明治三十五年に忍び寄る不景気の娯楽

江戸・東京庶民の楽しみ 133
明治三十五年に忍び寄る不景気の娯楽
一月八甲田山で青森歩兵第五連隊遭難/日英同盟調印
上野動物園は賑わうが停滞気味の市民の行楽
 一月、上野動物園にドイツのハーゲンベック動物園からライオンとホッキョクグマなどが新たに入園した。ライオンやホッキョクグマなどの人気は高く、この年から入園料が大人四銭、小人二銭と二倍に値上げされたにもかかわらず、入園者は前年より30万人以上増加して史上最高の約95万人の人々が訪れた。二月、日英同盟協約締結を受けて祝賀会がいくつか開催された。もつとも大衆を巻き込むような盛大な催しはなく、慶応義塾の学生たちが行った炬火(タイマツ)行列程度のものしかなかった。三月、春に予定されていた第二回日本労働者大懇親会は、前年大成功をおさめたことから人々も大いに期待していたと思われるが、労働運動の活発化を恐れた神田警察署長によって禁止されてしまった。
 この年のサクラは開花が早く、三月の末から咲きはじめた。墨田堤のサクラは上野より二三日遅れて咲きだし、前年と同様に多くの人出が期待されていた。墨田堤周辺には、掛茶屋に渡し船、長明寺の前には恵比寿ビールや東京ビールなどの小屋、御前境内には植木市、言問団子に長明寺門前の桜餅、それに自動電話も開設された。四月に入り、サクラのシーズンになったが酔って茶番を演ずるものもなく、官吏や学生などの姿が多かった。また、墨田堤の近くには、自転車預かり所との張り紙をした家が数軒あったが、六分咲きということからか未だ一輌もあずけた者はいないとの記事がある。そして、「今年の花景気はパッと咲かず」とあるように、例年のような賑わいはなかったようだ。なお、灌仏会は、回向院、浅草観音、薬師堂などがなかなかの賑わいだった。
 五月になり、小石川牛天神大祭が踊屋台や山車が出て混雑した程度で、六月の新宿花園稲荷の祭典では、神輿が貸し座敷に押し込まれている。
義太夫に迫る源氏節の流行
 都新聞では義太夫案内が紙面を割いているが、娘義太夫も一時の人気を失い、落語もマンネリ化して、寄席の入りは非常に悪化していた。そのような寄席芸のなかで、源氏節が六月あたりから大流行した。「源氏節」は、「祭文江戸説教」を「説教源氏節」とあらため、それからまた源氏節となったもので、三味線歌曲の一種。源氏節芝居とも呼ばれた。女役者だけで演技じ、特有の淫猥な演技があるという理由から、警察の目が厳しくなり、夏頃には早くも凋落傾向がみられた。九月初めには、麻布亭で「大和田日記」興行中に中止させられ、1円の過料が課せられた。
 寄席芸が今一つ盛り上がりに欠ける中、あか抜けした奇術は好評だったと見えて、四月にジャクラー操一一座が市村座で、五月には神田錦輝館で興行する。また、ドイツ人ピーターグレン一座が歌舞伎座に続いて、六月に明治座で一等50銭、五等10銭で興行した。また、八月にも英国人ダビス一座が歌舞伎座で奇術を昼夜二回興行した。ピーターグレン一座の演し物は、奇術に加えて、怪力や曲芸、幻灯や活動写真なども見せるというショーであった。ダビス一座は、トランプやハンカチなどを使った手品で、中には暗室中の大魔術など大仕掛けのものもあって、バラエティーに富んでいた。
・じわじわと不景気がしのび寄る
 十一月、浅草花屋敷では、菊人形が開園。足柄山奥山姥、丸橋忠弥捕り物、八島壇の浦、龍宮城内宴会などの菊細工活人形が陳列された。園内では、大ゾウの曲芸にオラウータン、トラ、クマなどの動物、盆栽、日本一の大声発音器があった。浅草公園は、当時の大衆がどんなものに関心を示したかを知るうえで最もふさわしい場所と言える。特に花屋敷は、子供から年寄りまで幅広い層が楽しめるようにつくられており、当時の庶民が求めていた娯楽の縮図がそこにあった。また、浅草田圃の初酉は、非常な盛況。浅草署が取り扱った事故等は、喧嘩制止675件、説諭406件、酩酊者210人、迷子96人、老幼保護237人など。十二月の観音市でも、好天気で非常な人出の割にはと言われる中、喧嘩95件、酩酊58人、迷子18人、老幼保護238人、スリにあった人61人など。停滞気味の東京の遊び場の中で、浅草は一人勝ちともいうべき状況であった。
 この年は、元旦から人出は多かったものの、景気の盛り上がりは今一つ。まず、春の行楽が雨にたたられた。六月の長雨によって、相撲は開催できず、その上人気力士の休場もあって、相撲茶屋の不景気は深刻であると。七月、入谷の植木屋11軒が、舌切り雀や丸橋忠弥捕り物、八犬伝芳流閣などの人形細工を設けたが、客の賑わいを伝える記事はなかった。藪入りも雨。八月になっても十二日までは雨の連続、川開きは辛くもお天気がもって相応の人出。十一月の天長節も前日二日間が大雨であったことから外出者が少なく、観兵式もぬかるみで中止された。この年の大衆レジャーは、天気に恵まれなかったこともあるが、戦争を予感して遊ぶ気運にならなかったのではなかろうか。
 寄席の観客が前年より50万人も減少して387万人となった。東京の人口が増加する中、徐々にではあるが娯楽活動を差し控える傾向が見える。劇場については、前年に54万人もの著しい減少があった。そのためか、劇場観劇数は、12万人とさほどの減少ではなかったが、337万人となった。劇場は、芝居の入りが悪いために奇術など演劇以外の興行を増やしている。観客減少の傾向は二年ほど前から始まり、明治三十二年に比べて、寄席と劇場の観客は合わせて204万人も減少している。この年観客が増加した上野動物園も、翌年は41%減少というように、レジャー活動の収縮化は日露戦争終了まで続くことになる。    ─────────────────────────────────────────────╴    

明治三十五年(1902年)の主なレジャー関連の事象
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1月Y元旦の人出は多かったが景気はいま一つ/読売
1月M深川初不動、寒気にもかかわらず盛況/都
1月 浅草公園内の常磐園で犬相撲が興行される
1月Y藪入り、浅草・上野など大賑わい
1月U上野動物園にドイツからライオンとホッキョクグマなどが入る/上野動物園百年史
2月M初午と節分が重なり、各地とも賑わう
2月 芝公園日英同盟協約締結祝賀会開催
2月M西洋の力持ちラシファー一座、神田錦輝館をはじめとして興行
3月 天満宮1000年祭で亀戸天神拡張される
3月M演技座で西洋風の夜芝居を上演
3月Y潮干狩り船の相場、大伝馬船頭付4円50銭、乗合船15銭
4月Y人と桜、この年の花景気はパッと咲かず
4月M灌仏会、回向院・浅草観音堂・薬師堂等でなかなかの賑わい
4月 上野公園で日蓮開宗650年祭が挙行される
4月M市村座ジャグラー一座の奇術、五月には神田錦輝館で興行
5月Y漫遊外国人、例年になく多く、ホテルはいずれも満員
5月 ドイツ人ピーターグレン一座が明治座で奇術を興行する
5月M小石川牛天神大祭、踊り屋台や山車が出て混雑
6月H源氏節が大流行する、8月には凋落の様子を見せはじめる/郵便報知
6月M赤坂氷川神社大祭、新宿花園稲荷で神輿が貸し座敷に押し込む
6月G神田錦輝館で、米西戦争の映画が上映される/時事
6月M虫の相場、松虫7銭・鈴虫6銭・轡虫25銭・螽斯30銭・金雲雀25銭・鐘敲20銭
7月Y花火遊覧船、荷足2人船頭付き1円50銭
7月M入谷の朝顔11軒、舌切り雀・丸橋忠弥捕り物・八犬伝芳流閣等の人形細工出る
7月G神田錦輝館で美当一調の軍事講談と活動写真会
8月 英国人ダビス一座が歌舞伎座で奇術を昼夜二回興行、10月には神田錦輝館で興行
8月Y連日の雨晴れ、柴又帝釈天、貝殻町水天宮等大賑わい
8月Y両国の川開き、お天気もって相応の人出
9月M麻布亭で大和田日記との源氏節が淫猥にて中止、1円の科料
9月M平河天神の菅公祭
9月M芝神明の大祭、山車・手古舞・大蛸干物曳物に玉乗り・書生手踊り・剣舞・雪中行軍人形等が出る
9月Y秋季祭、上野・浅草公園等晴れ着で賑わう
10月G早稲田大学開校式後、学生・学友五千人が市内をデモンストレーション
10月F浅草公園内の水族館、三周年記念で福引をする
10月Y宮崎滔天が神田錦輝館で新体浪花節「桃中軒」を組織し興行する
11月Y明治座で清国人の曲芸が興行される
11月 浅草公園内の花屋敷で菊細工活人形が開園する
11月 神田錦輝館で、軍談と組んで教育活動写真会を催す
11月Y天長節悪天候で人出少なく、観兵式も中止
11月Y浅草田圃の初酉、非常な盛況
12月G本所三つ目のゴロ市、飾物商18、古物商30、植木300余、飲食その他3ー400出店届け
12月M浅草観音市、好天気で非常な人出、迷子18、喧嘩95、酩酊58、スリ被害61、幼老保護238
12月 演技座で愛知の獅子舞を昼夜二回興行
12月 新橋亀屋が洋酒、ケーキを売り出す