レジャー気運が高まる大正四年前半

江戸・東京庶民の楽しみ 152

レジャー気運が高まる大正四年前半
 大正四年、不安定な政府ではあったが中国に経済的権益を求める「二十一カ条」を要求。世界大戦よってヨーロッパ諸国のアジア進出が弱まり、アジア市場を日本が制し、国内の経済が動きだことになる。十一月に天皇即位の御大典(ごたいてん)に沸きたつ中、戦争景気が始まった。
 景気がまだよくなっていないにもかかわらず気分的に浮かれはじめたようで、市民のレジャー気運は月を追うに従って高まった。特に即位の奉祝は、一月以上も市民を浮かれさせた。この年、連鎖劇が流行し、歌は「恋はやさし延べの花よ」「ゴンドラの唄」などが流行った。草市の相場、真菰磨き六尺もの10銭~40銭、苧殻は3本2銭、籬垣1枚5~7銭、蓮の葉1枚1~3銭、味噌萩一束1銭、牛馬一組5銭位。
・一月「初荷の賑ひ 今年は控目」三日付東朝
 とはいえ、元日の晩から二日目にかけての上野、汐留、両国へと向かう初荷の量は、相当なもの。魚河岸ではお正月向けタイ、マグロ、カジキなどがほぼ昼までに片づいた。また、神田市場のミカンは不作で出荷が少ないため、高値であったが、それでも昼までに大半のミカンが売れたとか。このように上野や浅草などでは、元旦ムードに浸りながらも商売は商売でしっかり始まっていた。五日の水天宮は、午前四時半の開門と同時に参詣者がどっとなだれ込んだ。またたくまに、2万をこえるお守札が売れ、安産祈願の鈴の尾も残り少なくなった。ちなみに、お守り札は午後二時までに5万枚、夕方までに7万枚が出ている。もっとも不景気の風は神様にも吹くのか、人出は前年と比べると七割程度といわれた。
・二月「初午の賑わい」九日付讀賣、「本郷座の連鎖劇」十八日付讀賣
 青空の下、太鼓の音に春めき、正一位稲荷の旗が翻る中、市中の人々はいそいそと初午に向かった。赤坂の豊川様では、通りの片側がギッシリと露店で埋まり、門をくぐると奉納手拭いと長提灯で飾りたてられたお茶屋が大繁盛。そして、参拝の後は皆、縁起物の火打ち石を先を競って買っていた。他にも、羽田の穴守稲荷では、赤い鳥居のトンネルを潜って境内に入ると、この日のためにつくられた立派なアーチ。また、囃子屋台も設置され、そこで披露された二十五座の滑稽は人々を浮かれさせた。本殿前の賽銭箱にはひっきりなしに銅銭の投げ込まれる音が響き、ズラリと並んだ露店が客を呼びこみ、油揚げのお供えがやたらに目につくという光景。「お砂頂き」の際には狭い穴の前で破れ返るような大騒ぎが見られた。こちらはお参り後に、少々早いが蒲田梅屋敷の様子をのぞきに、さらに川崎大師へと洒落込む者が多かった。
 この年、連鎖劇というものが流行り出した。これには、演劇が主体で舞台で演ずることのできない部分を映画で見せるものと、もう一つ、映画の途中で演劇や踊り等をはさむものとがある。本郷座では演劇が中心で、筋書きを読まなくても見ていてわかるために、誠に重宝な手法であるとの評がある。浅草三友館では映画を主とし、「忠臣蔵」では、映画の合間に尾上松之助一派女優団が実演するという連鎖劇になっている。
・三月「随所春の人」二十二日付讀賣
 三月、花見関連の記事のなかに花見茶屋と花見船の相場が紹介されている。花見茶屋は、言問付近が最も高く一等場所間口一間奥行き一間で30円・白鬚橋から鐘紡の近所までが15円・綾瀬付近になると5円と安い。花見船も潮干船も同じ値段で、屋形20円・屋根15円・五大力12円・大伝馬8円・中伝馬5円・小荷足2円・高瀬10円位と例年と変わりない相場。前年から続く諒闇明けも間近いことから、商売人は大きな期待を抱いていると書かれている。
 衆議院選挙の投票を三日前にして大騒ぎの彼岸の日曜、池之端の戦捷博覧会を筆頭に、新来のカットベアー(レッサーパンダ)が呼び物の上野動物園は4千5百人を超える入場者があった。また、本願寺境内は蒸れ返るような人出。浅草は相も変わらぬ雑踏とある。また、浅草寺四月一日から開帳、英文の案内も用意され、境内には三百余の絹灯籠の照明が設置、五月末日まで催されるとのこと。開帳初日は、仲見世は押す押すなの人の波、本堂正面の賽銭箱にはまるで賽銭の雨が降るようであった。
・四月「花は先ず上野から」二日付東朝、「昔を今の大名行列」十七日付讀賣
 四月に入ると、新聞は毎日のように花見に関連したことを報告。新名所になった柴又帝釈天、さらに大正博後の整備として上野公園にサクラが植えられたことなど。また、花見の賑わいだけでなく、「風致の問題衛生の問題」(四日付報知)と環境問題として取り上げている。東京のサクラが河川改修のために失われ、また多年の煙害によって樹木が抵抗力を失い、野鳥も減少したために貝殻虫などがつき、その上根元を踏まれて枯れはじめている。これは、観桜という風致の問題にすぎないが、よく考えれば市民の衛生にまで及ぶと結んでいる。
 十日付(讀賣)で、上野や飛鳥山の花見の賑わいに加え、その他東京の花見の名所、江戸川や九段(坂上、坂下)、牛ケ淵などを紹介。その中で、江戸川での花見について、石切橋より大曲りにいたる間のことを「三分咲きの花のトンネル、水面の花影を砕いて」と、船で花見を楽しんでいる様子を伝えている。さらに、軽船の借り賃が一時間4銭~6銭とであるとも。ちなみに江戸川は、今では高架の首都高速道の高架下になってしまっている。その上、両岸はコンクリートで固められたカミソリ護岸、ドブ川と化し、残念ながら当時の面影はない。もし少しでも昔の面影をたどりたいと思えば、石切橋の先の関口から上流を歩かなければならなくなっている。
 十六日からは芝増上寺の東照公三百年祭。呼び物は、何といっても両国回向院から増上寺まで続く大名行列。回向院には未明から人々が集まり、八時頃には境内はもちろん両国橋・浅草橋まで人の山ができた。十万石大名の行列ともなると、露払いを先頭にめ組の火消し頭、金棒、先箱、大三間槍、等々と続き、御駕籠には等身大の人形が、そして駕籠脇の小姓は俳優の市川小太郎と関谷元吉が演じ、茶坊主には市川介造、その後にも馬に乗った家老たちや長持ちなどが延々と続いた。この行列は群集を縫うように進み、十時半頃三越で休憩、十二時頃増上寺に入った。両国界隈の沿道は、二階さらに屋根の上から、電柱によじ登って行列を待つ人であふれ、料理屋は10~20銭の観覧料を取り一儲け。増上寺境内は午後九時まで一般参詣者を受け入れ、付近は未曽有の混雑であったという。
 春の行楽は盛んで、潮干狩りはどこも近年にない人出、品川は前年の二倍以上であった。諒闇が明けた招魂祭の人出も多く、第三日目は近年にない盛況と。日比谷公園では基督教会の日曜学校生徒大会に少年少女1万人が集まった。
・五月「早軍大に振う」十七日付讀賣
 五月に入ると、目黒花壇のフジとボタン、堀切のショウブ、亀戸のフジなど各地の花の名所に大勢の人が訪れている。さらに劇場や映画館なども盛況で、大入満員や好評につき日延べが決まった、などという記事や広告が出されている。
 五月十六日に早稲田対一高の野球試合が行われた。早稲田には5千の応援団、一校には1千5百、観衆は3万5千人も繰り出したと。夏目漱石も知人に誘われてこの試合を見に出かけている。日記によると、場内は人で埋まり、どこが入り口かもわからないほどの混雑であった。漱石らは一高側スタンドで観戦したものの10対5で敗れた。応援席の人々はよほど熱くなっていたようで、勝敗が決まった時などは「急に大風の後のように静まった。千人の人(一高側応援席)が一人も口を開かなかった」とある。漱石の観察が正しければ、新聞の応援数は水増しされており、となると観客数も5割り程度多くなっているのでは。
・六月「山王祭の賑い 諒闇明氏子の大元気」十五日付讀賣
 六月、梅雨が訪れても、相変わらず大相撲の入りはよかった。日枝神社山王祭は、山車飾り13ヶ所、神酒所60余所、余興舞台で各種の演し物と賑やかに催された。演劇では、浅草オペラ館の「鳩の家」連日満員の盛況。また映画では、富士館の教育写真「曾我兄弟」が連日満員で日延べしている。その他にも帝国劇場での東京フィルハーモニー会の管弦楽、有楽座の東西洋舞踏音楽大会など、市民レジャー全般に活気が見える。
 銀座四丁目の角にキリン納涼園が開業。ここでは、キリンビールをはじめアイスクリームやソーダー水に料理が提供されるとあってすこぶる繁盛している。もっとも、世間全般では、当時の氷菓子はかなりいい加減なものを使っていたらしく、藪入りの浅草で一杯1銭のアイスクリーム屋2~30名を検挙して調べるという騒ぎがあった。映画館街の方ではそのアイスクリームと一本1銭のラムネが大繁盛。浅草公園内には、氷屋だけでも百軒からあり、中には草花を入れた大きな氷柱を飾り立てて居る洒落たラムネ屋などもあったという。                                           ────────────────────────────────────────────
大正四年(1915年)レジャー関連事象・・・1月対華二十一ヶ条要求 
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1月3朝 正月の上野・浅草、大儲けは活動ばかり
  6読 初水天宮賑わうが前年七分の人出
  10読 浅草に猛獣使い人気を博す
  10読 三友館の春興行、すこぶる好評
  10読 卯年の卯、亀戸は人の波
  17読 藪入りで大相撲、九分の入り
  21読 戦捷博覧会開催
  29読 深川の初不動、見世物8軒、繭玉屋30軒、いずれも相当の売行き
  29読 初庚申、柴又帝釈天
2月5読 成田の節分、二万が泥の中で豆拾い
  9読 初午の賑わい、美形の多い豊川様・賽銭の雨降る穴守
  9読 本郷座の国民党演説会は大入り満場熱狂
  12読 芝増上寺で商工業労働者の慰安会
  15読 うららかな日曜、日比谷・上野・浅草などなかなかの人出
  18読 戦捷博覧会、日々盛況にて発会式を催す
  20読 みくに座の連鎖劇、毎日大入り満員
  21時 興行物は何処も大入り満員
3月5読 大森海岸で海草取り
  6読 水天宮、人形町通りは電車乗客で混雑
  7朝 浅草帝国館「吶喊」連日満員早い者勝ち
  8万 金杉で闘犬大会、見物人二百余名
  18読 浅草代地河岸で長唄勝産会の演奏会
  18読 上野みやこ座で「サタン劇」上演
  21読 三越で児童博覧会
  22読 池之端の戦捷博覧会や本願寺、上野、浅草は春の人出
4月2読 浅草寺開帳、人波に外国人も交じる賑やかさ
  2読 みくに座「恋ごろも」連鎖劇すこぶる好評 
  7朝 花見の上野は大変な人出
  9森 鴎外、妻子と小石川植物園へ往く
  11読 壮観極むる帝大競漕、墨堤春の賑わい
  15読 三友館の連鎖劇実録「忠臣蔵」日延べ
  17読 芝増上寺の東照公三百年祭、大名行列は群集を縫って
  17読 上巳の潮干狩り、どこも人出おびただし
  26読 第一高等二十五年記念祭
  26読 日比谷公園で日曜学校生徒大会、少年少女1万人が集まる
  28読 帝劇の芸術座劇「その前夜」「サロメ」他満員
  28読 常盤座水野劇「役者の妻」連日大入
  28森 鴎外、靖国神社の祭典に列す
  28読 諒闇明け招魂祭、馬場内十数軒の興行、午後から人出
5月2読 目黒春季競馬、120余頭の駿馬出場
  2万 家庭博覧会、お伽園開会式などで賑わう
  8万 富士館、小天勝の大魔術昼夜満員
  15読 金竜館の五九郎一座「サロメ」を出し評判 
  15読 力士紛争、大相撲無期延期
  16夏 漱石早大対一高の野球を観戦
  17読 大勝館上映の「柳生旅日記・天馬続編」初日来連日満員 
  17読 戸塚運動場で早大対一高、3万5千人の観客
  23読 浅草帝国館上映「三碼」大入り満員
  28森 鴎外、家族らと家庭博覧会へ
6月9読 大相撲5日目、好取組みで又も盛況      
  5読 浅草電気館「大探偵ヂューブ」続編        
  9読 浅草オペラ館「鳩の家」連日満員の盛況      
  9読 十二階の演芸、盛況  
  15読 山王祭、山車飾り13ヶ所、神酒所60余所他に演し物多し
  15読 遊楽館新狂言「蜘蛛の名人」他好評
  15読 富士館の教育写真「曾我兄弟」大入り日延べ
  15読 三友館「盲芸者・快男子」好評上映
  15読 オペラ館「小ゆき」初日来大入り満員
  28読 キリン納涼園、開業以来すこぶる繁盛