江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)208
一転してレジャー?の人出が増える六年秋
連日のように戦争関連の記事、勝利、爆撃など、国民を鼓舞するようである。そのため、戦争をじっくり考えたり、躊躇させるような記事は許されない、まして反対するような言動はタブーとなった。
娯楽でも同様、闘争意志をもり立てるには、スポーツ観戦が最適である。勝ち負けに拘り、選手と一体となって応援する雰囲気、その興奮を伝える。スポーツならではの効果を、政府、軍は見逃すわけがない。野球くらいでは効果が薄いと思ったのか、神宮体育大会は、全国から一万人もの人々を集め、盛大になるように催している。
街中は、活気までとは言えないが、ザワザワするような動きが起きている。早慶戦で死傷者が出たり、招魂社祭礼の活況、明治節の盛り上がり、出兵兵士の見送りなど、人の動きは活発に見える。しかし、全てが市民の自発的な活動ではないと思われるのに、新聞を読んでいると誰もが自発的に参加していると思わせる記事が多い。
レジャーについて見ると、人出はそこそこあるものの、入場料の値下げなどが支えるものである。不景気だけてはなく、心から楽しもうとするマインドが低下し、市民の行動に影響している。表向き、不景気を隠そうとしているようだか、年末には株の大暴落、市民の娯楽もその影響を受けないわけがない。本当は、このようなときにこそ、市民が心から楽しめるようなイベントが必要なのである。人々が浮かれ楽しむと、戦争への関心が薄くなり、引き締めなければならないと、以後はさらなる制約が進むことになる。はたして、本当はどうであろうか、アメリカの戦時状況下のレジャーと比べてみる必要がある。
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昭和六年(1931年)十月、関東軍、錦州を爆撃⑧、歌舞伎の衰退するなか、スポーツは盛況
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10月3日A 「拳闘選手はスポーツマンか遊芸人か?」課税に迷う
10日ka 夜日比谷辺にて花火を打揚る響頻なり
13日A 池上お会式に人出五十万人、在郷軍人など250人出動、賽銭泥棒60名
16日A 松竹「社運を賭した十月興行も不入り」
17日a 「早慶戦切符騒ぎで 死傷者四名を出す」前夜から三千人詰めかける
17日a 帝展 賑わう 招待日
18日a 雨のため、ベッタラ市延期
19日M 「秋は山だと、押しかけた遊覧客」新宿駅から十八万人、東京駅十万五千、上野駅十万二千
22日a 「沸き立つ早慶決勝戦」
24日ka 招魂社祭礼最終日・・参詣の人群をなし、見世物の鳴物さわがしく、花火の響頻なり
26日ka 銀座、夜となりて、散歩の男女織るが如く
28日a 立教リーグ優勝「池袋の街ではお祭騒ぎ」
28日a 第六回神宮体育大会開幕、参加選手全国一万人
池上本門寺お会式の十二日は電車が終日運転され、「人出五十万」と大賑わいであった。警備には、在郷軍人や青年団など250人も出動した。ただ、本門寺ならではの威勢のよい「纏い」を禁止したためか、喧嘩はなく、迷子十数人、「エロ挙動不審」40人、不景気を反映してか賽銭泥棒60名であった。
松竹が社運を賭けた十月興行、中日を過ぎても不入りが続くなか、六大学野球は盛況。早慶戦は、前夜から「三千人」詰めかけ、「早慶戦切符騒ぎで 死傷者四名を出す」ほど、試合前から興奮している。二十一日の決勝戦は、ウイークデーであるのに「切符売出し改札の時は二万人もいた」。なお、この秋の優勝校は立教、二十七日の「池袋の街ではお祭騒ぎ」であった。
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昭和六年(1931年)十一月、浅草に松屋オープン①、天津で日中軍衝突⑧、再衝突(28)市民の関心はレジャーよりも満州事変
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11月4日a 「賑う明治節」、正午までに二十万人を超える参拝者
8日A 米大リーグ来日、日米野球初日の神宮スタンドは数時間前から満員
11日a 「憂国の発露 明治神宮に渦巻く祈願者 日毎に増えて行く」
21日a ダンス教習所11ヶ所に閉鎖命令、ダンスホール同様の営業と認められ
21日A 帝展終了、入場数二十一万人、有料は半数
27日ka 白木屋店頭に群集雑遝す
29日a 「浅草十銭合戦」入場料を10銭に値下げする競争がはじまる
29日A ラジオの新規加入が満州事変後二ヶ月で五万件(全国で)を超える(全国で九十二万となる)
明治節、正午までに「二十万」人を超える参拝者。人目を引く派手な服装はなく、カーキ色の在郷軍人や青年団などが目立った。市内では、日比谷公会堂で奉祝講演、代々木練兵場で学生神宮奉拝式、陸軍戸山学校で在郷軍人会の創立記念祭、上野公演美術館側広場で全国体操連盟主催の体操祭などが催された。明治神宮には、その後も日を追う毎に祈願者が増えていった。
米大リーグが来日、七日に日米野球の初戦、神宮スタンドは数時間前から満員となった。スポーツは盛んで、日比谷市政講堂でアマチュア拳闘大会、早慶蹴球戦、早慶新人野球などが続いている。それに対し、文化活動代表する帝展は、入場者数こそ前年より5千人ほど多い21万5千人を超えたが、50銭の入場料を実際に払った人は半数。結局、前年より約8千人も減少し、そのため6万2千円と4千円もの減収。
満州事変、再衝突の前日、荷風は白木屋の前に人だかりができていたので近づくと、「満州出征軍人野営の状を活人形につくり」展示していた。「時に号外売声をからして街上を疾走す」、と日記に書いている。
浅草公園では、万成座が入場料を10銭に値下げして客足を吸収したことから、演芸物上演の江戸館と橘館、映画の遊楽館と大東京が追随。そのため、六区の興行界では、入場料を10銭に値下げする競争がはじまった。
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昭和六年(1931年)十二月、犬養内閣成立⑬、浅草オペラ館開場⑯、株式大暴落⑱、新宿にムーラン・ルージュ開場(31)、満都は到るところ事変気分
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12月1日M 「満都至るところ事変気分」銀座に鉄砲遊戯
5日a 歌舞伎座「義経腰越状」他、連日満員
6日M 納の水天宮
17日A 「不景気去った? 歳末この繁昌」「百貨店に赤字消滅」
21日M 「巷に人出の大氾濫、浅草の観音さんめっきり減ったお賽銭、五人に一人が二十人に一人に減少」
21日A 日比谷公会堂で、市主催クリスマス会開催
23日A 「国旗と軍歌の洪水 東京部隊出発す」品川駅は大混雑
25日A 「Xマス・イヴを踊り抜く」帝国ホテル
26日A 「新雪に勢込んでスキーヤーくりだす」150人と指で数えるほど
「暮せまる寒空に 三千人の欠食児童」A(23)と、市民の生活は改善していない。ところが、「不景気去った? 歳末この繁昌」「百貨店に赤字消滅」。これは、犬養内閣の積極政策を期待し、貴金属が値上がりしているからで、百貨店など一部には景気のよいところがある。が、「大部分が見渡すところ依然として懐勘定はさびしい」a(27)と。なお、東京市の調査によると、百貨店の正月用品は「暴利過ぎる」と報告されている。
その他の人出は、二十二日の品川駅が、満州出兵を見送る人々でホームに溢れるばかりの混雑があった程度。日比谷公会堂で市主催のクリスマス会、帝国ホテルの「Xマス・イヴ」、「新雪に勢込んでスキーヤー」などのレジャー関連の記事はあるが、せいぜい話題を提供するものでしかなかった。