江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)217
レジャー気運が一転して落ち込む九年冬
インフレ政策の続く中、軍需産業の発展と財閥の満州への投資増加によって、企業と軍部との結びつきは一層進んだ。四月の帝人事件で斉藤内閣が総辞職するように、政党内閣の指導力は低下し、国民の声を反映するものではなくなっていた。国政は、軍部の方針を受け、官僚が辻褄合わせをするという体制が整えられていった。
産業の発展は、労働者の実質賃金の低下によって支えられ、一部の層を富ませるものであった。それでも、軍需産業の振興は、下層労働者の失業を減らすとともに、東京のサラリーマン層にはインフレの恩恵をある程度与えた。それは東京市民のレジャーにも反映され、以前よりカフェーや観劇などが盛んになり、スポーツに関心が向けられた。
前年の暮れは、大いに盛り上がった東京市民、年が明けたら潮目が変わったようだ。新聞紙面では、レジャー気運が続いているように記している。確かに、人の動きは、さほど落ちていないがレジャー気運の高まりが無くなった。古川ロッパや永井荷風は、そんな市民の動向を日記に綴っている。こちらの方が、実感がこもっている。
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昭和九年(1934年)一月、日比谷に東京宝塚劇場が開場①、レジャー気運の冷めた正月
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1月4日ka 浅草雷門、「新春遊楽の男女雑遝し。路傍には蜜柑の皮紙屑散乱」
5日A 三箇日、御慶事と上天気で どこもホクホク顔
5日A 富士館等日活系「彌次喜多」他満員御礼
9日a 日本劇場「踊る1934年」他満員御礼
10日a 在郷軍八万、代々木から宮城へ奉祝大行進
13日y 大相撲春場所初日「大衆デー大当たり」
16日a 浅草興行街、藪入りだけ「定員超過」大目にと嘆願
17日y 藪入りに賑わう大相撲、五日目
18日a 銀映座・芝園館等「ママはパパが好き」新春興行が連日大入御礼の為各等半額
27日A 東京鉄道局、初心者向けの週末スキー列車を走らす、一泊して費用6円程度
28日Y 市川競馬、三万のファンの中「八百長」と殺到
「昨暁明治神宮へ参拝・・・正月気分が今年程、希薄だったのは初めてだ・・・世間も段々そうなって来るのではあるまいか」と古川ロッパは元日の日記に書いている。また、永井荷風も、三日の夜の銀座は「寒風烈しければ人通り少なし」と記している。
それでも、三箇日の人の動きは、交通機関から見ると前年より活発である。京浜電車の乗客は28万余で三割増、京成電車は50万近くこれまでの最高、市電はさほどでなかったがバスは8千3百円もの増収であった。また、興行界も「ホクホク」で、日活の観客は六割増、暮れに開場した日本劇場は3千人の定員に5千人近く入るという盛況。「非常時の正月はまずは目出たく素晴らしい景気」であった。
日活系映画館の『彌次喜多』などが満員御礼のように、金龍館の『凸凹世界漫遊』も元日から大入りだった。劇場は前年より二割以上も観客が増え、映画館も入りがよい。警視庁は、藪入りを前に16館の映画館に収容定員を守るよう指導a⑭。それでは書き入れ時が水の泡となってしまうので、浅草興行街は藪入りの十五日に了解を付け、客をすし詰めにした。
二十日、銀座に出かけた荷風は、「露店の商人も店をたたみ散歩の人も少なし」と記している。また、二十五日も銀座通り「風なけれど寒気甚しいければ銀座通も今宵は人出少し」とあるように、月末になって市民のレジャー気運は覚めたようだ。
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昭和九年(1934年)二月、日比谷映画劇場は50銭均一で開場①、目立つのは官製イベントで市民レジャーは沈滞気味
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2月4日A 品川埋立地で防空ページェント
4日A 池上本門寺「豆まき競艶」、成田山の賑わい十五万人「不夜城の盛況」
5日Y 帝国劇場「東洋の母」他満員御礼
5日ka 十一時頃の浅草公園は内外とも人影稀
7日a 珍しや、二月の消防出初式華やかに開催
9日A 日比谷公園で名木、名花の「梅の展覧会」
12日a 建国祭「街には十万の奉祝行進」
16日A 築地東京劇場「仇討心中噺」他満員御礼
池上本門寺など著名な寺社では歌舞伎役者や女優を呼び、恒例の豆まきは年々派手になっている。また、成田山の追儺式は、「十五万人」で不夜城の盛況と賑わいを増した。建国祭には大勢の人が動員され市内は賑わったがたが、十二日の金龍館は「流石に入り悪し。然しエノケンの方よりいいとか」とロツパの日記にある。また、荷風は「浅草公園は内外ともに人影稀にてむかしの吉原の大引過に似たり。公園内の飲食店は十一時に戸を鎖すと云う」と五日の日記に記している。二月の市民レジャーは、停滞気味である。
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昭和九年(1934年)三月、地下鉄、銀座まで延長開通③、ビール値上げ⑰、人気のマーカス・レビュー団話題を提供、昨今の世相「女給廃れてダンサーふえ、運動競技場増す」a⑬
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3月1日A マーカス・レビュー団に警視庁のお叱言
2日Y 満州国新帝即位大典祝「帝都の夜揺らぐ」
4日a 地下鉄開通で「もぐら銀ブラ大賑わい」
7日y 地久節「女軍行進」約一万人、馬上姿も
7日a エノケン、余計な演出で「大目玉」
19日y 「行楽の序曲」上野十万人、新宿駅廿万
21日a シネマパレス「会議は踊る」他満員御礼
25日A 帝国劇場等「世界大戦を語る」連日満員
25日A 帝国館等「夢みる頃」他満員御礼
三日、地下鉄が銀座まで延長開通した。そのためか、翌四日は「日曜日なれば街上到処散歩の家族男女の群雑遝すること甚し」と、銀座を歩く人が増えたのを荷風は見ている。ロッパも、「エノケンや大江美智子の出ている公園劇場あたりは大入り」と。この月は、大きなイベントがなかったこともあって、市民の関心は映画や演劇に向けられていた。
アメリカから訪れたマーカス・レビュー団に「へそを隠せ、乳を覆え」の記事。前年出されたエロ演芸取締規則は、「股下二寸」と下の方についてだけ制限、ズロースの股上については何ら制約していない。つまり、ズロースの丈を短くすれば「ヘソ」が出る、ましてや乳房を出すなどということなど、考えもおよばなかったらしい。また、「おへそを露けにむきだしていること、『これはお客さん達に失礼で面白くないね』」などという完全にずれた感覚で取締。したがって、観客は無粋な警視庁の口出しによって、マーカス・レビューの良さを味わうことができなかった。さらに、翌月、大当たりのマーカス・レビュー、滞在延長は認められず打ち切られた。