十七世紀の花材と茶花

茶花    40 茶花の種類その37
十七世紀の花材と茶花
  『華道古書集成』の十七世紀に出された花伝書の花材と『小堀遠州茶会記集成』『古田織部茶書』『伊達綱村茶会記』などの十七世紀に催された茶会の茶花を比べる。花伝書として取り上げるのは、『替花傳秘書』『立花初心抄』『立花大全』『立花正道集』『抛入花傳書』『立花指南』『立花秘傳抄』『立花便覧』『古今茶道全書二』『當流茶之湯流傳集』『立花訓蒙図彙』の11書である。これらの花伝書に記された花材は、渡来年や初見年、植物名などから見て、信頼できそうだと判断した。
 なお、植物名の記載については、十六世紀までの解析と同様に原則として種名を示す。また、種名(アカマツ)と総称名(マツ)が記されている花材がある。その場合は、両方を表示するように同じ植物について、種名と総称名を記すことによって煩雑になっていることを断っておく。
  また、花材の植物名については、『華道古書集成』全5巻を検討した結果をもとに、再度植物名を確認した。以前には不明であった花材の植物名が確定でき、また逆に錯誤のあった植物もあり、種類数の増減がある。詳細は一覧表を参照されたい。
イメージ 1 十七世紀までに登場した花材の種類は355種、十七世紀の花伝書(11書)に登場する種類は343種である。十六世紀までに133種登場しており、十七世紀に新に登場したのは倍近い222種、花材の種類は急激に増えている。これら11書に全てに出てくる花材は、アヤメ、ウメ、オミナエシカキツバタ、キキョウ、キク、ツバキ、モモ、ヤナギ、ユリの10種である。これらは、これらは、茶花としてもなじみ深い花で、茶花との共通性を強く感じる。次いで、10書に出てくる花材は、ケイトウコウホネ、サクラ、シャガ、センノウ、リンドウの6種である。これらも、特に珍しい植物はないが、十七世紀の茶会記に登場しない種がある。それはリンドウである。さらに、9書に出てくる花材は、アザミ、カンゾウ、ガンピ、キンセンカクチナシスイセンツツジ、ハス、フジ、フジバカマ、ボタンの11種である。これらについても、珍しい植物はないものの、十七世紀の茶会記に登場しない種にアザミがある。
  以上から、これらの花伝書に記された花材は、当時であれば誰もが知っている植物が多かったと思われる。また、十七世紀に催された茶会でも、多く使用されたと思われるので比較する。茶花の記された茶会記は約1000ある。それらの茶会に登場する茶花は約1300もあり、花材と同じ種類の植物が飾られたと推測した。しかし、十七世紀の茶会記に記された茶花の種類は、89種とあまり多くない。十六世紀までに63種あったものの、十七世紀に新に登場したのは52種しかなく、意外に増えていない。また、十六世紀までに記された茶花のうち、26種は十七世紀では使用されていない。
  十七世紀までに登場した茶花は115種、それに対し、花材は355種(十七世紀の花伝書には記されたのは343種)と3倍以上である。そのため、茶花に使用された植物は、その大半が花材の種類に含まれている。十七世紀の花伝書に記載のない植物で、茶花に使用された植物は6種(スゲ・ハシバミ・ハマボウ・ヒイラギ・マメ・ミツマタミヤギノハギ)である。この6種が茶会で使用された例は11会と少なく、十七世紀の茶会記に記された茶花数の1%以下である。なお、この6種は花伝書に記されていないものの、実際は活けられていた可能性はある。花材にない植物の中で最も使用頻度の多かった茶花はハマボウ(5回)であるが、当然のことながら十八世紀の花伝書には記載されている。
  個々の花伝書と十七世紀の茶花を比べると、『替花傳秘書』に記された花材は当時の茶花の43%を含んでいる。『立花初心抄』の花材は当時の茶花を37%含み、『立花大全』の花材は当時の茶花を60%含み、『立華正道集』の花材は57%、『抛入花傳書』は71%、『立華指南』は62%、『立花秘傳抄』は62%、『立花便覧』は64%、『古今茶道全書二』は49%、『古今茶道全書二』は49%、『當流茶之湯流傳集』は26%、『立花訓蒙図彙』は52%を含んでいる。個々の花伝書に茶花が含まれる割合は、『抛入花傳書』の71%が最も多い。十七世紀の花伝書全体から見ると、当時の茶花のほぼ全てを網羅していると言っても良いだろう。
  11の花伝書は、十七世紀の後半になって刊行されたものであり、その成立時期は重なっていると考えられる。時代は寛文から元禄へと華道が盛んになり、それまでの「立花」に加えて「抛入」という形態が加わった。それに伴って花材の種類も増えたということで、華道が新たな試みを展開していた証拠とも言えそうだ。それに対し、茶花の種類が花材ほど増えなかったのは、ツバキ・ウメ・キク・スイセンの使用割合が半数以上を占めるという、茶道の中で茶花のあり方が大きく変化しなかったということを示すものだろう。