江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)269
敗戦も視野に入る昭和二十年七月
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昭和二十年(1945年)・七月、食料配給基準量一割削減⑪、対日ポツダム宣言発表(26)、空襲で投下された銅屑集めて国民酒場で酒を飲む。
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地方都市への空襲が本格化している中、古川ロッパの慰問公演は続いている。戦況の劣勢は肌身で感じているのだろう。さらに、戦後の話も出始めている。古川ロッパの四日の日記には「・・・鈴木氏の話では、東京の復興--家を建てるのは、早くてかかるだろう、震災時と違って資材が来ないから--といふことだ。僕は又、楽天主義なのだな、なアに、二三年で建つといふ気がする。さんざ、此のオプティミズムでは、馬鹿を見てゐるくせに、まだまだ此の根性は抜けない。鈴木氏、ドイツの負けてからの惨澹たる生活を話して呉れた。ベルリンの女は六割、ソ聯の兵隊に凌辱された。・・・」と、ロッパは暗に敗戦をも視野に入れているかもしれない。
ロッパの日記、十日「午前五時二十分頃、ブーウ。敵小型艦載機は--といってる。大分数が多いらしい。母上と並んで寝たまゝきいてゐると、百五十機とか。六時頃起きる。空襲警報となり、遠く高射砲ひヾく。小型だから反って始末が悪く、ビクビク。飛行場狙ひらしく、茨城・千葉その他に大分入ったらしい。七時すぎ、空襲解除。七時半頃、警戒警報も解除。・・・又、ブザー。そのうち空Kとなり、又高射砲バンバン。八時すぎである。新聞読む。『毎日』徳富蘇峰が『国民に真実を報せよ』と、中々いゝ説を吐いてゐる。八時四十分頃関東各区に分散、各数十機宛で行動してゐる。後続編隊もまだあるらしい。『読売報知』の、ドイツから、敗けた後に帰った報道員の談あり、それを読むと心寒し。これが又間もなく解除となった。・・・十時頃に、又ブーブー、今度は、いきなり空Kである。これで三回目。やり切れたもんぢゃない。・・・一時半頃、・・・二時近くに、空K解除され、警戒も解けた。・・・二時十五分頃か、又ブーウ。今日四回目の警報。土浦・水戸・銚子と、今度も専ら飛行場を狙ってゐるらしい。・・・此の調子ぢやあ、今日は一日空襲かな。・・・敵小型機ますます大挙来襲、今回のだけでも三時五十分頃迄に二百八十機と言ってゐる。その主力は飛行場狙ひで、各地区に拡がってゐる様子。かう毎日プープーつづきでは、もはや芝居は勿論、ラヂオさへも出来なくなってしまふではないか。・・・敵は、後から後から入り、大分近くで、ドンドンやってゐたが、こっちには来なかった。五時、まだ新なる敵、何十機と言ってゐる。呆れた、全く。・・・」
十六日付朝日新聞、「予約の前景気も上々 勝札いよいよきょうから発売」、富籤が発売されている。
十六日月曜、ロッパは市電で渋谷へ、駅前の空き地で街頭慰問。“戦力増強隊芸能隊”の旗が掲げられ、土を盛った舞台の前には何千人もの人々が集まっていた。二十日も新橋駅前で街頭演奏、「今にも降り出しそうな空の下、約一万人位╶─╴ぢゃなかろうか、人の海」。盛況であったのだろう、ロッパは「歌ってゝも気持よく、何だか馬鹿に愉快だった」と。二十三日、ロッパは、邦楽座の『姿三四郎』を覗き、「舞台も飾り、衣装も先づ昔のまゝやっている、不思議な感じ」と日記に書いている。
ロッパの日記、十八日「夜半、夢うつゝで、ラヂオきいてたら、水戸が今、艦砲射撃を受けてゐると、言ってゐた。水戸と言へば、すぐ近くではないか、冗談ぢやない・・・十二時七分前、ブーウー。『敵は伊豆北部より小田原へ』、B29一機B24一機の由。・・・今度は鹿島灘方面から小型艦載機編隊が、又続々と入って来る。やがて空K出づ。ドヾーンドヾーン高射砲の音、『既に百八十機』尚続々と後続目標があると言ってゐる。然し、近隣何の騒ぎもなし。子供の嬉々として戯れる声がするし、家の中も、平常通りである。東京都民は落着いたもんだな、一寸考へると呆れることである。一時十五分、まだ後続編隊云々とやっている。・・・」
ロッパの日記、十九日「すべてが狂ってしまった。お盆も藪入りもなく、その代り金もちっとも要らず。水戸の艦砲射撃は、やっぱり夢ではなく、新聞を見ると、『日立・水戸方面に艦砲射撃』と出てゐる。もはや、敵の上陸も近いといふ気がする。何たる日本。・・・ラヂオ、ブザー鳴り、敵機京浜に近しと言ふ。十一時半、広場の仮設舞台、野天である。工員数百。しまひの『強く明るく』にかゝると、大空に爆音、工員たちも空を見上げる、B29が頭上通過、高射砲ドヾンドヾンと撃ち出す。それでも歌ふ、面白いって気がしてた。『あせらずに元気でいつも明るく強く進まう! 」と歌ひ乍ら、僕も空を見る。工員たち、空を半分、こっちを半分、拍手する。終って、事務所へ歩く時、空からヒラヒラ、謀略ビラが落ちて来る。拾って貰ふと、『マリアナ時報』。事務所の人たち、『いやア実に印象的で反ってよかった』と言ってる。・・・」
ロッパの日記、二十日「・・・北海道は中止のこと、むろん満州行も止めにして、在京のことゝ定める。・・・」と、記している。戦況の悪化を鑑みてのことであろう、開き直った心境を示すものでもあろう。
二十二日付、「焦土を潤す文化の涼風 麹町に壕舎の本屋さん店開き」とある。
二十二日付Aの記事で「怖しい悪性インフレ」と、闇市場では急激なインフレが進んでいる。「“お金が紙屑”では敗戦」と闇の自粛を訴えているが、逆効果にならないか。二十五日には、「特攻機へ、ヨイコが懸命」と、針葉油の増産に子供たちが奮闘している写真。子供の懸命な態度が感じられるだけに、何とも言いようのない先の暗さを示している。
それに対し、銅屑集めの話には笑うに笑えないものがある。国民酒場は一本のビールを飲むために二時間以上も行列する。その無駄な労力を解消するため、銅屑一貫目を持参すれば「特飲予約券」がもらえることになった。「銅屑集めに国民酒場『特飲予約券』活用」Y(25)。当初一日二千貫程度集まればと踏んでいたところ、三日目には二万貫も集まり、さらに五日目には不渡りの特約券を六万枚も出すことになった。やむなく、不足分に対しては「葡萄酒を取り寄せて解決するからといっているから先ず安心と見て差支えあるまい」とある。銅屑は交換を打ち切っても運び込まれ続けた。なお、その銅屑は、敵の空襲で投下されたもので、市民の犠牲の代償とも言えるものであった。
市民の不安は、ロッパの日記、二十二日「・・・プ-。又すぐ解除。と又プ ー。今度 は、中々解除されず、・・・ドドーンと遠くで地響きのやうな音がする。さては、艦砲射撃が始まったか。ラヂオは、それ迄、B29一機のことばかり言ってゐたが、急に『房総南端及相模湾に砲声あるも、陸岸には特異なる事象を認めず』と言った。又続いて『房総南端及相模湾の砲声は、我軍の敵艦船に対する彼我の砲声にして陸岸には依然特異なる事象を認めず』と来た。・・・」と、この記述は敵の上陸を意識してのことであろう。
ロッパの日記、二十二日「・・・一寝入りした頃、ブーウと鳴ってゐる、なあに又大したことではあるまいと思ってると、空襲警報。ラヂオは、B29の数目標と言ってゐる、起きる気にならず、床の中にゐると、ズシーン!ドドーン、爆弾の音だ。ビリビリッと硝子にひヾける。しようがない、起きる。・・・僕も庭へ。月明、今宵満月か、昼をあざむく明るさ。月の下を、B29幾つも飛ぶ、川崎方面!とラヂオ言ふ。その辺りに、爆弾の音、盛。アッ、火の玉だ。B29一機、火を吹いて落ちる。思はず、ワーツと叫ぶ。・・・一しきり、川崎辺がうるさかったが、友軍機、頻りに飛び出し、静かになる。・・・解除は、一時近くでもあったらうか。再び床に就く。いやもう大変な東京なるかな。・・・」と、先行きが分からないまま、慣れだけが定着している。
永井荷風は、二十六日の日記に「銀座へ出た。六時ちょっとすぎ。人通りはもうほとんどない」とある。
三十日付読売新聞、「浅草六区は健在」とある。三十日付朝日新聞にも、市内の劇場や映画館等の興行状況が紹介されている。浅草は、六月に高見順の示した劇場や映画館に加えて、富士館・松竹劇場・電気館・千代田館・大勝館・松竹新劇場がある。新宿は、第一劇場・武蔵野館。新宿松竹館がベンチ掛けの演芸館として復旧中とのこと。渋谷や銀座なども復活したり、復旧中のところが増えている。なお、情報局は「演劇も音楽も映画もすべて移動公演へ組織的に」と、いまだに考えている。しかし、「映画を川崎の工場でやっても見ようともしないでわざわざ公休日を待って新宿や浅草へと見に往く工員が多い」ように、市民の要望とは大きな隔たりがあった。