江戸時代の椿 その20

江戸時代の椿  その20
・『古今要覧稿』その3
  以下に示すのは、『古今要覧稿』巻第三百七である。
「古今要覧稿巻第三百七 ●草木部  椿下
○和歌・・・(字数の関係もあり省略)
扶桑拾寄葉集巻二十八
百椿図序 藤原光広
このごろ花の中につばきをもてはやす、おもひをたててもろともにきそひもてあそびものとなれり、爰にことこのむ人、春夏秋冬とだえあらせしがため、つくり絵に鴫のはねがきももまでかきあつめしきたへのまくらごととなせり、まことによしあるしはざ、人よりはまさりたりけり、凡日本に花といふはさくらになん、それすら中ごろの事にて、昔は梅をぞ申たんなる、そのときよにもはらめづるをおしたて、この花といはばいまつばきの事にぞあるべき、菊はそのかみはさのみうたにもよまざりければ、万葉集にもれぬとかさるにより、古今にそのかずいりたるとかや、さてこのつばきしなさまざまいできたるゆゑに、あまた名ありしがあれど、四の体をいですあるはその主により、又そのみづからの色かたちにより、又ことはりはたがひたれどもとより、いひつけたるにことつけていひ、其外事のたよりにつけてもいへり、これは花のあるじを名によびたる、おほかたおほくぬしによりて、物を尺するにあたれり、この椿のををしさは、君は八千代をかけていはひ、霞のほらのかげをふかみ、いもせの中のひさしきためしにも引らんかし、王かづらのはつせにまうでし、時つはいちるやどりけん事なども、ふとおもひ出られぬかかる、そぞろごとまでよしなきふでのまよひなるべし(以上、江戸時代の椿  その2参照)
 
羅山林先生文集巻第四十九
百椿図(寛永十二年作)
夫椿之有名也釈于荘子載於本草和名謂之都婆岐或号海石榴本朝先輩賦白椿云霊根保壽託南華花発金仙玉府家素質宛粧氷雪面不随紅色作山茶山茶花有数種或花簇如珠或青蒂或粉紅或淡白所謂宝珠茶花海石榴茶躑躅茶花一捻紅千葉紅千葉白之類不可勝数也椿花亦然倭歌家有玉椿有白玉椿有紅椿有青椿有濱椿有山椿兵部少輔大伴家持八峯之椿発其花於詞林其後諷人韻士歴代吟賞焉故賀紫宸則鏡山之玉椿明照四海之天祝録椿洞則姑射之霊椿永待千世之春巨勢春野之霞色見之不飽音羽山岩之雲根生而有常以之敬神則勢州有椿宮社以之勤学則宋帝此木有椿誠是木部之犬年花中之巨麗者也頃歳椿花衆品佳色不一乃太平之時万物蕃多矣况況又大椿両八千之春秋以祝遠大乎松平伊賀太守源忠晴尤愛此花難然夙夜公務不遑築塢灌花於是取諸方所有品色及有其名者一百種図其形様以爲恰目之慰丹青煥発四時不凋與一歳一枯栄者不可同日而語也甞聞山陰韋氏之百梅携李張氏之百菊播名于中華未聞百椿之美至于如此也可謂太平之勝事好文之嘉徴也太守之用意誰不歆羨乎或人曰絵花者不能絵其香曰然有説于此録苔青草惟是徳馨而今況於椿花乎鳴呼色也香也念玆有玆可不勤哉遂書以応其請焉(以上、江戸時代の椿  その2参照)
 
○釈名
つばき
吉事記万葉集和名類聚鈔類聚名義抄○按につばきはつやば木の中略なりなほ款冬に似てその葉につやあるものをつばともつばふきともいふがごとし又木藍をつばきあゐ油桃をつばいももといふもまた是より出たる名なる事しるし然るを大和本草に椿はその葉厚し故にあつばのきといふ意なりといひしはいかがあらん
 
海石榴
日本書紀万葉集酉陽雑爼紹興志○岡村尚謙曰時珍安石榴を注して榴者瘤也丹実垂々如贅瘤也といひ丹渓は榴者留也其汁酸性滞変成痰などいひたれ此種もと漢の張騫が安石国より持来りしものなればその国の人これを榴と名付し意いかなる故なるにや今詳ならす扨石榴は即安石榴の省呼なれば漢より以上には此種西土に絶てなきものなれば籕文にも篆文にも榴字はなき也然れば海石榴の名はその安石榴よりもはるかに後の事なればそのいにしへはつばきをただ椿とのみいひしなるべし又石字をよむ聲柘の如く又摭の如くなるはこれ其字の原聲也故に海石榴を日本紀の允恭紀及び出雲風土記に海石榴に作れるは即古聲にしたがひし也これは説文に柘从木石聲又柘从手石聲重文摭あり柘或从と見えたるにて石摭同聲なる事明らけし
 
海榴
出雲風土記秘伝花鏡○岡村尚謙曰風土記に海榴字或作椿と見えたれば海榴は即海石榴の省呼なるはしるし然れば和訓栞に格物叢談を引て榴花有従海外新羅国来着故名曰海榴といへるはこれと同名異物にして即安石榴をさしていひ又本草綱目安石榴條に海石榴高一二尺即結実異種也といひし海石榴もまた安石榴の海外より伝はりしものなれども秘伝花鏡に海榴花跗萼皆大紅心内鬚黄如粟密といへるはすなはち本條の海榴なり
 
椿
万葉集出雲風土記延喜式和名類聚鈔○岡村尚謙曰椿は俗字也正文まさに書にいふ扽翰括拍の扽に作るべしそれをつばきに用ひしはすなはち仮借也
山茶
本草綱目引格古論秘伝花鏡群芳譜○按に山茶は即今のさざむ花のことなるに明人より種を混同して海石榴の事を称せしは其義上文及び山茶條に見えたり
 
鶴丹
輟耕録○按に鶴丹は蓋し深紅色のものをさしていひしなるべし
 
蔓陀羅
秘伝花鏡群芳譜
○正誤
東雅云今つばきといひさざむくわといふものは皆是其花をもて賞する事也古人の椿を詠ぜし歌どもに或
は椿を玉椿、青椿、山椿、濱椿といひしが如きはただ其葉の色をもて詠ぜしと見えて花の事に及べりともみえずさらば古時に椿の字借用ひてつばきといひしもののごときは即今つばきといひて花をもて賞するものとはみえず万葉集の歌につらつら椿つらつらにとよめるを袖中抄には女貞とかきてたつのきとよみ又つらつばきとよみたりこれおしかへしてつらつらつばきとよめりといひけり女貞は和名鈔に揚氏漢語抄を引てひめつばきといひしもの也我国の俗凡その類にして少なるものをひめといふさらば椿読でつばきといひしものは女貞の類にても有べし仙悟抄には椿はつるつるとしたる物なれば人の目かれず見るによそへてつらつらによめる也とみえたり此等の説によるに海石榴も椿も光り澤へる葉なるによりてつばきの名ありとみえたり
(按に此説は椿と海石榴とを分ちて二種とせしなれども凡皇国にてつばきといひしは即今のつばきにして女貞の類にはあらずすなはち椿とかきしも又海石榴とかきしもただその字を互にして通用せしものなるが故に出雲風土記に海榴字或作椿とみえたりこれはその書にまた榴字或作椙晨風字或作集などいひしに同意なるにて椿と海石榴とはその物の一つなること明らけし然るをここに古人の椿を詠ぜし歌に玉椿青椿山椿浜椿といひしがごときただ其葉の色をもて詠せしにて花の事に及べりともみえずといひしその玉椿は或は白玉椿ともよみて専らその花をほめていひしにて葉の色の玉のごとしといふ意にはあらず其青椿は八峯に茂る青椿と新撰六帖に見えたるは万葉集のつらつら椿の歌にすがりてよみしものなればこれは葉の色をさしていひしなれ共山椿又かた山つばきなどよみしは「わが手ふれなな土に落しかも」と万葉集にみえたるはまさしく花といはざれ共海石榴の落花を惜しみ也又三月四日大原眞人の宅にて家持卿のよまれし歌に「足引のやつをの椿つらつらにみともあかめやうゑてける君」と見えしその歌の左注に植椿作としるしたりこれも花とはいはざれども前の歌と同じく花をほめし歌にして三月の初に女貞の類をうゑしをしかほめしにはあらず其詞は又奥山の八峯の海石榴つばらかにといひしに同じ事なれば椿とかきしも海石榴とかきしもその意は一つなるをここにはひたすらに袖中抄の説に従ひて椿と海石榴とを二種に分ちしはうけ難しまた濱椿は八雲御抄及び藻鹽草にも非此種在濱物也とことわりたれば是は別に一種の物なるにても其他の椿の常のつばきなるはしるし扱つらつら椿を顯昭は考本草等に女貞とかきてつらつばきとよめりといひたれ共本草和名には女貞和名みやつこき一名たつのきとよみ新撰字鏡及び和名鈔には比女都婆岐一名之屋こきと見え或は類聚名義抄などに至りてもさらにつらつばきの名なければつらつら椿の女貞なりといふ説はうたがはし抑つらつら椿は葉の色のつややかなるによりそ名付たるにて即常のつばきなること既にに上文に見えたれどもその詞を重ねてつらつら椿といふ時は常のつばきよりは一きはつやめきたるもののごとくなれども必ず別樹にはあらざるなりそのつらつらつばきを万葉集に列々椿とかきしは相見つるかもに鶴鴨の字をうめしに同じ例なるを袖中抄につらなれる椿を云りといへるは即本草綱目に此樹の形状をときて枝斡交加といひしは暗合なれ共その意古人とは異なり)
又云海石溜は和名抄に唐韻を引て椿和名豆波木楊氏漢語抄云海石榴和名上同本朝式等用之と注せり海石榴読で豆波木といふ事は式に用ひしのみにあらず日本紀並に風土記に是を用ひの唐人の詩のごときも此樹を詠ぜしと見えたり椿は別に一物也和名鈔の例もとこれその物異なるをも名同じざをば併せ注せり古の時椿を詠ぜし歌どももすくなからねど即今いづれの物ならんもしらす海石榴のごときは今も椿といひてその花山茶に似たるもの是也
(按に和名鈔の例に其物異なりといへ共名同じきをば併せ注せしといへるは即本草云欵冬注に和名夜末不々木一衣夜末布木万葉集云山吹花又本草云黄芩注に和名此々良木楊氏漢語抄云杠谷樹和名上同一云巴戟天又唐韻云蝿注に弁色立成云万天本草云馬刀一名馬蛉和名上同といへる類是也然れば椿條に漢語抄を引て海石榴を併せ出せしもそれと同じ例なりといへるは其説従ふべきに似たりといへ共その椿と海石榴を併せ出せしは・・・)