信鴻のガーデニング安永八年2

信鴻のガーデニング安永八年2
○五月
 五月の日記には18日間に植物名の記載がある。ガーデニング作業と思われる記述は、19日間ある。また、収穫の記載は4日ある。それらの中から、記された植物名は32で20種あり、この年の新たな植物の種類は8種である。なお、植物名か否か判断できない名称に「芳野葛」がある。蔦の類と思われるが、植物名は確認できない。また、信鴻が六義園に移って初めて記す種は、イネ、テッポウユリ、マツモトセンノウの3種である。
 「」は、イネ(イネ科)とする。
 「愛宕苔」は、クラマゴケ(イワヒバ科)とする。
 「栗」は、クリ(ブナ科)とする。
 「仙翁」は、センノウ(ナデシコ科)とする。
 「為朝百合」は、テッポウユリユリ科)とする。
 「とちの樹」は、トチノキトチノキ科)とする。
 「茄子」は、ナス(ナス科)とする。
 「松本仙翁花」は、マツモトセンノウ(ナデシコ科)とする。
○六月
 六月の日記には8日間に植物名の記載がある。ガーデニング作業と思われる記述は、18日間ある。また、収穫の記載は4日ある。それらの中から、記された植物名は11で11種あり、この年の新たな植物の種類は5種である。なお、植物名に「せん菜」がある。「せん菜といふ黄花にて葉ハ蓴に似たる水草」とある。「せん菜」は「わさび花」とも言われる。ワサビ(アブラナ科)と思ったが、「葉ハ蓴に似」、葉はジュンサイに似て、花の色は白である。そのため、ワサビ(ハワサビ)の可能性があるものの、確証なく判断できない。信鴻が六義園に移って初めて記す種は、タバコとサネカズラの2種である。
 「烟草」は、タバコ(ナス科)とする。
 「番椒」は、トウガラシ(ナス科)とする。
 「美男かつら」は、サネカズラ(モクレン科)とする。
 「槿」は、ムクゲアオイ科)とする。
○七月
 七月の日記には8日間に植物名の記載がある。ガーデニング作業と思われる記述は、18日間ある。また、収穫の記載は5日ある。それらの中から、記された植物名は11で5種あり、この年の新たな植物の種類は2種である。なお、植物名と思われるが判断できない名称に「八橋」がある。「薄・八橋・燕子花」の並びから、「八橋」も植物思われるが不明である。信鴻が六義園に移って初めて記す種は、ニチニチカ1種である。
 「日々紅」は、ニチニチカ(キョウチクトウ科)とする。
 「松樹に菌」は、ショウロ(ショウロ科)とする。                     ○八月
 八月の日記には23日間に植物名の記載がある。ガーデニング作業と思われる記述は、15日間ある。また、収穫の記載は21日ある。それらの中から、記された植物名は31で8種あり、この年の新たな植物の種類は3種である。信鴻が六義園に移って初めて記す種は、フトモモ1種である。
 「紫蘓」は、シソ(シソ科)とする。
 「初茸」は、ハツタケ(ベニタケ科)とする。
 「蒲桃」は、フトモモ(フトモモ科)とする。
○九月
 九月の日記には21日間に植物名の記載がある。ガーデニング作業と思われる記述は、17日間ある。また、収穫の記載は18日ある。それらの中から、記された植物名は38で13種あり、この年の新たな植物の種類は3種である。信鴻が六義園に移って初めて記す種は、クワイとツガの2種である。
 「くわえ」は、クワイオモダカ科)とする。
 「もみ茸」は、モミタケマツタケ科)とする。
 「つが松」は、ツガ(マツ科)とする。
○十月
 十月の日記には16日間に植物名の記載がある。ガーデニング作業と思われる記述は、10日間ある。また、収穫の記載は3日ある。それらの中から、記された植物名は25で13種あり、この年の新たな植物の種類は1種である。信鴻が六義園に移って初めて記す種は、ヤツデ1種である。
 「八ツ手」は、ヤツデ(ウコギ科)とする。
○十一月                                          十一月の日記には3日間に植物名の記載がある。ガーデニング作業と思われる記述は、13日間ある。また、収穫の記載はない。それらの中から、記された植物名は4で2種あり、この年の新たな植物の種類はない。信鴻が六義園に移って初めて記す種もない。
○十二月                                          十二月の日記には3日間に植物名の記載がある。ガーデニング作業と思われる記述は、11日間ある。また、収穫の記載は1日ある。それらの中から、記された植物名は6で5種あり、この年の新たな植物の種類は1種である。信鴻が六義園に移って初めて記す種はない。
 「福寿草」は、フクジュソウキンポウゲ科)とする。

○信鴻のガーデニングを安永七年とそれ以前との違いを見る。
 安永八年は、ガーデニング作業と思われる記述は179日程ある。植物名を記した日は180日程ある。収穫した日は106日程ある。植物を遣り取りした日は56回程、植木屋へは22日程訪れている。それらの中から、記された植物名は365程あり、植物種は102種ある。新たに登場した植物の種類は15種である
★信鴻がガーデニング作業をした割合は、5割(51%)に増えた。これは、これまでで最も多い安永五年に迫るものである。植物名を記した日数は、半数を超え51%で最も高く、閏月のある安永七年より4日も多い。収穫した日数は、割合も最も高く30%である。植物を遣り取りした回数も最も多い。植物名を記した日数は、登場した植物の種類数も最も多い。新たに登場した植物の種類数は、最も少ない。
 安永八年の信鴻は、ガーデニング作業と採取・収穫の回数は、285回となる。これは、同じ日に両方行っているからであるが、これまでの中で最も多い。
 一月の活動は、園内の枯れ草などを焼く作業が多いが、土筆摘みも多い。
 二月は、主に土筆などの春草摘みが17日、枯れ草を焼く作業などが8日行っている。
 三月は、草木の芽の堀り取りやツツジや草花の植え替えなどを21日も行い、蒲公・蕨等の春草摘みを21日と毎日のように庭に出て作業していた。
 四月は、草木の芽の堀り取りや植え替えなどを19日、薯蕷や春草摘みを10日行っている。
 五月は、草木の堀り取りや植栽などを19日行っている。薯蕷などの収穫は4日となる。
 六月は、「太隠山掃除」「妹背山掃除」植栽などの作業が18日とよくやっている。採取は、ナスだけである。
 七月は、「太隠山下の草を払ふ」作業が多く18日である。収穫はムカコが大半で5日である。
 八月は、収穫する日数が多く21日もある。月初めは栗で後半はハツタケとなる。草の刈り払いが大半で15日である。
 九月も収穫が18日、初茸狩に加えて「土筆」「もみ茸」「蒲公」も加わる。草刈りに加えて、植栽やマツの手入れなどを17日行っている。
 十月は、芝焼やマツの手入れなどは10日となり、土筆取りが3日と全体的に少なくなる。
 十一月は、芝焼等が13日あるものの、収穫物は無くなる。
 十二月は、大半が芝焼で11日、収穫はフキが1日ある。
 信鴻の安永八年のガーデニングを見ると、春先が枯れ草焼、続いて春草摘みが多くなる。夏に入っての作業として「芽を差す」「掃除」「草刈り」が多かったと推測される。秋に入ると、栗拾い、茸狩りなどの収穫、草刈りが主な作業となる。冬には収穫が少なくなると共に活動が低下し、芝焼をするくらいとなる。
植物名を日記に記す日数は、月平均で13.5日とこれまでで最も多い。植物名の記載も、最も多い。植物種類は、同じ閏月のある安永四年より8種も少ない。植物名の記載が最も頻度の高いのは、安永三年より連続してスギナ(表記は土筆)で32、次いでヤマノイモ21、キク20、タンポポが17、ハツタケが16の順になっている。
 植物の種類は102種である。新たに登場した植物の種類は18種で、それ以前の植物種を合わせて223種となる。