戦前の演劇を見る

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)276

戦前の演劇を見る
 大正時代は、劇場入場者数の増加とは関係なく、一時は50もの新劇団が並立するという演劇史上まれにみる劇団乱立時代であった。明治時代から声高に叫ばれてきた「演劇の改良」は、「淫風排除」に始まり、劇場の形や興行形態などにまで波及し、劇場経営の健全化も目指した。しかし、「演劇の改良」は、観客の裾野を広げることに必ずしも効果があったとは言いがたい。それは、演劇がより多くの人々に見てもらうという、大前提が蔑ろされている。
 制作者や演技者たちが演じたい演劇が、多くの人々が見たいと思う演劇と遊離していたにもかかわらず、そのギャップをどうやって埋めていくかという視点が欠落していた。さらに言えば、プロレタリア演劇や左翼演劇などというジャンルであるにもかかわらず、肝心の労働者階級の人々の一部しか観賞していない。演劇に関連する人たちは、このことに何ら矛盾を感じていないのであれば、これは実に度しがたいことである。高邁な理想を追うのも、自由だし、大いにけっこうだが、興行として世間にアピールしたいのであれば、やはり大衆に受け入れられるための努力が不可欠である。
 賀川豊彦らの指導によって組織された「日本の労働劇団」や平沢計七らの「東京労働劇団」などは、現代でも、曾我廼家五九郎の喜劇やエノケンの軽演劇などよりも思想性という点では評価が高い。が、しかし、果たして本当にそうなのだろうか。大衆に与えた影響は、どちらの方が大きかっただろう。もちろん、賀川たちの思想を否定するわけではないが、五九郎の演じる「ノンキナトウサン」に見られるような家庭と社会の話題を取り入れた風刺が、大衆に大いに受けたことを無視できない。エノケンらが、人生とは何か、楽しく暮らすというのはどういうことかということを、身をもって示し、結果としてではあるが、人々を啓蒙したことを軽視しすぎていないだろうか。やはり、演劇とは多くの人々に見てもらうことで、初めて影響を与えることができるもので、このことを演劇関係者は自覚すべきである。そして、多くの俳優たちが少なくとも人並みに生活ができる程度の観客あって、劇場経営がなりたたなくてはならない。
 ここで、芸術性の高い演劇をと期待されて作られた「築地小劇場」の観客数を見てみよう。築地小劇場は、大正十三年(1924)に開場。翻訳劇も多く演じられ、大正十五年には創作劇が始められている。当初は舞台装置や照明など劇場効果の向上に寄与し、演劇界ではなかなか好評だった。知識人層の人気と海外文芸の普及に功績があって、大正から昭和初期の演劇を論じる際には、避けて通れない劇場であるといわれている。
  当劇場は開場から三年目で年間約6万人の観客を動員するに至ったが、その後は減少し3万5千人を割ってしまった。年間の半分以上、興行していたと想定すれば、一日当たりの観客は192人となる。これでは劇場の経営がなりたたないと思われるので、当初の三年間の公演成績をもう少し詳細に見ていこう。築地小劇場の観客席は、約500あって、昼も公演していたらしいが、まともに観客があったのは夜の部のみであった。公演期間の長短にかかわらず昼公演を除く一日の入場者総数が300人を越えた興行は、三年間でわずか7公演しかなかった。ベストテンを示すと以下のように、一位が「作者を探す六人の登場人物」で、一日平均入場者数411人と、まずまずの数値を残したものの、十位はたった288人であった。さらに、同じく昼公演を除くワーストスリーは、「死せる生」「天鵞絨(びろうど)の薔薇」「新夫婦」が最も悪く79.7人。二位が再演した「人造人間」94.4人。三位「地平線の彼方へ」107.4人であった。約500人の定員の劇場で6割の席が埋まったのが7公演で、250人から300人くらい入ったのも同じく7公演しかなかった。つまり、約三年、63回の夜の公演のうち、客席が半分以上埋まったのはわずか14公演で、あとはほとんどがら空きに近い状況が続いたというわけである。

 築地小劇場は、開場から三年目の昭和元年、年間約6万人の観客を動員した。市民の心をつかみさらなる観客の増加が期待されたが、これをピークにあとは減少の一途をたどる。公演は、昼もあったが、観客の多かったのは夜の部であった。築地小劇場の観客席は約500、一日の観客数が300人を越えた興行は、当初三年間で7公演しかなかった。三年間、63回の夜の公演のうち、客席が半分以上埋まったのは14公演で、あとは空席の方が多かった。
 当時の新聞などから演劇に関連する記事などを示すと、昭和2年1月3日「歌舞伎座、補助席を出す盛況」と岡本綺堂(以後kiとする)は日記に記している。
 1月5日静かだった三ヶ日、芝居と活動だけ満員、朝日新聞夕刊(以後aとする)
 2月9日「大原女」新橋演舞場、連日満員御礼の広告、朝日新聞朝刊(以後Aとする)
 3月14日「夜帝国劇場に伊太利亜歌劇を聴く」と永井荷風(以後kaとする)の日記
 3月19日「桜の園築地小劇場日延連日満員、読売新聞朝刊(以後Yとする)
 3月22日「東をどり」新橋演舞場連日満員御礼a(以後夕刊は小文字)
 3月25日「七騎落」歌舞伎座大好評連日満員a
 4月26日「帝国劇場に赴く、露西亜オペラ比夜より十日間興行する由」ka
 5月5日「春色男女道成寺歌舞伎座連日満員御礼A
 5月24日「ブロードウェイフォーリス大歌劇団」邦楽座連日満員御礼Y
 5月28日「新宿夜話」他本郷座千秋楽まで連日大入満員Y
 6月6日「水野十郎左衛門他」歌舞伎座、初日以来悉く売切御礼A
 6月6日「柴田勝家他」本郷座連日満員御礼A
 6月11日「妹背山他」新橋演舞場満員御礼Y
 7月5日「弥次喜多野球の巻」東京館益々大好評満員御礼A
 7月6日「梅こよみ」歌舞伎座連日満員A
 8月22日「歌舞伎座は大入り」ki
 8月24日「金色夜叉他」帝国劇場の新国劇好評演続Y
 10月30日「天界の魔王、十巻」日本館モンロー・サルスベリー氏実演満員御礼Y
昭和3年(1928年)の演劇関連事象 
 1月1日「空気饅頭」築地小劇場
 2月  「舞台の人々他」松竹座
 2月11日「刃光他」浅草劇場高木新平実演大入りY
 2月14日「裏表忠臣蔵市村座人気沸騰多大の好評日延べA
 2月25日「本郷座に予約を入れたら、売り切れ」ka
 3月18日「浪人の群他」帝国劇場新国劇
 5月4日「ムッソリニ他」明治座連日満員A
 5月7日「平清盛他」歌舞伎座、引続いて昨日も売り切れA
 7月4日「極彩色娘扇他」歌舞伎座、連日満員御礼A
 8月  「虹の踊り」松竹座
 9月1日「キートンの船長他」開場早々の浅草松竹座満員御礼A
 10月14日「国性爺合戦築地小劇場連日満員満員Y
昭和4年(1929年)の演劇関連事象
 1月  「復活」金龍館
 1月25日「月形半平太」好評嘖々の公園劇場果然満都の人気沸騰に大好評、連日満員A
 3月  レヴュー「テケツの女」浅草電気館
 3月17日「トルヴァトーレ」帝国劇場初日、半額で満員
 4月  レヴュー「スイートハート」浅草電気館
 4月27日「夜の宿」浅草松竹座
 6月30日 邦楽座、トーキー設備完備のため楽士を解雇紛争となる
 7月10日 榎本健一、東京浅草水族館にレビュー歌劇カジノ・ふぉーりーを発足
 9月5日「梅雨小袖昔八丈」明治座果然大好評A
 9月5日 新宿に新歌舞伎座オープン
 10月23日 「緊縮の不入りに 持ちきれぬ大劇場」a
 11月3日 「トーキーの犠牲 弁士の失業続出」「生き延びるも もう数ヶ月」a
 11月23日 「緊縮の不入りに 持ちきれぬ大劇場」と不景気のため観客が減っているA
 12月11日 浅草は「安い喜劇館ばかりが満員の盛況」A
 12月23日 緊縮の不入りに、帝劇先ず半額の大割引断行、松竹も追随し値下げA
 12月31日 浅草は「安い喜劇館ばかりが満員」A
昭和5年(1930年)の演劇関連事象 
 2月3日「淀君他」新橋演舞場、初日二日目満員御礼A
 2月21日「佐倉義民伝」明治座大入り満員、二十二日まで日延べA
 4月17日「東京おどり」浅草松竹座
 6月  「フィガロの結婚」東京劇場
 6月26日「曽我廼家五郎」帝国劇場日延べ、連日引続き売り切れの大好評A
 8月  「太陽のない街」左翼劇場
 8月8日「国産愛用」明治座大笑会、連日満員御礼A
 9月  「松竹オンパレード」浅草松竹座
 11月2日「明治座は初日満員。第一『義士尽忠録』見物ki
 11月9日「富士に題す」東京劇場連日満員御礼A
 11月21日「仮名手本忠臣蔵歌舞伎座初日依頼完全に売切続きA
 12月12日「松竹レビュー第二回公演」東京劇場満員御礼A
 レビューは、警視庁が取締りを強化したことによって、逆に大衆の関心を高めているようだ。
 12月22日「荒木又右衛門他」歌舞伎座大入御礼A
昭和6年(1931年)のレジャー関連事象 
 2月7日「改訂金色夜叉他」東京劇場、初日以来連日満員御礼a
 2月7日「義経千本桜他」歌舞伎座、連日満員御礼a
 6月   浅草松竹座がレヴュー専門劇場に
 6月26日「暴風雨の薔薇」新歌舞伎座満員御礼堂々日延べA
 11月  「万華鏡」新歌舞伎座
 11月29日 浅草公園六区の興行界では、入場料を10銭に値下げする競争がはじまったA
 12月5日「義経腰越状他」歌舞伎座、連日満員、6円~60銭a
 12月7日「改訂金色夜叉」東京劇場初日以来連日満員御礼A
 12月16日 浅草オペラ館開場
 12月31日 「猿の顔はなぜ赤い他」新宿にムーラン・ルージュ開場
昭和7年(1932年)の演劇関連事象 
  1月  「アジアの嵐」市村座
 1月3日 富士館、笑いの王者榎健が立籠る常盤座等々いづれも客止めの大入満員」Y
 1月4日 歌舞伎座・東京劇場・新橋演舞場新歌舞伎座明治座、揃って満員御礼広告A
 1月11日「恋愛学校参観記」ムーラン・ルージュ
 2月  「丹下左膳他」明治座新国劇満員御礼Y
 3月  「瞼の母」を明治座で初演
 3月  「乞食芝居」新歌舞伎座
 3月  「西部戦線異状なし市村座 3月
 3月  「エンコの六」浅草玉木座
 6月5日「丹下左膳他」明治座新国劇満員御礼Y
 7月   築地小劇場での共産党演説会、開催即潰される
 7月27日「アル・カポネ他」新橋演舞場好評日延べ、三日間一円均一奉仕デーY
 7月  「バクダットの盗賊」歌舞伎座
 10月  「らぶ・ぱれいど」東劇
 10月   松竹楽劇部が松竹少女歌劇部に改称
 10月2日「悲しきジンタ」「麗はしのサロン」「結婚哲学」新橋演舞場
  11月  「リリオム」常盤座
 11月  「助六」常盤座
 11月23日「勧進帳」浅草松竹座
 11月15日「マダムと女房他」公園劇場
 11月26日「花嫁募集他」公園劇場