イベントに盛り上がる大正五年前半

江戸・東京庶民の楽しみ 154

イベントに盛り上がる大正五年前半
 大正五年、この頃から中国、満州の権益を独占し、国内政治の混迷をよそに日本企業に好景気をもたらした。それによって潤ったのは、軍需や紡績など一部の人たちであった。軍事産業の好況につられて物価が高騰し、好景気の恩恵を受けない人々の生活は決して楽にはなっていない。
 市民レジャーは、花見をはじめ戦争景気に踊らされるように活気をおびてきた。映画や演劇などの観客は著しく増加し、特にチャップリンの映画が人気を呼んだ。その他の流行としては、安来節、飛行ショーなどがあり、歌は「新磯節」「電車」など。豆腐1丁3銭、ダイコン1本1銭、ビール1本25銭、鶏卵1個2銭5厘。藪入りの浅草公園では、アイスクリームが一杯1銭。
・一月「恵方詣 穴守と大師」「小学校 年賀の喜び 御菓子の袋」二日付讀賣
 当時の子供たちは元日も小学校へ行っていた。といっても勉強があるわけではなく、お正月という伝統行事をみんなで祝うためである。市内各小学校は早朝より門を開いており、晴れ着を着て六時半頃から運動場をキャッキャと走り回る子供もいた。八時頃にはみなそろって“おめでとう”のごあいさつ。九時から式が始まり、国歌斉唱、校長による勅語、奉答歌、宮中新年御儀式の御模様・・・と続き、“年のはじめ”を歌って、各々の教室へ。すると生徒の机には「奉祝」「新年」の文字が書かれた紅白菓子、友達からの年賀状が置かれていた。十一時頃には列をなして、ニコニコ顔で帰る。
 初日は拝めなかったものの、上野や愛宕山などにはそこそこの人出がみられた。終夜運転の市電も初日の出を拝む人や恵方参りの人などで一時は混雑したが、八時頃には一段落した。翌日(二日)はまたも雨、というわけで正月の人出は多くなかった。
 六日には、上野不忍池畔で出初式。新しい半纏を身につけた2千4百人に来賓千6百人が揃い、23基の見事なはしご乗りが披露された。この時、沿道には人垣ができるほどであった。七日の初卯、亀戸天神は参詣人がすこぶる多く、電車や汽車は満員、飲食店など何れも相当に繁盛していた。とくに名物の葛餅の売行きが良く、繭玉の値段は大70銭・中50銭・小30銭程度。境内は雑踏を極め、小松川署では非番の巡査も総出で警戒に当たった。
 一月の人出は、藪入りが最も多かったのではないか。茅場町、蔵前、芝、下谷広小路等をはじめ、各所の閻魔堂付近は露店がおびただしく出て賑わう。特に、内藤新宿太宗寺の境内には見世物十数軒、電車通りには6百余の露店が並び非常な賑わいを見せた。
・二月「活動覗記(のぞき) 浅草遊楽館の新旧両派の二大連鎖劇」二十七日付讀賣
 二月節分、両国・上野発の成田行きの列車は満員、成田の町は身動きできぬほど。興行物や露店のギッシリと並んだ境内、十時一番鐘を合図に年男が本堂へと、そして式が進み、三番鐘の午前二時頃に本尊不動明王前に年男が揃い豆撒きが始まる。式が終わるのは未明の四時頃。川崎大師では午後七時に第一鐘、十二時前に豆撒きが始まる。浅草観音では午後二時頃から式が始まり、豆撒きは五時頃からと。場所によって追儺式は違っていた。
 この頃の新聞には浅草遊楽館の名前がよく見うけられる。遊楽館の外観はローマの城廓を思わせる建物で、浅草の中でも最も人気のある映画館(活動写真館)であった。遊楽館は外見だけでなく内部も充実し、女給が親切なのはもとより、便所、水飲所の設備に至るまでよく管理されていて老若男女誰もが気軽に楽しむことができた。また、上映する作品も、観客の心を捕らえる新派連鎖劇や“目玉”で知られる尾上松之助出演の痛快時代劇など、毎回良いものがかけられていた。そのため、毎日数千人もの客が入場し、「公演の人気は当分遊楽館の独占であろう」とまで書かれている。
 そういえばこの年、市内の活動写真入場人員が初めて統計資料にとりあげられた。前年までは活動写真だけの数字ではなく、観物場の中に含まれていた。つまり、見世物と合算されていた。東京市統計書によれば、年間1227万人(53館、延べ20749日開場)もの入場者があったという。したがって当時の市民は、平均すると年に約6回も見ていることになる。
・三月「開かれた 海の秘密 大仕掛け、大人気」二十一日付讀賣
 二十日から、上野で「海の博覧会」開催。船橋に型どった正門を潜ると、青く塗られた会場の腰板が広々とした大海の気分を誘う。会場の人気は、大仕掛けものでさざ波が鏡を刻んだように光っているモーターボートの池、他に14インチ砲、地獄の底へでも連れていかれるかのような海底トンネル、水上飛行機館、南洋館などがあった。初日は午後1時から4時ということもあって8,690人の入場。二日目は22,345人。開催期間は、五月二十六日までの68日間。
・四月「花に飛行機に帝都の賑ひ」十日付報知
 三日の神武天皇祭、サクラはまだ満開でもないのに上野・浅草などは大変な賑わい。海の博覧会には、日本が占領した南洋諸島の活動写真等を見ようと3万5千人が入場。その様子について、四日付の讀賣新聞に「浅草の雑踏は格別で新派悲劇の絵看板もここの人々にはゴッホ、ゴーガンの傑作よりも尊かるべく、そこには曽我廼家五九郎の滑稽に顎を外し、ここには娘義太夫延玉の糸に眼を溶かす」と、いうような時代がかった筆致で紹介されている。
 八日・九日と青山練兵場で二日連続で行なわれた米人飛行家・スミスの飛行ショーについて、その時に乗った愛機の写真入りで紹介している。二日目の曲乗りショーは実に5万人以上の入場者を集めて催された。最初の日、夏目漱石は二時頃家を出て、七軒寺町の大通りでこの曲乗りを見ている。スミスの曲乗りのことはすっかり忘れていたが、往来がいつになく賑やかでまるで縁日のようだったこと、皆が南の空に注意を注いでいたことから「その日」であることを思い出した。電柱の上を見ると、気持ちよさそうに搖曳していた飛行機が大きな輪を描いて廻転していた。最後には真逆さまになって流星のような勢いで家の後ろに墜落した。漱石は、スミスのその後が気になったらしく、「最後まで見届けない時は心掛かりなものである」と日記に書いている。一方、有島武郎は前日から予定を立てて、昼食の後、二人の息子とショー見物に出かけている。「若いスミスは元気よく席に飛び乗り、急角度で空に昇って行った。・・・彼は上手に何回も宙返りをした。人々はただただ感心していた。」とショーの様子を記し、さらに「羽を持った生き物もこれ以上はできないと思われるような超人的な美技」とスミスの技を称賛している。
 さて、一方花見は、十日の時点では蕾が多かったが、上野にはすでに仮装した観桜客の団体や、毛布を敷いて踊ったり謡ったりする陽気な人々が出現ていた。飛鳥山や江戸川畔は、一週間後が見頃で、飛鳥山や上野へ品川と池袋から臨時列車が出るという。また、江戸川では、付近の住民が両岸に数万の花見灯籠を点じるので、夜桜がいっそう美しくなるという予測記事(十日付報知)を載せ、花見気分をもり上げている。十三日付(以下東朝)で、上野山内が仮装や唄、踊りなどを披露する人々で賑わっている様子を「治外法権の娯楽場」と。さらに十七日付は、飛鳥山に前日10万人の人出があって、酔い倒れが71人、迷子が53人もでたことも報告している。十六日の花見が近年最高の人出を記録し、上野の人出が30万人、上野駅の乗降客は11万人以上に達したことを掲載。なお、花見の記事ではないが、十二日の新聞(報知)に、市内に約5万本のサクラの木が存在すること、府下全体では約7万本に達すると十二日付の新聞(報知)にある。
・五月「一高 又勝つ」十四日付讀賣
   「五六連勝中の横綱太刀山が敗れ満場数万熱狂」二十六日付讀賣
 行楽シーズンに入り、大勢の市民がフジやボタンを求めて亀戸天神日比谷公園、その他色々な行楽地に出かけている。この頃、行楽地や劇場等がしかけたサービスに「ホーカーデー」というのがあった。ホーカー液というのは、肌荒れ・日焼けを防ぐ化粧品。ホーカースイートというのは滋養菓子の一種である。他にも「レートデー」や「ゲンソー液デー」などがあり、その日に行くと入口などで配られたようだ。けっこう反響を呼んだらしいが、対象が女性だけなのか、子供にも渡すかは書かれていない。
 一方でスポーツもなかなか盛んである。羽田グランドでは全国自転車大競争会他、テニス、野球、相撲等。野球では何といっても一高対慶応戦が話題をよんだ。慶応側は、前の年に、十二年ぶりに一高負けたことから2千人もの応援団を引き連れて乗りんだ。対する一校側も千5百人を動員。試合開始の二時間も前から外野席は見物客や野次馬で一杯。勝負は三対二の接戦で一高の勝利、番狂わせだけに観衆は沸いた。観客はおよそ3万人と新聞には出たが、弥生ヶ丘の一高グランドは狭くて実際にはそんなに入らない。
 相撲は五月場所。横綱太刀山が小結栃木山に敗れた八日目の一番。七日目まで56連勝中であった太刀山に土がついたのだから大入り満員の国技館は騒然となった。約2万人ともいわれた観客が熱狂した。勝った栃木山には5千円の祝儀が振る舞われたとか。なお、負けた太刀山の年齢は40才というからから、現代の関取に比べるとかなり高齢である。
 三月に開催された海の博覧会は26日に終了。大正博覧会に比べて規模が小さいだけでなく、展示も子供だましのようなものが多くて、好評とは言いがたかった。なお、大正博覧会、家庭博覧会も見ている博覧会好きな森鴎外は、終了二週間前の五月十二日にこの催しに顔を出している。
 新聞(讀賣)には、初夏の行楽としてショウブ、ボタン、シャクヤク、ユリ、サツキなどの名所を紹介。花菖蒲の堀切「観花園」、三河島「喜楽園」、「吉野園」「四ツ木園」、向島「百花園」、本所四ツ目「植文」、蒲田、鶴見「花月園」、市内では、日比谷公園、玉翠園・玉花園、目黒植物園など。森鴎外は、十四日に妻、茉莉、杏奴、類の五人で小石川植物園に出かけた。ちなみに鴎外はこの植物園を散策するのが好きだったらしく、この年は五回も出かけている。
・六月、スミスの飛行「満都の人点を仰いで歓呼す」六日付東朝
 六月に入って、米人スミスが再度飛行ショーを開催。六月五日、この呼び声高き宙返り飛行を一目見ようと、市内各地に人の山ができた。スミスは、青山練兵場を飛び立ち日比谷公園の上空、新月の中、三個の火光は流星のように尾を引き旋回すること三回、そして千メートル以上の高度にまで達すると連続十一回の回転を見せた。この日、あいにく空には所々に雲がかかっていて、洲崎海岸からは最後まで見えたが、浅草十二階では中頃までしか見えず、上野ではまったく見えなかったとのこと。この日、最も人が集まったのは日比谷公園の音楽堂前で、離陸一時間前の午後七時にはすでに身動きできぬほどの混雑。周辺には数万の観衆と書かれており、これに市内各地で見た人を加えると、川開きの花火を軽く凌ぐ人々が見物したと思われる。
 スミスの宙返り飛行に大いに関心を持っていたと見られる漱石は、この日の夜間飛行のこと、さらにその十日後の飛行でスミスが墜落した件についても日記に書いている。また、十二月にはスチィンソン嬢が東京上空夜間飛行を試み、「美しく大胆な飛行ぶり」「万歳々々で観衆が胴上げ」(十二月十六日付東朝)と紹介された。彼女はさらに青山練兵場でも飛行大会を催し、自動車との競争や宙返り逆転・波状飛行などを見せている。この時の会費は、名誉会費5円・特別会費50銭・普通会費20銭。空席が無いくらい盛況だったらしいが、飛んでいるのを見るだけなら空を見れば、誰でも見えたのではなかろうか。
 六月は祭が多い月である。官幣大社に昇格した赤坂の日枝神社では、例年以上に賑やかな夏祭が催された。四谷の須賀神社でも天王祭が行われ、各種見世物が所狭しと並び、神楽殿では奉納神楽が催された。
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大正五年(1916年)のレジャー関連事象・・・1月大隅首相暗殺未遂
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1月2読 恵方は巳午、穴守稲荷と川崎大師に人は向かうが小雨
  3森 鴎外、神保町を歩く
  7読 上野不忍池畔で出初式
  7読 富士館、楽燕の浪曲が盛況
  8森 鴎外、観兵式に参列す
  8読 初卯の亀戸雑踏を極め、小松川署は非番も総出で警戒
  15読 富士館、天華嬢の大魔術大入り
  17読 閻魔様大当たり、藪入りの第二日
  24朝 「十日間全部快晴と満員」「目出度千秋楽」
  26読 初天神の鷽替え
  30読 オペラ館新派大悲劇「洋妾(ラシャメン)の娘」他 大好評
2月5読 豆撒き、成田山の賑わい犇めく大群集、川崎大師も
  9読 新富座の追善劇、大勉強の大車輪
  10都 娘手踊り流行
  11読 本郷座「番町皿屋敷」初演
  12読 紀元節、日和良く街に春の人
  17読 浅草遊楽館・清遊館好評
  22読 欧州実践活動写真、帝国劇場で披露映写
  27読 浅草公園の人気、遊楽館が独占
  29読 大勝館「怪勇忍術太郎」好況
3月4読 富士館「大山道節」大入り満員
  17永 慶応義塾運動場にてオートポロ競技興行
  18読 本郷座「虎公」劇、大景気
  18万 富士館「アントニークレオパトラ」連日 満員
  21読 遊楽館実演連鎖「潮田又之亟」他連日満員 
  21読 海の博覧会、大仕掛けで大人気、初日8690人
  22読 海の博覧会二日22345人
  25読 ルナパーク刷新、本日開園式
  27朝 賑わう上野、海博と動物園、織成す人の綾
  28読 海博、毎土曜日に軍楽の吹奏、27日24,537人入場
  28読 オペラ館「うき世」劇、連日満員で日延べ 
4月2読 大勝館「須磨の仇波」好評連日満員
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  10報 青山練兵場で曲乗り飛行、5万人以上入場  
  10読 日比谷公園花祭りに1万人の仏教少年少女
  10読 有楽座の下山京子満員御礼
  10読 常盤座の芸術座劇二日目須磨子好評満員
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  17朝 飛鳥山に10万人の人出、酔倒れ71人・迷子53人
  19森 鴎外、浜離宮の観桜会
  21森 鴎外、妻・類と小石川植物園に往く
  24読 早大シェークスピア祭2千余の観覧
  24読 神田劇場「鬼の悔悟」他上演大入り
  28森 鴎外、夜銀座に往き露市に閲す
  29読 靖国神社大祭、旧馬場に観覧物・露店数百、3万人の参拝

5月1読 目黒競馬                     
  6読 オペラ館天覧「小騎手」他上映大盛況
  9読 警視庁、私娼取締規則を改正強化
  11森 鴎外、妻・茉莉・類を伴い井之頭に往く
  12森 鴎外、海の博覧会に往く
  14森 鴎外、妻・子供達と小石川植物園に往く
  14読 一高、慶応にまた勝つ、応援団合わせて3千5百人、観衆3万人
  25読 富士館の天中軒雲月山鹿素行・天野屋利兵」大入り日延べ
  26読 海の博覧会閉会
  26読 八日目大入り、56連勝中の横綱太刀山が敗れ満場数万熱狂
6月3読 初夏の行楽、堀切の花菖蒲・三河島の喜楽園・吉野園・四ツ木園・本所四ツ目の牡丹・蒲田の菖蒲・鶴見の花月園・目黒植物園
  6朝 スミスの飛行、満都の人、天を仰いで歓呼す
  9読 有楽館の連鎖又新派、好評
  6朝 スミスの飛行、満都の人、天を仰いで歓呼す 
  15読 日枝神社官幣大社昇格で夏祭り賑やか   
  18読 有楽座無名会の「マクベス」上演      
  19読 四谷の天王祭、各種見世物や神楽        
  19読 帝国劇場「夜討曾我」他連日大盛況       
  19読 新富座の山長連鎖劇大当たり          
  20森 鴎外、類と本郷を歩す            
  21読 有楽館の新派悲劇「うき雲」好評        
  26森 鴎外、杏奴・類と小石川植物園に往く、傘を開いて草に座す
  30読 大森海水浴場、花火・馬鹿囃子で海水浴開き