庶民によって形成された日本社会1

江戸東京市民の楽しみ333

庶民によって形成された日本社会1

 近年、日本社会の治安が良いこと、清潔なこと、親切などが外国人旅行者から賞賛されている。住んでいる日本人には当たり前と思っていることが、決して世界では当然ではないと再認識した。日本の社会は、実は世界に誇れる素晴らしい価値のあることも気づかされ、公共の場での思いやりのマナーは日本ならではのものである。

 このように評価される日本社会は、五年や十年程の時間で形成できるものではなく、百年いや数百年以上の産物として現在に続いている。さらに注目すべきは、権力者や指導者によって導かれたものではない。日本人の大部分は、庶民とか大衆とされる人々であり、大半を占める人々によって守られてきた日常生活が継続させている。そして、社会とは国民の大半を占める人々によって成立しているものである。

 江戸時代が見直されるなかで、庶民社会については、日本の歴史で注目する価値などないように扱われている。時の権力者や指導者などを中心にして語られ、そのストーリーは時代を制した側の立場で展開されている。だから、時代が進むに連れて歴史と称されるものは、塗り替えられ、逆転することもあり、絶対的なものではない。

 政権の変化が大きかった幕末・明治維新期、その間の評価はどうであろう。明治維新が「必然か否か」を含めて、歴史評価は事実(史実)の取り上げ方によって、重要性の判断を意図せずに羅列しても、やはり方向性が出てしまう。そこで敢えて言うなら、大多数を占める人々の視点から史実を示すことの必要性を重要視したい。とは言うものの、庶民とか大衆とされる人々の史実の信頼性は、成文化されていなかったり、時間や数量などが曖昧である。

 話を日本社会に戻すが、人々の公徳心やマナーは、もしかすると江戸時代以前からあったのではなかろうか。庶民の生活をコントロールしていたのは、日本列島の自然環境(天変地異、気象、動植物など)が最も強く影響していたのではなかろうか。庶民が生活しやすくするために、いかに順応しなければならないかを探る中で、社会のルールを形成したのであろう。

 

敗戦後も一月、昭和二十年九月半ばの変化

江戸東京市民の楽しみ(昭和時代)332

敗戦後も一月、昭和二十年九月半ばの変化

 敗戦後もひと月経ち、新聞はそれまでのスタンスを変え始めた。朝日新聞「比島日本兵の暴状」「求めたい軍の釈明」を、「避難にも軍官優先 民を置去る総督府」など、告発記事を記し始めた。また、進駐軍に対しても、新聞の発行停止を招く記事を記した。街中は、闇市が氾濫し、戦中の露店をはるかに超え、マーケットが成立した。政府の統制は効かず、戦後の復興は闇市からという状況である。

 

九月十五日、朝日新聞は「文教再建の施策決まる」「文教再建の施策決まる」教養、道義向上へ 教科書は根本的に改革 動員学徒に特別教育」と。他に「軍の再抬頭に疑惑」「米英に映じた戦後の日本」と。「小泉元厚相割腹自決 源田元文相服毒自決 吉本大将も自決」の記事がある。痛ましい記事が続くなか、新聞は何のコメントも無く、ただ記すだけである。

 二面に「けふから学園再開」とあるが、下宿なき大学生の心配もしている。「ガス 戦前よりも多量に 帝都の家庭用は十月から元通り 石炭運ぶ船さへあれば」との記事。その他に、「東京駅の復興」について、昔に帰るか、出直しか 三段構えで完成に五年かかるとしている。またも、殖える米兵の不法行為の記事がある。

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 高見は、「街頭の煙草ねだりが警告的な記事となって新聞に現われた」と。「米兵がジープを止めて休んでいた、そこに集った附近の子供がチョコレートをくれ、チゥインガムをくれと盛んにせがみ出した、米兵は面白がって手渡しせずに投げていた、これをまた子供が争って奪い合う、子供だけならまだいゝ、が親達までが混ってくる、遂には煙草の吸い殻まで奪い合っていたという、 これを目撃した一警察官は涙がこぼれたという」(毎日)

 また高見は、「今日は鶴岡八幡の例祭、賑やかなはやし、人出。平和が再び来た――の感が深い。参詣した。神楽をやっている。女子供が石段にいっぱい腰掛けて、長閑に神楽を見ている。 まことに平和だ。まことに日本人は平和を愛する質朴な民なのだ」とも記している。

 大佛次郎は、米水兵が東京市中に目立つと観察している。 

 

九月十六日、朝日新聞は、「軍国主義を一掃し 道義高き文化国家へ」と。占領政策について「現状概して満足」「手ぬるしとは当たらず」とマ元帥声明を記している。

 二面に、「原子爆弾炸裂の直後」と題する写真。「原子爆弾委員会 学研(学術研究会議)で我が科学人を網羅」を示す。「衰滅した放射能 爆心に四日目に野菜の新芽」「永久退去説は覆へる」などの報告。

 進駐将兵に高くモノを売れば、「因果はわが身に廻る」と警告している。

 読売新聞二面に「焼残りの街路樹や立木を隣組へ配給」とある。

 高見は、太平洋米軍司令部の発表する「比島における日本兵の残虐行為」(朝日新聞にもあり」)が新聞に出ており、一読して、まことに慄然たるものがあると。

 

九月十七日、朝日新聞は、「対等感を捨てよ」マ元帥の「言論統制の具体方針」を掲載している。前日の「比島日本兵の暴状」について「求めたい軍の釈明」との記事。

 二面に闇市の氾濫 王座は日用品 放出物資の横流しか」闇市は戦中の露店をはるかに超え、巨大なマーケットになった。政府の統制は効かず、戦後の変化は闇市からという状況である。

 高見は、つい一月前までは「正しい認識」は敗戦論的デマとされていた。その認識を口外することは、厳重に取締られていた。「何も知らされずにいた」私たちは、まことにヘンな気がする。政治というものは面白い。国民を欺いても平気なのである。鈴木前首相は肚には「正しい認識」を抱きながらでは「本土決戦」だの何だのと反対のことをいって国民を欺き、そうして今となると、実業家、新聞人らの知識階級は「正しい認識」をもっていたが……などといって何も知らされないで「正しい認識」をもち得なかった国民をまるで何か無智扱い、馬鹿扱いだ。「国民は寧ろデモクラシーを通り越してその極端なものに流れはせぬか」というのは、同感と。

 

九月十八日、朝日新聞は「米軍勢力は廿萬か」と、マ元帥の急速削減を声明掲載している。

 二面に「避難にも軍官優先 民を置去る総督府」と、「救出に焦眉 満州に飢える同胞」の実情を示す。

婦人参政権」「戦時の体験が立派な資格」利用されない独自の立場で、と記している。

読売新聞は「虚飾一擲、官民痛苦に起きて」「徹底せよ敗戦の正覚」をと。

 二面に「不便な 綜合配給所 早急改善の希望昂る」とある。

 朝日新聞は、九月十八日付で、マッカーサー総司令部から、二日間の新聞発行を停止させられた。その理由は、「真実に反し又は公安を害すべき事項を掲載せざること」に違反したとされている。「比島日本兵の暴状」などを記す一方、「殖える米兵の不法行為」と、意に沿わぬ報道があると判断したものであろう。

 

九月十九日、読売新聞は「首相宮、外国記者団と御会見」。

 二面に「米軍、帝都の復興に積極援助を約す」とある。「軍閥の短見国誤る 苦難そ平和の補證、連合軍に乞ふ経済援助」「戦争指導者は去る“衣替へ”を認めぬ連合国」。他に「外米三百万トン輸入 魚と野菜の統制撤廃」がある。

朝日新聞がマッカサー総司令部の命令で二日間発行を停止された。戦争中は自由主義的だ民主主義的だとにらまれていた朝日がこんどは『愛国的』で罰せられる。面白いと思う。政府の提灯を持つて野卑な煽動記事を書いていた新聞は米軍が来るとまた迎合的な記事を掲げて、発行停止処分などは受けないのである。

 野菜、魚が自由販売になる。外国の放送が自由に聴けることになった。婦人の参政権が認められるかもしれない。気持の明るくなるニュースだ」高見は記している。

 また高見は、「新聞に握り飯ひとつ七円と出ていた。浅草の観音様の裏で売っている由。七円でもたちまち売れるというから恐ろしい」とある。

 ロッパは、「新聞を 一通り読む、何しろ、戦争中は嘘ばっかり書いてあったのが、今度は本当 のことばかりだから、してみると、いゝ世の中になったものだ。然し、朝日新聞の発行停止などは、言論の自由と、大分矛盾してゐるやうな気もする。東久邇首相の宮は、米記者団と会見、その席上で、『問』民主々義国の間では戦争責任について天皇陛下に関する論議が行はれてゐるが

『答』自分は陛下には全然責任がないと確信してゐる、今次戦争は軍閥指導者によって惹起されたものであるといふ記事がある。勝てば官軍といふが、負ければ軍閥と変ってしまった」と記している。

 

九月二十日、読売新聞の「働く女性は何処へゆく」には、「戦争終結に伴う・・・産業転換による男子の失業人口は・・・重要課題となっているが・・・一方戦時下の労務不足を補う・・・職場進出をとげた勤労女性・・・についても幾多の問題が投げかけられている 戦争終結直前の女子有業者総人口は千三百六十七万に達し・・・女子の失業問題は男子のそれとは比べものにならない、とはいうものの一家の柱であった男子の戦死や戦災死によって資産を持たぬ寡婦、娘であっても自活或は生活の主体者として家族の扶養に当らねばならぬものなどが相当に殖えている今日、女子の失業問題もなかなか軽視出来ないものがある」。

 また、「政治的決断に出た統制撤廃 主食確保が裏付け」もある。

 

九月二十一日、朝日新聞は「陸海軍の復員順調に進捗」既に百六十四万人と。また、「連合国の諸要求を 応機迅速に実施」するとある。

 三面に「取り外す経済統制の枠」自由販売に還る、まづお野菜と魚類から。効き目は早くて明春になると。「南瓜の葉っぱ代用食用粉と交換します」などの記事。また、「教科書から不適切な部分を一掃む」とある。

 四面に「電球 製造は始めたがまず外灯から」「十日までに登録、民間武器の取締り」の記事。

 「アメリカ兵は日本人を人間として尊重している。彼等がすなわち人間として尊重されているからであろう日本人が他民族を苛めたのは、日本人自身が日本人によって苛められていたからである中人間としての権利、自由を全く認められていなかったからである。人間の尊重ということが、日本においてはなかったからである」と、高見は考えた。

忍び寄る敗戦を国民に感じさせる七月前期

江戸東京市民の楽しみ(昭和時代)331

忍び寄る敗戦を国民に感じさせる七月前期

 七月に入り、戦局はさらに悪化し、本土への空襲が激しくなった。それなのに新聞は戦果を「艦船、基地を連襲 沖縄、炎上火災五箇所」(朝日二日・以下朝日略)「夜間斬込みで猛威 彼我対峙し激闘」(五日)、「水上特攻隊の偉勲 三隻を撃沈炎上」(九日)、などを記すが、不利な戦況を隠そうとするものか。徐々に追い詰められていることは、「敵次期作戦の狙ひ本土空襲激化」(七日)などから戦争末期の状況がわかる。

 東京の大半が空襲を受けたのに、「頻繁に発せられる空襲警報に悩まされる」(十日)。

 都民の食事は「主食料一割減」(二日)、「こんな雑草も食べませう」(八日)、「根っこも木の葉も決戦食」(十一日)などから、食糧事情は悪化を辿っていることを記事から読み取れる。

 国民に先行きを考えさせないことで、戦争を継続させる。目の前しか見せない政府と軍部、言論統制、情報の改竄と隠蔽が当たり前になっていた。

 

七月十二日、朝日新聞は「機動部隊なほ游弋」と、「再度来襲を厳戒」損害軽微、廿六機を撃墜とある。 

二面に「町会に配達連絡員 配給時間を考え行列解消へ」

 

七月十一日、朝日新聞は「再編の機動部隊近接す」と、米軍が「艦上機延八百機 関東全域へ波状攻撃」をするとの警告であろうか。

 二面に「郷土食の復活へ」に加えて、「お米は晴の日の御馳走 根っこも木の葉も決戦食」であると。お米の収穫はまだ先、食べるものがだんだん無くなっていく。

 

七月十日、朝日新聞は、沖縄県民率ゐ敢闘」「本土近海に出没の 潜艦数隻を撃沈」を伝えている。

 二面には、憩いの家や文庫・音楽を、動員学徒の援護策の実現を図るとしている。

 ロッパは、「午前五時二十分頃、ブーウ。敵小型艦載機は──といってる。大分数が多いらしい。母上と並んで寝たまゝきいてゐると、百五十機とか。六時頃起きる。空襲警報となり、遠く高射砲ひヾく。小型だから反って始末が悪く、ビクビク。飛行場狙ひらしく、茨城・千葉その他に大分入ったらしい。七時すぎ、空襲解除。七時半頃、警戒警報も解除。・・・又、ブザー。そのうち空K(空襲警報の略)となり、又高射砲バンバン。八時すぎである。新聞読む。『毎日』徳富蘇峰が『国民に真実を報せよ』と、中々いゝ説を吐いてゐる。八時四十分頃関東各区に分散、各数十機宛で行動してゐる。後続編隊もまだあるらしい。『読売報知』の、ドイツから、敗けた後に帰った報道員の談あり、それを読むと心寒し。これが又間もなく解除となった。・・・十時頃に、又ブーブー、今度は、いきなり空Kである。これで三回目。やり切れたもんぢゃない。・・・一時半頃、・・・二時近くに、空K解除され、警戒も解けた。・・・二時十五分頃か、又ブーウ。今日四回目の警報。土浦・水戸・銚子と、今度も専ら飛行場を狙ってゐるらしい。・・・此の調子ぢやあ、今日は一日空襲かな。・・・敵小型機ますます大挙来襲、今回のだけでも三時五十分頃迄に二百八十機と言ってゐる。その主力は飛行場狙ひで、各地区に拡がってゐる様子。かう毎日プープーつづきでは、もはや芝居は勿論、ラヂオさへも出来なくなってしまふではないか。・・・敵は、後から後から入り、大分近くで、ドンドンやってゐたが、こっちには来なかった。五時、まだ新なる敵、何十機と言ってゐる。呆れた、全く」とぼやいている。

 

七月九日、朝日新聞は「水上特攻隊の偉勲 三隻を撃沈炎上」と、続いて「バリツクパパン方面 武装舟艇隊出撃 敵の輸船二隻を撃沈破」との戦果を伝えている。

 

七月八日、朝日新聞は、米空軍が沖縄、マリアナに二千機と、空襲が激化することを示唆している。

 二面には、「ひめむかしよもぎ」を、「こんな雑草も食べませう」と。食糧事情の悪化を受けて、その対策であろう。どのくらいの人が試みるであろうか。

 疎開している風太郎は、「一見流言と明らかな流言が飯田市の人々を戦々競々とさせて、こうした路の往還にも、百歩も置かず馬車が通る、牛車が通る、リヤカーが通る、荷車が通る。田舎へ、さらに山奥へと、 時ならぬ家財の大行列が続いている」のを見た。本土空襲激化は、地方都市にも波及する心配を示すものであろう。

 

七月七日、朝日新聞は「敵次期作戦の狙ひ」と、米軍が我戦力を孤立分断し、各個撃破の野望があり、沖縄基地の整備に躍起になっていると解説する。しかし、沖縄本島での主な戦闘は、6月23日に終了しているのである。

 

七月六日、朝日新聞は「決戦施策への展望」と、政府が急迫する本土決戦の事態への対応を記している。

 飯田に疎開している風太郎、「この地方は午後十時以後は絶対消燈たり。一寸の灯も外に洩るるときは、戸外より叫び、叱り、はては電球をも持ち去る騒ぎなり。田舎にては 達ややもすれば 遅れがちにて、敵機通過ること多しときけばこれも無理はなし」と。

 

七月五日、朝日新聞は「夜間斬込みで猛威 彼我対峙し激闘」と、バリツクパパンでの戦いを壮絶に記しているが、夜間の切り込みの決行は無理な戦いを連想させる。

 二面には、「一割減と食生活新設計」と、対策を示している。

 

七月四日、朝日新聞は「第一線陣地を確保 バリツクパパン敵、強引の補給増強」と、「肉攻で敵を圧迫」とあり、有利な戦いとは言い難いのでは。また、「主食料一割減」とある。

 地方都市への空襲が本格化している中、古川ロッパの慰問公演は続いている。戦況の劣勢は肌身で感じているのだろう。さらに、戦後の話も出始めている。古川ロッパの四日の日記には「鈴木氏の話では、東京の復興──家を建てるのは、早くてかかるだろう、震災時と違って資材が来ないから──といふことだ。僕は又、楽天主義なのだな、なアに、二三年で建つといふ気がする。さんざ、此のオプティミズムでは、馬鹿を見てゐるくせに、まだまだ此の根性は抜けない。鈴木氏、ドイツの負けてからの惨澹たる生活を話して呉れた。ベルリンの女は六割、ソ聯の兵隊に凌辱された」と、ロッパは暗に敗戦をも視野に入れているかもしれない。

 

七月三日、朝日新聞は「バリックパパン敵上陸」、兵力五千、舟艇二百数十隻と激戦展開中と。

 高見は、「金龍館の地下室へ行く。今日は先日ほど混んでいなかった。立って、ビールを飲んだ。足もとに水が溜っていて、気持が惡かった。木馬館前で飲んでいた顔が、次々とまたここへ現われる。結局「顔」がほとんど飲んでしまうようだ。樽の前にしやがみ込んでビールを出している事務員 (?) は、いずれも老人で、いずれも、なんともいえない苦々しい表情をしていた」と感じた。

 

七月二日、朝日新聞は「次期作戦へ敵躍起」を受けて「本土近海に迫らば 我、有利の邀激戦」とある。何を根拠にしているのであろうか。

 二面には、「敵米が喚く『無条件降伏』とは」と、様々記している。敗戦を視野に入れてきたことがわかる。

 風太郎は、剣道五段の松野白麟先生から、「往来でも通ってぶつかって見ろ、肩で切れそうな奴は一人もいねえ。みんなヒョロヒョロしてつんのめってしま いそうな奴ばかりじゃねえか」 と 。また、「勝つ勝ついって、何を根拠に勝つちゅんじや」という。されど憂国の気、眉宇に満つ、と感じた。

 

七月一日、朝日新聞は、ボルネオ島の「バリツクパパン戦果拡大 更に二駆艦撃沈」と。続いて「艦船、基地を連襲 沖縄、炎上火災五箇所」の戦果を掲載。

 二面には、「配給機構の決戦体制」として、公営の総合配給、一町会に一箇所設置などが記されている。

 高見は講読新聞が一紙になったと。

戦争が終り一ヶ月たっても、変わらぬ戦中の生活

江戸東京市民の楽しみ(昭和時代)330

戦争が終り一ヶ月たっても、変わらぬ戦中の生活

 敗戦後ひと月近くなって、やっと、大本営が廃止された。朝日新聞には、「民主主義、結構だが 一足飛びは無理」とある。また、敗れたりとはいへ 誇りは捨てるな」浅ましい姿(タバコやチョコレート拾い)は慎もうとの記事を掲載。マッカーサーは「日本は第四等国に下落した」毎日新聞の記事と。

 九月の第二週に入っても、惨憺たる東京の焼跡はそのまま。「水道」は「年末までご辛抱」と。「生必品は配給制で」と、戦中と変わりない。そして、渋谷駅のホームから観ると道玄坂の焼跡は平地になり草が生えているとの状況は変わらない。まだ都民は、戦中と同じような生活が続いている。

 しかし娯楽は、ラジオが歌謡曲や軽音楽の放送を再開し、相撲、野球、庭球など明朗体育も復興の兆しがある。人々への娯楽への制限が少しずつ緩められ、久しぶりに米国映画を見ることができるようになると。

 

九月七日、朝日新聞は「民需生産は全力再興 沖縄、小笠原基地」など、米軍当局が広汎な計画を言明している。

 二面に「米人記者のみた広島」に「生存者の憎悪の眼」「夏の太陽の下・廃墟に漂ふ死臭」の記事。

 他に「誤解招く娘の笑顔粋な素足も挑発的」との注意喚起もある。同じように、読売新聞の二面に「進駐軍を迎える都民心得帳」「媚態は事故の因」「いまぞ示せ婦女子の固い志操」がある。

 

九月八日、朝日新聞は「民間の自主活動を促進 重点は民生の確保 統制も果敢に改廃刷新」と、中島商相の所信。ただ、商相は「生必品は配給制で」と、戦中の制度を踏襲したまま進めようとしていることが記されている。

 他に、東京 神奈川「憲兵の解散完了」との記事もある。

 二面に「けふ連合軍 帝都へ進駐」と、とうとう東京に米軍が進駐することを伝えている。

 「戦災都市の復興」は「本建築など問題外 差当たり簡易住宅」、「近く許す 要残留者家族呼寄せ」と。まだ殆ど手がついていない状況である。「戦災都市住宅は 区画を定め建築」とあり、戦時中に許された土地利用の使用権をそのまま放置することは出来ず、「紛争防止に近く新法令」を確立するとなったと。現実には、人々は生活をしており、様々な問題があり不可欠な「水道」は「年末までご辛抱」、「引込み栓修理もやつと六割」という状況であった。東京の惨憺たる焼跡は、そのままであったようである。

 

九月九日、朝日新聞は「極めて平穏の裡に 連合軍、帝都進駐」したとしている。

 二面に「伝統を誇る米騎兵師団 代々木原に幕営」と。また「『もしもし』にご注意 外国向郵便物を米軍が検閲」が行われると。 

 他に、ラジオが歌謡曲や軽音楽の放送を再開する。「相撲、野球、庭球など明朗体育を復興」と、少しずつ娯楽への制限がゆるめられた。「東宝名人会 九月十三日 日比谷公会堂」の広告。

 読売新聞二面には「疎開学童の帰京 当分は望みなし」「帝都の罹災国民校三百卅七校」と、まだ戦中のままである。

 高見は「米兵の婦女拉致の噂を街で聞くが、新聞にも出ている」として、毎日新聞から「当局の厳重な抗議と聯合軍司令部の命令が次第に徹底し、最近の不祥事発生件数は漸次低下しつつあるが、なかには憲兵監視網を巧みにくぐって婦女拉致事件が他に比べて目立って来た、・・・被害者の大半は泣き寝入りで被害届をせぬので、表面化しているのは少いが、目撃者の届出は相当ある…当局では他への注意のためにも被害を受けた場合は恥を忍んで最寄の交番か警察署まで速に届出るように要望している なお被害者のなかには恥かしいと無名の手紙や投書をする者があるが、投書等では何の役にも立たず直接申出ることが肝要である」と。「この新聞記事は読む者にとってなんともいえないなさけない気がする」と。

 

九月十日、朝日新聞は「陸軍将兵の復員五百八十九万」との見出し、「完了迄に三箇年」かかると。

 二面には、「一夜に“天幕村“出現。代々木に進駐軍」が入営したことを報告。「別れも愉し」上映広告

 読売新聞の二面には「復興は百貨店から」として「売れる家庭用品や香水」、「将来はダンスホー芽、浴場経営」とある。 

 「新聞、ラジオ検閲打ち合わせ」のなかで、「米国映画の日本輸入に反しても諒解成立し、日本国民は久しぶりに米国映画に接することができることになった」と、高見は記している。

 

九月十一日、朝日新聞は「マ元帥、管理方針を発表」。それは自由主義を助長奨励 不当な干渉行わず」とある。

 二面に「敗れたりとはいへ 誇りは捨てるな」浅ましい姿(タバコやチョコレート拾い)は慎もうと。また、この二日間に帝都の進駐事故(強奪)廿九件、婦女子への暴行は皆無と。

 読売新聞二面には「悪質は皆無事故二日間に廿九件」とある。さらに「心配ご無用帝都進駐」「軍旗も勝者の自粛」「都民生活にも細かい心遣ひの米軍」と、進駐の不安を除こうとしている。

 

九月十二日、朝日新聞は「大本営を廃止 十三日午後十二時限り」と。

 二面に「”心遣い”が過ぎてか 入城早々の缶詰 面目ない一部の非行」。「拳銃で脅迫、現金強奪」と、街や劇場に米兵の非行がある。他に、東京逓信局で「小包便の引受け再開」十六日からと、まだ戦後復興への足どりが始まったという状況である。

 高見は渋谷駅の「ホームから道玄坂の焼跡が見えたが平地になってしまった焼跡に草が生えていて、昔の賑やかな道玄坂をそこに思い描くことは難しかった。もとからそんな軀さの生えた、家のポツンポツンとしかない丘陵地だったような気がするのだった」と、景色を記している。

 

九月十三日、朝日新聞は「緊急勅令で選挙法特例 『住居の期間』撤廃」すると。

 また「根本的改革は必至」として、悪性インフレ防止のために「国民貯蓄は一層増強」することを勧めている。

 二面に「民主主義、結構だが 一足飛びは無理」との見解もある。「アメリカ映画 まづ年内に劇物廿本」の見出し。「アメリカ映画会社から寄付された劇映画二十本が年内に輸入上映される見込みでいづれも日本語字幕入りである」と。日本ニュース「米軍進駐」など近日公開広告。他に、米兵が「都電を襲い身体検査」と称し、乗客から時計、万年筆を強奪したとある。

 読売新聞二面には「久しぶり乾杯の味ビールに癒す米兵」十一日から都内に米軍のためのビヤホールが開設された。また、来月から一流劇場も一斉に開園〝弁天小僧〟〝沓掛時次郎〟登場と。

 高見は、「・・・自動車の運転手から聞いた話だそうだが、アメリカの兵隊にとめられて女のいるところへどうしても連れて行けといわれた。ただし金はない。自動車賃に煙草〇個出す。女の方も、煙草で話をつけてくれ、そういわれて運転手は困ったが、いやだというとピストルでポンとやられるかも知れないので、向島へとにかく車をやった。すると――『そこには派手な振袖を着た一少女歌劇の衣裳だかを、借りて来たという話ですが、とにかく派手なキモノを着た女がいて、もう慣れたもんで、ハローなんていって、いきなりアメリカ兵の頸ッ玉に抱きつく。いやはや、どうも…… 』と話し手はいった。運転手は待合にかけあって煙草〇個で (数を聞いたのだが忘れた ) 百円貰い、運賃を取って残りを渡した。アメリカ兵は喜んで家に上った。地理がわからないから、待っていてくれと、いったそうだが、運転手はアメリカ兵の姿が見えなくなると、すぐさま逃げ出した」と。

 

九月十四日、朝日新聞は「日本側による国内の定期航空を許可」され、差し当たり終戦事務に使用とのことで。

 また「失業人口千三百万」緊急に対策樹立とある。他に、杉山元帥の最期、婦人も後を追ひ自刃の記事。

 二面に、連合国記者団団長ブライアン氏の「滞京二週間の印象」がある。それは「敗因は真珠湾攻撃、今後について「大転換が必要だ」と、また「全国民の冷静さに一驚」などを示した。そして、「一九四〇年解散されたはずの黒龍会が四三年には再び頭をもたげてゐる」ことなどに触れ、「米国民は日本の今後の出方を注意深く見守っている」と結んでいる。他に、「職場を挙げて 復員軍人を歓迎 輔導会に求人十一万」。「神社等に米軍憲兵」、「中央郵便局荒らし 不法行為漸増(米兵の)」などがある。

 読売新聞二面にも「つきものの狂態も潜む 進駐米兵 われらも負けぬ自制を」と。「夜の外出は控えよう 増えた米兵の強奪非行」がある。

 高見は、日本の軍人について「・・・『日本軍の将校は少くとも精神においては米軍に勝れていると自信を持っていたが、いま目の前に見るアメリカ将校の態度は全くわれ/\日本の将校よりも上である、自分等が井戸の中の蛙で独りよがりになっているうちに彼等に追越されていた』としみじみ感じた、精神的な面において然り、事務的な面におけるきびきびしたところ熱心な点は全く足もとにも及ぱぬ、会談は夜の八時から十一時半にまで及んだにも拘わらず臨席の将校誰一人あくび一つしない、大佐位の者が自らペンをとって自分のいうことを一言洩らさず丹念に書きとめている熱心さに感心した」と。また、高見は、マッカーサー元帥のいう「日本は第四等国に下落した」毎日新聞より、を記している。 

終戦のひと月前、戦勝記事は消え、敵機の来襲を伝える

江戸東京市民の楽しみ(昭和時代)329

終戦のひと月前、戦勝記事は消え、敵機の来襲を伝える

 

七月二十二日、朝日新聞「厳戒要す敵企図 交通網攻撃を開始」と。交通機関への攻撃の激化を予想。

 二面に「焦土を潤す文化の涼風 麹町に壕舎の本屋さん店開き」とある。また、「怖しい悪性インフレ」と闇市場では急激なインフレが進んでいる。「“お金が紙屑”では敗戦」と闇の自粛を訴えているが、逆効果にならないか。

 市民の不安は、「プー。又すぐ解除。と又プー。今度は、中々解除されず・・・ドドーンと遠くで地響きのやうな音がする。さては、艦砲射撃が始まったか。ラヂオは、それ迄、B29一機のことばかり言ってゐたが、急に『房総南端及相模湾に砲声あるも、陸岸には特異なる事象を認めず』と言った。又続いて『房総南端及相模湾の砲声は、我軍の敵艦船に対する彼我の砲声にして陸岸には依然特異なる事象を認めず』と来た」と、ロッパは、敵の上陸を意識してのことであろうと。

 

七月二十一日、朝日新聞は「インフレ防止・焦眉の急」「通貨の軽視観念抑制」経済秩序維持のためと。

 二面に「米生産、民需へ綱渡り」「家鴨や豚を飼って」、外食券の不正、「配給の砂糖を廿四貫横領」と、諸般の問題点に触れている。

 高見は、「雨。煙草に野鶴の葉をまぜて飲む。配給がすくないのでそうして飲みのばそうというのだ。かぼちゃの葉を食う。初めての試食だが、まずくはない」とある。

 

七月二十日、朝日新聞は「房総南端に敵小艦艇」「白浜付近を砲撃」と、米軍の攻撃を報告。それに「十八日百卅五機を屠るとあるが、全てを撃墜したようではないようだ。

 ロッパは、新橋駅前で街頭演奏「今にも降り出しそうな空の下、約一万人位╶─╴ぢゃなかろうか、人の海」。盛況であったのだろう、ロッパは「歌ってゝも気持よく、何だか馬鹿に愉快だった」と。

 またロッパは、「北海道は中止のこと、むろん満州行も止めにして、在京のことゝ定める」と、記している。戦況の悪化を鑑みてのことであろうと、心のどこかに敗戦があることを示すものでもあろう。

 

七月十九日、朝日新聞「敵機動部隊執拗に蠢動」と、「狙いは航空兵力減殺と人心攪乱」との記事。「茨城沿岸へ艦砲射撃 関東に敵艦上機跳梁」と米軍の攻撃を伝える。

 ロッパは、「すべてが狂ってしまった。お盆も藪入りもなく、その代り金もちっとも要らず。水戸の艦砲射撃は、やっぱり夢ではなく、新聞を見ると、『日立・水戸方面に艦砲射撃』と出てゐる。もはや、敵の上陸も近いといふ気がする。何たる日本。・・・ラヂオ、ブザー鳴り、敵機京浜に近しと言ふ。十一時半、広場の仮設舞台、野天である。工員数百。しまひの『強く明るく』にかゝると、大空に爆音、工員たちも空を見上げる、B29が頭上通過、高射砲ドヾンドヾンと撃ち出す。それでも歌ふ、面白いって気がしてた。『あせらずに元気でいつも明るく強く進まう!」と歌ひ乍ら、僕も空を見る。工員たち、空を半分、こっちを半分、拍手する。終って、事務所へ歩く時、空からヒラヒラ、謀略ビラが落ちて来る。拾って貰ふと、『マリアナ時報』。事務所の人たち、『いやア実に印象的で反ってよかった』と言ってる」と、気分を良くしている。

 

七月十八日、朝日新聞は、「関東海面に再び 機動部隊来襲」と、平塚・沼津、桑名市付近など、各地の攻撃を記している。

 ロッパは、「夜半、夢うつゝで、ラヂオきいてたら、水戸が今、艦砲射撃を受けてゐると、言ってゐた。水戸と言へば、すぐ近くではないか、冗談ぢやない・・・十二時七分前、ブーウー。『敵は伊豆北部より小田原へ』、B29一機B24一機の由。・・・今度は鹿島灘方面から小型艦載機編隊が、又続々と入って来る。やがて空K出づ。ドヾーンドヾーン高射砲の音、『既に百八十機』尚続々と後続目標があると言ってゐる。然し、近隣何の騒ぎもなし。子供の嬉々として戯れる声がするし、家の中も、平常通りである。東京都民は落着いたもんだな、一寸考へると呆れることである。一時十五分、まだ後続編隊云々とやっている」と、平穏であった。

 

七月十七日、朝日新聞は、米軍が「我作戦に企図挫折」と、「全国各航空部隊へ 侍従武官を御差遺 航空総軍司令官・聖慮に感泣」。「神機を待ち隠忍 空母陣増強に驕る 敵機動部隊撃滅へ」と記している。

 高見は、今日の来襲記事 (毎日新聞)から「我作戦に企図挫折 避退か洋上補給か、敵機動部隊再襲厳戒・・・」を写しているが、記事を信じたのであろうか。

 ロッパは、「今日も街頭慰問やる筈だったが、雨だし、延期・・・三時に放送局へ・・・放送局では、電信局慰問のオケ合せ。スタヂオ内で、歌一と通り合せる。それを入口に立って見てた のが、何う疑心暗鬼名も敵の捕虜らしく、気になってゐたが、通訳の人が来て、『あの中の一人は英人で、もと役者、今、貴方の歌ってるのきいてゝ、実にあれはフランスの歌ひ方だ、と感心してる』と言ふから、行くと、「へイ・ マイク!」と呼び捕虜マイク・マクノートンといふのと、通訳付きで話す。彼の父も役者で、ガス・マクノートンと いひ、 チャプリンと、パントマイムの一座 にゐたことがあるとか。『戦争済んだら一緒に芝居しようぜ』と、握手する。ギューツと力入れて握った。可哀さうな、捕虜」と、同情している。

 

七月十六日、朝日新聞は「機動部隊 継続近接」「室蘭市を砲撃」と。二面には、「藷畑へひと皮剥いだ競馬場」、「活かそう、この食資源」に「つゆくさ、いぬたで、ゐのこづち、いたどり」が続く。また、「予約の前景気も上々 勝札いよいよきょうから発売」、富籤が発売されている。

 ロッパは市電で渋谷へ、駅前の空き地で「盛った舞台の前に、もう何千人か人が集てゐる。「戦力増強芸能隊」と旗をかゝげ、五時すぎから始まる。・・・何しろ駅前のことだ、電車の音、自動車の音、しまひには飛行機も通る」と、敗戦一月前の渋谷での街頭慰問の状況を示している。都民は、戦争とは無縁の世界に居るようだ。

 

七月十五、朝日新聞は「東北 北海道南部に敵機動部隊」「本州に初の艦砲射撃」と、米軍が「釜石付近を艦砲射撃」と。二面に、「出直す学童集団疎開」、東京の再疎開を例に、もっと安全地帯への検討が記されている。

 高見は、「新聞(毎日新聞)に昨日の艦砲射撃の発表あり。

 敵本州に初の艦砲射撃

(大本営発表)

一、本七月十四日早朝より数次に亘り敵艦上機東北地方及北海誓部地区の我航空基地及港湾等 に来襲せり

二、右来襲に呼応し同日正午頃より敵艦艇の一部は釜石附近に対し艦砲射撃を実施せり

飛行場、港湾狙う数百機、不逞近接の敵艦艇・・・」と記す。

 

七月十四日、朝日新聞は「進め国民義勇戦闘隊」の見出し。二面に、「敵機の新戦法に備えよ」として「驚くな醜翼の傘」、禁物なのは「油断大敵」などがある。さらに、「噂話で浮足立つな」「授業は断然続ける」と、これまでの威勢よい叱咤激励調が変わり始めた。

 「新聞を見ると、宇都宮がやられた。──B29 百四十機来襲。宇都宮に約七十機、郡山に廿機、鶴見方面に約五十機。十二日夜の低空の爆音は、これだったのだ。昨十三日は北陸へ行っている。百機。敦賀を攻撃、若狭湾に機雷投下。十二日夜は堺、宇和島をも攻撃」と、高見は記している。

 

七月十三日、朝日新聞は、敵機は「随時随所に来襲可能」であると、「敵機動部隊の動き厳戒」せよとある。我が軍は、敵の動きを全く予測ができないのであろう、予断を許さないと。

 二面に、今後予想される「中都市暴爆の戦訓」の掲載を始め、爆撃は防げず、被害を少なくするしかない。

昭和二十年九月初旬にわかる終戦当時の壊滅的な戦力

江戸東京市民の楽しみ(昭和時代)328

昭和二十年九月初旬にわかる終戦当時の壊滅的な戦力

 昭和二十年(1945年)九月は、戦時中から戦後が動き出す。それを象徴するのが八日の連合軍の日本の首都東京への進駐である。それも、東京のど真ん中、一月前まで、新聞などは「駆逐米英」などと敵意を露にしていた。敵対意識が本当に浸透していたら、竹槍で、米軍の行進に突撃する都民いても不思議ではない。勿論、都民が米軍と戦う組織や態勢が本当にあったのか、疑問であるが。

 九月六日の朝日新聞二面、終戦当時における物的戦力」を見た国民は、これが日本軍の事実と信じられたであろうか。全く戦うことの出来ない状況、本土決戦など出来るはずのないことは明白である。政府と軍は、いかに国民を欺いていたか、勝ち目のないことは前年にわかっていたはずだ。

 

九月一日、朝日新聞は「臨時議会けふ召集」がトップの見出し。社説で「新農村建設と土地問題」を取り上げ、「戦後日本の中心課題」としている。また、「在郷軍人会解散 きのふ歴史的幕を閉づ」と掲載する。

 二面に元戦時農業団会長小平は「日本民族の生きる道」に、「都会に憧れるより 新しい村造り」を提言している。また、東京都長官からより都民各位に告ぐとして「一、秩序の保持 二、食糧の増産 三、手持金の貯蓄 四、街の清浄化 五、服装の粛正」とある。「大詔を奉じ挙国一家、あくまでも国体の護持と民族の名誉を保全せんがため・・・」とのこと。朝日新聞が取り上げる記事は、まだ旧勢力の発想が残っており、読者もまだ批判するまでにいたっていないようだ。

 「本日初日 市川猿之助 一、黒塚二、東海道膝栗毛」東京劇場」、「日本ニュース発表会 日比谷公会堂 日本映画社」の広告。また、「復活する第二放送」とラジオ番組欄が増えた。

 高見は、「在郷軍人会が解散になった。虎の威をかりて『暴力』を振るっていたあの分会……」。と、まだ言い足りない思いが伝わる。

 山田風太郎飯田駅で、「剣なき兵、窓口に顔出し、『兵隊だがねえ、切符一枚売ってくれい』と、今まで通りやり、駅員にさんざんどなりつけらる。『兵隊?兵隊かなんか知らんが、まさかもう公用じやあるまい。公用じゃなけれよ一般といっしよにならんでもらいたい』

 見ているのに、たんに兵を侮るにあらず。駅員も運命に対して腹立ちを抑えかねるといった顔なり。兵隊赤くなり青くなり、はては泣きそうな顔になり、それでも切符を投げ出してもらい、 ニヤニヤ恥ずかしげに笑いて去る」を見た。

 

九月二日、朝日新聞は「けふ降伏調印式」、日本はポツダム宣言を受諾し、降伏文書に調印、そして米国軍の進駐、様々な対応が始まる。

 高見順は読売新聞の「この降伏文書の調印によりポツダム宣言は正式に日本政府並に国民に対し聯合軍の日本占領期間中憲法にも等しい法的に拘束力を有することになるわけであり、また停戦及び聯合国側の要求する軍事条項の履行について法的の確認を与えるものである、日本国民は今や敗北という冷厳な事実をよく認識して耐え難きを耐え、忍び難きを忍び一大決心を以て再建への第一歩を踏み出さねばならぬ歴史的な日を迎えたのである」を日記に写している。

 二面に「嬉しいな、学校へ通える」夏休みが終わり、新学期が始まる。次に、戦時中からの土地問題を「どうなる戦災地土地問題 借地権は休眠状態 新立法まで御辛抱」との記事。

 「外国記者のみた厚木進駐」として、「敵対より好奇心」と周辺住民の関心を記している。

 

九月三日、朝日新聞「降伏文書に調印す」「敵対行為直に終止」と、着々と米国の統治が始まる。

 二面に「文相語る”新宗教道”基督教「温かな行いを」、仏教「真の”心の隣組”として」と、宗教対立を際立たせないようにとのことであろう。次に、「物珍しさに出入りするな 進駐軍との間違い避けよ」との注意。なお、「一部米兵の暴行」があったことも記事となっている。

榎本健一・快男児」興行広告

 高見は「上野公園に、戦災で親を失った孤児たちが集って、浮浪児の群をなしているという。心の痛む話だ。金と場所があったら引き取ってやりたい」と書いている。

 

九月四日、朝日新聞は「自主的に建設せん 新しき政治体制 産業再編へ深き検討」について記している。

 二面に「協力して当たれ隣組」「進駐兵に絶対隙を見せるな」との記事。

 日比谷公園で六日から「明朗音楽会」、純正音楽の大衆化と軽音楽の向上をねらって催される。また、「駐軍に映画館を開放」したことを伝えている。

 三島由紀夫は、東京劇場で『黑塚・東海道膝栗毛』(東京劇場再開広告)を観た。

 高見は、「横浜ではアメリカ兵が相当傍若無人の振舞に出ているらしい。暴行の話、時計を取られた話、無法侵入の話等々が頻々と伝ってくる」と、記している。

 

九月五日、朝日新聞「平和国家を確立」「興国自彊、国本を培養」を記している。

 二面に「工場を離れた者は、食糧も一般並み 将来は家庭配給一本建」にするとの記事。他に、「神奈川県の女子生徒は休校」を伝える。

 「清水金一・新橋第一劇場」興行広告

 高見は「新橋の外食券食堂の前で、外食券をこっそり売っている。一枚五円。五十銭のメ シである。外食券で食っている者は一回食事を抜かして券を闇で売ると、一月百五十円になる。文字通り寝ていて、百五十円儲かる。

新橋のその食堂の附近には、汚い闇屋がうろついている。米を売ったり、小さな梨を売ったり。 読売の『点晴』欄・・・にこの梨などの闇値が『堂々』と出ている。闇値が新聞に出たのはこれ が初めてだ。米、酒等の闇値はさすがにまだ出ない。『点晴』の記事はこうだ。

 戦争の終結で空襲の心配がなくなると、近ごろ、急に露店商人の数が増えて来た。大した商品も並べてないが、群集が取り巻いていずれも大変な賑いである・・・どう見ても裏でこっそり取引されている闇値の何倍か高い。これが白昼堂々と公開の街頭で売られているのだから経済警察は何をしているかといいたくなる。・・・統制経済の欠陥を補うために露店商人も行商人もどし/\増えてよろしい。またこれらの商人に対して或る程度の寛大は許されてもよい。しかし目にあまるようなひどいのは適当に取締らぬと、その余弊は深刻且つ重大である」と、記している。

 

九月六日、朝日新聞「新生へ精進努力 銘せよ我民族の底力」と、戦時中の論調の見出しを出している。そして、国民の生活安定に全力を、と続けている。しかし、東久邇宮首相の施政方針演説に「万邦共栄文化日本を再建設」とあるが、国民の大半は抽象的なかけ声にそれどころではない、というのが実態であろう。

 二面は終戦当時における物的戦力との見出しで、大東亜戦の人員損耗(戦、病死五十万余)、軍需生産、戦闘可能の戦艦なし、航空機・陸海合せ一万六千機(相当数は実戦に適さず)、等が記された。そして「敗因とその責任究明」で、「・・・国民はこれにより何が故に破れたかを判断をし得るであらう」としている。さらに、「責任究明」については全く触れていない。なぜ、責任について書かなかったのであろうか。また、この実情を国民に示すことなく、戦争を続けたのであろうか。

 他に、「追い越すな進駐軍の車」との注意がある。

戦争末期の七月後期、行き詰まりと混乱を呈する新聞記事

江戸東京市民の楽しみ(昭和時代)327

戦争末期の七月後期、行き詰まりと混乱を呈する新聞記事

 昭和二十年の七月後期には、信じられないような新聞記事が出てくる。それは、危険な空襲の予告が出されるも、「恐れるな」という指示である。さらに、「家を燒かれようと何しようと、損ということはない」との記事。

 深刻な食料難に、国民はドングリを食べるようにとの記事。古川ロッパは「東京都民は草を食ってゐる者多し」と日記に記している。国民はどこまで困窮に堪えるか、試しているような日々が続いている。

 戦争の行き詰まりから生じるのであろう、街中の闇市場は急激なインフレに対し、「“お金が紙屑”では敗戦」と闇の自粛を訴える記事。闇市がインフレを招いているわけではない。それなのに国民に責任を転嫁しており、それでは何の解決にならない。

 以上のような記事で気が滅入る中、あれだけ娯楽を制約していたのに、劇場や映画館などが復活したり、復旧中の記事が増えている。

 

七月三十一日、朝日新聞一面は「敵機動部隊三たび関東へ」と、空襲が続いていることを告げている。

 二面に「国民皆農の尖兵たれ」とある。また「どんぐり五百万石を採取」家庭で加工しませう。「私有山の出入もお構ひなし」と、食糧事情が改善してないのであろう。国民はドングリを食べて凌ぎ、国家はそれでも戦争を続けようとしている。

 

七月三十日、朝日新聞は「砲爆撃下敢然戦ひ抜かん 最善の作戦を遂行 相互信頼で必勝」とある。空々しい見出し、最善の作戦がどのようなものか具体性がない掛け声だけである。

 二面に「心の糧としての読書 古本濫読をどう導く 日本出版会の対策を聴く」との記事。

 読売新聞は浅草六区は健在と、市内の劇場や映画館等の興行状況を紹介している。浅草は、六月に高見の示した劇場や映画館に加えて、富士館・松竹劇場・電気館・千代田館・大勝館・松竹新劇場がある。新宿は、第一劇場・武蔵野館。新宿松竹館がベンチ掛けの演芸館として復旧中とのこと。渋谷や銀座なども復活したり、復旧中のところが増えている。

 なお、情報局は「演劇も音楽も映画もすべて移動公演へ組織的に」と、いまだに考えている。しかし、「映画を川崎の工場でやっても見ようともしないでわざわざ公休日を待って新宿や浅草へと見に往く工員が多い」ように、市民の要望とは大きな隔たりがあった。食事が満足に取れないなら、娯楽ぐらい国民の自由にしなければ。

 

七月二十九日、朝日新聞は「敵の艦上千八十機 中部・四国・東海へ」。空襲の予告を出すだけで、「恐れるな」という叱咤激励が続く

 二面に「灰燼の中に”銅山”ありと。また、「一億、敵の矢面に “群る蠅”だ恐るな敵機との記事がある。

 読売新聞社説「国民のエネルギーを政治へ」

「・・・祖国の運命は今や懸って政治の運営にあるということができる。だが・・・国民のエネルギーの何分の一が政治に向けられているか。国民の注意の如何なる部分が政治の上に注がれているか。顧みて吾々は暗然たらざるを得ないのである。・・・

日本人が今日のこの危機に当って何故に政治に対する言いようのない無関心を示すに至ったのか。・・・今は食糧の問題自身が何よりも政治的な視角から取上げらるべき時である。だが一体誰がこういう広汎な視野を持っているのであろう。

恐らく国民をこうした政治的無感覚へ追い込んだ主因は、出来上った框の中で黙々と働く人間のみを作ろうとした・・・教育に求められる。・・・黙々と働くのは、国民として大切な徳であることも明らかである。

ただ黙々と働いても必ずしも成果がこれに伴わぬこと、・・・誰よりも当の国民が知っている。而もその衝にある官僚その他はこの弊を見抜く眼とこれを正す力とにおいて大いに欠けるところがあるのである。

政治は国民の考えてはならぬ問題ではないし、考えても無駄なほど遠くにあることでもない。敵の攻勢といい・・・凡ては根本において政治の問題である。

現代の戦争が或は総力戦と呼ばれ、・・・国民の凡てを挙げて政治を談ずる権利を、否、実に義務を吾が祖国に負うているのである。政治こそ足下の問題と高遠の問題とを離れ難く結びつける一筋の道である・・・食糧の事情が所謂精神で解決されるなどとは思わぬ。だが国民のエネルギーの大半が政治に向って注がれることを、食糧の問題にしても、この迂路を通して接近すべきことを、創意も工夫も先ず政治の部面に発揮されることを、今 この時に当って切望せざるを得ないのである。」

 

七月二十八日、朝日新聞は「数郡の敵機動部隊 依然南方洋上に 警戒を要す戦意攪乱の企図」と。

 二面に「購入通帳を一本に 隣組単位で配給 お米通帳は従来通り」とある。

 高見は、「米英蒋の対日降伏条件の放送について、読売も毎日も『笑止』という形容詞を付けている」と、だけで批評はない。

 

七月二十七日、朝日新聞は「ブケツト島へ 上陸企つ敵撃退」を報告。 

 二面に「戦災地に伸びゆく工場と農園 農園化の殊勲甲は蒲田

敵の空襲で、損害だ損害だというが、頭の考え方をちよつと変えて見ると、燒跡から何万貫という銅が出てくる。銅山で必死の增産をやっても、おつつかない多量の銅が家の燒けた跡から出てくる。そうなると空襲はむしろありがたい。損害どころかすこぶるありがたい話なのだ──栗原部長は昨日こう言った。家を燒かれた国民はまことに気の毒だが……そういう一言が今出るか今出るかと待つていたが、絶対言わなかった。土臺そんな気持は毛ほどもないのだ。

上村氏が尻馬に乘って『家を燒かれようと何しようと、損ということはない。私たちは、何も損はしない。損などということはありえない』と例によって卓を叩いて気違いじみた高声で言った。民あっての国ではなかろうか。国が滅びても俺が生き残ればいい、そう私は考えているものではない。国あっての民ということも考えるが、民あっての国ということを考えるのである」と、高見は思った。

 

七月二十六日、朝日新聞は「陛下の御近況について 日夜政務に御清勵」を掲載している。

 古川ロッパは、「一寝入りした頃、ブーウと鳴ってゐる、なあに又大したことではあるまいと思ってると、空襲警報。ラヂオは、B29の数目標と言ってゐる、起きる気にならず、床の中にゐると、ズシーン!ドドーン、爆弾の音だ。ビリビリッと硝子にひヾける。しようがない、起きる。・・・僕も庭へ。月明、今宵満月か、昼をあざむく明るさ。月の下を、B29幾つも飛ぶ、川崎方面!とラヂオ言ふ。その辺りに、爆弾の音、盛。アッ、火の玉だ。B29一機、火を吹いて落ちる。思はず、ワーツと叫ぶ。・・・一しきり、川崎辺がうるさかったが、友軍機、頻りに飛び出し、静かになる。・・・解除は、一時近くでもあったらうか。再び床に就く。いやもう大変な東京なるかな」と、先行きが分からないまま、慣れだけが定着している。

 永井荷風は、「銀座へ出た。六時ちょっとすぎ。人通りはもうほとんどない」と観察している。

 高見は、銀座「モナミ」で「乞食が入って來た。めっかちで、その黑いカサカサに乾きしなびた皮膚は餓死の一歩手前の人のように見えた。乞食のようなぼろを蔽っているが乞食ではないらしく、十円札を何枚か持っている。否、乞食でもこの頃はそのくらいの金は持っているのかもしれないが、一人で券を五枚買った。どうするのかと、それとなく見ていると、五杯をガブガブと一気に飲んだ。めし代りなのだ。華やかだったレストランも今はこういうざまである。警報が出た。情報がさっぱりわからない。しかしみんな平気な顔なのでこっちも平気な顔をした。

四丁目に出た。電車を待っていると、高射砲の音。敵機が東の高い空を飛んでいる。

警視庁前で電車を降りて内務省へ歩いた。五階というのは最上階だった。もちろんエレベーターはなく足で昇るのである」と、苦慮している。

 

七月二十五日、朝日新聞は「二千機西日本へ大挙来襲 我航空基地を狙う 交通機関も攻撃」と。

 二面に「敵の交通破壊は始まっている」と、

 読売新聞に「銅屑集めに国民酒場『特飲予約券』活用」(二十五日)の記事。銅屑集めの話には笑うに笑えないものがある。国民酒場は一本のビールを飲むために二時間以上も行列する。その無駄な労力を解消するため、銅屑一貫目を持参すれば『特飲予約券』がもらえることになった。当初一日二千貫程度集まればと踏んでいたところ、三日目には二万貫も集まり、さらに五日目には不渡りの特約券を六万枚も出すことになった。やむなく、不足分に対しては『葡萄酒を取り寄せて解決するからといっているから先ず安心と見て差支えあるまい』」とある。銅屑は交換を打ち切っても運び込まれ続けた。なお、その銅屑は、敵の空襲で投下されたもので、市民の犠牲の代償であった。このようなことをやっていて、戦争に勝てると軍や政府は本気で信じでいたのか。

 

七月二十四日、朝日新聞は「機動部隊執拗に行動」「我艦艇、房総南端沖で 八駆逐艦と交戦」と、その砲戦は二十分と。

 二面に「空爆下の初等教育」や「再疎開は完了した もう心配はない 残留学童は減らす方針を示している。

 ロッパは、「母上は馬鈴薯では、何うにも辛く、飯一杯でやめて、馬鈴薯をつきあふ。ムニ/\と噛むその味、思はず溜息フーツと出る。もはや、東京都民は草を食ってゐる者多しと。食糧攻めは、何より応へる」と、ぼやいている。

 

七月二十三日、朝日新聞は「けふ初の編成下令 鉄道義勇戦闘隊」と、決戦に対応するためにと。

 二面に「悪天と農民の血戦 麦作概ね八分作 多産県はさすが良好」を記している。

 ロッパは、邦楽座の『姿三四郎』を覗き、「舞台も飾り、衣装も先づ昔のまゝやっている、不思議な感じ」と、演劇の復活が始まるのを期待している。

 高見は毎日新聞投書欄から「大豆の御飯 ◇大豆がお米の代替配給になってから、お腹をこわして困るという話をよく聞きます。日頃から胃腸の丈夫でない人の中には、大豆めしを食べておなかをこわした方が多いでしょう」と、記している。