三十六年の娯楽に感じる忍び寄る戦争

江戸・東京庶民の楽しみ 134
三十六年の娯楽に感じる忍び寄る戦争
四月政府対露方針決定/十月小村外相とローゼン露公使の交渉開始
・人気役者が消え、客離れの進む歌舞伎
 この年、二月に五代目尾上菊五郎が死去、後を追うように九月には九代目市川団十郎が世を去った。それでなくても劇場への観客の足が遠くなっている時期である。歌舞伎の二本柱を失ったことは、演劇界に大きな衝撃を与えた。劇場観客数は、前年より51万人減少して285万人となった。演劇、特に歌舞伎を大衆が気軽に見に行くようになったのは、明治になって、それも二十年代に入ってからである。二十二年に歌舞伎座が開場したのを皮切りに、二十五年に中小の劇場がいくつも開場し、翌年に真砂座、明治座と続き、観客席が著しく増えたことから料金もかなり安くなった。それまで大衆にとっては高嶺の花であった歌舞伎等の芝居が身近になり、一挙に劇場観客数を増加させ431万人に達した。ただし、大衆が芝居に熱をあげたのは三十三年頃までで、それ以降は活動写真に関心が移っていく。これに加えて、相次いでスターが消え、以後さらに観客が離れていったとも考えられる。
 なお、歌舞伎座は六月に「歴史活人畫(レキシカツジンガ)」を興行。活人畫は、明治二十年頃、虎ノ門工部大学校において、ドイツ人が行った後絶えていたが、この四月に下田歌子女史が水交社の癸卯倶楽部で園遊会余興に催したところ、喝采を受けた。七月にも活人畫は、活動写真とともに興行され、都新聞に「一昨夜は美術家連の見物あり。なお、八百蔵、女寅、吉右衛門菊五郎、栄三郎、高麗蔵等俳優びいきの連中見物もある筈なりと」ある。これがどんなものかというと、歴史上の人物に扮した演者が美術家の作成した背景の前に並んで、十分程度立ったまま講談をするというもの、とある。
 十月に活動写真の初の常設館・浅草電気館がオープンした。電気館での映画見物は、土間に下駄履きで入り、前の人の肩ごしに立ち見するものであった。枡席や椅子の座って観賞する芝居見物とは明らかに違うもので、劇場の大入り場以下との評価されていた。しかし、活動写真は、浴衣掛けや下駄履きで見れる気安さ、寄席と同じような感覚が大衆の心をしっかりつかんだ。
・潮干狩りよりもまだ開帳
 三月、東京湾は、まだ埋め立ていなかったので汐干狩りで賑わっていた。東京付近の汐干狩りは、芝浦、高輪、浜離宮下、深川越中島、州崎沖、品川の台場などの場所で行われた。当時の汐干狩りは、干潟に残された魚や蟹などを拾い、それを船頭等に料理させて味わうというもの。江戸時代から続いた行楽で、現代のように海岸沿いの干潟で貝を拾うというだけのレジャーではなかった。干潟まで陸続きに歩いて行くのではなく、遠浅の東京湾にできる島状の干潟へは船に乗って渡るものだった。貸し船の相場は、伝馬船で1円50銭、荷足船で80銭、乗合船が15銭。新聞には船相場が格安とある。が、まだ大衆の遊びとはいっても誰もが容易に楽しめるというわけではなく、一日の乗船客は5千人を超えなかった。
 四月、浅草観音の開帳、上野や墨田川の花見には大勢の人々が出ているが、特別賑わったという記事は出ていない。逆に、大久保の躑躅見物に臨時列車が運行、樹齢三百年もの古木をはじめ、いくつもの園が開園して客を待つとある。もっとも、不景気で飲食店の売り上げが伸びず、人出ももう一つであった。五月、浅草の水族館にジャワ産の一間半(2.7m)のワニが展示され、話題を呼ぶ。六月、日本チャリネ大曲馬の公演が回向院で、特等1円、一等50銭~四等10銭、昼夜二回興行。日々数千人もの参詣がある信州善光寺の開帳と重なり七月には延長され、その後神田和泉町平河町天神境内と場所をかえて、八月になっても興行が続けられた。
・庶民にはあての外れた日比谷公園
 この年、市民が最も関心をよせた日比谷公園がついに六月開園。開園式後、一般人の入園が許されるようになると、定刻前から待ち構えていた人々が四方から乱入して思うように歩くこともできなかったと、新聞に書かれていた。当時の公園は、浅草公園や上野公園などのように大衆のレジャーセンターというイメージが強かったので、人々の期待も予想以上に大きかったと思われる。
 もっとも大衆の期待とは裏腹に、日比谷公園は、実は従来型の遊園地ではなく、首都東京にふさわしく、西欧スタイルの近代的な都市公園を目指して作られた。そのため、日比谷公園が画期的な公園であるという新聞の評価はあるものの、歌人・小説家の伊藤左千夫は、できた当初から痛烈な批判を向けた。すなわち「公園は只都民の遊戯場のみ、國家と何等のかんけいかあらむと」と、西欧の文明国に公園があるからといって、我が国にもつくろうなどという考えは浅はかである、というのが彼の論旨であった。写実的かつ、重厚な万葉調の歌風が特色である伊藤左千夫が、国家と公園の関係を論じ、さらに、公園のデザインにも言いがかりに近い非難までしているのも興味深い。
 ところで設置者が、日比谷公園の利用をどのように想定していたかとというと、家族連れで盛装して洋食を食べにくるとか、音楽を聞き香り高いコーヒーを飲むとかという、いわゆる西欧の公園で見られる上品なイメージであった。ところが、開園後二ケ月で、「市民の公徳心欠如を理由に深夜開放中止」との記事が出ている。その理由は「園内の花卉、樹木を窃盗するもの等随分多かるべき故」。東京市は警視庁に取締りを交渉中で、「やむなく一時その開放を見合わせ、現時の十時限りを十二時限りと改め、真に納涼のため同園に遊ぶものに対し便宜を与うべし」と、市民の利用を制限しようとする傾向が見られる。このように公園利用を管理しようとする姿勢は、掲示板に示され、荷車の出入り禁止、空車の馬車や人力車の入園禁止、広告看板及び諸芸人や行商などの立ち入り禁止、他の入園者に妨害したり不体裁な容装で入園することなどが禁じられていた。望ましい公園利用を市民の手に委ねようとはせず、あくまで上から指導しようとしていた。
 十一月、「天長節靖国神社大祭に挟まれた一の酉、」と書かれているから、酉の市は人出を取られたらしい。この年は三の酉まであるため、熊手の売行きも今一つとある。五月の靖国神社大祭も皇室関係者、陸軍大臣以下軍関係者が参拝し、一般参拝も許され立錐の余地もないほどの混雑ぶり。日露戦争を予感した空気が徐々に漂いはじめていたようだ。  
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明治三十六年(1903年)の主なレジャー関連の事象
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1月M上野パノラマ館、彰義隊苦戦状況、元旦より興行/都新聞
1月Y神田錦輝館、輸入映写機で元日より5日まで昼夜2回興行/読売新聞
1月Y亀井戸妙儀詣、人出多いが繭玉など売れ行き不振
1月M京橋祇園亭で源氏節が淫猥と科料1円
2月M川上音二郎明治座シェイクスピアのオセロを上演
3月 ジャクラー操一一座が神田錦輝館で奇術を興行する、一等30銭~三等10銭
3月Y潮干狩り船相場が格安、荷足り船80銭、伝馬船1円50銭、乗合15銭
3月Yサッポロビール吾妻橋にビヤガーデン開設
3月  芝浦・高輪・品川台場等へ汐干狩り客多く出る
4月M浅草寺開帳、21日間で違警罪3133人
4月 上野公園竹の台で労働者観桜会を開く
4月M江戸川の桜、花灯籠30余ヶ所、数十艘の船、代金20銭
4月M大久保のツツジに臨時列車を運転
5月 竹沢藤治一座が末広座で曲独楽を興行、午後五時開園、大人七銭、小人五銭
5月M靖国神社、皇族・陸軍大臣以下兵等の参拝、一般参賀許され立錐の地なき群集
5月M三社祭、開帳もあって盛大に
5月M烏森神社例祭、群集する
5月Y神田錦輝館でステレオ・シネマトグラフ公開
6月J日比谷公園の開園式が行われる/日本(日本新聞)
6月 二代目梅ヶ谷藤太郎・常陸山谷右衛門が横綱を免許される、相撲の明治期黄金時代到来
6月M浅草鳥越神社大祭、神酒所で争い
6月M歌舞伎座で歴史活人画興行、七月も活人画と活動写真
6月Y日本チャリネ、回向院で公演延長、7月神田和泉町、8月平河町等で興行
7月M回向院で信州善光寺の開帳、日々数千人の参詣
7月 東洋活動は、昼に真砂座、夜に市村座にて着色発声浮出し写真、評判良く興行する
7月M藪入り、上野・入谷等賑わい、鉄道や一銭蒸気いづれも満員
8月J日比谷公園、夏の夜間開放を十二時までとする
8月M千住の天王祭、炬火送りに神輿や囃子屋台出る
8月M川開き、花火船の血塗れ騒ぎ、船同士が器物を投げ合う、船中の乱痴気騒ぎ、喧嘩75件
8月M酷暑で角筈十二社や目黒等の滝の名所は大繁盛
8月M浅草公園常盤の温滝、男女混合にて始末書  
9月 恵比寿ビール、玉突台やローンテニス等の遊技場を設ける
9月M歌舞伎座で竹沢藤治の曲芸
9月M市ヶ谷亀岡八幡、高田穴八幡、若宮八幡等、祭礼多し
9月M二十六夜愛宕山と公園丸山は立錐の余地なき雑踏、品川の貸し座敷も一杯
9月M真砂座で自動人形開場、一等25銭・二等20銭・三等15銭・四等10銭・五等7銭
9月M深川不動、正五九の不動、参詣人多く、巡査を派して警戒
10月Y池上本門寺お会式、露店1015軒、多彩な興行物、臨時列車を増発
10月 浅草に初の常設映画館「電気館」が開場する
10月 東京座にてフランス製天然色活動写真を興行する
10月 日本橋白木屋が改築開店に際し、木馬・シーソーなどの新式玩具付き遊戯室を設置
10月M麻布高砂亭、毎夜大入り、清元や義太夫等にて、大切りに福引き
10月G川上一座が本郷座で子供対象のお伽芝居を興行、小児10銭、付添い30銭/時事新報
11月 米国人の女優カマンセラが歌舞伎座で舞踊と奇術を興行
11月Y帝国ホテルで天長節夜会、宮家・外交官等2000人余
11月M一の酉、天長節靖国神社大祭に挟まれ、人出はあったが熊手は小物のみ
11月G第1回早慶対抗野球試合が網町蜂須賀侯爵邸内運動場にて行われ慶応の勝ち
12月M深川八幡の歳の市、出店をめぐり血塗れ
12月M愛宕の歳の市、出店者1342人