神風号で持ちきりの十二年の春

江戸・東京市民の楽しみ(昭和時代)230
神風号で持ちきりの十二年の春
 この年の春は、“神風号”(九七式司令部偵察機)で持ちきりであった。神風号は昭和十二年四月六日、立川飛行場からロンドンへ15,357kmの飛行を、十二日に着陸し成功させた。国産の飛行機による長距離飛行は、偉業として世界中の賛辞を受けた。
 その十二日の新聞は、「“神風号”の制覇に渦巻く歓呼」さらに、「勇士の家・塚越家 燈の海で包まる 昨夜・町民の提燈行列」の見出し、「地元の南町会、青年団、国防婦人会等の提燈行列の大群衆」とある。
 さて、このような五百もの提燈行列、どのようにして可能なのか、どこから費用が出ているのか。飛行の成功は、必ずしも確約されたことではなかった。誰(組織)が仕掛けたのか、参加市民がわかるようには催されていなかったのでは。そして、この当時の目ぼしいイベントは、すべて戦争に関連する行事になっていく。
 新聞はさらに、「“神風”大行進 けふ帝都を練る」の見出し、「・・・手に手に小旗をもった麹町、京橋、日本橋、神田、芝各区小学校児童一万余名と合流して総計一万五千名の大祝賀群を作り二重橋前で祝賀会・・・」とある。
 そして、五月になっても、「“神風”歓迎譜 両勇士のゆく処 歓呼と昂奮の渦巻 街に拾う話題の数々」。「帝都に“熱狂新記録”を樹立 数万の群集に応えて 両英雄・露台に唯感涙 ・・・」の見出しと写真。
 偉業であることが確かであるが故に、“神風”との言葉が、その内一人歩きを始める。

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昭和十二年(1937年)四月、神風号ロンドンに向けて出発⑥、ヘレンケラー女史来日⑮、衆議院議員総選挙(30)、市民の話題は「神風号」、映画「大坂夏の陣」も人気、花見などの行楽は盛り上がりを欠く
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4月2日A 飛鳥山、山開き“公園祭”の賑わい
  2日a 浅草帝国館等「大坂夏の陣」他満員御礼
  6日a 花日和で飛鳥山大賑わい
  8日A 上野動物園満州花嫁行列不許可で中止
  9日a 帝国劇場等「沙漠の花園」他満員御礼
  11日A 「神風号」祝賀会、旗行列、奉告祭等で賑わう
  12日Y 「花に名残の人出二百万」、動物園は六万八千人、多摩川園は約五万人の入場
  18日a 六大学リーグ戦・春の幕開く
  20日ro 日劇「見世物天国」「歌う金色夜叉」十二日初日より二十日千秋楽まで満員
  21日a ダンサーの愛国熱 先ずフロリダの80余名愛国婦人会員になる
  25日a 浅草帝国館等「朱と緑」他満員御礼
  28日a 靖国神社臨時大祭、参拝者引きも切らず

 恒例の花見は、盛り上がりにブレーキが掛けられている。飛鳥山に運動場が造成されて花見ムードはやや減衰、仮装の禁止は上野動物園満州花嫁行列まで中止、市民から花見の楽しみを奪おうとする動き。それでも、一日の飛鳥山には「ザッと三万人」、上野動物園では九時迄の夜間開場で六万人を越える賑いなど、春の行楽がはじまった。
 東京朝日新聞・ラジオなどは、何かにつけて「神風号」の話で持ちきり。六日に立川飛行場を飛び立った神風号は、約1万5千キロを飛び九日ロンドンに到着。約九十四時間の新記録に、「数寄屋橋々上朝日新聞社飛行機の報告を見るもの堵をなす」と荷風は日記に書いている。十日に日比谷公園で祝賀会、続いて旗行列、祝賀飛行などの他に、奉祝はパイロットの住む神社でも催され、ダンスホールでも祝われていた。
 十一日の日曜は、新宿駅の乗降客35万、上野駅30万という混雑、花は名残であるが「二百万」の人出。サクラの開花情報や潮干狩りの案内などが掲載A⑨、十七日にも「桜から若葉の野へ」とハイキングコースの紹介。市民は出歩いているのだろう、十八日の荷風の日記にも、「浅草に立戻れば灯火燦爛、遊歩の人織るが如し」とある。

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昭和十二年(1937年)五月、双葉山横綱免許(26)、林内閣総辞職(31)、大相撲が夏場所から十三日興行に延長されさらに盛況
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5月6日a 烏森神社祭礼
  7日A 大相撲夏場所、前日の午後三時から観客待機、午前一時に数千に上る
  11日ka 烏森神社の縁日を歩む
  14日a 富士館・神田日活等「裸の町」満員御礼
  16日a 九日目、はち切れんばかり観客を詰め込む
  18日a 大江戸を偲ぶ三社祭、びんざらの神車も
  23日A 神宮外苑競技場で「神風号」報告会、十万の大群衆
  23日ka 東中通清正公の縁日を歩む。薔薇躑躅花を売るもの多し
  24日A 神宮外苑競技場で第三回日本体操大会関東大会「数万の観衆ただ恍惚」
  25日ro 有楽座「東京読本」他一日より二十五日頃まで満員
  28日A 海軍記念日の夕べ、日比谷と九段の盛況
  30日a 浅草帝国館等「恋人の日課」他満員感謝

 選挙騒ぎも終わって、行楽の五月、市民のレジャー気運は高まっている。荷風は十日の日記に、「夜浅草より玉の井を歩む。東武停車場のほとりの空地に曲馬かかりて賑なり。広小路には夜見世を見歩く人影しげく、あたり一帯にいかにも夏の夜らしき景気になりぬ」と記している。映画や芝居などの興行も盛況である。
 大相撲は、夏場所から興行が二日増え、十三日興行となる。それによって、桟敷は割増金、大衆席は1万円以上の増収。増収は「力士の生活向上に」使うとのこと。値上げにもかかわらず、桟敷は前月に売り切れ。双葉山の二場所連続全勝もあって、相撲人気はさらに高まった。
 神風号のパイロットが凱旋、二十一日の東京朝日新聞社周辺は「数万の群衆」で「電車バスも通行止」の混雑。翌日の神宮外苑競技場「神風号報告会」には「十万の大群衆」と、全市民的奉祝となった。この歓迎イベントは、以後全国大都市で盛大に催された。また、「神風トーキー」「神風歓迎ナイトショウ」、さらに「神風音頭」「神風だから」などの映画が人気を集めた。

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昭和十二年(1937年)六月、卑俗な流行歌発禁⑨、近衛内閣成立、市内の祭は盛ん
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6月2日a 奥多摩日原川の四ヶ所開放され、鮎もよし
  3日a 新橋演舞場前進座「初恋」他満員御礼
  4日a 有楽座「坂崎出羽守」他満員御礼
  4日a 電気館等「吉田御殿」他満員御礼
  6日a 早慶戦、六万の観衆、二万円の収入
  6日A 羽田飛行場で大航空ページェント、観衆十万、愛国切手と絵葉書が一万五千枚売れ八百円の売上げ
  10日A 荏原神社、勇ましい水祭、海上を渡御
  12日a 日本劇場「宮本武蔵」満員御礼
  20日ka 夜また銀座に行き・・日曜日にて人出多し
  27日a 隅田プール開場、夜間は他のプールと同様一日から
 
 六大学リーグ戦の最後を飾る早慶戦慶應が首位のため相変わらずの人気、「六万の観衆、二万円の収入」。このシリーズ、首位打者は東大の野村君、3割8分2厘であるが、東大は五位。最下位は早稲田。
 同じく五日、羽田飛行場で160機が飛び交う大航空ページェントが催された。低空飛行や曲芸飛行などで「十万の観衆」を湧かせた。
 各地の祭は盛んらしく、品川荏原神社では、神輿が海上を渡御する勇ましい水祭が催された。また、荷風の十五日の日記に、「稲荷の社殿は石濱神明宮の境内にあり。恰も祭礼の当日にて若者神輿をかつぎ出し、神官は装束きて白馬に跨り白丁を従えて境内を出でむとするところ。見るもの雑遝す。バスにて今戸町を過ぎるに、人家の軒に提灯さがりて、今戸八幡も同じく祭礼を行うものなるが如し」とある。