信鴻のガーデニング安永八年1

信鴻のガーデニング安永八年1
 安永八年の日記にどのような植物が記されているか、また、どのようなガーデニングしていたかを示す。なお、植物名にはガーデニングとは直接関係がないものがあり、判別に迷うが前後の関係や前年までの記述から判断した。
○一月
 一月の日記には14日間に植物名の記載がある。また、ガーデニング作業と思われる記述は、10日間ある。収穫の記載は8日ある。それらの中から、記された植物名は23あり、これらの種名は15種である。以下順に示す。また、信鴻が六義園に移って初めて記す種は、1種ヒトツバタゴがある。なお、判断に迷った名は「天門冬」で、薬名と思われ、もし植物名であれば、クサスギカズラ(ユリ科)となる。確信できないので不明とする。
 「青樹」は、アオキ(ミズキ科)とする。
 「梅」は、ウメ(バラ科)とする。
 「万年青」は、オモト(ユリ科)とする。
 「くわりん」は、カリン(バラ科)とする。
 「萱草」は、総称名カンゾウユリ科)とする。
 「桜」は、総称名サクラ(バラ科)とする。
 「杉」は、スギ(スギ科)とする。
 「土筆」は、スギナ(トクサ科)とする。
 「つはき」は、ツバキ(ツバキ科)とする。
 「沙羅双樹」は、ナツツバキ(ツバキ科)とする。
 「野韭」は、ノビル(ユリ科)とする。
 「なむしやもんしや」は、ヒトツバタゴ(モクセイ科)とする。
 「豊後梅」は、ブンゴウメ(バラ科)とする。
 「木犀」は、総称名モクセイ(モクセイ科)とする。
 「藪柑子」は、ヤブコウジヤブコウジ科)とする。
○二月
 二月の日記には20日間に植物名の記載がある。ガーデニング作業と思われる記述は、8日間ある。また、収穫の記載は17日ある。それらの中から、記された植物名は50で24種あり、この年の新たな植物の種類は19種である。以下順に示す。なお、信鴻が六義園に移って初めて記す種は、1種バイモがある。
 「瓜」は、総称名ウリ(ウリ科)とする。
 「ゑひ根」は、エビネ(ラン科)とする。
 「楓」は、総称名カエデ(カエデ科)とする。
 「桜草」は、サクラソウサクラソウ科)とする。
 「春蘭」は、シュンラン(ラン科)とする。
 「忍冬」は、スイカズラスイカズラ科)とする。
 「菫」は、スミレ(スミレ科)とする。
 「すもゝ」は、スモモ(バラ科)とする。
 「竹」は、タケ(イネ科)とする。
 「蒲公」は、タンポポ(キク科)とする。
 「躑躅」は、ツツジツツジ科)とする。
 「うづ」は、トリカブトキンポウゲ科)とする。
 「南天」は、ナンテン(メギ科)とする。
 「貝母」は、バイモ(ユリ科)とする。
 「彼岸桜」は、ヒガンザクラ(バラ科)とする。
 「杜鵑草」は、ホトトギスユリ科)とする。
 「桃」は、モモ(バラ科)とする。
 「艾葉」は、ヨモギ(キク科)とする。
 「蕨」は、ワラビ(ウラボシ科)とする。
○三月
 三月の日記には28日間に植物名の記載がある。ガーデニング作業と思われる記述は、21日間ある。また、収穫の記載は18日ある。それらの中から、記された植物名は102で52種あり、この年の新たな植物の種類は33種である。以下順に示す。なお、信鴻が六義園に移って初めて記す種は、アヤメ、クロユリ、コウシンバラの3種である。
 「菖蒲」は、アヤメ(アヤメ科)とする。
 「独活」は、ウド(ウコギ科)とする。
 「燕子花」は、カキツバタ(アヤメ科)とする。
 「風車」は、カザグルマキンポウゲ科)とする。
 「雰島」は、キリシマ(ツツジ科)とする。
 「黄山蘭」は、キンラン(ラン科)とする。
 「白山蘭」は、ギンラン(ラン科)とする。
 「くこ」は、クコ(ナス科)とする。
 「隈笹」は、クマザサ(イネ科)とする。
 「黒百合」は、クロユリユリ科)とする。
 「桑」は、クワ(クワ科)とする。
 長春棘」は、コウシンバラ(バラ科)とする。
 「細辛」は、サイシン(ウマノスズクサ科)とする。
 「山淑」は、サンショウ(ミカン科)とする。
 「椎」は、総称名シイ(ブナ科)とする。スダジイと思われるが確証はない。
 「砂参」は、キキョウ科 ツリガネニンジン属の多年草を指しているものと思われ、ツリガネニンジンと推測するが、確信がないので総称名シャジンとする。
 「紫蘭」は、シラン(ラン科)とする。
 「芹」は、セリ(セリ科)とする。
 「茶」は、チャノキ(ツバキ科)とする。
 「柘植」は、ツゲ(ツゲ科)とする。
 「姫百合」は、ヒメユリ(ユリ科)とする。
 「蕗茎」は、フキ(キク科)とする。
 「藤」は、フジ(マメ科)とする。
 「三葉」は、ミツバ(セリ科)とする。
 「宮城野」は、ミヤギノハギマメ科)とする。
 「茗荷」は、ミョウガ(ショウガ科)とする。
 「もち」は、モチノキ(モチノキ科)とする。
 「もつこく」は、モッコク(モチノキ科)とする。
 「もみ」は、モミ(マツ科)。
 「棣棠」は、ヤマブキ(バラ科)とする。
 「百合」は、総称名ユリ(ユリ科)とする。
 「娵菜」は、ヨメナ(キク科)とする。
○四月
 四月の日記には18日間に植物名の記載がある。ガーデニング作業と思われる記述は、19日間ある。また、収穫の記載は10日ある。それらの中から、記された植物名は32で22種あり、この年の新たな植物の種類は12種である。なお、確信できない植物名に「劉寄奴」と「夏気紅美草」がある。「劉寄奴」は、ヒキヨモギゴマノハグサ科)と思われるが確証はない。「夏気紅美草」については、わからない。また、信鴻が六義園に移って初めて記す種は、シモツケとヒキヨモギ、ビヨウヤナギの3種である。
 「菊」は、総称名キク(キク科)とする。
 「擬法珠」は、ギボウシユリ科)とする。
 「杜鵑花」は、サツキ(ツツジ科)とする。
 「下野花」は、シモツケバラ科)とする。
 「菖貰」は、セキショウ(ショウブ科)とする。
 「千両」は、センリョウ(センリョウ科)とする。
 「蘇鉄」は、ソテツ(ソテツ科)とする。
 「橘」は、タチバナ(ミカン科)とする。
 「劉寄奴」は、ヒキヨモギゴマノハグサ科)とする。
 「未央楊」は、ビヨウヤナギ(オトギリソウ科)とする。
 「筍」は、マダケ(イネ科)とする。
 「薯蕷」は、ヤマノイモヤマノイモ科)とする。