軍国主義に向かいレジャー盛況の十年春

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)222
軍国主義に向かいレジャー盛況の十年春

 軍事予算の増大とインフレで金回りがよくなったと見えて、東京市民は遊ぶのに夢中。警視庁は花見の大騒ぎにブレーキをかけたが、「どこも酔払ひ天国 お花見は最高潮! 仮装隊はトラックで乗込み」と、逆効果の様相。四月一日から三日まで、東京湾「みなと祭り」、「開通二十五年記念 日本橋まつり」、天王洲橋開通」などイベントが続き、六日は朝から、東京駅から赤坂離宮にかけての沿道に人出。七日、「シャム舞踏団賑やかに入京」。そして、「満州国皇帝を拝する人、沿道に二十一万余」。八日から花見が始まり、「満州国展」、花祭り、十日に「代々木原頭の観兵式に十七万の拝観者」、十四日は「神宮競技場で奉迎の運動会、三万の若人」。花見の大騒ぎがピークを迎える。
 昭和十年の春は、「満州国皇帝奉迎式」、「日露海戦三十周年挙行市中大行進」「防空飛行大会」などと人々が浮かれており、毎月のように軍事色イベントが催されている。お祭騒ぎとなる中で、大多数の東京市民は、戦争へと進むことに何ら不安を感じていないように見える。現在が面白ければ、楽しければ良い、ということではないと思いたいが、社会の趨勢はそうである。
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昭和十年(1935年)四月、歌舞伎座満州国皇帝奉迎式⑩、どこも酔払い天国、お花見は最高潮「二百万人」
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4月1日Y 港まつり・日本橋まつり
  7日a 満州国皇帝を拝する人、沿道に二十一万余
  6日ka 日比谷の四辻にて花電車の過るに会う。雨中これを見る者堵の如し
  7日ka 六時過銀座に往く。日曜日にて雑遝甚しければ不二アイスにて夕餉を食し直に帰る
  8日y 天気予報外れ「桜狩り五十万余万人」の人出
  8日A 第二夜、銀座は動けぬ人の海
  8日a 上野松坂屋で開催中の「満州国展」盛況、本国から視察団も来朝
  9日a 花祭り、浅草から日比谷へ花御輿にものすごい人だかり
  10日a 代々木原頭の観兵式に十七万の拝観者
  14日y 神宮競技場で奉迎の運動会、三万の若人
  14日ka 落花雪の如し・・夜銀座通人出多からず
  15日a 花見か人見か、人間の大洪水 押し出した総勢二百万と号す
  15日a 豪華船ブリテン号 桜真ツ盛りに入港 各国人の観光団五百余名が ドッと日光・鎌倉へ
  18日Y 日比谷公会堂ルービンシュタインのピアノ演奏会、料金2円、臨時入場料4円5銭、追加会費1円
  21日a 六大学リーグ、野球の春開く、朝六時からファン殺到
  24日y 東京劇場「長脇差試合」他連日大入日延べ
  27日a 靖国神社臨時祭
  29日a 増上寺の蚤の市、四十数軒出て繁昌
 
 満州国皇帝、溥儀来日。六日は朝から、東京駅から赤坂離宮にかけての沿道に、整然たる奉迎団体が埋め尽くした。おもな団体は、近衛第一両師団の堵列兵、青年団在郷軍人、中小学校生徒1万1千、文部省直轄学校生徒7千、国防婦人会、赤十字社、愛国婦人会3千、59団体、4万5千人が粛然として御道筋を埋めた。また他にも、濠ばたには消防組が纏いを立て、団扇太鼓たたいて来る日蓮宗の団体など、奉迎者は「総数二十一万余人」に上がった。
 銀座は奉迎門、旗暖簾で装飾され、浅草は大奉迎塔に「奉仕料金二十銭均一」の大看板、上野、本郷、麻布などの街も飾りつくされた。荷風は、「雨中これを見る者堵の如し」と記している。ただ、人出は翌七日の方が多く、まだ満開ではないが、花見に「五十万余万人」。賑わいは、荷風が銀座から帰宅した後、夜に入ってますます増え浅草や新宿などの盛り場はごった返した。
 十四日は、この年の行楽の最高の人出。上野から三里塚や熊谷に19万人、新宿からは小田急を加えると35万人、京成電車は柴又や鴻台に27万人、京浜電車は花月園に35万人、湘南電車が衣笠公園や鷹取山に30万人、等々と大変な人出。市内でも、サクラが白ッちゃけた上野の動物園は午前中に8万人。「天下御免の仮装の団体がトラックに満載されてやって来る」y⑮飛鳥山は、「十万は下らない」。「花など問題じゃないと飲んで歌う、迷子が十何人出」るという状況。「押出した総勢二百万と号す」との数字、盛り上がりの凄さを表している。

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昭和十年(1935年)五月、海軍記念日、日露海戦三十周年挙行市中大行進(27)、祭・行楽・興行などレジャーは盛況
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5月2日a 「労働運動衰へたり 警備陣の縮小」戦前最後のメーデー、六千二百人参加
  6日Y 夏祭のトップ芝烏森神社
  11日a 「大衆デー」に賑わう夏場所の初日、正午に早くも満員
  11日ka 銀座に行く「土曜日なれば学生の泥酔して街上に嘔吐する者多し」
  16日a 「日本海海戦三十周年記念展」三越にて、海相らも大満悦で観覧
  19日A 雨の三社祭、すべる若衆、重軽傷
  21日Y 新宿歌舞伎座、五九郎劇「海軍記念日」他連日満員御礼、1円~30銭
  21日ka 烏森の縁日見てかえる
  21日a 連日満員の盛況裡に千秋楽を迎えた
  28日a 海軍記念日、銀座は華やかな大行進、七色の花吹雪

 統一メーデーの動きもあったが分裂、参加人員も減少、警備陣も手持ち無沙汰であった。昭和十年以降、労働争議や起訴した件数が激減、満州皇帝来訪に際し争議解決に警察が介入。それまでの弾圧によって労働運動は衰退、この年のメーデーは戦前最後のメーデーとなった。
 市民レジャーは、大相撲夏場所が「連日満員」であったように、映画や演劇も盛況である。祭も、三社祭をはじめあちこちで行われ、行楽地も賑わったと思われる。新聞広告Y④には、東京競馬、大国魂神社大祭、古式くらやみ祭、京王閣(往復入園料65銭)、谷津遊園、藤と菖蒲の吉野園・堀切園・菖蒲園・小高園、上遠家牡丹園、多摩川園、向ヶ丘遊園地、浦安海楽園、豊島園、あら川遊園、兎月園、大宮八幡公園などが掲載されている。

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昭和十年(1935年)六月、上野動物園にタイからゾウの花子が贈られる⑤、有楽座開場⑦、警視庁ダンスホールの一斉取締り⑧、梅雨に入ってもスポーツ・映画に盛んな人出
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6月1日a 多摩川の闇にかがり火、押し出した約3千
  2日a 浅草電気館等「自活する女」他満員御礼
  3日A 月島の埋立地で空の曲芸、観衆二万、無料
  9日y 早慶一回戦「名物応援」一切お断りでも球場沸く
  10日y 浅草帝国館・麻布松竹・新宿松竹「お琴と佐助」他満員御礼
  10日a 早慶第二回戦、内野席15円外野席5円のプレミア付く
  14日y 市内プールの皮切りに浜町公園プール開く
  17日a 早法優勝戦、午前中に内外野席売り切れ
  17日y 日曜・スポーツの協奏曲 早法戦・日比対抗陸上・三大学水上 神宮外苑に熱気はたぎる
  20日a 紙芝居業者は市内で約二千人,一日十回の上演で児童約八十万人が見る

 月島の埋立地で民間各航空学校研究所の防空飛行大会が開かれた。会場は、無料ということで「二万余」の人が群集。観衆の関心は、パラシュート降下、低空飛行、くぐり抜け、翼に人が立ったままでの飛行など。軍事的というより「空の曲芸」サーカスを見る思いであった。
 早大優勝に望みをつなげる早慶戦、一回戦「名物応援」一切お断りの中で行われたが、神宮球場は沸きに沸いた。第二戦、午前十時に早大一塁側スタンドが満員、「六万」の観衆。本来なら内野席の料金は1円と50銭であったのに、闇ではなんと15円で取引された。また、外野席ですら30銭が5円もの値がついた。試合は、早稲田の勢いに優り8対4で大勝利。戦いの場は銀座へと、「三田稲門両学の書生各隊をなし泥酔放歌ややもすれば闘争せんとす。巡査街の辻辻に立ちて非常を戒しむ」と、荷風は九日の日記に記している。
 「ドンドン節を唄って『ドンドン飴』を売っていた飴屋さんが、映画味たっぷりな紙芝居業者に身代わりしたのはここ数年来の事であるが、これが又今の児童の欲求にピッタリはまって素晴らしい勢いで都下を横行」。自転車の後座席に駄菓子類を詰めた箱と紙芝居を積んで、市内の辻々で子供たちに菓子を売る。毎日のように同じ場所で続きもののお話をするので、子供たちは楽しみにしていた。児童「六十万人から百万人」という数字は、相当な数であるが、多い日はその程度あったと思われる。なお十一月には、警視庁は紙芝居の統制に乗り出し、内容、業者の取り締まりを開始、この年の東京の紙芝居業者は約2,500人とある。