レジャー自粛で盛り上がりを欠く昭和十三年秋

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)236
レジャー自粛で盛り上がりを欠く昭和十三年秋
 十月には武漢三鎮攻略が伝えられ、政府軍部は戦勝祝いを誘発し、国民を酔わせている。日本軍は連戦連勝と、景気の良い報告、国民の誰もが信じているのだろう。そして、戦勝祝いは特例として、靖国神社の祭や戦勝祝賀などの行事を、レジャー自粛の中でも、夜間でもお構いなしとする。戦いに勝っているのに、国民への締めつけはドンドン強化される。
 国民は、政府軍部の報道を本当に信じているのであろうか、という疑問がある中、新聞記事を見ていると、東京市民は戦勝に盛り上がっているように感じる。紙面には、生活への不満や困窮する様子があまり強く感じられない。そう感じるのは、十二月三十一日の読売新聞、「家族部隊の進撃に 暮れの街頭は氾濫」との見出しに、暮れの街の様子を写真入りで、盛り上がりの状況を示している。同じ紙面には、「純白米とお別れ」とある。市民は、飴色米をいやでも食べなくてはならないことになる。また、「俳優にも免許証 落語家、漫才、相撲まで一万の技芸者へ 厳しい取締の鉄槌」とある。
 市民は、取締を気にせず楽しむため、靖国神社の祭や戦捷イベントなどに合わせて遊ばなくてはならない。自発的にではなく、それも動員されるという主体性のない状況でしか楽しめなくなっていった。それでもこの当時、市民はまだ食べることより、レジャーの方に関心を向けていることができた。

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昭和十三年(1938年)十月、市内商店午後十時閉店実施①、六義園開園⑯、武漢三鎮攻略祝賀会(28)、街は午後十時に明かりが消える、しかし靖国神社の祭や戦勝祝賀などの行事は夜間でもお構いなし
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10月1日A 日本劇場東宝長谷川一夫主演「鶴八鶴次郎」他満員御礼
  3日Y 多摩川園の「躍進日本菊花大会」に観衆二万
  9日Y 全日本陸上競技大会第一日、三万観衆
  11日A 米国女子野球団、賑々しく入京
  12日A 日本劇場「エノケン西遊記」他満員御礼
  13日a 事変下のお会式、参詣者十五万余の殺到を予想
  17日ro 後楽園の職業野球の合間に紛れて撮影
  18日ka 昨今九段坂上招魂社祭礼にて地方より上京するもの夥しく九段付近雑遝甚しと云う
  20日A べったら市、日本橋大伝馬町の大通り賑やか
  20日A 靖国神社臨時大祭「敬虔な人波・二百万」夜半まで参拝者で埋まる
  22日A 日本劇場「エノケンの大陸突進」上映・ 「エノケン西遊記」実演満員御礼
  28日A 帝都は祝賀の火の海、二重橋前に提灯行列、午後九時までに約二万、靖国神社へ向かう
  29日A 「昨夜・帝都闇なし 灯の海に泳ぐ四十万」
  30日a 徹夜の提灯行列組 早慶戦 万歳三唱で開始
  30日A 祝賀第三夜 雨にもめげぬ灯の海
  31日ka 銀座「街上には戦勝に酔える民衆学生放歌横行す」
                                                
 十月に入っても、戦線は膠着、明るいニュースも少なく、市民の行楽活動は湿っている。十二日のお会式も、「参詣者十五万余」と例年の半分以下しか想定されていない。
 月半ばから戦線の好転が伝えら、靖国神社臨時大祭が十八日からはじまった。十九日は前日にも増しての参拝者、日本橋大伝馬町のベッタラも賑わった。そして、二十七日、ロッパが「漢口陥落ときいて涙が出そうになった」ように、多くの市民も同じように感じたのであろう、市内は歓喜の人が出た。荷風は、「日比谷丸の内辺提灯行列にて雑遝す」るのを見ており、二十八日もロッパが「漢口陥落景気で此のあたりお祭りさわぎなり」と。二十九日も「九段坂上から下へ、灯の波の壮観もの凄かりし」と提灯行列が続くのを見ている。
 三十日も、靖国神社から宮城前への「三万若人・奉公の歩武」A(31)で沿道の人々は沸き立った。夜の銀座は、早慶戦騒ぎに加えて武漢三鎮攻略祝賀気分を引きずる市民が浮かれていた。

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昭和十三年(1938年)十一月、東亜新秩序建設声明③、官製イベントは続くが市民レジャーの盛り上がりはいま一つ
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11月1日A 「祝勝景気!一の酉の賑わい」
  2日a 銀座を「海の精鋭・大行進」、都下中等校生も一万二千の漢口陥落祝賀武装大行進
  4日a 明治節、国民精神体育大会・奉祝音楽大行進・海軍陸戦隊の銀座歩武など
  6日A 電気館等「怪猫謎の三味線」他満員御礼
  7日A 防共協定の一周年 三国旗の大行進約二万
  9日a 明治神宮競技場で第三回総合女子音楽体育大会「五万人の合唱」
  18日A 秋の職業野球閉幕、巨人軍優勝
  21日A 全日本学生航空選手権大会、羽田東京飛行場で開催「仰ぐ五万人の瞳」

 市民の祝勝気分は、十一月になって冷めたようだ。中等校生徒を動員しているが火曜日なので反響はいま一つ。三日の明治節はあいにくの小雨。市民レジャーは、沈滞したままである。新聞に載る官製イベント、かなりの熱を入れて大勢の人を動員していても、戦時色が強く、お祭り気分の明るさは感じられない。

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昭和十三年(1938年)十二月、総動員法十一条発動a⑩、戦勝ムードに浮かれて歳末の人出は物凄く、前年より三割ほど多いが酔っぱらいはほとんどいない
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12月8日a 富士館等「弥次喜多道中記」他好評続映
  19日Y 巨人軍結成五年記念大会、後楽園球場は超満員の観衆
  25日a 七面鳥は半減 法度破りのカフェー等にお灸 事変下・自粛Xマス
  30日A 「銀ブラ百万人 売上も昨年より三四割増」歳の市は戦勝景気
  31日A スキーヤー悲鳴 ダイヤ混乱で大混雑

 十二月に入り、景気の回復が感じられたのだろうか、街に活気があるようだ。十八日、「今宵も浅草公園は歳の市にて賑やかなり。・・・羽子板屋のはなしに今年は不景気なるを気遣い例年よりも品数を少なくせしに、案内の売行なり」と荷風は日記に書いている。
 クリスマスのお祭り騒ぎはなかったが、歳末の商戦は盛り上がり、大勢の人が街にでた。荷風は、大晦日、浅草で「夜のふけるに従い西新井へ初詣せんとする人々停車場の構内に押合いたり。既に繭玉護符揚げて帰り来る人も多し 仲店のあたりは雑遝最甚しく横切り難きほどなり」と、賑わいを見ている。また、「女連れの客一組去れば又一組来りて客の出入り絶え間なく明け方近くになるに従い店内ますます賑なり。銀座の飲食店の如く泥酔したる者なくいずれも皆楽し気に見ゆるなり」と。