『花道古書集成』全五巻の花材の呼称名2

『花道古書集成』全五巻の花材の呼称名2
同じ名(漢字)で異なる植物を示す例
  同じ呼び名で異なる種の植物を指す花材名、同じ漢字で異なる種の植物を指す場合がある。総称名とした花材名は、いくつかの植物名を含んでいるが、それらは同じような植物(同じ属、同じ種)であることが多い。それに対し、全く異なる植物を同じ名(漢字)で示す例がある。
  まず、総称名とした花材は、当然のことながらいくつかの種の植物を含んでいる。「葵」は、タチアオイミズアオイ・コアオイ(ゼニアオイ)など、様々なアオイ類を指している。同様な例を示すと次のような呼称がある。「苺(いちご)など」、「いばら」、「瓜」、「海棠」、「紅葉」、「萱草」、「菊」、「ぎぼうし(玉簪など)」、「苔」、「櫻(さくら)など」、「石榴」、「歯朶、しだ」、「升麻」、「竹」、「蓼」、「蔦」、「躑躅」、「椿」、「撫子」、「萩」、「藤」、「ほととぎす」、「まき」、「松」、「蜜柑」、「水木」、「もくせい」、「桃」、「柳」、「ゆり」、「蘭」などの呼称も、類似する同じような植物を指しているものと思われる。

異なる植物を同じ名前(漢字)で示す例
  それに対し、明らかに異なる植物を同じ名前(漢字)で示している例がある。そのような例を『仙傅抄』から順に示す。
 『仙傅抄』にまず出てくるのは、「菖蒲」である。「菖蒲」は、現代ではサトイモ科のショウブを指している。しかし、花材ではアヤメ科のアヤメ、イチハツ、カキツバタハナショウブなどを指している。似たような花であるから、どれでも良いと思っている節がある。植物学的に正確な名称を追求しても、あまり意味がないかもしれない。また「はなしゃうふ」も同様に、以後の花伝書でもハナショウブだけを指していない。
  「くわんさう」や「菊」「椿」などの総称名も、異なる種を指している。そのため総称名であげた花材名は、『仙傅抄』以後の花伝書にあっても省く。
  「金銭花」は『池坊専應口傳』『立花正道集』『立花大全』『立花便覧』『替花傳秘書』『小笠原花傳書』『極儀秘本大巻』『立花草木集』『唯可順生花物語』『挿花てことの清水』『華傅書』『花書』『花傳大成集』『真揃之口傳』『深秘口傳書』『萩濃霜』『池坊家傳百ヶ條聞書』などでキンセンカを指している。しかし、『立花指南』ではバラ科のコウシンバラの別名として、『千筋の麓』ではアオイ科のゴジカを指している。なお、キンセンカは、現代のキンセンカと通常呼ばれている植物はトウキンセンカで別の植物である。
 なお、『挿花千筋の麓』によれば、花材名の解説で、「金せん花同名両種心得ちがいの事」という項目に、「金銭花  本名川蜀葵午時に花發き子に落故に午子花と云・・・」、「金盞花  一名長春菊・・・」とある。この解説が正しければ、金銭花はゴジカ、金盞花がキンセンカということになる。これまで、「金銭花・金盞花」をキンセンカとして区別していなかったが、分ける必要がありそうだ。ただ、気になるのは、当時、誰もが正確に使い分けていたという点だ。花への関心と記載者の知識について、再度検討しなければならないが難しいだろう。以下に示す名称についても同様、その正誤は判断できないだろう。
 「蝴蝶花」は『立花秘傳抄』『源氏活花記』『活花百競』『千筋の麓』では、アヤメ科のシャガを指している。しかし、『挿花四季枝折』では図の中にアヤメ科のヒオウギを描き記している。
  「衛矛」は『抛入花傳書』ではニシキギ科のニシキギを指している。しかし、『立花秘傳抄』ではニシキギ科のマユミとしている。
 「八千代草」は『立花秘傳抄』では、ヤナギ科のヤナギの別名(異名)として記されている。しかし、同じ『立花秘傳抄』にバラ科のモモの別名としても記されている。
 「おもひ草」は『立花秘傳抄』では、オミナエシ科のオミナエシの別名(和名)として記されている。しかし、同じ『立花秘傳抄』にリンドウ科のリンドウの別名としても記されている。
 「ふかみ草」は『立花指南』『立花秘傳抄』では、ボタン科のボタンの別名と記されている。しかし、『立花秘傳抄』のボタン科シャクヤクの別名(順和名)としても記されている。
 「連珠」は『活花百競』『生花草木出生傅』『小篠二葉伝』『生花出生傳圖式』『甲陽生花百瓶図』『古流挿花湖月抄』では、マメ科レダマを指している。しかし、『立花秘傳抄』では、ユリ科のヒメユリの別名(異名)として記されている。
 「黄精」は『立花秘傳抄』『古流挿花湖月抄』では、ユリ科ナルコユリを指している。しかし、『生花枝折抄』では、ササユリと振り仮名が振られている。語記でなければ、「黄精」はユリ科のササユリも指していると判断した。
 「地楡」は、『生花枝折抄』では、「われもかう」と「のこぎりくさ」の仮名が振られている。バラ科のワレモコウとキク科のノコギリソウを指しているものと判断した。
 「山茶花」は、大半の花道書でツバキ科のサザンカを指している。しかし、『生花百競』『挿花四季枝折』『古流挿花湖月抄』『生花草木出生傅』では、ツバキの別名として記している。
 「杜若」は、大半の花道書でアヤメ科のカキツバタを指している。しかし、『生花枝折抄』には「杜若」と記して、「やぶしやうが」と仮名が振られている。「ヤブショウガ」という植物を探したが、そのような名の植物は存在せず、それに近い植物として、ツユクサ科のヤブミョウガがあり、それであろうと思われるが確定できない。

現代名を確定できない花材
 以上のように、同じ花材名であっても花道書によって異なる植物を指している場合がある。さらに問題なのは、同じ花材名であって異なる植物を指している上に、全く別の花道書にない植物がある例がある。それは、「夜合花」である。『百瓶華序』では、「夜合花」はネムノキであろうことが推測できる。『挿花四季枝折』では、「夜合花」は仮名と図から見てユリと思われる。では、「夜合花」がどのような植物かを、インターネットで「夜合花」を調べると、中国南部原産のモクレン科の常緑小喬木(Chinese magnolia flower)が検索される。この植物の別称は、「夜香木蘭、木蓮、香港玉蘭、夜合、夜合根、川厚朴」とある。花材名の「夜合花」は、モクレン科植物でないことは明らかであるが、ネムノキかユリの一種であるかは確定できない。
 ネムノキは、漢字で「合歓」「合歓木」と記すが、漢名は「夜合樹」である。また、『花譜』には、ネムを「夜合と云」とある。そのため、「夜合花」は「夜合」の花を指していると考えることもできる。しかし、花伝書では、『生花枝折抄』が「合歓ねふり」「夜合べにすがし」、『古流挿花湖月抄』が「合歓ねむのき」「夜合べにすかし」、『桐覆花談』は「合歓木」、『砂鉢生花傳』も「合歓木」と記されている。花伝書では、「合歓」がネムノキ、「夜合」はネムノキではないと思われるものの、どのような植物かその現代名は同定できない。
 次に『池坊専應口傳』に記された花材では、「躑躅」がある。「岩躑躅」は、サツキやイワツツジなどいくつかの植物を指しているものと思われる。「岩躑躅」は、『日本庭園の植栽史』(飛田範夫  京都大学学術出版会)によると「サツキ」とある。だが、「岩躑躅」が現代のサツキである根拠は確認できない。イワツツジという名の植物は、ツツジ科にあるが、サツキではない。サツキについての記述を『樹木図説』(有明書房)を調べると、『和漢三才図会』『本草綱目』『和漢三才図会』『大和本草』などに記されているとある。しかし、それが「岩躑躅」であるとの指摘はどの書にも見られない。『草木名初見リスト』によれば、サツキの初見は1645年『毛吹草』とある。もちろん、サツキはそれ以前にも生育しているが、サツキが「岩躑躅」と呼ばれていたとは考えにくい。
  花伝書にサツキが登場するのは、最初が『立花正道集』(1684年刊行)と『抛入花傳書』(1684年刊行)、『立花指南』(1688年刊行)と続く。注目するのは、『立花正道集』には「さつき」と「岩つゝじ」の名が記載がある。他にも、『深秘口傳書』にも「さつき」と「岩つゝし」が記されている。そのため、「さつき」と「岩つつじ」「岩つつし」は同じ植物ではないと考えられる。それぞれ異なるツツジであると判断すべきであろう。
  なお、『立華指南』には「いはつゝじは山岡の岩そひに春咲くつゝじの花の事ぞ又いはでの森のいはつゝじと云は此紅葉の事とかやともあれ爰に云は紅葉なりつゝじはつもしの下に見えたり」と記されている。サツキの開花は、その名のとおり旧暦の五月だから春ではない。そのため、春咲く「いはつゝじ」が「岩躑躅」であれば、「岩躑躅」はサツキではない。ただ、「岩つつし」がツツジ科のイワツツジであるということについても、確証はない。したがって、「岩躑躅」「岩つつし」などがどのような植物か、その現代名は同定できない。