続華道古書集成の植物 第一巻

続華道古書集成の植物    第一巻
『華嚴秘傳之大事』イメージ 1
  『続華道古書集成』(思文閣)の最初の書は、『華嚴秘傳之大事』である。なお、『華嚴秘傳之大事』の書名は、外題が不明なため内題から書名が定められている。この書は、「『池坊花藏院判在之書』を書写した一本をば後代になって書写された伝書」とされ、江戸時代の写本であるが、作成年代は不明である。『華嚴秘傳之大事』には、百程の花材名が記されており、87種を現代名にした。
  『華嚴秘傳之大事』の解題には、『仙傳抄』には見られない記述が多いとある。そこで、『華嚴秘傳之大事』と『仙傳抄』『池坊専應口傳』の花材と比べると、双方の花材とはかなりの違いがある。『華嚴秘傳之大事』は『仙傳抄』の約七割、『池坊専應口傳』の約六割の花材しか含んでいない。これらの花伝書を正確に写したのであれば、花材についてもすべてとは言わないものの八・九割くらい同じであってもよい。花材の種類から見ると、『仙傳抄』『池坊専應口傳』を直接もとにしているとは言い難い。
  そして、花材名の記載した文字を見ると、どちらかといえば『仙傳抄』の方が類似している。記されている花材は、これまで見てきた茶会記や花伝書と比べると、時代的には十六世紀以前に記されたものが大半を占めている。そのことから推測して、『華嚴秘傳之大事』は、『仙傳抄』をベースにした花伝書が作成され、その花伝書または再度編纂された花伝書を写したのではないか、という気がする。

『極儀秘本大巻』
イメージ 3  『華嚴秘傳之大事』に続いて、『極儀秘本大巻』が記されている。この書は、以前、『池坊専應口傳』に続ぐ華道書(花伝書)として、調べた(
http://blogs.yahoo.co.jp/koichiro1945/25463346.html)ことがある。解題に、慶長年間(1606年)に作成された可能性があると、また、「書写年代は享保頃が下限」と記されている。そこで、花材を見ると、享保年間(1716~1735年)以前、さらには1606年(慶長十一年)以前には、まだ花材の植物名は知られていない植物が出てくる。したがって、書写および作成年代は享保年間以後となり、『華嚴秘傳之大事』と同様に年代は不明とせざるを得ない。
『極儀秘本大巻』に記された花材、110余のうち101種を現代名にした。これまでの『華道古書集成』五巻の花材の調査から、新に確定できた植物の名がいくつか増えた。これらの花材を、『資料別・草木名初見リスト』(磯野直秀)と対照すると、慶安十一年以前に記されていない植物がいかのように9ある。
  「仙台萩」はセンダイハギであろう、初見は『毛吹草』であるから1645年となる。
  「るかう」はルコウソウであろう、初見は『毛吹草』であるから1645年となる。
  「丁子草」はチョウジソウであろう、初見は『毛吹草』であるから1645年となる。
  「もちすり」は、『毛吹草』が初見であるから1645年となる。
  「濱菊」はハマギクであろう、初見は『花壇綱目』であるから1664年となる。
  「こんきく」がコンギクであれば、初見は『本草綱目品目』であるから1672年となる。
「ささゆり」がササユリであれば、初見は『抛入花傳書』であるから1683年となる。
「弁慶草」はベンケイソウであろう、初見は『本草綱目品目』であるから1672年となる。
  「夏はせ」はナツハゼであろう、初見は『諸国産物帳』であるから1735年となる。
  これらの花材は、『仙傳抄』『池坊専應口傳』加えて、『華嚴秘傳之大事』にも登場しない。『極儀秘本大巻』は、花材から推測すれば慶長年間にはまだ知られていない植物を記している。したがって、書写年代は享保年代以降と考える。

『立花全集』
イメージ 2  『立花全集』は、「立花と砂之物の書」とされ、寛永年間に作成されたとされるが、版は享保十四年(1729年)となっている。また、書名は外題が不明なため内題から書名『立花全集』が定められている。『立花全集』には、100ほどの花材が示され、その中から93種を現代名にした。なお、迷ったのは「當季」で、ニホントウキなのか、中国産のトウキなのか、判断が着かない。その他、「岩躑躅」「唐水木」なども現代名にできなかった。『立花全集』の花材と『華嚴秘傳之大事』『極儀秘本大巻』を比べると、やや『華嚴秘傳之大事』の方が共通性がある。

『華傳書』
  『華傳書』は、猪飼三枝自筆本の花材を示す。元禄四年(1691年)に書かれたとされているが、花材を見ると疑問が生じる。記された花材は150ほどあり、そのうち135種を現代名にした。なお、疑問のある植物がいくつかあり、以下に示す。
  まず「菖蒲」、ショウブとしたが、アヤメかもしれない。
「唐栬」は、トウカエデとしたが、確証はない。
「佛勝花」は、ブッソウゲとしたが、確証はない。
  「くしやくなんげ」は、シャクナゲとしたが、確証はない。
「さしも草」は、ヨモギとしたが、確証はない。
  「しほかせ」は、クマノギクとしたが、確証はない。
  「はまぼ」は、ハマボウとしたが、確証はない。
「もくげ」は、ムクゲとしたが、確証はない。
次に、迷った花材として「だんど」がある。ダンドクではないかと思われるが、判断できない。
  「には桃」は、ニワウメかユスラウメを指していると思われるが、判断できない。
  これまでの花材、茶花に登場しなかった植物として、クマノギク、トウカエデ、リュウキュウツツジがある。
  トウカエデの初見は、『地錦抄付録』(1733年)とされている。
クマノギクの初見は、『諸禽万益集』(1717年)とされている。
リュウキュウツツジは、『牧野新日本植物図鑑』によればシロリュウキュウとも言われている。別名をヒラドツツジとも言われ、初見の時期はわからない。
  以上の初見から、『華傳書』は十八世紀に入ってからの書と推測される。
  『華傳書』に続く書として、『生花之次第』『三齋流生花』『極秘繪圖』がある。これらの書には花材の記述が少なく、新しい植物も見当たらないので省くことにする。
  続く書として、『花書』がある。この書は、「寛保の時代からあまり遠く下らない頃の書写本」とされている。記された花材数は80程で、63種を現代名にした。これまでに登場しなかった植物として、イタヤカエデ、タムラソウ、トサミズキ、ムベがある。
  「板屋楓」イタヤカエデの初見は、『花壇地錦抄』(1695年)とされている。
「田村草」タムラソウの初見は、『花壇地錦抄』(1695年)とされている。
「土佐水木」トサミズキの初見は、『和漢三才図会』(1713年?)とされている。
「ムヘ」ムベの初見は、『本草和名』(912年頃)とされている。
これらの初見の時期から、寛保年間(1741~1743年)に写されたことに矛盾はない。
  また、「野田藤」の記載も初めてであるが、ノダフジはフジの別名である。フジには、ノフジ(ヤマフジ)もあり、混乱しやすい。筆者は、これらの区別をしていたかはわからないが、花材の現代名として、ノダフジ、フジと2種を掲載する。
さらに、「胡貝母」はコバイモとして初見とするが、確証はない。
『花書』の作者はかなり植物に詳しいことから、「小梅」についてもコウメ(シナノウメ)とするが、確証はない。
  なお、次の花材については、確定をしなかった。
「叚獨」はダンドクを指しているかもしれないが、判断できない。
また、「冬至梅」は、「トウジバイ」というウメの園芸品種と思われるため、ウメに含む。

『唯可順生花物語』                                    
   『花書』に続いて『唯可順生花物語』が記されている。解題には「茶之湯の生花書」とされ、90ほどの花材が記されており、その78を現代名にした。新しい植物はマルメロがある程度で、特に変わった植物はない。ちなみに、『花書』と対照させると、共通する植物は約三割の24種である。かなり違う植物構成のように見える。そこで、『花書』にあって『唯可順生花物語』にない植物を見ると、茶花として使用されても不思議ではない植物が少なくない。「茶之湯の生花書」とあるが、『唯可順生花物語』に記された種類少ないと共に、偏っているようだ。なお、作成年は記されていないが、十八世紀になってからであろうと思われる。

『挿花てことの清水』
『唯可順生花物語』の次に『挿花てことの清水』が記されている。解題によると『挿花てことの清水』は、「(題簽は『抛入手毎の清水』と記す。安永三年板行)で補った。・・・前半に収めた花彩絵は、明和六年板行『生花百競』の中に見られる生花と全く似ている絵を指摘することができるし、後半に記す「花挿様の作法」は明和五年板行の『挿花千筋の麓』の「前之下」の文並に図と同じでもある。・・・花形絵は奥に「北尾重政画」と明記しているが、直接実作の「挿花(抛入)」をスケッチした絵でたいことが既刊の書により証明できる。」とある。
  この書は、図が中心で、比較的詳細に描かれているため、文字だけでなく絵からも植物名を判断することができる。約110ほど記された植物から101種を現代名にした。新しい植物は、カラマツ、カンアオイガクアジサイの3種である。「唐松」は特に珍しい植物ではなく、『山科家礼記』にも花材としてではなく記されている。「寒葵」は、絵を詳細に見ると、花の形が少し違うような気もするものの、このような描き方もあるとして判断した。「額」は、絵だけでは判断つかないが、文字を合わせることで推測した。
  絵から判断した植物として、「山慈姑(さんしこ)」はアマナとしたが、少し不安がある。
「猫柳(ねこやなき)」も絵から、エノコロヤナギとする。
  「糧艸(かてさう)」も絵から、サルトリイバラとする。
  「朝鮮槿(てうせんあさかほ)」は、花の形が不明瞭だがチョウセンアサガオとする。
「水木(ミつき)」は、花の形からミズキではなく、トサミズキであると判断した。この例から考えると、「水木」と記された植物は、トサミズキやヒュウガミズキである可能性が高い。
以上の他にも、判断の迷う植物もいくつかあり、判断できなかったものがある。
解題に、1769年(明和六年)や1774年(安永三年)などがあげられていることから、この頃作成されたものと考えてよいだろう。
また、解題に記された『生花百競』と『挿花てことの清水』の花材を対照させると、重なるのは47%と半分程度である。『挿花千筋の麓』と『挿花てことの清水』を対照させると60%で、『挿花千筋の麓』の方がやや近い。さらに『挿花てことの清水』の花材の表記名を比べると、同じ字句は『生花百競』が22%、『挿花千筋の麓』が25%とあまり変わらない。

  次に記されている『瓶史』は、「中国に於ける」「いけばな」であることから除く。
  続く『遠州流挿花百瓶圖式』『未生流挿花表之巻口傳書』『席上譜尾之巻』は、いずれも花材数がすくなく(50以下)、新しい植物が登場しないことから除く。

『東肥群芳百瓶』
  『東肥群芳百瓶』は、タイトル通り百瓶の花が描かれている。1826年(文政九年)に作成され、1833年天保四年)に刊行された。花材数は80ほどであるが、新しい植物がいくつかあり、71種を現代名にした。図に記された花材名と描かれている植物とが異なる場合があり、その場合は図の方を優先した。
新しい植物として「朝鮮宇津木」は、ヒメウツギとする。
「瑠璃虎迺尾」は、ルリトラノオとする。
「木防己(ツツラフジ)」は、ツヅラフジとする。
「野萩」は、キハギとしたが、確証はない。
  なお、判断のつかない花材として「鷺艸」がある。絵を見ると明らかにギボウシの仲間であり、サギソウとは異なる。また「大蒽鳳芲」と書かれた絵がある。「鷺艸」より大きな葉で、やはりギボウシの仲間である。オオバキボウシの可能性はあるが、この絵からは断定できない。そこで、問題はあるものの「鷺艸」「大蒽鳳芲」を総称名のキボウシとする。

  『続華道古書集成』第一巻の最後の書として『燕子花三十瓶之圖』がある。カキツバタだけなので除く。

  以上、『続華道古書集成』第一巻の中の8書に記された花材、現代名できたのは293種であった。新しく登場した花材は13種ある。イメージ 4