世界一美しい江戸の自然

自然保護のガーデニング14

世界一美しい江戸の自然
 幕末に訪れたスイス領事のルドルフ・リンダウは、江戸の町が数多くの公園や庭園で埋め尽くされているため、遠くから見ると無限に広がる一つの公園のような感じを受けるという見方を示した。いわく「江戸は庭園の町である」。つまり、江戸は当時、世界一の人口を抱えながら、ガーデニングを楽しむ国民性のおかげで、緑に囲まれた美しい都市を形成していたというわけだ。さらに、「広い、砂を敷いた気持ちの良い散歩道が、城を取り巻いており、文字通り水鳥が一面に浮かんでいる堀に沿っている」(『スイス領事の見た幕末の日本』森本英夫訳)と、野鳥の宝庫が江戸のど真ん中にあり、当時の都市整備が野生生物にも一定の配慮を行なっていたこともわかる。
  日本人のガーデニング好きを褒めたフォーチュンだが、江戸は、道路、建築様式、商店の構え、商品の価値などについては、いずれも西欧諸国の都市とは比較にならないほど劣っていると見なした。しかし、江戸の自然環境について、江戸は不思議な所で、常に外来人の目を引きつける特有のものを持っていた、という。そして、江戸は東洋における大都市で、城は深い堀、緑の堤防、諸侯の邸宅、広い街路などに囲まれている。美しい湾はいつもある程度の興味をもって眺めることができる。城に近い丘から展望した風景は、西欧や諸外国のどの都市と比較しても、優るとも劣ることはない。さらに、谷間や樹木の茂る丘、木々で縁取られた静かな常緑樹の生垣などの美しさは、世界のどこの都市も及ばないであろうと、フォーチュンは日本の、都市と自然が一体となった美しさを著書、『江戸と北京』(三宅馨訳)で讃えている。
 大博物学者であるシーボルトは、植物にだけ注目するのではなく江戸には「城の土手の樹木にはよく白サギが、壕にはウがいるが、魚の多い城の壕で餌をあさっているのである。またここでは数百のノガモやバンをみかける」(『江戸参府紀行』斎藤信訳)と、やはり鳥が多く生息していたことを認めている。また、「日本における大部分の都市や郊外の環境はたくさんの庭園や神社仏閣の森によって一般に広々とした公園の性格をもっている」と、都市の緑は自然のまま放置されていたのではなく、人手が加えられ、十分に管理されていたことがわかる。
 イメージ 1さらに、江戸郊外においても、自然はよく管理されていたらしい。フォーチュンは当時の自然を注意深く観察している。園芸植物を探しに出かけた、団子坂・王子・染井などでは、広大な植木屋があって、交互に樹々や庭、恰好よく刈り込んだ生垣が続き、公園のような景色の場所であったという。染井村は、村全体がたくさんの苗樹園で網羅されていて、それらを連絡する一直線の道が、一マイル(1.6km)以上も続いている。フォーチュンは、世界中を見渡しても、こんなに大規模に販売用の植物を栽培しているのは見たことがないと驚いている。植木屋はそれぞれ、三、四エーカー(1.2~1.6ha)の土地を有し、鉢植えや露地植えのいずれも、数千の植物がよく管理されている。
 ところで、フォーチュンの日本での最初の買い物は、横浜方面へと足をのばした時のことである。低地に散在する農家に立ち寄ると、どの家にもささやかな庭があった。ある家の庭で、見事な菊の品種を見つけたので、自分のコレクションのためにぜひそれを数種手に入れたいと思った。幸いにも以心伝心で、相手方は適当な代価を払えば、好きなだけ取ってもよいという。やがて、花を背負った農夫の子供が、神奈川に帰るフォーチュンの後ろを、とぼとぼついて歩く姿が見られた。このようにガーデニングは江戸の町中だけでなく、近郊の農家でも楽しまれていたことがわかる。
 また、品川の郊外に出かけた時の光景については、丘や谷間が続いており、起伏がある谷間の平地では、周囲の丘から流れ落ちる川水で灌漑が行なわれていた、とある。米はこの低地のおもな産物で、すでに黄熟して、農夫の刈入れを待つばかりであった。低地のまわりの丘は灌木や喬木がいっぱい茂り、巨大なスギや気品のあるマツ、常緑のカシはイギリスでは珍しい品種である。竹やぶやシュロの木は、周辺の風景に熱帯的なおもむきを添えている。秋の群葉の鮮やかな色彩は大へんすばらしく、目をみはるような美しさである。ハゼや色々な種類のカエデが、黄、赤、深紅色と、さまざまの色合いやよそおいを凝らし、ツツジの葉は濃い燃えるような紅に変わりつつあって、カシやマツのような常緑の葉と好対照になっている。
 馬に乗って郊外の小じんまりとした住居や農家や小屋の傍を通り過ぎると、家の前に日本人好みの草花を少しばかり植え込んだ小庭をつくっているのが目に入る。大きな並木道、とくにスギの並木にしばしば出くわしたが、それらの木が道ばたに大変心地よい日陰をつくっている。ときどき様々な種類の常緑のカシや、時にはスギやほかの常緑樹でつくられた見事な生垣にひき寄せられた。生垣は丁寧に刈り込まれて、手入れがゆきとどき、時にはかなりの高さに整枝されて、イギリスの貴族の庭園や公園でよく見かける、ヒイラギやイチイの高い生垣を思い出させる。どこにでもある小屋や農家は、小ざっぱりした様子であったが、そのような風景は、東洋の他の国ではどこにも見当たらなかった。旅人の休む茶店の傍を何度も通ったが、その裏にささやかな庭や養魚池があったのを、馬でゆっくり進む通りすがりに、チラッと眼に入れた。景色はしじゅう変化するが、いつも美しい丘、谷間、広い道、日陰のある小道などを見ることができる。
 その時ふと、フォーチュンは、こうした風景をイギリスの田舎のどこかで見たような気がした。彼は、イギリスには日本の風景に比較できるものは、何もないことをすでに認めているにもかかわらず、その美しい小道が、思わず母国の景色に似ていると思ったほど気に入った。そして、フォーチュンは他のどこの国を回遊しても、日本でそのとき通り過ぎたような印象的な小道に出くわしたことはないという。彼は、ここが約百平方マイルの地域を占め、二百万人の人口をもつ、東洋では最も人口の多い最大都市の一つである、江戸にいるような気がしなかった。馬に乗って魅力的な景色の中を進んで行く時、あたりの静寂を破ったのは、わずかに馬の足音と、さやさや鳴る木の葉のそよぎだけであったという。これが、フォーチュンの見た江戸近郊の自然である。