信鴻のガーデニング天明二年

信鴻のガーデニング天明二年
 天明二年の日記にどのような植物が記されているか、また、どのようなガーデニングしていたかを示す。なお、植物名にはガーデニングとは直接関係がないものがあり、判別に迷うが前後の関係や前年までの記述から判断した。
○一月
 一月の日記には16日間に植物名の記載がある。また、ガーデニング作業と思われる記述は、3日ある。収穫の記載は3日ある。それらの中から、記された植物名は19あり、これらの種名は6種である。以下順に示す。なお、信鴻が六義園に移って初めて記す種はない。また、植物を遣り取りした記録は12日である。
 「梅」は、ウメ(バラ科)とする。
 「松露」は、ショウロ(ショウロ科)とする。
 「土筆」は、スギナ(トクサ科)とする。
 「蕗臺」は、フキ(キク科)とする。
 「松」は、マツ(マツ科)類の総称名とする。
 「桃」は、モモ(バラ科)とする。
○二月
 二月の日記には19日間に植物名の記載がある。また、ガーデニング作業と思われる記述は、13日ある。収穫の記載は18日ある。それら日記に記された植物名は29、11種である。この年の新たな植物の種類は8種である。以下順に示す。なお、信鴻が六義園に移って初めて記す種はない。また、植物を遣り取りした記録は、3日である。
 「桜」は、総称名サクラ(バラ科)とする。
 「八重桜」は、サトザクラバラ科)とする。
 「芹」は、セリ(セリ科)とする。
 「薇」は、ゼンマイ(ゼンマイ科)とする。
 「蒲公」は、タンポポ(キク科)とする。
 「椿」は、ツバキ(ツバキ科)とする。
 「南天」は、ナンテン(メギ科)とする。
 「娵菜」は、ヨメナ(キク科)とする。
○三月
 三月の日記には22日間に植物名の記載がある。また、ガーデニング作業と思われる記述は、12日ある。収穫の記載は21日ある。それら日記に記された植物名は73、23種である。この年の新たな植物の種類は15種である。以下順に示す。信鴻が六義園に移って初めて記す種はない。また、植物を遣り取りした記録は、2日である。
 「五加」は、ウコギ(ウコギ科)とする。
 「海老根」は、エビネ(ラン科)とする。
 「楓」は、総称名カエデ(カエデ科)。
 「菊」は、総称名キク(キク科)とする。
 「雰島」は、キリシマ(ツツジ科)とする。
 「黄山蘭」は、キンラン(ラン科)とする。
 「山椒」は、サンショウ(ミカン科)とする。
 「砂参」は、総称名シャジン(キキョウ科)とする。
 「忍冬」は、スイカズラスイカズラ科)とする。
 「杉」は、スギ(スギ科)とする。
 「躑躅」は、ツツジツツジ科)とする。
 「鳥頭」は、トリカブトキンポウゲ科)とする。
 「南天」は、ナンテン(メギ科)とする。
 「藤」は、フジ(マメ科)とする。
 「三葉」は、ミツバ(セリ科)とする。
 「もみ」は、モミ(マツ科)とする。
○四月
 四月の日記には20日間に植物名の記載がある。また、ガーデニング作業と思われる記述は、23日ある。収穫の記載は7日ある。それら日記に記された植物名は38、16種である。この年の新たな植物の種類は8種である。以下順に示す。信鴻が六義園に移って初めて記す種は、シャクヤクとヒノキの2種である。また、植物を遣り取りした記録は、4日である。
 「卯木」は、ウツギ(ユキノシタ科)とする。
 「杜鵑花」は、サツキ(ツツジ科)とする。
 「勺薬」は、シャクヤク(ボタン科)とする。
 「柘植」は、ツゲ(ツゲ科)とする。
 「母子草」は、ハハコグサ(キク科)とする。
 「檜樹」は、ヒノキ(ヒノキ科)とする。
 「譲葉」は、ユズリハトウダイグサ科)とする。
 「艾葉」は、ヨモギ(キク科)とする。
○五月
 五月の日記には13日間に植物名の記載がある。また、ガーデニング作業と思われる記述は、18日ある。収穫の記載は10日ある。それら日記に記された植物名は22、11種である。この年の新たな植物の種類は5種である。信鴻が六義園に移って初めて記す種は、オトギリソウ1種である。また、植物を遣り取りした記録は、4日である。
 「杏子」は、アンズ(バラ科)とする。
 「隠元さゝげ」は、インゲン(マメ科)とする。
 「劉奇奴草」は、オトギリソウ(オトギリソウ科)とする。
 「石竹」は、セキチクナデシコ科)とする。
 「木芙蓉」は、ムクゲアオイ科)とする。なお、ムクゲは前年「木朝顔」、その前には「槿」と記している。そのため、「木芙蓉」をムクゲとすることに不安があった。
○六月
 六月の日記には9日間に植物名の記載がある。また、ガーデニング作業と思われる記述は、10日ある。収穫の記載は6日ある。それら日記に記された植物名は6、3種である。この年の新たな植物の種類は1種である。信鴻が六義園に移って初めて記す種はない。また、植物を遣り取りした記録は、4日である。
 「釣荵」は、シノブ(ウラボシ科)とする。
○七月
 七月の日記には7日間に植物名の記載がある。また、ガーデニング作業と思われる記述は、16日ある。収穫の記載は4日ある。それら日記に記された植物名は10、10種である。この年の新たな植物の種類は6種である。信鴻が六義園に移って初めて記す種は、ニチニチソウ1種である。また、植物を遣り取りした記録は、1日である。以下順に示す。
 「梨子」は、ナシ(バラ科)とする。
 「茄子」は、ナス(ナス科)とする。
 「日々草」は、ニチニチソウキョウチクトウ科)とする。
 「葡萄」は、ブドウ(ブドウ科)とする。
 「むかこ」は、ヤマノイモヤマノイモ科)とする。
 「夕顔」は、ユウガオ(ウリ科)とする。
○八月
 八月の日記には20日間に植物名の記載がある。また、ガーデニング作業と思われる記述は、18日ある。収穫の記載は17日ある。それら日記に記された植物名は29、10種である。この年の新たな植物の種類は6種である。信鴻が六義園に移って初めて記す種は、ヘチマ1種である。また、植物を遣り取りした記録はない。
以下順に示す。
 「樫木」は、総称名カシ(ブナ科)とする。
 「栗」は、クリ(ブナ科)とする。
 「椎」は、総称名シイ(ブナ科)とする。
 「竹」は、総称名タケ(イネ科)とする。
 「糸瓜」は、ヘチマ(ウリ科)とする。
 「もみ」は、モミ(マツ科)とする。
○九月
 九月の日記には22日間に植物名の記載がある。また、ガーデニング作業と思われる記述は、11日ある。収穫の記載は19日ある。それら日記に記された植物名は47、14種である。この年の新たな植物の種類は5種である。信鴻が六義園に移って初めて記す種は、ホウキタケ1種である。また、植物を遣り取りした記録は、1日である。
 「柑子」は、総称名ミカン(ミカン科)とする。
 「初茸」は、ハツタケ(ベニタケ科)とする。
 「猟茸」は、ホウキタケ(ホウキタケ科)とする。
 「木犀」は、総称名モクセイ(モクセイ科)とする。
 「もみ茸」は、モミタケマツタケ科)とする。
○十月
 十月の日記には8日間に植物名の記載がある。また、ガーデニング作業と思われる記述は、10日ある。収穫の記載は6日ある。それら日記に記された植物名は13、7種である。この年の新たな植物の種類は1種である。信鴻が六義園に移って初めて記す種はない。また、植物を遣り取りした記録は、3日である。
 「青桐」は、アオギリアオギリ科)とする。
○十一月
 十一月の日記には3日間に植物名の記載がある。また、ガーデニング作業と思われる記述は、13日ある。収穫の記載はない。それら日記に記された植物名は4、3種である。この年の新たな植物の種類はない。また、信鴻が六義園に移って初めて記す種はない。また、植物を遣り取りした記録は、3日である。
○十二月
 十二月の日記には2日間に植物名の記載がある。また、ガーデニング作業と思われる記述は、17日ある。収穫の記載は1日ある。それら日記に記された植物名は4、3種である。この年の新たな植物の種類は1種である。信鴻が六義園に移って初めて記す種はない。また、植物を遣り取りした記録は、3日である。
 「福寿草」は、フクジュソウキンポウゲ科)とする。
                                             
○信鴻のガーデニング天明元年およびそれ以前との違いを見る。
 信鴻の天明二年のガーデニングを見ると、一月の活動は少ないもの二月からは、土筆などの春草摘みが前年並になる。春から夏に入ると「草を払」、ツツジ類の芽を差すなどの作業が多くなり、収穫は減少する。夏から秋への作業は前年より多くなるものの、栗拾いや茸狩りなどの収穫は減少している。冬には例年同様収穫が少なくなり、作業も減少するが前年よりやや多い。結果として、収穫は110日で31%と前年とほぼ同じくらい。作業は155日、44%と前年より多くなる。この年の特徴は、芝に関する記述の変化で、顕著になった「傅芝を刈」や「傅芝を焼」が大半を占め、「傅」のない芝の作業が急減する。
天明二年は、日記に植物名が記された日数は165日(47%)である。植物名は294で、前年より24%少ない。植物名の最も多いのはウメで25である。次いでスギナ23、ショウロが22、タンポポが20、クリが19の順になっている。植物の種類は61種である。天明元年までに記された種類に加えて、新たなに6種が加わり、253種に増えた。
 以上のガーデニング作業を総合的に見ると、天明二年は、植物名を日記に記す日数が前年より少なくなるものの、収穫と作業を合わせた活動ではやや多くなっている。