終戦のひと月前、戦勝記事は消え、敵機の来襲を伝える

江戸東京市民の楽しみ(昭和時代)329

終戦のひと月前、戦勝記事は消え、敵機の来襲を伝える

 

七月二十二日、朝日新聞「厳戒要す敵企図 交通網攻撃を開始」と。交通機関への攻撃の激化を予想。

 二面に「焦土を潤す文化の涼風 麹町に壕舎の本屋さん店開き」とある。また、「怖しい悪性インフレ」と闇市場では急激なインフレが進んでいる。「“お金が紙屑”では敗戦」と闇の自粛を訴えているが、逆効果にならないか。

 市民の不安は、「プー。又すぐ解除。と又プー。今度は、中々解除されず・・・ドドーンと遠くで地響きのやうな音がする。さては、艦砲射撃が始まったか。ラヂオは、それ迄、B29一機のことばかり言ってゐたが、急に『房総南端及相模湾に砲声あるも、陸岸には特異なる事象を認めず』と言った。又続いて『房総南端及相模湾の砲声は、我軍の敵艦船に対する彼我の砲声にして陸岸には依然特異なる事象を認めず』と来た」と、ロッパは、敵の上陸を意識してのことであろうと。

 

七月二十一日、朝日新聞は「インフレ防止・焦眉の急」「通貨の軽視観念抑制」経済秩序維持のためと。

 二面に「米生産、民需へ綱渡り」「家鴨や豚を飼って」、外食券の不正、「配給の砂糖を廿四貫横領」と、諸般の問題点に触れている。

 高見は、「雨。煙草に野鶴の葉をまぜて飲む。配給がすくないのでそうして飲みのばそうというのだ。かぼちゃの葉を食う。初めての試食だが、まずくはない」とある。

 

七月二十日、朝日新聞は「房総南端に敵小艦艇」「白浜付近を砲撃」と、米軍の攻撃を報告。それに「十八日百卅五機を屠るとあるが、全てを撃墜したようではないようだ。

 ロッパは、新橋駅前で街頭演奏「今にも降り出しそうな空の下、約一万人位╶─╴ぢゃなかろうか、人の海」。盛況であったのだろう、ロッパは「歌ってゝも気持よく、何だか馬鹿に愉快だった」と。

 またロッパは、「北海道は中止のこと、むろん満州行も止めにして、在京のことゝ定める」と、記している。戦況の悪化を鑑みてのことであろうと、心のどこかに敗戦があることを示すものでもあろう。

 

七月十九日、朝日新聞「敵機動部隊執拗に蠢動」と、「狙いは航空兵力減殺と人心攪乱」との記事。「茨城沿岸へ艦砲射撃 関東に敵艦上機跳梁」と米軍の攻撃を伝える。

 ロッパは、「すべてが狂ってしまった。お盆も藪入りもなく、その代り金もちっとも要らず。水戸の艦砲射撃は、やっぱり夢ではなく、新聞を見ると、『日立・水戸方面に艦砲射撃』と出てゐる。もはや、敵の上陸も近いといふ気がする。何たる日本。・・・ラヂオ、ブザー鳴り、敵機京浜に近しと言ふ。十一時半、広場の仮設舞台、野天である。工員数百。しまひの『強く明るく』にかゝると、大空に爆音、工員たちも空を見上げる、B29が頭上通過、高射砲ドヾンドヾンと撃ち出す。それでも歌ふ、面白いって気がしてた。『あせらずに元気でいつも明るく強く進まう!」と歌ひ乍ら、僕も空を見る。工員たち、空を半分、こっちを半分、拍手する。終って、事務所へ歩く時、空からヒラヒラ、謀略ビラが落ちて来る。拾って貰ふと、『マリアナ時報』。事務所の人たち、『いやア実に印象的で反ってよかった』と言ってる」と、気分を良くしている。

 

七月十八日、朝日新聞は、「関東海面に再び 機動部隊来襲」と、平塚・沼津、桑名市付近など、各地の攻撃を記している。

 ロッパは、「夜半、夢うつゝで、ラヂオきいてたら、水戸が今、艦砲射撃を受けてゐると、言ってゐた。水戸と言へば、すぐ近くではないか、冗談ぢやない・・・十二時七分前、ブーウー。『敵は伊豆北部より小田原へ』、B29一機B24一機の由。・・・今度は鹿島灘方面から小型艦載機編隊が、又続々と入って来る。やがて空K出づ。ドヾーンドヾーン高射砲の音、『既に百八十機』尚続々と後続目標があると言ってゐる。然し、近隣何の騒ぎもなし。子供の嬉々として戯れる声がするし、家の中も、平常通りである。東京都民は落着いたもんだな、一寸考へると呆れることである。一時十五分、まだ後続編隊云々とやっている」と、平穏であった。

 

七月十七日、朝日新聞は、米軍が「我作戦に企図挫折」と、「全国各航空部隊へ 侍従武官を御差遺 航空総軍司令官・聖慮に感泣」。「神機を待ち隠忍 空母陣増強に驕る 敵機動部隊撃滅へ」と記している。

 高見は、今日の来襲記事 (毎日新聞)から「我作戦に企図挫折 避退か洋上補給か、敵機動部隊再襲厳戒・・・」を写しているが、記事を信じたのであろうか。

 ロッパは、「今日も街頭慰問やる筈だったが、雨だし、延期・・・三時に放送局へ・・・放送局では、電信局慰問のオケ合せ。スタヂオ内で、歌一と通り合せる。それを入口に立って見てた のが、何う疑心暗鬼名も敵の捕虜らしく、気になってゐたが、通訳の人が来て、『あの中の一人は英人で、もと役者、今、貴方の歌ってるのきいてゝ、実にあれはフランスの歌ひ方だ、と感心してる』と言ふから、行くと、「へイ・ マイク!」と呼び捕虜マイク・マクノートンといふのと、通訳付きで話す。彼の父も役者で、ガス・マクノートンと いひ、 チャプリンと、パントマイムの一座 にゐたことがあるとか。『戦争済んだら一緒に芝居しようぜ』と、握手する。ギューツと力入れて握った。可哀さうな、捕虜」と、同情している。

 

七月十六日、朝日新聞は「機動部隊 継続近接」「室蘭市を砲撃」と。二面には、「藷畑へひと皮剥いだ競馬場」、「活かそう、この食資源」に「つゆくさ、いぬたで、ゐのこづち、いたどり」が続く。また、「予約の前景気も上々 勝札いよいよきょうから発売」、富籤が発売されている。

 ロッパは市電で渋谷へ、駅前の空き地で「盛った舞台の前に、もう何千人か人が集てゐる。「戦力増強芸能隊」と旗をかゝげ、五時すぎから始まる。・・・何しろ駅前のことだ、電車の音、自動車の音、しまひには飛行機も通る」と、敗戦一月前の渋谷での街頭慰問の状況を示している。都民は、戦争とは無縁の世界に居るようだ。

 

七月十五、朝日新聞は「東北 北海道南部に敵機動部隊」「本州に初の艦砲射撃」と、米軍が「釜石付近を艦砲射撃」と。二面に、「出直す学童集団疎開」、東京の再疎開を例に、もっと安全地帯への検討が記されている。

 高見は、「新聞(毎日新聞)に昨日の艦砲射撃の発表あり。

 敵本州に初の艦砲射撃

(大本営発表)

一、本七月十四日早朝より数次に亘り敵艦上機東北地方及北海誓部地区の我航空基地及港湾等 に来襲せり

二、右来襲に呼応し同日正午頃より敵艦艇の一部は釜石附近に対し艦砲射撃を実施せり

飛行場、港湾狙う数百機、不逞近接の敵艦艇・・・」と記す。

 

七月十四日、朝日新聞は「進め国民義勇戦闘隊」の見出し。二面に、「敵機の新戦法に備えよ」として「驚くな醜翼の傘」、禁物なのは「油断大敵」などがある。さらに、「噂話で浮足立つな」「授業は断然続ける」と、これまでの威勢よい叱咤激励調が変わり始めた。

 「新聞を見ると、宇都宮がやられた。──B29 百四十機来襲。宇都宮に約七十機、郡山に廿機、鶴見方面に約五十機。十二日夜の低空の爆音は、これだったのだ。昨十三日は北陸へ行っている。百機。敦賀を攻撃、若狭湾に機雷投下。十二日夜は堺、宇和島をも攻撃」と、高見は記している。

 

七月十三日、朝日新聞は、敵機は「随時随所に来襲可能」であると、「敵機動部隊の動き厳戒」せよとある。我が軍は、敵の動きを全く予測ができないのであろう、予断を許さないと。

 二面に、今後予想される「中都市暴爆の戦訓」の掲載を始め、爆撃は防げず、被害を少なくするしかない。