戦争景気に踊らされる大正五年後半

江戸・東京庶民の楽しみ 155

戦争景気に踊らされる大正五年後半
 八月にコレラが流行するも、庶民の遊びは続く
・七月「藪入に賑わう海水浴」十七日付讀賣
 七月七日の夕方、日露協約成立を祝う提灯行列が雨の中で行われた。その後も実業団3万の提灯行列や様々な祝賀会が催された。草市は、銀座通り・上野広小路・浅草広小路・神田通・旅籠町・人形町・両国広小路・本所三つ目通り・彌勒寺前・深川高橋・仲町・赤坂一つ木・四谷伝法町・小石川江戸川・牛込神楽坂芝大門・麻布飯倉一丁目等。この年は雨が少なかったので、飾り物の出来はすこぶるよいとのこと。
 八日付(以下讀賣)の記事に、月島第三号地海岸の無料水泳場で大日本水泳講習会が花火を数十発打ち揚げたとある。その後の新聞でも、浜町河岸、月島、大森などの水泳場が紹介されている。浜町河岸には、明治時代から続く修武流や水府流というような、いかめしい名前の水泳場が6ヶ所もあった。そしてそこでは、いずれも各流派の紋所を染め抜いた幕を垂らしていた。この水泳場は、交通の便が良いことから一日に200名近い人が泳いだという。また、月島には三号地に6ヶ所、一号地に3ヶ所あり。大森には、料理屋が経営する複数の水泳場や臨時に作られた水泳場等が合わせて17ヶ所もあった。その他にも、十五日頃から開場する無料水泳場があったというから、当時かなりの数の水泳場があったことがわかる。なお、三号地の日本游泳術研究会に女子部は存在したが、実際に游泳する者は少なかったらしい。永井荷風の「毎日見聞録」の二十八日に、房州の海水浴場で「日本の褌御法度西洋の猿股を用ふべき」との御触れありと書かれていることから、当時の水着はまだ褌が主流だったのだろう。
 一方、各劇場は盆興行に趣向を凝らしている。帝劇は梅幸と松之助の「實盛物語」他。歌舞伎座羽左衛門の三役早変わり「牡丹灯籠」他。市村座は「国定忠治」。明治座は「横櫛お富」。映画は電気館の「百万弗の秘密」、これはチャップリン主演で大好評。続編が次々につくられ十七日封切りが続十三・十四編、二十七日から続十五・十六・十七編と上映された。
 十五日は藪入り、休みをもらってた小僧さんたちは、絵看板が立ち並び、人寄せの音楽と呼び声が入り交じる中、氷サイダー、豆のアイスクリーム、パイナップルの切り売りなど流行りの食べ物に舌鼓を打ちながら三館共通の切符を買い、電気館や大勝館などに姿を消した。上野では、「藪入りにつき割引」という看板のある汁粉屋や氷屋が並ぶ中を徒歩で、不忍池や動物園、博物館などに向かう。これに加えて、この年は東京駅に「江ノ島鎌倉の遊覧列車賃金半額」の看板が出たため、列車はほぼ満員。正午近くにはすでに5千人を超えていたとか。上野駅でも日光遊覧列車は満員。遠出をするのはお金のある中憎さんだと書かれている。
 ところでこの年の花火は、大層な人出であったらしく、新聞の見出しもいつになく大迎である。二十三日付の新聞(東朝)には「提灯の火天を焦す」「歓呼の声地を揺す」と、宝船の仕掛花火が川面に揚がる写真を掲載。また、大料理屋は云ふに及ばず小さな飲食店から待合、氷屋に至るまで『本日不意のお客様は御断り申候』といふ札を揚げたというから、過去に例がないほどの人出だった。では、実際どのくらいの人が見に来たかというと数十万人、ずいぶん大雑把な数ではある。その夜に出た船の数が4300艘で、その船に乗った客が約20万人という推定だが、それだと一艘当たりの乗客が50人近い。実際には数人しか乗れない小舟が多く、20万人という数字は疑わしい。
・八月「玉川の大花火、千種万様の趣向多し」三日付讀賣

   「浅草大増の幸福」三十一日付讀賣
 八月に入ると今度は二子玉川。動員規模では大川の花火より劣るものの、種類と多さと趣向では負けていない。打ち上げ花火は昼夜にわたり、数百発。仕掛け花火は、安芸の宮島・英独海戦・ツェッペリンの爆発・大藤棚・菖蒲園・大竜・淀の水車など。この年最大の呼び物であった、安芸の宮島は延長数十間にわたり、大藤棚は一町余に達したという、これは最初満開の藤花を表し、途中から五色の朝顔に変わると凝った仕掛け。また、英国軍艦と独逸飛行船の激戦は鍵屋が特に粋を凝らした大物。まさに千種万様の趣向であった。
 十二日から鶴見花月園の花香苑で毎晩盆踊り。予行練習の様子も、気合いの入ったなかなかおもしろいものだったようだ。讀賣の記事を要約すると、まずは、七夕笹の下におしろいも艶やかな女中連が「歌へお十七声はりあげて~」のかけ声に合わせて、手拍子もたのし気に踊り出す。師匠のお婆さんが、コップ酒でぱあっと景気つけて「もっとシッカリィ、盆おどりは藤間のおどりとは違いますでぇ」とあおれば、「おどりおどるなら品よく踊れ、中でうまいのを嫁にとる~」の歌に合わせて女中連が声を揃えて所狭しと踊るという具合。まだまだ、江戸の香りを漂わせた情緒のある光景だ。
 この夏は不幸にしてコレラが流行、各地にある遊園地や海水浴場が閉鎖された。そのせいもあったのか、浅草仲見世の料理屋「大増」に千人もの人々が訪れた。ここには呼び物の浴場や滝があるが、その瀧に2~3百匹の鯉を放ち自由に取らせて、しかも1匹は無料でくれるというサービス。その上料理は新鮮な魚が売り物で、旨い・早い・安いの三拍子、連日家族連れで満員なのも当然か。
・九月、婦人子供博覧会「模型富士の山開き」十四日付讀賣
 九月に入り、大日本体育会の第四回陸上、並びに第三回水上大会が開催。この競技会は極東選手権競技選手予選会を兼ねたもの。陸上競技は芝浦埋立地、また水上競技は墨田川上流に会場が予定されていたが、コレラ流行のため水上競技は不許可となった。陸上競技32種目の参加選手は、マラソンの86名を含む200名余と意外に少なかった。観覧料は予選大会ということで無料。
 それにしてもコレラの患者は一向に減らない。コレラの発生場所と今では考えられないことだが患者名が連日新聞に載っている。そしてその同じ紙面に「明治座秋の夜話」「中央劇場 本日新狂言」「本日新狂言 浅草宮戸座」「本日新狂言 赤坂演技座」「今朝封切 炎の曲馬 電気館」「箕輪心中 浅草千代田館」などの演劇関連の元気な記事が見える。特に千代田館は、尾上松之助が脚色した歌舞伎座の八月の当たり狂言「箕輪心中」を映画化、さらにデンマーク大活劇「死の影」、それに台湾から来た300余人による大曲芸、また入場者には当て物大懸賞付きとある。どうやら演劇と映画だけはこの時期、コレラに負けじと頑張っているようだ。
 十五日から讀賣新聞社が主催する婦人子供博覧会が上野不忍池畔でオープン。出品物は婦人子供に関連したもので、三越や森永製菓、金物卸組合、文部省教育博物館所蔵のものなど。呼び物は不忍池畔につくられた富士山の模型で高さは120尺(36m)、眼下に八百八街の屋並をひかえ、遥かに富士、筑波などが望める。大祭日二十三日は、余興舞台に天活の特選映画、一龍斎貞山の講談、三曲合奏松竹梅等、曽我廼家五九郎の喜劇故郷の水、お伽神楽、世界大魔術、新内などが催された。入場者数は9461人で、そのうち「富士山」に登った者は8142人であった。
・十月「秋の人気を集中す 婦人子供博覧会未曽有の大盛況」二日付讀賣
 婦人子供博覧会は、十月に入っても客足が落ちず、一日にはそれまでの最高の値を記録、約3万3千人が入場。上野へ向かう市電は満員、山下から正門までの沿道は人で埋まった。そんな混雑した日に、森鴎外は、茉莉・杏奴・類の三人の娘を伴って博覧会に出かけ、模型の富士山に登っている。ちなみにその日の天気は曇りだったため、本物の富士は見えなかったと思われる。この日だけでも登山者は1万8千人もいたというから、鴎外たちも長蛇の列に並んだのだろうか。
 次の日曜日も3万3千人が入場。博覧会での人だかりができたのは「人穴のお糸」の文身(ほりもの)、子女に好奇心を起こさせているとかで話題を集める。このお糸さんはなかなか人気があったとみえて、浅草遊楽館でも「お糸の一代記」と題して、美女お糸の波乱な人生を脚色しせた映画を上映。また、常盤座では「女肌噂の文身」というタイトルで、片岡卯左衛門主演の芝居が上演された。
・十一月「太公望ニコニコ」「初酉の上景気」九日付讀賣
 当初は六十日間の予定であった婦人子供博覧会は、平日でも1万人以上の来場を記録し、大方の希望により十一月二十六日まで日延べとなった。この間の総入場者は68万8千余人、富士山登山者39万3千余人、そしてその大半は婦人と子供であったという。この年の九・十月はコレラの発生に影響を受けたためか、レジャーは婦人子供博覧会を除くと、映画や演劇等に多少の活気が見られる程度であった。そういえば、コレラで禁止されていた漁業が十一月七日に解禁になった。そのため、漁師はもとより好釣家は、われもわれもと繰り出し月島・浜町・深川などの釣船屋や釣竿屋等が俄に活気づいた。長らく禁止になっていたため魚類の繁殖は凄ましく、太公望はニコニコとある。
 酉の市、浅草大鷲神社は午前二時頃から人出が夥しく、五時にはすでに境内は押すな押すなの雑踏。熊手店は約300軒、七時頃までは8~90銭位のものが売行き良く、唐の芋は一串10~30銭近くまで暴騰、売行きさすがによくないとのこと。四谷の須賀神社は午前三時の開扉に群集が殺到し非常な景気、熊手店は65軒。二の酉は小春日和であったことからどこも賑わい、深川は夜に入って一層の混雑。新宿花園神社は境内に綱を張り、行きと帰りの道を区別して雑踏を防いだ。
・十二月「今年の暮は素敵な景気」七日付東朝、

    「株式界空前の大暴落」二十日付讀賣
 十二月、報知新聞が内閣交代を批判したかどで発禁となった。株は暴落するし、新聞なども不景気な年の瀬を書き立てている。それでも歳の市は、十四・五日が深川八幡、十七・八日が浅草観音、二十・二十一日が神田明神、二十三・四日が愛宕町などと例年通り開かれる。浅草観音では、羽子板店が49軒・宮師49軒・七五三飾屋が29軒・桶屋52軒・雑貨店が275軒と立ち並び、来年の景気を祈願する人々が訪れた。映画や芝居なども何とか新しい年に期待したいという思いか、正月興行の広告が一段と目立つ。なお、本郷座や遊楽館などは三十一日の大晦日から新春興行に入ったが、師走にきて、市民レジャーは一段と沈滞している様子。
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大正五年(1916年)のレジャー関連事象・・・11月裕仁親王立太子の礼
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7月2報 電車値上げ
  8読 日露協約成立の祝賀いろいろ        
  8読 国技館直営の納涼園、大入り        
  8読 大日本水泳講習会、月島無料水泳場で花火、水泳場盛況
  8読 上野みやこ座「ガレルハマ」連日満員
  9読 草市
  11森 鴎外、子供達と日比谷公園に往く
  12国 涼味豊満 盆芝居
  12読 無料水泳場不振、日本游泳術研究会に女子部あるが女性の遊泳者ほとんどなし
  14森 鴎外、茉莉と上野動物園に往く
  16報 藪入り、遠出は中僧さん         
  20森 池之端に烟火戯あり
  21読 湘南地方に土日月曜、東京発臨時列車一本
  23朝 川開き「本日不意のお客様は御断り申候」の大混雑
  23読 目黒植物園の朝顔、数千培養
8月3読 二子玉川の花火、千種万様の趣向多し 

  5読 国技館納涼園大入りなれど菊花壇準備で閉園
  6万 戌の水天宮、安産帯は直ちに、守り札は午前十一時頃1万余なくなる
  7森 鴎外、子供達と小石川植物園に往く
  9読 花香苑で盆踊りの稽古、見に来た客も仮装して踊る
  12万 コレラ流行の兆しで海水浴場へ遠慮の勧告
  12万 帝国劇場「いがみの源太」他連日満員御礼 

  16読 演技座、連日大入りのゲンソー液デー
  27森 鴎外、類を伴い浅草に往く
  31読 悪疫流行のため、浅草大増が満員の盛況
  31読 天長節御祝祭           
9月2読 目黒花壇の秋草見ごろ、客絶えず
  2読 大勝館「忍術三銃士」上映大入り御礼
  2読 帝国劇場「江島生島」他初日満員
  4読 大日本体育会、第四回陸上並びに第三回水上大会
  10森 鴎外、妻・子供達と飛鳥山に往く
  14森 鴎外、茉莉を伴い邦楽会に往く
  16読 婦人子供博覧会開催             
  17万 大勝館「河童又助」他大入り満員
  30読 遊楽館「化銀杏」他大評判
10月1森 鴎外、子供達と博覧会へ、仮富士に上る
  2読 第一劇場、演技座、帝劇等初日満員
  13朝 池上の会式、コレラで見世物禁止に人出も万灯も少ない
  14森 鴎外、子供達と文展に往く        
  18朝 秋晴れの近郊は大変な人出          
  18朝 文展は未曽有の1万7千余人の大賑わい    
  19読 婦人子供博覧会の「人穴お糸」人気で映画や劇化
  20朝 ベッタラ市、雨に祟られ売れず
  24森 鴎外、妻・茉莉・類と飯能多峰主山に登る
  28読 国技館の菊、名物七段返し等
  29読 オペラ館、新派悲劇「恋の仇波」好評
11月2森 鴎外、杏奴・類と上野公園に往く     
  4万 立太子礼奉祝に三万五千人の大提灯行列    
  9読  コレラ後の解禁で釣船など活気
  9読 初酉の上景気、押すな押すなの賑       
  21読 二の酉大景気、小春日和の雑踏        
  23読 キネマ倶楽部、大活劇「獅子吼・珍行列車」大評判
  27読 婦人子供博覧会日延べ、総入場者約69万人で閉会
     29読 遊楽館「河童の猿丸」好評
12月2朝 歌舞伎座竹本越路太夫、初日忽ち満員   
  2森 鴎外、類を率いて動物園に往く
  15朝 深川歳の市、200余店並びなかなかの賑わい
  16朝 スチィンソン嬢の東京上空飛行       
  17朝 大山元帥、日比谷斎場で国葬
  21読 浅草歳の市、羽子板店49・七五三飾屋29・雑貨店275等
  25読 白金三光町の歳の市
  25永 丸善明治屋三越白木屋などクリスマスの窓飾りを壮麗にす