信鴻のガーデニング天明元年2

信鴻のガーデニング天明元年
○閏五月
 閏五月の日記には13日間に植物名の記載がある。また、ガーデニング作業と思われる記述は、22日ある。収穫の記載は2日ある。それら日記に記された植物名は24、13種である。この年の新たな植物の種類は5種である。以下順に示す。なお、信鴻が六義園に移って初めて記す種は、チョウセンアサガオの1種である。また、植物を遣り取りした記録は、5日である。
 「隠元さゝげ」は、インゲン(マメ科)とする。
 「秋海裳」は、シュウカイドウ(シュウカイドウ科)とする。
 「仙翁花」は、センノウ(ナデシコ科)とする。
 「朝鮮蕣」は、チョウセンアサガオ(ナス科)とする。
 「木蕣」は、ムクゲアオイ科)とする。
○六月
 六月の日記には4日間に植物名の記載がある。また、ガーデニング作業と思われる記述は、16日ある。収穫の記載は4日ある。それら日記に記された植物名は6、5種である。この年の新たな植物の種類は4種である。以下順に示す。なお、信鴻が六義園に移って初めて記す種は、アズキの1種である。また、植物を遣り取りした記録は、1日である。
 「小豆」、アズキ(マメ科)とする。
 「女郎花」はオミナエシオミナエシ科)とする。
 「ムカコ」は、ヤマノイモヤマノイモ科)とする。
 「柚」は、ユズ(ミカン科)とする。
○七月
 七月の日記には14日間に植物名の記載がある。また、ガーデニング作業と思われる記述は、9日ある。収穫の記載は13日ある。それら日記に記された植物名は20、8種である。この年の新たな植物の種類は5種である。以下順に示す。なお、信鴻が六義園に移って初めて記す種はない。また、植物を遣り取りした記録は、3日である。
 「栗」は、クリ(ブナ科)とする。
 「椎」は、総称名シイ(ブナ科)とする。スダジイと思われるが確証はない。
 「茄子」は、ナス(ナス科)とする。
 「葡萄」は、ブドウ(ブドウ科)とする。
 「夕顔」は、ユウガオ(ウリ科)とする。
○八月
 八月の日記には26日間に植物名の記載がある。また、ガーデニング作業と思われる記述は、6日ある。収穫の記載は26日ある。それら日記に記された植物名は49、24種である。この年の新たな植物の種類は10種である。以下順に示す。なお、信鴻が六義園に移って初めて記す種は、キンカンとダイダイ、ツクネイモの3種である。また、植物を遣り取りした記録は、4日である。
 「燕子花」は、カキツバタ(アヤメ科)とする。
 「きん柑」は、キンカン(ミカン科)とする。
 「九年母」は、クネンボ(ミカン科)とする。
 「杉」は、スギ(スギ科)とする。
 「橙」は、ダイダイ(ミカン科)とする。
 「つく芋」は、ツクネイモ(ヤマノイモ科)とする。
 「躑躅」は、ツツジツツジ科)とする。
 「番椒」は、トウガラシ(ナス科)とする。
 「何首烏」は、ドクダミドクダミ科)と推測する。 
 「初茸」は、ハツタケ(ベニタケ科)とする。
○九月
 九月の日記には16日間に植物名の記載がある。また、ガーデニング作業と思われる記述は、5日ある。収穫の記載は14日ある。それら日記に記された植物名は35、12種である。この年の新たな植物の種類は2種である。以下順に示す。なお、信鴻が六義園に移って初めて記す種はない。また、植物を遣り取りした記録は、1日である。
 「梨」は、ナシ(バラ科)とする。
 「もみ茸」は、モミタケマツタケ科)とする。
○十月
 十月の日記には15日間に植物名の記載がある。また、ガーデニング作業と思われる記述は、2日ある。収穫の記載は10日ある。それら日記に記された植物名は16、5種である。この年の新たな植物の種類は1種である。以下順に示す。なお、信鴻が六義園に移って初めて記す種はない。また、植物を遣り取りした記録は、7日である。
 「山茶花」は、サザンカ(ツバキ科)とする。
○十一月
 十一月の日記には4日間に植物名の記載がある。また、ガーデニング作業と思われる記述は、9日ある。収穫の記載はない。それら日記に記された植物名は8、6種である。この年の新たな植物の種類は2種である。以下順に示す。なお、信鴻が六義園に移って初めて記す種はない。また、植物を遣り取りした記録は、2日である。
 「桑」は、クワ(クワ科)とする。
 「水仙」は、スイセンヒガンバナ科)とする。                      ○十二月
 十二月の日記には7日間に植物名の記載がある。また、ガーデニング作業と思われる記述は、3日ある。収穫の記載はない。それら日記に記された植物名は11、4種である。この年の新たな植物の種類はない。なお、信鴻が六義園に移って初めて記す種もない。また、植物を遣り取りした記録は、7日である。
 信鴻の天明元年ガーデニングを見ると、春先に芝焼、次いで春草摘みが加わり、草の根堀り。夏に入ると枯枝折、ツツジ等の挿し、マツなどの造り、秋が近づくと芝刈、栗拾い、茸狩りなどの収穫となる。冬に入ると、作業が少なくなる。なお、この年の作業で気になるのは、「傅芝を刈」「傅芝を焼」などの記述が表れることである。「傅芝」は、匍匐する芝を挿すものであろう。となると、ノシバとコウライシバであろう。これまでの「芝」は、必ずしも匍匐しないシバ類も含んでいたのであろうか。そしてさらに、例年なら記される「芝を刈」「草を刈」「芝を焼」などがないこと。作業に関する記述が一変している。天明元年の時点では、まだ結論できないので後の記述に注目したい。
植物名を日記に記す日数は、197日で、月平均15.2日とほぼ半数である。植物名の記載は、前年と数は同じだが閏月があるので実質は少ない。植物種類は85種と前年より少ない。植物名の記載が最も頻度の高いのは、安永三年より連続してスギナで35である。次いでマツ33、クリが28、ショウロが20、ウメが18、キクが16の順になっている。
 安永九年までに記された種類に加えて、新たなに6種が加わり、247種に増えた。