…

レジャーが少なくなる昭和十九年九月十月

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)261レジャーが少なくなる昭和十九年九月十月 レジャーに関する記事だけでなく、市民生活の状況も少なくなる中で、当時の状況を探るには古川ロッパの日記を頼らざるを得ない。九月二日、「馬鹿な役人が、マイクロフォン使…

遊ぶ意欲が衰退する昭和十九年七月八月

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)260遊ぶ意欲が衰退する昭和十九年七月八月 東條内閣は、独裁的な権限で戦争を遂行してきたが、七月に総辞職。国民は、辞職の本当の理由を知ることはもちろん、新たな内閣を選ぶこともできなかった。大局的に見れば、戦争…

それでもレジャーを求める市民・昭和十九年五月六月

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)259それでもレジャーを求める市民・昭和十九年五月六月 市民への制約や禁止などが続々と続いていても、楽しむところがあちこちに残っており、東京は魅力ある街であった。特にレジャーは、制約が厳しくなればなったで、市…

花見どころではない昭和十九年三月四月の市民

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)258花見どころではない昭和十九年三月四月の市民 砂糖の配給が無くなる。甘いものを食べる楽しみは、映画や演劇などの娯楽より強烈に欲するものである。その楽しみさえ、ままならない状態になった。酒については、配給が…

買い出しレジャーの昭和十九年一月二月

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)257買い出しレジャーの昭和十九年一月二月 大東亜戦争が始まって三年目の正月を迎えたが、まだ戦争は続く。勝ち目のないことは政府も軍部もわかっていなかったのであろうか。日常生活は、破綻をきたしているが、国民は政…

買い出しもレジャーの昭和十八年秋

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)256買い出しもレジャーの昭和十八年秋 十二月には、太平洋戦争を始めて三年目に入る。アメリカとの戦争前、中国での戦争では、日本本土での戦火はなく、東京市民はまるで他人事のようであった。しかし、ここに至って、我…

まだ残っている東京の楽しみ  昭和十八年夏

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)255まだ残っている東京の楽しみ 昭和十八年夏 国民の耐久生活は、限界を超えていた。東京にはいろいろの物資が集まっていたが、配給制での食料だけでは生きていけない。九月には、小学生が配給に並ぶどころか、買出しに出…

規制を掻い潜り遊ぶ  昭和十八年春

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)254規制を掻い潜り遊ぶ 昭和十八年春 四月の連合艦隊司令官山本五十六戦死は、戦局の悪化を示したものだ。米軍の攻勢によって海上の制空権を奪われ、物資輸送船舶は沈没させられ、原料の輸入が滞りしはじめた。そのため、…

レジャーの制約が進む  昭和十八年冬

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)253レジャーの制約が進む 昭和十八年冬 元日の新聞Aは、東條首相の決意「益々攻勢を持続」が一面を飾った。二日Aは「交わす合言葉も逞し“米英を撃滅しよう”戦ふ新年・虚礼を捨て必勝へ進発」との見出しで、「“勝つて、…

欲しがりません勝つまでは、レジャー自粛の昭和十七年秋

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)252欲しがりません勝つまでは、レジャー自粛の昭和十七年秋 十一月には、銭湯の開店が午後三時となる。乗車指定券を持たぬ人の「週末、祭日の旅行禁止」。年末、一等、食堂は停止、特急座席指定も取りやめ。そして、十一…

戦況を知らぬ市民のレジャー・昭和十七年夏

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)251戦況を知らぬ市民のレジャー・昭和十七年夏 とうとう、全国中等学校野球大会が中止となる。前年の太平洋戦争突入から敵国映画の放映禁止、野球はユニホームにローマ字を使えないなど、国粋的な風潮を進めてきた。さて…

戦況を知らぬ市民のレジャー・昭和十七年春

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)250戦況を知らぬ市民のレジャー・昭和十七年春 太平洋戦争に突入して四ヶ月、四月十八日土曜日、「ドゥーリトル空襲」と呼ばれるアメリカ軍の攻撃を受けた。政府・軍部は、連戦連勝を国民に伝えていたのに、首都である東…

戦勝報告に酔う市民、昭和十七年冬

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)249戦勝報告に酔う市民、昭和十七年冬 戦況は、一月マニラ占領、二月シンガポール占領、三月ジャワ島上陸、東京市民は戦勝ムードに煽られ、市内は動員された人々によって賑わいが出来ていった。官製イベントに乗じて遊ぶ…

太平洋戦争突入も変わらぬレジャーの昭和十六年秋

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)248太平洋戦争突入も変わらぬレジャーの昭和十六年秋 十月に東條内閣となる。戦時色が強まる中、現状を打開できるのではという期待は亡くなってしまったのではなかろうか。古川ロッパは、十月十八日「天皇靖国神社親拝の…

行楽の人出が減少している昭和十六年夏

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)247行楽の人出が減少している昭和十六年夏 第二次近衛内閣も結局は軍部の傀儡内閣化し、七月に三次内閣が成立。軍内部の対立はもちろん、外交交渉も解決できず。 夏のレジャーを押さえ込もうと鉄道の乗車券制限まで始めた…

変わらぬ行楽の人出、昭和十六年春

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)246変わらぬ行楽の人出、昭和十六年春 欧州での戦争はドイツの勢いを増し拡大の一途、一方日本の中国戦では行き詰まっており、打開策がないままであった。このような世界の情勢を客観的に把握できない軍部、目先の戦いし…

太平洋戦争に向かう昭和十六年冬

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)245太平洋戦争に向かう昭和十六年冬 中国での戦争が行き詰まり、正月から暗いムードが漂っていた。国民の生活は日に日に追って劣化しているが、改善しようとする動きはなく、どこまで低下させることができるかを探ってい…

紀元二千六百年祝賀に躍らされる十五年秋

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)244紀元二千六百年祝賀に躍らされる十五年秋 紀元二千六百年の祝賀を盛り上げようと、様々な画策が展開されていた。その多くは官製によるもので、行事で市民が多数動員され、特に学生・生徒は頻繁に借り出された。もちろ…

厳しい制約に順応し、出歩く市民 十五年夏

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)243厳しい制約に順応し、出歩く市民 十五年夏 七月に再び近衛内閣と変わる。国民は再登場の近衛に政治革新を期待した。が、九月の日独伊三国同盟調印、東南アジアへの進出によって対英米戦争へと向かう筋道を作ってしまう…

東亜競技大会と関係なく盛り上がる十五年春

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)242東亜競技大会と関係なく盛り上がる十五年春 紀元二千六百年奉祝東亜競技東京大会開催(正式には「東亜競技大会」であるが、会場が東京と大阪で開催ということで、新聞には東亜競技東京大会とある)を書き立てているが、…

インフレで異常に盛り上がる昭和十五年冬

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)241インフレで異常に盛り上がる昭和十五年冬 この年は紀元二千六百年、奉祝行事の予定され、正月から明るい祝賀ムードが漂っていたようだ。正月の人出は史上最高らしく、市内はもとより箱根の温泉地まで、それも三が日以…

戦時体制でも減らぬ人出の昭和十四年秋

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)240戦時体制でも減らぬ人出の昭和十四年秋 防空訓練は「焼夷弾や毒ガスの猛訓練」と、まるで戦時体制だ。しかし、まだアメリカとの戦争は始まっていないし、中国から日本本土への攻撃もないにもかかわらずである。この時…