松井須磨子で盛り上がる大正三年後半

江戸・東京庶民の楽しみ 151

松井須磨子で盛り上がる大正三年後半

 人気女優・松井須磨子の演劇は一世を風靡し、劇中歌「カチューシャの唄」が大流行。その他の流行として、「マックロ節」、大正琴などがある。十二月に東京駅の開業、参戦した日本軍の青島陥落など、市民に活気をつける出来事が続いた。当時のもり・かけ蕎麦の値段1銭5厘。あんパン2銭。
・七月「大正博は二十万円足らぬ」十日付讀賣、「この頃の水泳・自慢のお若い姐さん」二十四日付讀賣
 七月に入って、入場者の少ないことが明らかにされた。対応策として、藪入りの日に入場料を10銭に下げたり、福引きを付けたりしている。福引きは、新聞(二十六日付讀賣)に「十万の福引きに釣られ 大正博の賑わい入場者二十六万」と書かれたように大きな効果を上げた。期間中の総入場者は746万人。七年前の東京勧業博覧会より66万人多かったが、東京の人口が増加したわりには入場者数の伸びは少なかった。それでも大正博覧会は、それまでの長い不景気や大喪などで停滞していたレジャーに対する自粛ムードを取り払う、という点で大きな意義があった。それが証拠に、東京市民はそれまでと比べて積極的に遊ぶようになっている。
 この年は、例年に比べてかなり暑かったと見えて、六月末頃から大川筋(隅田川下流)の水泳場が開き、七月に入って羽田・子安の京浜海水浴場、月島の水泳場、新子安・羽田の海水浴と海水浴関連の記事がかなり目立つ。一般市民は、隅田川から月島、芝浦、大森、羽田、新子安など近場に出かけた。また、もう少し離れた上総の稲毛・勝浦、湘南の片瀬・鵠沼江ノ島などへも、一泊または日帰りで出かける人もでてきた。それまで避暑といえば上流階級に限られていたが、この頃から中流以下にまで広がってきた。ちなみに、二十六日の日曜日の新橋駅や両国駅の乗車客数は、鎌倉629人・藤沢387人・逗子362人・平塚297人・勝浦235人など合わせると3千人を超える。とはいえ、この人たちがすべて海水浴に行ったわけではなく、上総や湘南での海水浴客は3千人より少なかったはずだ。海水浴は市民レジャーとして定着しつつあったが、鉄道を利用したのはまだ中流以上の人でしかなかった。
・八月「命懸の川開き」二日付東朝、「両岸三十万の見物」二日付讀賣
 川開きの人出は十数万人とこれまで最高の数字を記録。一説には30万人とも言われ、とにかく周辺は大混雑の態。浜町の河岸は様々な露天で埋め尽くされ、と同時にいつもは1銭のアイスクリームが、3銭にはね上がる光景があちこちに見られた。花火の見物は、わざわざ出かけず近在で見た人を含めて、市民の一割になったことは確かであろう。なお、この日動員された警察官は600名程度で、人出がおおかった割には混乱が少なかったようだ。
 川開きの翌日あたりから、露国の宣戦布告や戦乱の影響で株式界が大混乱に陥ったことなど、欧州の戦乱について続々と報じられているが、市民のレジャーにはさしたる影響はない。玉川の大花火に「全欧動乱の大海戦」と銘打った仕掛け花火が登場するという程度の関心しか示さなかった。月末には、日本とドイツは交戦状態となり、号外に“忽(たちま)ち群がる人の山”というような光景も見られたが、ふだんの市民生活は平穏そのもの。市民レジャーにとっては、それよりも、二十九・三十日の大雨による出水の影響の方が大きかった。
・九月「満都の男女熱狂し 雪崩を打って東京座へ 須磨子妙絶頂に達す」二十日付讀賣
 活動写真全盛の中にあって、苦戦を強いられていた演劇界の模索は三月、帝国劇場で初演されたトルストイの「復活」でようやく実を結んだ。芸術性にうまく大衆性を加味した興行として成功。劇中で松井須磨子扮するヒロインが歌う「カチューシャの唄」は大流行し、劇中歌・主題歌の先駆となった。九月の東京座公演には、開幕五時間前からすでに観客が大勢詰めかけ、その列は東京駅前から神保町までつづいたという。連日の大入満員、日延べした八日目も立錐の余地がないどの大盛況であった。そして、芝居の最中でも「カチューシャ可愛や」と須磨子が歌うえば、感極まった観衆が思わず一緒に歌いだすほどの熱狂ぶりであった。須磨子人気は、十月の本郷座「光の巷」でもいかんなく発揮され、時雨降る日にも満員の盛況。ちなみにこの時の入場料金は、特等(桟敷)1円65銭・一等(高土間)1円45銭・二等(平土間)1円15銭であった。
・十月「行楽日和 祭日の市中 止めは文展と浅草」十八日付讀賣
 季節は行楽シーズンに入り、恒例の国技館の菊人形、池上等の御会式・・・と続く。国技館の菊人形は、おりからの時局をテーマにした「膠州湾の突撃」、歴史物の「頼光の大江山入り」、「日蓮上人佐渡の御難場」など。例年より大規模、大仕掛けで18場面、人形総数180余体が館内いっぱいに飾られていた。その他、幾百種の菊花陳列、一本で千輪咲きなどの名花があった。
 文展や浅草界隈も大勢の人で賑わったが、ただ、靖国神社については諒闇中のため、招魂祭は淋しい佇まいだったとある。鍛冶橋の開橋式は、獅子頭の渡橋が話題を呼んだこともあり、まるでお祭のような騒ぎであった。また、休日には菊花を求める人が多く、千人程度の人が秋の草木をめあてに小石川植物園に訪れた。
・十一月「紅葉を求め、滝野川へ」九日付讀賣
 紅葉の美しい飛鳥山には大菊の花壇が十余設けられ、紅葉狩りに一段の興を添えていた。七月末に始まった第一次世界大戦には日本も連合軍として参戦し、十一月に入って青島を攻略。そのため十一日に日比谷公園で祝賀会が催され、花電車が走り、宮城前・英国大使館等各地で提灯行列が催された。また、「新」新橋駅の完成を祝い、盛大な開通式が挙行された。十九日の二の酉は、格好の日和とあって、浅草田圃大鷲神社は例年にない賑わい。午前十一時頃にはすでに開運袋が1万、お守り札が1万5千出たというまたとない好景気。この年は三の酉がないこともあって、夜になると一層混み合い、身動きもできぬほど。このため、市電は運転時間を三十分延長して参詣者の便宜を図った。
・十二月「歳の市露店取締」三日付讀賣、「東京駅の第一日」二十一日付東朝
 十二月、師走に入ると歳の市の露店取締り通達が出されたが、それをよそに納の水天宮、納の金比羅、神田の歳の市はいずれも混雑を極めた。神田明神は、二十日・二十一日の両日、露店や見世物で境内が埋めつくされた。案外、羽子板を売る店は少なく、多いのは荒物金物の店、実に320軒もあった。朝から群集が押し寄せ、午後から夜と徐々に人の群れは増し、商人も神主も、繁盛で大喜びとある。
 十八日、青島を陥落させた神尾将軍(有島武郎の義父)の凱旋と東京駅開通式が重なり、周辺は大変な賑わいであった。なお、東京駅の開業は二十日。東京駅の営業第一日は、乗降客より見物人の方が多く、精養軒の食堂が開店すると見物人はそちらへ詰めかけ大入り満員の盛況であった。

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大正三年(1914年)後半・・・8月ドイツに宣戦布告、第一次世界大戦参戦
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7月5万 帝国館「リスク」大好評         
  8読 向島の都鳥流し、25年ぶりに復活    
  16読 浅草藪入り、十二階エレベーター3銭・遠眼鏡2銭・アイスクリーム1銭
  16読 博覧会も藪入りデー、福引きに釣られて雑踏
  17万 帝国館「天馬」満員に付早朝来館を    
  20万 大正博の演技座「復活」連日満員     
  24読 大川端の水泳場、至る所満員大繁盛     
  26森 鴎外、子供達三人と小石川植物園
  29読 避暑地のお客、例年より大繁盛       
  31時 大正博覧会30日、最大22万人が入場する
8月2朝 「命懸の川開き」と川開きの人出が十数万人 
  2読 浅草三友館の実録劇「女装探偵・電五郎」連日の満員  
  3日 第一次世界大戦勃発、株価暴落        
  5万 王子の滝、午前中に満員、入場料5銭、5~600人
  8森 妻、茉莉、杏奴旅行す(逗子?)     
  10万 羽田穴守の海、休憩所は2千5百余人と毎日満員、入場料3銭・着物預2銭・貴重品3銭
  12万 玉川の大花火(15日)、全欧動乱の大海戦の仕掛け花火
  13万 日本館「カチューシャの唄」満員日延べ   
  24朝 活気立つ夜の市中、観音堂は祈願の人で混雑 
  31朝 二六社、提灯行列
9月4読 月食の月見、日比谷・上野・芝の浜など涼む人々で満たされる
  9森 妻と茉莉、帝国劇場へ往く
  20読 浅草電気館の活動「軍吏と曹長
  20読 オペラ館、「女の一生」大好評
  20読 松井須磨子の「復活」劇、連日の大入り満員
  21朝 早大沙軍に大勝、観衆2千
  25朝 彼岸のハゼ釣り、乗合船30銭・荷足船1円
  30読 国技館の菊人形、18場面、人形180余にて開園
  30読 浅草仲見世にスケートハウス、各種飲食店・余興演芸等
10月13読 池上お会式、雑踏を極めし  
   16万 大勝館「狸退治」大入り好評                                  
  17森 鴎外、妻、茉莉、杏奴、類を展覧会に伴う
  18読 行楽日和、祭日の文展と浅草は入止め    
  24万 招魂祭、遊就館は1万人余、露店も大繁盛 
  26読 お祭りのような鍛冶橋の開橋式      
  26読 時雨降る日も満員、松井須磨子の本郷座  
  28万 有楽座の演芸大会大入り日延べ      
  29読 小石川植物園、菊花を求め毎日千人内外  
11月9読 青島陥落祝捷第二日、提灯行列等で歓楽の帝都
  9読 金竜館の曽我廼家五九郎おもしろく盛況
  9読 飛鳥山、大菊花壇10余、紅葉に興を
  11森 日比谷公園に市の祝捷会あり
  13読 「新」新橋駅、盛大な開通式
  14読 祝賀の提灯行列、宮城前・英国大使館等各地で
  15読 「カチューシャ」三友館・葵館・第三福賓館で連日満員
  15読 日活の戦況映画、遊楽館・三友館・オペラ館・常盤座・富士館・千代田館等で一斉封切満員
  17時 人出の無かった今年の文展、入場者13万人
  20読 遊楽座、「天中軒雲月」上演        
  20読 日本晴れの二の酉、浅草田圃は近来珍しい賑わい
  21読 浅草みくに座の活動「大決戦」       
  29読 湯屋の混戦、浅草区内は1銭           
12月3読 歳の市露店取締り            
  6万 帝国館「海の彼方」連日満員大好評
  6読 納の水天宮、三時頃から押しかけ、四時には門前に群集
  7読 遊楽館「越後騒動」好評          
  11読 納の虎ノ門金比羅、雑踏を極める      
  17万 有楽座のレート演芸会、入場料程のお土産で初晩から好景気
  19万 神尾将軍の凱旋と東京駅開通式が重なり周辺は賑わう 
  21万 東京駅が開業
  21読 神田の歳の市、暖かく好天で320軒の露店と見世物が出る
  23森 茉莉の師に基督降誕祭の贈を遣る