信鴻のガーデニング安永五年2
○七月
七月は、ガーデニング作業と思われる記述が22日あり、植物名を記載した日は6日である。それらの中から、記された植物名は7、7種である。新たな植物の種類は3種である。以下、日付順に示す。
なお、信鴻が六義園に移って初めて記す種はない。
「唐橘」は、カラタチバナ(ヤブコウジ科)とする。
「千日紅」は、センニチコウ(キク科)とする。
「栗」は、クリ(ブナ科)とする。
○八月
八月は、収穫物が増え、収穫した日は11日ある。植物名を記載した日は14日であるものの、ガーデニング作業と思われる記述は12日ある。それらの中から、記された植物名は28、16種あり、新たな植物の種類は10種である。以下、日付順に示す。また、信鴻が六義園に移って初めて記す種は、トウモロコシとユウガオ、ダイズであるが、コノデガシワを加えると3種である。なお、「八汐楓」の名があるが、カエデの園芸種と思われるが詳細は不明。
「唐黍」は、トウモロコシ(イネ科)とする。
「夕顔」は、ユウガオ(ウリ科)とする。
「むかこ」は、ヤマノイモ(ヤマノイモ科)とする。
「柿」は、カキ(カキノキ科)とする。
「桂花」「木犀」は、総称名モクセイ(モクセイ)とする。
「伽羅木」は、キャラボク(イチイ科)とする。
「子手□」は、表示できない文字があり、コノデガシワ(ヒノキ科)と推測するが、確証はない。
「枝豆」は、ダイズ(マメ科)とする。
「椎」は、総称名シイ(ブナ科)とする。スダジイと思われるが確証はない。
「初茸」は、ハツタケ(ベニタケ科)とする。
○九月
九月の植物名を記載した日は11日であるものの、ガーデニング作業と思われる記述は8日しかない。
収穫物の大半はハツタケで、収穫した日は9日ある。それらの中から、記された植物名は14、5種あり、新たな植物の種類はない。また、信鴻が六義園に移って初めて記す種はない。なお、「八朔紅梅」の名があるが、ウメの園芸種と思われるが詳細は不明。また、「あさみ菊」については、アサミコギク(キク科)があるものの確証はない。
「薄」は、ススキ(イネ科)とする。
○十月
十月の植物名を記載した日は8日であるものの、ガーデニング作業と思われる記述は13日ある。収穫物の大半はハツタケで、収穫した日は7日ある。それらの中から、記された植物名は14、8種ある。新たな植物の種類はスイセン1種である。また、信鴻が六義園に移って初めて記す種はない。
「水仙」はスイセン(ヒガンバナ科)とする。
○十一月
十一月の植物名を記載した日は6日であるものの、ガーデニング作業と思われる記述は15日ある。それらの中から、記された植物名は12、8種あり、新たな植物の種類は4種である。以下、日付順に示す。また、信鴻が六義園に移って初めて記す種は、キブシ、ビワ、アンズの3種である。
「木ふし」は、キブシ(キブシ科)とする。
「石菖」は、セキショウ(ショウブ科)とする。
「枇杷」は、ビワ(バラ科)とする。
「杏樹」は、アンズ(バラ科)とする。
○十二月
十二月の植物名を記載した日は4日であるものの、ガーデニング作業と思われる記述は14日ある。い。それらの中から、記された植物名は5、4種あり、新たな植物の種類は以下の2種である。また、信鴻が六義園に移って初めて記す種は、ボケ1種である。
「すもも」は、スモモ(バラ科)とする。
「木瓜」は、ボケ(バラ科)とする。
○信鴻のガーデニングを安永五年とそれ以前との違いを見る。
安永五年は、ガーデニング作業と思われる記述は182日程ある。植物名を記した日は134日程ある。収穫した日は83日程ある。植物を遣り取りした日は18日、植木屋へは10日程訪れている。それらの中から、記された植物名は245程あり、植物種は79種ある。新たに登場した植物の種類は20種てある。
★信鴻がガーデニング作業をした割合は、ほぼ二日に一回(51%)である。これは、安永三年と同じである。植物名を記した日数は、以前の3年間で最も少ない。収穫した日数は、安永四年の78より多く、これまでの中で最も多い。植物を遣り取りした回数は年々減少している。植物名を記した日数、記された植物名数共、以前の3年間で最も少なく、新たに登場した植物の種類数も少ない。
安永五年の信鴻は、ガーデニング作業と採取・収穫の回数は、265回となる。これは、同じ日に両方行っているからであるが、それにしても多いと感じられる。
一月の活動は、園内の植物を掘ることが多く、それらを処分、一部は移植していると思われる。
二月は、土筆・萱草・蒲公・蕗等の春草摘みで、18日行っている。
三月は、春草摘みと草の刈り払いなどが30回あり、毎日のように作業を行っている。
四月は、刈り払いと植栽などを19回と熱が入っている。
五月は、刈り払いなどを21日行っている。雑草の繁茂が著しかったものと思われる。
六月の作業は、21日すべてが刈り払いである。
七月に入っても、同様で22日全てが刈り払いである。
八月は、草の生長が減ったのか、半分くらい(12)少なくなる。その代わり、前半が栗拾い、月末に初茸狩が増加する。
九月の作業は、草刈り(8)と初茸狩(9)であるが、やや少なくなる。
十月は、収穫物が栗や茸から土筆(スギナ)に変わり、作業も芝焼に変わる。
十一月と十二月は、雑草などを月の半分ほど行っている。
信鴻は、ガーデニング作業や収穫をどのくらいの時間行ったか、十二月十八日「○昼新懇田の草を焼、夕庵へ行慕前帰」とあるから3~4時間位していたのではなかろうか。また、作業量については、二十日「園中の松の根に今朝の草を焼し火のこり暮前烟出、消す」とあるから、かなりの量を燃していたと推測できる。
★植物名を記した日数は134日、安永三年の146日より少ない。安永五年と安永三年に記された植物名は、245と267とやはり少なくなっている。植物種類は、安永五年が79種、安永四年が90種、安永三年が75種となっている。植物名の記載が最も頻度の高いのは、安永三年、四年と同じでスギナ(表記は土筆)で26である。次いでハツタケとウメが15、キクが10、クリが9の順になっている。
新たに登場した植物の種類は27種で、それ以前の植物種を合わせて170種となる。