四十四年頃から徐々に変わる遊び

江戸・東京庶民の楽しみ 142
四十四年頃から徐々に変わる遊び
一月大逆事件被告24人に死刑判決/九月平塚らいてう青鞜社結成
・飛行船見物に四万人殺到
 国技館が完成し、相撲人気も盛り上がってはいるものの、あいかわらず相撲協会内ではごたごたが続いている。要は、力士の待遇が良くないということ。読売新聞の社説では「劇場と俳優」に似た報酬を与えぬ限り解決しないと論じている。一月には力士が脱走し、協会がこれに譲歩して、国技館で手打ちとなったが、二月、太刀山がペテンの立ち会い、さらに、八百長相撲もあったらしく、問題が絶えない。とはいえ、大衆は、力士に同情するむきも多く、話しの種として楽しんでいた。実際には、相撲を観戦できない人の方が多かったと思われるが、新聞があたかも見たような感じを与え相撲を身近なものにした。相撲は、新聞によって読むスポーツとして定着し、野球より幅広い層の人々から楽しまれていた。
 二月、青山練兵場で飛行船が揚げられ、2万人もの市民が一目見ようと集まった。四月には、目黒競馬場でマースが飛行会を催した。当日は朝から風速18mという強風であったが、二回の飛行、高度18mを1200m、2分程度飛ぶというものであった。見物料は一等2円、二等1円、3等50銭で、売れたのは三等がほとんどであった。場内では、ペスト菌が潜みそうな座布団が5銭、ゆで卵が一個5銭、ミカン三つで10銭、サンドウィッチが30銭、ハムサラダが1円と、競馬と同じように目黒村の女たちによって売られていた。観客は、飛行の始まる午後三時には満員になったが、飛行機を見るのに一等や三等の差はなく、競馬場の外側は無料であるから村民たちが黒山となって天を仰いでいた。この日の見物人は4万人とある。
・すべて椅子席の帝国劇場オープン
 三月、帝国劇場が開場。帝国劇場は、建物が鉄骨造りの洋風劇場であるばかりでなく、茶屋が廃止され、切符制度、すべて椅子席(定員1700人)、食堂が設置されるなどこれまでのスタイルとはまったく異なった。初日は、開場前から観客が押し寄せ、開場とともに満員。それでも入場できなかった人が長蛇の列をなす盛況であった。演し物は「頼朝」などであったが、芝居はつまらぬと不評。おまけに幕間が長すぎ、舞台運びの手際は悪く、新聞には「初興行の大混乱 大味噌を付ける」とさんざんに書かれている。特に食堂は、幕間の都度、芋を洗うような混乱。その様は、餓虎が食を争う浅ましい状況であった。
 五月の帝国劇場で、文芸協会が第一回公演として『ハムレット』(シェイクスピア作・坪内逍遥訳)を上演する。また、初めての女優劇が興行された。十一月には、『人形の家』(イプセン作・島村抱月訳)などが文芸協会の第二回公演として、『寂しき人々』(ハウプトマン作・森鴎外訳)が自由劇場第五回公演として上演された。また、七月には三浦環が独唱会を開催し、『リゴレット』(ヴェルディー作)などを歌っている。十月の「胡蝶の舞」をはじめとする歌劇は、女優や子役らが打ち揃っての賑やかに披露、めでたく打ち出したるは十一時半とある。時代の先端をいく人々のための劇場としてスタートした帝国劇場は、様々な話題を提供し、10カ月間で、約31万人の観客を迎えた。当時の観客は、新しい演劇を歓迎し積極的に受け入れているように思えるが、観客数(年間342万人)から見れば、まだ一部の人々しか新しい演劇に接してはいない。観客層の大半は、芝居茶屋から劇場に案内され、芝居を見ながら食べたりおしゃべりをしたり、幕間には贔屓の役者の楽屋へ出入りすることが大きな楽しみ、夢だった。何時間も椅子にキチンと座って、飲み食いもせずただ真剣に芝居だけを楽しむというのは、当時の大衆には無理だった。演劇を見る層は、もともと上中流層であったし、帝国劇場の演劇を本当に理解できたのは、一部のインテリ層にすぎなかった。
 五月、新しい日本橋が完成し開橋式が行われた。前夜から山車や提灯行列など盛大に祝れた、、当日は数万人もの人が押しかけた。セレモニーが終わり初渡りが許されると人々がどっと押し寄せ、橋の上は大混乱、将棋倒しで重軽傷者が多数でた。六月には上野動物園のカバが公開された。その年の入園者数は、園地が約3割拡張したこともあって26万人増の約85万人になった。富士開きのお祭が、深川公園、浅草象潟、本郷千駄木等の浅間神社で催された。南千住の浅間神社では大祭が催され、雷除麦藁細工蛇を売る店が12軒も並び、その他の露店も50余軒もでる盛況だった。
・新旧レジャー、何れも盛況になる
 七月、銀座の草市は、麻穀、杉葉、真菰など火影に映え、灯籠、提灯床しく、人波も賑やかであった。不忍池畔の東京勧業博覧会跡地では、納涼博覧会が開催、寿三番捜や三社祭の出し物が演じられ、花火も打ち揚げられた。都新聞は、子安に無料の海水浴場を開場した。150間ものバラック(葦簾張りの浜茶屋か)と200間の桟橋を整備、自社の新聞に連日宣伝を出し、電車の往復割引まで企画した。ところが、八月に台風で壊され、一時閉鎖した。この年の夏は雨が多く、川開きの花火は順延を重ね、結局お盆過ぎの17日に催された。芝浦の花火も九月に打ち揚げられ、花火とともに南極探検の講演もあって賑わった。
 秋の行楽はなかな盛んで、お彼岸には電車が終日満員であった。また、10月に始まった国技館の菊人形は、非常にできが良く連日2万人もの見物があり、ピーク時には3万5千人の入場があったという。ベッタラ市なども盛況。十一月の初酉では、迷子が21人も出る混雑でスリ1件、21人の賽銭泥棒がつかまり、遺失物2、拾得物4。二の酉は新嘗祭と重なり盛り場が賑わうなど、この年の大衆レジャーはどれも盛んに行われていた。
 八月、新渡戸稲造は「野球は巾着切の遊戯」と言って物議を起こした。当時の野球は、もっぱら学生が中心で、一般の人はあまり行ってなかった。野球人口は、一万人を超えず、一試合の観客数も一万人を超えることはなかった。それまで野球を楽しむといっても、実際にプレーをするどころか観戦することも少ない、新聞のスポーツ蘭を見る程度の少数派であった。しかし、十二月は、読売新聞記者と大久保文士の野球試合が行われ、記者団が勝つという記事がでているように社会人の野球チームが活躍しはじめた。
 十一月、浅草の金竜館で、フランスの活動写真「ジゴマ」を上映し大当たりをとる。定めし儲かっただろうと思いきや、観客が出て帰らないので「かえって損がいきます」との記事がある。この年、活動写真は、興行回数などは前年とあまり変わらなかったが、観客数は三百万人も大幅に減少し、四百万人となった。原因は、新しいフィルムが上演されなかったからだと考えられる。観客の目が肥えてきたことが大きな理由であろう。
────────────────────────────────────────────────
明治四十四年(1911年)の主なレジャー状況        
────────────────────────────────────────────────
1月M初卯詣、亀戸、七福神詣を兼ねかなりの人出/都
1月M賑やかな藪入り、浅草方面大景気
1月Y世田谷のボロ市雪まみれ、汁粉2銭/読売
1月 天一一座、明治座で奇術興行、懸賞奇術あり、二月には宮戸座、演技座などで興行
2月M各地の豆まき、人出多く賑わう、浜町清正公で仮装行列がでて沿道がお祭り騒ぎ
2月Y相撲協会の紛擾で初場所の初日が二月四日となる
2月M青山練兵場で飛行船、2万人集まる
3月Y帝国劇場開場、「頼朝」等を上演し客止め、定員1700人
3月M曽我廼家、新富座の喜劇大入四月まで続く
4月M日本橋の開橋に前夜から山車や提灯行列
4月Yマース、目黒競馬場で飛行会、観衆4万人
4月M回向院の灌仏会、四斗樽で100杯の甘酒
4月Y飛鳥山の花見に臨時列車、平日でも多数が詰めかける
4月 英国アツパロ一座が有楽座で滑稽演劇を興行、特等3円75銭~三等1円
5月 仏国カランジョー一座が有楽座で曲芸、西行、特等3円銭~三等1円
5月M下谷神社大祭、御神楽・山車・囃子台出る
5月M靖国人神社で帝国軍人後援会、軍人遺族記念会に1万人余
5月M羽田の原で逓信省の大運動会、雨の中4千人
5月M浅草三社祭、前月の吉原大火で質素に執行
5月U上野動物園にカバが初めて飼育展示され、人気/上野動物園百年史
5月M目黒競馬、馬券禁止以来の大盛況、観客2000人
6月 浅草公園十二階で、かっぽれ、西洋奇術などの昼夜興行
6月M品川の天王祭、見世物小屋が軒をならべ賑やか
6月M深川公園、浅草象潟町、本郷千駄木町の浅間神社で富士開きのお祭
6月M南千住浅間神社大祭、雷除麦藁細工蛇店12、露店50余でる
6月7月M都新聞、子安に無料海水浴場、初日7000人
7月M浅草四万六千日、正午までに3万枚余の雷除け
7月M本郷座「闇の都」大入り続き
7月Y藪入、江ノ島方面に3万人、市内は暑く夜遅くまで賑わう/読売/都
7月 明治座で、千里眼、空中皿飛びなどの奇術興行、大人30銭  
7月 不忍池畔の納涼博覧会開会式盛況
8月 女優劇は満員の盛況、帝劇開場第六回の興行
8月 神田青年館会館の野球問題大演説会盛況
8月Y川開き順延続き17日に、大伝馬船8円、乗合船20~50銭
9月M芝浦の花火300本打ち揚げ、南極探検の講演あり賑わう
9月M小石川、赤坂の氷川神社大祭
10月M新富座で桃中軒雲右衛門、連日満員、一等1円20銭~五等25銭
10月M池上の御会式、好天に恵まれ盛況
10月M東京座で柔道と拳闘の力競べ満員の盛況
10月Yベッタリ市が大賑わい、前年より安く飛ぶように売れた
11月Y歌舞伎座、純日本風に改築開場、連日満員
11月M国技館の名古屋菊、非常の上出来で連日2万人の見物、最大3.5万人、団子坂の菊人形も盛況
11月T浅草金竜館の映画「ジコマ」大当たり/東京日日
11月M回向院で生花大競技と菊花大共進会、1万5千人もの盛況
11月Y目黒競馬場で第一回連合競走開催
11月Y大塚廃兵院の紅葉、午前中に2000人を超す見物
11月Y新嘗祭と二の酉で、盛り場が賑わう
12月Y読売新聞記者と大久保文士の野球試合は、記者団の勝ち
12月M浅草国技館完成、8千人収容
12月 浪花節大会が新富座で開演(大人15銭)
12月M水天宮の納め縁日、10万人でお賽銭1万円