人出だけが盛り上がる九年の春

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)218
人出だけが盛り上がる九年の春
 春の出来事は「帝人事件」、齋藤内閣の総辞職の原因となった事件であるが、起訴された全員が無罪となっている。訳のわからない事件で、倒閣を目的に捏造されたのではと、考えられるが実態は不明のまま。市民も、烟に巻かれたままであった。
 人々のストレスは、どこかで発散しようとタイミングをねらっていた。それを花見に託つけて爆発したのが、この年春であった。東京市民だけでなく、周辺の農村部までにも広がった。なぜか都心に近在の農民が上京して盛り上がるだけでなく、近在でも負けずに騒いでいたようだ。
 そして、五月に東郷元帥の死去に続く国葬、荘厳ではあるが市民は託つけて出歩いていたようだ。天候や不景気、イベントが少ないこともあって、人出はあるものの市民のレジャー気運は低調であった。街中は、平穏ということであろうが、右翼の街頭アピールが多くなり、市内に殺伐とした雰囲気を感じるようになった。       
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昭和九年(1934年)四月、帝人事件おこる⑱、忠犬ハチ公銅像除幕式(21)、サクラの開花と共に盛り上がる市民のレジャー活動
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4月2日a 「かきいれ時を雨無常」 
  2日A 「お上りさん」急増、宿屋は千客万来
  3日ka 祭日なれば銀座通り田舎漢の尤往来甚し
  9日a 花見第一日パッと咲かぬ桜、どっと出た人波
  10日A マーカス・ショー期限切れ査証に物言い
  15日A 延長ならず、マーカス・レビュー打止め
  16日A 上野動物園に七万五千人、飛鳥山に十五万人の人波
  23日y 東京六大学リーグ戦はじまる、二万の人出
  27日ro 今日は靖国神社の祭で大分入りがある
  28日a 早慶戦興奮興奮の渦、八時に内野席売切れ
  30日a 大観兵式、代々木原頭の偉観
 東京へは地方から、花の便りに先駆けて「お上りさん」が押し寄せ、宿屋は大繁昌。神武天皇祭の日、宮城から銀座通りへとお上りさんが右往左往している様を、「田舎漢の尤往来甚し」と荷風は日記に記している。       
 八日、「パッと咲かぬ桜」に「どっと出た人波」と花見の第一日。上野には「十万人」もの人出、おかげで「留置場まで花見景色、スリ、カッパライ等で上野署ごった返す」A⑨始末となった。十五日、満開のサクラに上野は「三十万」、飛鳥山に「十五万人の人波」、この年最高の人出を記録。東鉄管内だけで140万人、142万人の私鉄や自動車での人を加えると300万人を突破、「六年ぶり、花見新記録」a⑰となった。その日の行楽は花見だけでなく、動物園、潮干狩り、成田講、陸上競技、ボートレースなどにわたり、また、「デパート巡り十五銭」の切符を使ってのショッピングもあった。
 成田講の記事は、「成田講くづれも 酔つて踊つて 花と牧草の三里塚」と、周辺の郊外でも大勢の人々が浮かれていたと。「花の三里塚の花見客歓迎アーチをくぐれば茶店、お土産やが江の島以上のうるささ、オートバイ軽術の見世物までかかつてお祭り気分、そこへ近在の若い衆が笛、太鼓に赤い長じゆばん花がさの道化ばやし、手に酒だるを乗せ手製の造花で飾つた牧歌的な農村青年のお花見も混る。どこから出張したのか、芸者連の流し、御法度のネオンの影の『唄はしてよ』少女もやつて来て踊つてゐる、場所のいい茶店御法度境内の芝生に「さざえのつぼやき」の大看板をかけた千葉県水産農会の際物の出店がある」。・・・
 二十二日から東京六大学リーグ戦開幕。初戦は帝大対立教、押し寄せた観客は「二万」と少なかった。が、二十七日の早慶第一戦は、午前八時に内野席券が売り切れるという人気。

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昭和九年(1934年)五月、井の頭公園に動物園開園⑤、片岡知恵蔵主演映画「忠臣蔵」連日超満員、郊外への行楽は低調だが市内でのレジャーは盛ん
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5月2日Y 両国国技館で拳闘「堀口対トミー」観客二万
  4日a 野趣満々たる新宿祭、時代祭など繰出す
  6日a 日本劇場「一日だけ淑女」他満員御礼
  6日A 「銀座異変」コリント商売御法度
  11日a 夏場所初日目前に珍しい「相撲祭」開催
  12日a 大相撲、早朝から階上席は相当の入り
  17日ro 三社祭の太鼓の音がひゞき、夏祭りの景気
  20日A 片岡知恵蔵主演映画「忠臣蔵」連日超満員
  21日a 夏場所十日目大入満員
                                                
 一日、メーデーは左右分裂、芝公園と芝浦で開かれた。警察の取締りも以前のような激しさは感じられず、市民の関心も薄れているようだ。その一方で、「白鉢巻白襷黒紋付に袴をはきたる壮漢十四五名竹刀を打振り街上を練り行く。巡査も見ぬ振り・・・街頭にて悲憤憤慨慷慨の演舌をなすものあり。宛然幕末の光景なり」と、荷風は二十三日の日記に記している。
 新宿祭、三社祭神田祭など市内では様々な行事や興行が行われている。イベントはあるものの、熱気は感じられず、レジャー気運は低調であった。そのような中で注目を集めたのがエノケンの『青春水滸伝』と片岡知恵蔵主演の映画『忠臣蔵』。片岡知恵蔵が満員の御礼に映画館を訪れ挨拶するので、人気は沸騰。三十一日aにも富士館・帝都座・神田日活・麻布日活の満員御礼広告。討ち入りの行われた季節でもないのに流行るのは、『忠臣蔵』が俗に“鉄砲”言われるように不景気を反映してのことだろう。

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昭和九年(1934年)六月、東郷元帥の国葬⑤、地下鉄浅草から新橋まで開通(21)、国葬によって前月のレジャー気運は持続
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6月2日a 鮎解禁第一日、多摩川沿岸に二千名が繰出す
  4日ka 此夜銀座通の雑遝平日優る。明日東郷大将国葬につき学校官衛皆休業するが故なるべし
  6日A 日比谷公園で東郷元帥の国葬、沿道「驚異的な人出百八十四万七千余人」
  6日a 日本劇場「一日だけ淑女」他満員御礼
  7日A 富士館・帝都座等「忠臣蔵」満員御礼
  11日y 隅田・浜町・錦糸の三プール開く
  14日A 浅草公園付近の五百軒近くの無許可「モーロー露店一掃」
  15日a 日本劇場の非常時国策映画「大号令」人気
  18日a 今が見頃の堀切菖蒲園
  26日a 市民農園、耕作は自由、八月から開園
  28日A 猛夏序曲、昨夜は84度(摂氏29度)皆、涼を求めて戸外へ
                                                
 六月のメインイベントは、五日の東郷元帥国葬。人出は葬儀の前日からあり、葬儀当日は、日比谷公園から沿道に「驚異的な人出」となった。新聞には、堵列した人々の後の行動について触れていないが、銀座や浅草などに流れて行くことは想像にかたくない。ロツパの日記に、「市内の大劇場は皆休みであるが、浅草はアクどい・・・やっぱり此ういう日は浅草の書入れになる」とある。
 市民レジャーは、鮎解禁にはじまり、花菖蒲の見ごろなど恒例の行楽がある。ロッパが『にんじん』を十一日に見て、評判だけあって中々いいと日記に書いているように、劇場や映画館なども梅雨に入った割には活発だ。ただ、新聞には、やたらと自殺の記事が多く、暗いムードが漂っていた。