2024-01-01から1年間の記事一覧

戦前世相の解説2

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)272戦前世相の解説2 第三段階は、軍需産業の発展が軌道に乗った十年頃から十五年まで。軍需産業は、まるで十二年の中国との全面戦争を予定していたような勢いで発達した。国内の景気は、軍事予算の増大とインフレで金回…

戦前世相の解説1

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)271戦前世相の解説1 終戦までの昭和初期については、数多くの本が出されている。その多くは、当時の国際関係からはじまり、政治体制、軍内部の抗争、事変の発端から戦争の経緯などが書かれている。国が激動した様子は詳…

昭和二十年八月終戦を迎え、空白の市民

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)270昭和二十年八月終戦を迎え、空白の市民───────────────────────────────────────────────昭和二十年(1945年)・八月、広島に原子爆弾投下⑥、ソ連対日宣戦布告⑧、ポツダム宣言受諾⑭、戦争終結⑮───────────────────────…

敗戦も視野に入る昭和二十年七月

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)269敗戦も視野に入る昭和二十年七月───────────────────────────────────────────────昭和二十年(1945年)・七月、食料配給基準量一割削減⑪、対日ポツダム宣言発表(26)、空襲で投下された銅屑集めて国民酒場で酒を飲む。…

娯楽再建も始まる昭和二十年六月

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)268娯楽再建も始まる昭和二十年六月 六月は、沖縄が日本軍10万人、一般人15万人もの犠牲を出し占領された。それでも戦争を続けようとしたのは、地方都市が残っていたからではなかろうか。東京は壊滅的な状況であった…

市民の動揺を抑える昭和二十年五月

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)267市民の動揺を抑える昭和二十年五月 七日にドイツが無条件降伏。これまでレジャーを押さえ込んできた新聞が、これまでの方針を変更した報道。戦災や疎開で人々が浮足立っているため、閉鎖した大劇場で低料金の大衆興行…

空襲に麻痺し始める昭和二十年四月

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)266空襲に麻痺し始める昭和二十年四月 四月の東京は連日のように敵機襲来、空襲があり、米軍が沖縄本島に上陸するニュースが市民にも伝わる。人々は、もっと危機感を持って良いと思うのだが。ドイツの敗戦状況も入ってい…

アチャラカ結構となる昭和二十年三月

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)265アチャラカ結構となる昭和二十年三月 三月九日の夜、東京へは334機のB29による大空襲で、死者約10万人、焼失家屋23万戸にのぼった。罹災した市民は、田舎へ帰ろうと上野駅を目指し、また焼跡の後片付けなどに…

空襲の恐怖でも娯楽を求める昭和二十年二月

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)264空襲の恐怖でも娯楽を求める昭和二十年二月 この年の冬は室内の水が凍るという寒さ、食料だけでなく燃料も不足、清沢洌は八日、「三十年の東京生活で知らない。炭はなく、本年の寒さは誰にもこたえる。本年の冬を通じ…

娯楽禁止が緩む昭和二十年一月

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)263娯楽禁止が緩む昭和二十年一月 昭和20年(1945年)に入ると、戦局の悪化は米軍に対してだけでなく、中国でも始まっていた。しかし、軍部はまだ「本土決戦」に望みを抱いていた。国民のすべてが死ぬまで戦うとい…

空襲下のレジャー昭和十九年十一月十二月

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)262空襲下のレジャー昭和十九年十一月十二月 十一月に入っても、新聞の記事は政府や軍部の都合の良いものだけ、当時の状況を古川ロッパの日記から紹介したい。 十一月六日、「今朝の新聞で昨日の東京空襲は、B29一機襲来…