昭和二十年八月二十五日社会の混乱を防ごうと

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)515

社会の混乱を防ごうと

八月二十五日の朝日新聞は、米国はわが国の対応について、「降伏に十分の誠意 日本は指導者を温存」していると評価している。

二面に「帝都の人口 残留二百四十万」焼跡に一割居住、戸数は微減と報告。

読売新聞二面に「敗者の禮儀」として「憂国の私憤、盲動こそ 国家の苦難を加重 踏み誤るな新日本再建の大道」と、不穏な気配は残っている。それを防ごうと「復員輸送を温かく 特別窓口や湯茶接待」に「治安確保に万全」のため「警視庁から都民へ強力を要望」している。また「食糧配給・絶対に不安なし」と、「主食は半月分先渡し 配給止まるなど全然杞憂」とまで記しているが、不安を解消させようとするもの。写真入りで「このドングリ粉近くご家庭へ」と、供給されるのであろう。他に「出版界の今後」として「再発足はまづ雑誌から」と「一般書籍も復活へ明るい見通し」の記事もある。

高見は、「・・・夜、久米家で相談会。スキ焼の会食。久しぶりのスキ焼、栄養がほんとうに骨身にしみ込でいく感じだった。・・・戦前、もののあった頃、口は贅沢した。そうして無理した。早くスキ焼、ビフテキ、蒲焼といったものを自由に食いたい。そうして思う存分身体を酷使して、頑張りたい。・・・牛肉を一貫目分けて貰った。四百円、――100匁四十円。(ついこの間まで二十五円だった)」と、まだ食糧事情の最悪化にはなっていないようだ。

 

昭和二十年八月二十四日「負けぶとり」

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)514

「負けぶとり」

八月二十四日朝日新聞は「終戦処理会議」を設置し「最高戦争指導者会議廃止」を伝える。聯合軍進駐迄 の注意事項として、明朝から監視飛行あるとして、人々に「監視飛行に怯えるな」と喚起している。

二面に「兵の心は一億の心 他人事ではない」と伝えている。他に、「川崎に自警団」が結成されたとの記事。

読売新聞も同じような論調だが、二面に「帝都復興へ江戸ッ子の信仰」「魁けは浅草の観音様 霊験顯たか昔を偲ぶ仲見世の賑ひ」とある。賑わいは確かであろうが、人々は昔を懐かしむ心境で訪れているだろうか。食糧や生活用品に困窮している。以下の「負けぶとり」のような現象もある。他に、不要品の買い取り広告に「刀剣」があり、時勢に応じた動きは進んでいる。

高見は読売新聞から「負けぶとり」について、「お役所では近頃後始末に忙しい。とりわけ これ等役所に奉職している人々は、倉庫に山と積まれた物資の処分に大童である今まで欠勤勝だった人までこゝの所急に精励恪勤となられた。近所の娘さんはお役所からのお土産を自分一人で持帰ることが出来ないので、お姉さんやお母さんの応援まで受け目下汗だくである

負けて急に物持ちになったこれ等の人々を羨んで、隣の奥さんがおっしゃったあの人達ほんとに負けぶとりだわね』と。こんながけでよいでしょうか。立つ鳥は後を濁さず。火事泥根性はよして下さい。そんなに有り余る品物があったら戦死傷者の遺家族とか戦災者に贈って上げたらどんなに喜ばれるでしょう。これから益々増産に励んで戴かねばならぬ農村の人々に贈ったらお百姓さんはどんなに嬉しいでしょう。みんなこれから苦しまねばなりません。みんな仲良く乏しい物を分け合って一致団結、新日本建設に邁進したいと希うのは私一人ではありますまい。(誠生) を紹介している。

昭和二十年八月二十三日・武器返納、撤退部隊に温い心で

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)513

武器返納、撤退部隊に温い心で

八月二十三日の朝日新聞は「武器返納、一部は復員 撤退部隊に温い心で」と促している。

二面に「外国兵近づくとも 毅然、冷静に扱へ」と。「殖やせ貯蓄、食糧」をと喚起している。また「市民の家侵さず 見直された米国兵」と安心感を伝えている。他に、天気予報・ラジオ番組掲載されるようになる。

読売新聞も同じような論調。二面では鉄道輸送が逼迫し、「〝生必品〟優先」「貨物輸送も民需切替へ」とあるが、軍関連が優先されていることであろう。軍はまだ大きな存在を示しており、その処遇が問われている。

 高見は、聞いた話として「・・・駅で海軍の下士官が酔払 って刀を抜いて暴れていたという。・・・『・・・鎌倉はなんだ。鎌倉の女はなんだ。戦争だというのにチャラチャラしたなりをしやがって、そんなことだからこんなことになったんだ葬式だというのに喧嘩を売りはじめた。・・・私などはムカムカしてよっぽど啖呵を切ってやろうかと思った・・・こんな酔払いがいっぱいいるらしい。新田の話では、それらが予備学生上りの若い将校に喧嘩を売ろうとしていて、若い将校などはすり抜けるようにして去って行ったという水兵上りの年輩の下士官は予備学生上りによほど反感を持ったものらしいこういう機会に爆発するのだ」と、書いている。

昭和二十年八月二十二日けふから演芸再開

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)512

けふから演芸再開

八月二十二日朝日新聞は連合軍の第一次進駐 軽快部隊は東京湾入港」。そして、「治安わが方で維持」する。「不安動揺は無用」であると伝える。

二面に、「けふから演芸再開」と、娯楽放送も始まる。全国一斉に興業を復興(21日通達)。

読売新聞も朝日新聞と同様、「連合国軍の第一次本土進駐決まる」「防空令を解除」「戒む国内混乱 連合軍は帝国を信頼」とある。

二面も同様、「新生日本の芸術文化創造」「まづ純娯楽ものから 明るく志気鼓舞」「映画と演劇 けふから一斉蓋開け」

内田百聞は、「今八時半也・・・電気が消えた」と。

高見は乗車した電車が「東神奈川の辺でとまった。車内は真暗に・・・立ち通しではたまらないので、尻を床につけたいのだが、床は雨でびしょ濡れだ。・・・夜明かしをした。・・・日本人はおとなしくなったものだね一人癇癪をおこして怒鳴る者がない。――驚いた・・・全く驚くべきおとなしさだった。・・・泣き寝入りに十分慣らされているからだろう・・・朝方・・・横浜駅に・・・駅へ出たが、至るところ雨漏り、至るところまるで難民のような人々の群だった。実に敗戦の姿だった。あたかも捕虜のような海軍の兵隊がうろうろしている地下道に辛うじて濡れないところがあったので、そこで見栄もかまわず尻をおろした。かつては紙屑ひとつない位に掃き清められていた地下道が、共同便所のような汚なさ不潔さだそこへ所かまわず、人々がしゃがみ込んでいる。生れてはじめて見る風景だ。日本では歩廊にしゃがみ込む人の姿はあまり見かけなかったものだ。だから南方へ行って南方の人々が道端にしゃがみ込んでいるのを見て、そこに野蛮を感じたものだが、今やそれは日本の姿になった。配給物資だけでは栄養不良にならざるをえない。人々は立っているだけの体力を持たないのだ」と観察した。

昭和二十年八月二十一日・戦後の展望と戦中の処理

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)511

戦後の展望と戦中の処理 

八月二十一日の読売新聞は「『新しき日本』建設への道標」として「科学と芸術の新興」「叡知と耐久力で起て」と。「軽工業へ迅速転換 蠶業大いに奨励」。「大御心を徹底滲透し 軍は肅然と整備処理」を「官民一致の強力を要請」とある。

二面に「燈管 警戒準備官制を解除」。「戦災都市再建へ活かせ戦訓」「防火には不安なく 快適 能率的に 保健衛生も十全の備へ」と元東京市長。

もう新しい動きが出ているのであろう、「勤労美を織込む モンペ筒袖は女子服装の原型 見た目より働き着に」に加えて「質実な服装」などを呼びかけている。

朝日新聞は「施策展開・急速調 まず行政機構を改編」を進めること。「燈管解除さる、信書の検閲停止」などを記している。

二面に、「お座なりを捨てて 生活と結ぶ演劇 新しい芸術の創造へ」の他に、「狭い国土に七千万人、腹を据えて苦難を突破」などの提言も示されている。

読売新聞に「軍では山とある貯蔵の物資を民衆に分けようとはしないで、自分達だけで分けているとのことだ。デマだろうといいたいが、この軍隊の個人主義は、私も従軍でさんざ見せつけられてきているので、いかにもありそうなことだとしか思えない」と、高見は記している。

昭和二十年八月二十日「国民生活明朗化に大御心」

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)510

国民生活明朗化に大御心」

八月二十日の読売新聞は「畏し国民生活に大御心」として「中止娯楽を復興」。「全軍に停戦を命ず」また「今ぞ皇軍の精髄発揮」との記事。国民を思っての指示とも言えそうである。

二面には掲載する記事がなかったのであろうか、「デマに躍るは愚」の他、「都の興行界」「条件付きで開場」「当分は寄席だけが蓋開け」と、一面の掛け声「復興」は霞んでいる。

朝日新聞国民生活明朗化に大御心 燈火管制を直ちに中止」を示す。そして、「街を明るくせよ、娯楽機関の復興を急ぎ、また親書などの検閲を即座に停止せよ・・・」を示す。

二面に、「臨時列車の増発。小為替は三百円まで、郵便局の事務を簡素に」なども示されている。

最近の日本には浅薄が横行していた

違った現われの浅薄がやがてまた横行し出すだろう。

前者は、西洋になくて日本にあるものを盲目的に讃美礼讃した。後者は西洋にあって日本にないものを盲目的に讃美礼讃するだろう。

科学振興を新聞は云々している。これがすなわち浅薄というものだ。

日本はなにも科学によって敗れたのではない」と、高見は言及している。

昭和二十年八月十九日「連合軍の日本進駐 分割統治せず」

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)509

連合軍の日本進駐 分割統治せず

八月十九日朝日新聞は「連合軍の日本進駐 分割統治せず」と安心させるような記事。加えて、「秩序維持に全力 本土進駐勝手な判断厳禁」などを示している。また、「惨禍の広島市の写真」を掲載。

二面に、「紙幣抑えて何になる 銀行預金は大丈夫」「女子挺身隊員は 必ず集団帰郷」「疎開先で食糧増産 都市は依然窮屈を免れぬ」など、今後のことについて示し始める。

読売新聞は、「東久邇首相 初訓示」「官界の舊弊を精算 新日本を建設せよ」と。新日本とは何か、「国民生活の安定 計画的に資金放出」、「小農主義 官僚統制排す」などを示すが、漠然としている。

二面は「日本再建へ待つ力強き大号令」「〝街の録音〟にきく一億憂国の熱情」とある。「諸君こそ国家再建の闘士」や「悲憤越えて迸る 再発足へ若き息吹」、「甘い夢は許されぬ 乗切れ苦難の道」などが続く。記事は、都合のよい「街の録音」を示し、戦時中の命令調より柔らかいが誘導的である。高見が言うように、訓戒的」「政府の御用」新聞に尽きる。

「新聞は、今まで新聞の態度に対して、にいささかも謝罪するところがない。詫びる一片の記事も掲げない。手の裏を返すような記事をのせながら、態度は依然として訓戒的である。等しく布告的である。政府の御用をつとめている。

敗戦について新聞は責任なしとしているのだろうか。度し難き厚顔無恥。

なお『敗戦』の文字が今日はじめて新聞に現れた今日までは戦争終結であった」と、高見は指摘している。